第二十一話「特技」
二度、三度、シュモクのレイジは体当たりを続け、全力さんはそれをギリギリで交わし続けた。だが、体力が有り余っているレイジに比べ、全力さんはここ三日間マトモに寝ていない。足元がふらつき、とうとう船底に倒れ込んでしまった。
だが、このまま臥せっていたところで、レイジはその気になればこの船底を破壊する事が出来る。水中でサメに勝てる見込みはない。立たなければ、僅かな勝利の可能性も無くなる。
全力さんは気を取り直して立ち上がった。すぐさまその場所にレイジが飛び込んでくる。全力さんは慌てて、再び船底に臥せった。
「やっぱ、飛んで来るアイツの延髄にナイフを叩きこむのは無理やなぁ。まさかこんなところで、命を落とすことになるとは……」
死んだら元の世界に戻れるのかな? と全力さんは考えた。まるで星の王子様みたいに。アケミがちょっと可哀想だけど、どうせ消えるなら、そのほうが諦めがつくかもしれない。
「諦めちゃダメだよ、全力さん! 頑張って勝たないと!」
「いや、そんな無理やって。いまだって、交わすのが精いっぱいなんや」
「じゃあ、このまま喰われるつもり?」
「努力して何とかなることと、ならんことがある。とにかく今は体力を回復するんや」
勝つのは無理だ。
だが、死を覚悟するなら、まだやれることはある。
「何か手があるの?」
「このままずっと臥せとく。そうすりゃ奴は焦れて、船底を破壊しに来るやろ。その時がチャンスや」
「どうするの?」
「弱ったふりして……いや実際に弱っとるけど、最後の力だけは残して、穴の開いた瞬間に、奴の口の中にナイフを突き立ててみる」
もし上手くレイジを仕留めたところで、それから先の考えは全力さんにはなかった。残骸に縋り付いたとしても、別のサメが来ればもう戦う術はない。
「そんなことしたら、港に帰れなくなっちゃうよ!」
「ええんや。奴を殺すには他に手がない。良くて相打ちやけどな」
「一つだけ手があるよ。攻撃と防御を兼ね備えた素晴らしい手が」
「ひーちゃん。もし攻撃が出来たとしても、一発で仕留めにゃ意味ないんやで。ナイフが折れたら、相打ちすら狙えなくなる」
「大丈夫。サメの急所は延髄だけじゃないよ!」
「延髄だけじゃない?」
「よく考えて! 全力さんが猫だった時に得意だったアレだよ!」
何か手があるなら素直に教えてくれればいいのにな、と全力さんは思った。まあ、ひーちゃんには元々そういうところがある。漫才をしてる時に、全力さんがネタが分からずにオタオタしていると、ハリセンでガンガン突っ込んでくるのだ。
これが漫才なら受けるから構わないが、今は命が掛かっている。そもそも、まだ猫やった時に得意な事なんてあっただろうか? 本気で戦っても、コオロギと五分だったのに。
「あっ、あれか!」
全力さんは突然思い出した。だが、この手が使えるのは一度きりだ。外してしまえば警戒され、次は間違いなく船底を破壊されるだろう。決意を決めた全力さんはすっくと立ちあがり、レイジの方にナイフを向けて挑発した。
「よし、だいぶ回復したで! 次で絶対に決めたる! さっさと、かかってこいや!!」
シュモクのレイジは、急に強気になった全力さんの態度を怪しんだ。かといって、攻撃をしない訳にもいかない。船底を破壊すれば間違いなく勝てるが、それでは挑戦から逃げたのと同じになる。
いまだ童貞の大魔導士とはいえ、レイジには武人としての誇りがあった。ぶざまに逃げ出したのならともかく、まだ戦う意思を持つ相手を、足場をなくして殺すのはフェアじゃない。
大丈夫だ。もし攻撃を掛けられたとしても、あんなナイフじゃ俺の皮は抜けない。注意すべきは眼だが、俺の瞳は小さいうえに、側面についている。回り込みながら同時に攻撃を仕掛けるのは、疲れ果てた奴には不可能だ。
「大丈夫。また体を交わされたとしても、やられる可能性はない」
レイジはこれまでで一番深く海に潜り、まるで弾丸ライナーの様に全力さんの体めがけて飛び込んだ。
「死ねええ!!」
だが全力さんは、その姿をしっかりと瞳に捉えていた。交わしながら攻撃しようするからダメなのだ。今はただ交わすことのみに専念する。ナイフはただ、両手でしっかりと前に突き出しておればよいのだ。
「今や!」
全力さんはそう叫ぶと、背面から船底に寝転んだ。レイジは寸分の狂いもなく、全力さんの体があった場所に飛び込んでゆく。だが今、その場所には何も存在しない。あお向けに寝転んだ全力さんの目の前には、シュモクザメの巨大な白い腹が広がっていた。
「ここなら、何処を刺したって急所や!」
全力さんは、渾身の力を込めてナイフを突き立てた。サメの腹には肋骨が無い。ナイフは跳躍の勢いのままに、レイジの腹を切り割いてゆく。
「グわあああああ……!!」
全力さんの目の前に
「終わったな……」
いわゆる猪木アリ状態。これが、まだ猫だった時の全力さんの得意技だ。全力さんの体は、こぼれ落ちたレイジの臓物と血で真っ赤に染まった。
「やったー! おめでとう、全力さん!」
「ありがとな、ひーちゃん。でも、もっと早く教えてくれれば良かったのに」
「それじゃ、全力さんの誇りを傷つけることになるでしょ? せっかく、一人でここまでやって来たのに」
「そっか、そうやったな……」
「さあ、新手が来ないうちに先に進みましょう!」
全力さんは、海中にゆっくりと沈んでいくレイジの姿を見た。何故このシュモクが、全力さんの命を狙っていたのかは、全力さんには分からない。何かそうせねばならぬ理由があったのだろう。全力さんが兄弟分のカジキを殺さなければならなかったように。
奴は簡単にわしを殺せたのに、正々堂々、正面から叩き潰そうとした。
敵ながらあっぱれな奴や。
先ほどのヨゴレザメとは違って、全力さんはシュモクのレイジに何かシンパシーのようなものを感じていた。レイジの体は海に沈み、だんだん小さく、ちっぽけなものになっていく。いつもなら、全力さんを魅了する光景だったが、今の全力さんには、何だか物悲しくてならなかった。
「なかなか強かったで。成仏せえよ」
全力さんは海の水で体を洗うと、再び船尾に座って舵を取った。
薄れゆく意識の中で、レイジは思った。
私は自分の慢心を衝かれた。だから、敗れたことに後悔はない。
DNAを後世に残せなかったことだけが、本当に残念だ。
ああ、ジンベイのロリっ娘とやりたかったな……。次にこの世に来る時には、少しぐらい弱くてもいいから、イケメンの優男に生まれ変わろう。
船は順調に風に乗って進んだ。レイジには肉を取られずに済んだから、魚の体はまだ半分以上残っている。傷口から流れ出る血も次第に収まりつつあった。
「何とかなるかもしれんなあ」
全力さんはまだ、サメを引きつけているのが血ではなく、スナメリの策謀であることを知らない。
「まだ
詰んだかなあ、と全力さんは思った。
棍棒でサメを叩き殺せるほど全力さんは若くない。
「しかし、出来る限りのことはしよ。とにかく、オールと棍棒と舵棒だけはあるんや」
全力さんは再び、両手を海水にひたした。日暮れが近づいて来て、海と空以外は何も見えない。空では風が強くなってきた。じきに陸地が見えてくるはずだ。
「疲れたよ、アケミ。わしは芯から疲れとる」
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