第二十話「シュモクのレイジ」

「五匹いたヨゴレザメが全滅だと!? ものの三分も経たずにか……。あの白い化け物爺さんめ‼」


「ふふ、スナメリさん。なかなか苦戦しておられるようで。宜しければ、私が助太刀いたしましょうか?」


 闘いを見ていた一匹のシュモクザメが、スナメリにそう語り掛けた。その体には、幾多の戦いの中でついた向こう傷がたくさんついている。



「シュモクのレイジ……」

「武者修行から帰ってきたら、何やら物騒なことになってたんでね。見学させていただいてました」


 レイジは一匹狼の武闘派として、外海に名を馳せていた。


「恥ずかしい所を見られてしまったな」

「アレはあのジジイが一枚上手うわてだったのです。アイツらは皆、目の前の魚に気を取られたためにやられました。狙うべきはカジキではなく、あのジジイだ」

「その通りだ、レイジ。お前なら殺れるか? 奴の銛さばきは侮れんぞ」

「大丈夫です、スナメリさん。私の視野角は通常のサメの三倍から五倍……。餌に気を取られなければ、攻撃を受けることはありません」


 そういって、レイジは不敵に笑う。


「しかし、向こうの攻撃は防げても、噛みつく時だけは口を開かぬわけにはいくまい。そのタイミングを狙われては……」

「ご心配なく。私は口を開きません。この丁字型の堅い頭で奴に突撃します。直撃すれば即死。かするだけでも戦闘能力を大きく失うはずです」

「なるほど、いい手だ」

「奴は既に疲労困憊している。一度や二度は交わせても、あの狭い船の中で逃げ切ることは不可能でしょう」


 完璧だ。次こそあのジジイを斃せるとスナメリは思った。


「勿論、タダという訳には行きません。それなりの報酬を用意していただきます」

「何が欲しい?」


「お判りでしょう。私はこの顔です。モテるわけがない。そして貴方は、この海一番のヤリチン野郎だ。私は童貞のまま死ぬわけにはいかないんですよ」


「女をあてがえという事か? 俺にサメをやる趣味はないぞ」

「またまた、とぼけちゃって……」


「俺は別にイルカしか駄目って訳じゃないんだぜ? 哺乳類の凄さ、教えてやるよ」


「……とか言って、イタチザメの可愛い子をフグ毒ドラッグ漬けにしていると、もっぱらの噂ですよ」

「ちっ! 知ってやがったのか!」

「私も悪党の端くれです。酷い奴は大勢見てきましたが、種の垣根まで超えてくる奴はなかなかいません。貴方は本当に恐ろしい人だ」

「歯に衣を着せぬ野郎だ。いいだろう。イタチの激しいのを抱かせてやるよ」

「始めては、優しいお姉さんタイプがいいなあ。なるべくサメ肌じゃない奴」

「わかったよ。じゃあ、ジンベエの若いのな」


「ジンベエザメまで手懐けてるんですか! 絶滅危惧種なのに‼」



「知らねえよ。俺はやりたい女とやるだけだ。ジンベエの若いのは最高だぜ。ロリのくせにデカいしな」


 ネズミイルカの体長はせいぜい三メートルであるが、ジンベエザメは成長すると体長二十メートルにも達するのだ。


「なんて恐ろしい人だ。女の敵ですね!」

「自分よりデカい女を屈服させるのは、最高なのよ。ジンベエは大人しいし、肌もヌルヌルしてるしな」


 そういって、スナメリはニヤリと笑った。



「ナイフを縛っとるロープを補強せないかんな。それから、手のほうも何とかせにゃいかん。サメはきっと、まだまだ来るけぇな」


 オールの端に結ばれたロープを確かめながら、全力さんはそう言った。


「ナイフを研ぐ砥石を持ってくれば良かった。準備しとくべきものが色々あったんや」


 いや、持ってない物のことを考えている暇はない。ある物で何ができるかを考えるのだ。全力さんは舵棒を脇に挟み、両手を水にひたした。船は快調に進んで行く。


「あの魚を売れば、アケミも独り立ちできたかもしれんのになぁ……」


 全力さんがそう独り言ちると、再びひーちゃんの幻影が現れた。



「考えちゃダメだよ、全力さん。今は休んで、残りを守らなきゃ」

「でも、両手が血だらけなんや」

「自分の血はそんなには出てないよ。それに、血を出した分、却って左手が引きつらなくなるかもしれない」

「ひーちゃんは、いつもポジティブやなあ……」


 全力さんはもはや、この声を幻聴だと考えてはいなかった。全力さんは既に魚を斃したからだ。おそらくは、元の世界とこの世界の扉が開きつつあるのだろう。港に戻るのは、この世の義理を果たし、アケミにつらい思いをさせないために過ぎない。


「全てが夢だったら良かった?」

「そうやなあ。ヴァルダが持ってきた、あの箱を開けてしまったのが、全ての間違いの始まりだったんかも知れん」

「あの箱は、『人生を変える箱』だよ」

「人生を変える箱?」

「うん。誰の願いなのかは分からないけど、全力さんがこの世界に来たことには、ちゃんと意味があるんだと思う」

「誰の願いを叶えたのか知らんが、酷い目におうたなあ……」


 でも全力さんは、どうしてもあの箱の中に入ってみたかったのだ。

 だって、猫だから。


「わしは毎日、カリカリを食うて、ひーちゃんと漫才しながら、時々おひねりちゅーるが貰えれば、それで良かったんやけどね」

「私もそれで良かったけれど、多分、全力さんはこっちの世界の騒動に巻き込まれないように、その世界に飛ばされたじゃないかと思うの」

「どういうこと?」

「こっちは今、大変なことになってるんだよ。ヴァルダはもう古書店なんかやってないし、剣乃と伊集院さんは前線で戦ってる」

「ええっ!」


 全力さんは、最初に見たユキの夢を思い出した。



「日本はこれから戦争になるから。ヴァルダもひーちゃんも、剣乃も土佐波も徒呂月も、皆その戦争に巻き込まれるわ」

「戦争は嫌やなあ……。戦争になったら、ご飯が食べられなくなるんやろ?」

「大丈夫。全力さん爆弾がこの国を守るの。アナタは英雄として皆に称えられるようになるのよ」


 あの夢が正夢だとすれば、全力さんが戻らねば日本はアメリカ



「ようは分からんが、アメリカと戦争しとるんか?」

「うん。東京はもう持たない。ヴァルダは今、仙台への撤退戦の準備を始めてる」

「なあ、ひーちゃん・ヴァルダに伝えといてくれ! わしが戻るまで、絶対に諦めるなと!」

「何かあるの?」

「全力さん爆弾や!」

「全力さん爆弾?」

「詳しいことはよう分からん。でも、わしがそっちに戻りゃあ、何かええ結末が待っとるかもしれん!」


 そう叫んだ瞬間、全力さんは目が覚めた。両手を水に浸したまま、少し眠ってしまったのだ。おかげで頭はすっきりしたし、手の調子も少し良くなった。ロープの補強も終わっている。


「やっぱり、夢だったんかなあ……」


 辺りを見回すと、ハンマー頭のサメが一匹、こちらの様子をうかがっている。

 スナメリと契約したシュモクのレイジだ。


「寝てる間に襲っても良かったのですがね。それは、武人としての私の誇りが許しません。さあ、行きますよ!」


 凄い勢いで、シュモクがこちらに向かってくる。


「シュモクザメか……。奴の頭はかなり堅いからな。正面から遣り合うんは不利や」


 ヨゴレザメも時と同様、全力さんはサメにそのまま魚を襲わせ、脊髄と脳とを結ぶ急所にナイフを打ちこむつもりだった。だが、レイジは船の手前で一旦深く沈みこむと、カジキには目もくれず、そのまま全力さんに向けて飛び跳ねた。


「なんやねん、われー!」


 シュモクの丁字型の堅い頭が、全力さんの頬をかすめた。何とか体を交わしたが、正面から受けていたら間違いなく即死だったろう。頬からはドクドクと血が流れている。顔を傷つけられたのは本当に久しぶりだった。


「やるじゃないですか、老人! そうでなくては面白くはありません」


 レイジは再び深く潜り、今度は船底からその堅い頭で何度も船を突き上げた。

 足元が大きく揺れ、立っている事すらおぼつかない。


「あかん……。コイツは魚が目的じゃないんや。わしをタマりにきとる」

 

 これはきっと、いざとなれば船を破壊することだって可能だという意思表示だろう。海に落ちれば命はない。真正面から遣り合って勝つしか生き延びる術はないのだ。


 しかし、あのスピードで飛んでくる相手の急所を刺すことができるやろか?

 失敗すれば、ナイフが折れる。武器がなくなりゃ、それこそ一巻の終わりや。


 全力さんの額に汗がタラリと流れた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る