第三章「全力さん暗殺計画」編

第二十六話「死者の書のしもべ」

 次に目が覚めた時、全力さんは、ヴァルダの店の片隅に放置された箱の上に居た。あっちの世界に飛ばされるきっかけとなった、『人生を変える箱』だ。傍には、えっちゃんの写真とアケミがくれた千ドルが入った風呂敷が置いてあった


 体は元の猫の姿に戻っている。久しぶりに猫らしく伸びをして体を動かしてみたが、何処にも不都合はない。どうやら、歳は取っていないようだ。


「三毛猫やー! このニクキュウなつかしいなぁ!」


 でも何だか、店の様子がおかしい。壁一面を埋め尽くしていた本棚は一つも見当たらず、店内には水や食料といった配給用の物資が無造作に積まれていた。


「誰かおらんかなあ……」


 全力さんが店内を歩いていると、搬入物資をチェックしているヴァルダを直ぐに見つけた。


「あら、アンタ帰って来たの?」

「ああ、別の世界でえらい苦労してな。アンタは全然変わらんなあ。ボクが消えてから何年たった?」

「二十年位かしらね? 貴方の見た目も全然変わってないけれど。どうせなら、少しは痩せて帰ってくれば良いのに」


 憎まれ口を叩きながらも、ヴァルダの声は少し上ずっていた。

 どうやら彼女にも、少しは感情というものがあったらしい。


「洋子もじきに来るわ。今はなかなか、大変な状況なのよ」

「戦争か?」

「ええ。東京の全力党本部は、在日米軍の手で陥落したわ。今は徒呂月とろつきが敗残兵たちをまとめて仙台に撤収してる」


「日本はこれから戦争になるから。ヴァルダもひーちゃんも、剣乃も土佐波も徒呂月も、皆その戦争に巻き込まれるわ」


 全力さんは、夢の中のユキの言葉を思い出した。


「なんやねん。その全力党やら、徒呂月っちゅーのは?」

「全力党はこの国の与党。徒呂月は、共和国軍の実質的な最高司令官よ」

「共和国?」

「そう。今から約八年前に、剣乃と徒呂月は自衛隊の国軍化勢力を率いてクーデターを成功させたの。今の国号は日本共和国よ」

「ちょっと待って。今は何年の何日や?」


「二〇三〇年七月七日。米軍は先月、日米安保の期限切れと同時に九十九里浜に上陸したの。在日米軍も一斉に蜂起したわ。東京は一週間と持たなかったわね」


 そう言うとヴァルダは、店内に野放図に山積みされた物資を眺め始めた。おそらく彼女は、共和国軍の撤収とその兵站を支援しているのだろう。

 

「難しいことはよーわからんけど、とにかく今はアメリカと戦争しとるんやな」

「そうね」

「ユキは来たか? アンタに良く似た、短い髪の制服を着た女や」

「ユキ?」


 ヴァルダは一瞬、眉をひそめた。


「ああ。ボクによく似た猫をよーさん連れとる」

「知らないわね。そもそも貴方は、私が呼び出した使い魔でしょ? 勝手に消えたけど」

「そうやんなあ……」


 全力さんは訳が分からなくなってしまった。

 なんで、ボクに似た猫が沢山いたんだっけ?


「でも、戦いを諦めたらいかん。ボクにはよーわからんけど、ユキが来れば、この戦いには絶対に勝てるんや!」

「諦めるつもりなんか最初からないわよ。絹猫戦争の二の舞は御免ですからね」


 ヴァルダは吐き捨てるようにそう言った。


「絹猫戦争って?」

「今から約百年前、帝国に解放された土地を奪還しようとする列強と、それを守ろうとした帝国との一五年にも渡る戦いの事よ」


 当時の日本は帝政の軍事国家で、絶頂期には世界の約三割を支配下に置いていた。とは言ってもその大半は、列強の植民地を横から奪い取っただけの話だ。


 彼らは占領地に桑を植え、蚕(カイコ)と猫を沢山持ち込んだ。養蚕を盛んにさせることは、帝国に外貨をもたらすだけでなく、農閑期の人々に仕事を与え、公衆衛生を向上させる一石三鳥の手段だったからである。


「そん時は負けたんか?」

「負けたわ。だけど列強は、植民地を取り戻すことは出来なかった。帝国は戦争中から、養蚕の根付いた土地を次々と独立させていったからね」


 彼らは美しい猫を求め、農地を容赦なく桑畑に変えていったが、それ以上の事は強要しなかった。占領地の治安は安定し、人口は増え、生糸の輸出によって人々の生活も楽になったのである。


 帝国では、綿織物は最下層の人間しか着ない粗末な衣料と見なされ、末端の兵士たちですら、立派な絹織物を身に纏っていた。彼らは傍に猫さえいれば、粗食に耐え、昼夜の行軍を厭わず、命を懸けて必死に戦ったのである。


「米軍を裏から操ってるのは、世界制覇をもくろむユダヤの長老たちです。あの時と全く同じ。奴らの陰謀に屈してなるものですか」


 ヴァルダにしては珍しく、感情をむき出しにしている。全力さんにはなんと声をかけていいのか分からなかった。仕方がないので黙り込んでいると、店の玄関の戸が開いた。


 その先には、ずっと会いたくてたまらなかった人が立っていた。


「全力さん……」

「ひーちゃん!」


「ああ、やっぱりあれは夢じゃなかったんだね! 全力さんは人間で、なんだかちっちゃな船に乗ってた。帰って来るって信じてたよ!」


「ボクがひーちゃんにウソつく訳ないやん。しかし、ひーちゃんも全然変わらんなあ。僕らが最後に漫才してから、二十年もたっとるんやろ?」

「全力さんも全然変わってないよ! むこうじゃ初老だったから、ヨボヨボになって返って来るのかと思ってた」

「辛かったなあ……。もう人間になるのはこりごりや」


 二人はしばし、二十年ぶりの再会を喜びあった。

 だが、事態は平和なひと時を許してはくれない。


「なにやら、大変なことになっとるみたいやな。戦争になっとるのは聞いとったけど、全力党やら何やら、よーわからんわ」

「全力さんは、そんなこと知らなくても大丈夫だよ」


 今から十年前に、コロナという対処法のないひどい病気が世界中に蔓延した。世の中が急に不安定になって、権力を守ろうとした人たちと、世の中を変えようとした人たちが争った。それだけの話だ。それだけの話に、急に米軍が介入してきて、今の共和国は滅茶苦茶になっている。ヴァルダやひーちゃんは、それに抵抗していた。


「一つだけ教えてくれ。ひーちゃんは、変えようとした側の人間なんやろ?」

「勿論」

「だったら、答えは一つや! 難しいことはよーわからんけど、ボクは自分の相方を信じる。あっちの世界でも、ずっとそうしてきたんや!」


 全力さんはそう言って、高々と右腕をふり上げた。


「ありがとう、全力さん。ところで、よくおひねりをくれていた伊集院さんの事は覚えてる?」

「忘れる訳ないやろ! アケミの名前は、伊集院からもろうたんや。ボクが名付け親になったんやで!」

「ああ、全力さんとずっと一緒に居た、あの少年の事だね」

「そうや」


 全力さんは、向こうに置いてきたアケミの事を思い出して、ちょっとだけ涙ぐんだ。


「伊集院さんはね、徒呂月さんと一緒に、いま前線で頑張ってるよ。全力さんが消えてから、ずっと寂しがっていたから、顔を見せてあげたら喜ぶと思う」

「そうかー」


 こっちのアケミは、一体どないなっとるんやろ?


「なあヴァルダ。物資と一緒にボクを前線に運べる? アケミとも話してみたい」

「水と食料を積んだトラックが、三〇分後にここを出るわ。私も前線の情報を知りたいから、洋子と一緒に乗っていきなさい。いまは情報が錯綜してるの」

「了解や!」

「伊集院の率いる部隊は、船岡の駐屯地から前線に物資を送っているはずよ。白石蔵王には精鋭が詰めてるけど、あそこが抜かれたら、この仙台も危ういわね」


 ヴァルダがそういった瞬間、全力さんの頭の中で、ユキの声が聞こえた。

「全力さん、あの箱を持っていって」


「なあ、ヴァルダ。あの箱を借りて言ってええか?」

「別に構わないけど、あれはただの京漆器よ。『人生を変える箱』っていうから大枚はたいたのに、大損だったわ」

「もしかしたら、どの大損を回収できるかもしれんよ」

「どういうこと?」

「たまには、ボクもお役にたつっちゅーことや。とにかく一旦、あの箱を借りてゆくで!」

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