第十九話「ヨゴレザメとの戦い」

「何だよ、あのアオザメ。散々威張り倒してたくせに、あっさりと斃されやがって……」


 刺客のアオザメを斃されたイルカのスナメリは、沈みゆくアオザメの死体を見ながら吐き捨てるようにそう言った。


「まあいい。これでもう銛は無くなった。でもまだギャフがあるし、俺のまだ知らない武器を持ってる可能性もある。それに奴はオール使いの達人だ。念のため、もう一度誰か行かせるか……」


 その時、ヨゴレザメ屍肉喰いの群団がスナメリの前を通りかかった。彼らは海のハイエナである。彼らは生餌を好まないので、スナメリたちのグループとは共存共栄の関係だった。お互いにエサの情報を回しあったり、屍肉を狙う別のグループから守ってやったりしていたので、スナメリは彼らから一目置かれていた。


「あっ、スナメリさん。ちーす!」

「おう。確か、クボタンとかいったか?」

「この前のフグ毒ドラッグどうでした? 軽く煽れば簡単にハイになれるし、キッツいの決めれば、どんな子でもイチコロですよ」

「ああ、クスリには何も問題なかったよ」

「でしょう? いいエサ場をおしえてくれれば、また回します」

「エサ場か……」


 全力さんのカジキには、まだたんまりと肉が残っている。こいつらを行かせて、更に体力と武器を消耗させるのも悪くないとスナメリは考えた。どうせ勝てはしないだろうが、数だけは沢山いる。


「エサ場ならいいのがある。馬鹿デカのカジキだ。今、初老の男が船で引っ張ってるところだ。奴は疲れ果ててるから、肉の方は喰い放題だよ」

「マジっすか!?」

「ああ。三日も戦ってロクに寝てないし、もう銛も持ってない。食えるようなら、その爺さんも喰っていいぜ」

「すごいっすね。でもなんで、スナメリさんはそれを黙って見てたんすか?」


 痛い所を衝かれたスナメリは逆切れした。

 まさか、オールでぶちのめされたからとは言えない。


「細けぇことはいいんだよ! 喰いたいのか、喰いたくないのか、どっちだ?」

「喰いたいです‼」

「最初からそう言え!」


 スナメリは、ヨゴレザメたちを先導して、全力さんの船まで案内した。

 横付けされたカジキからは、大量の血が流れて出ている。


「な、ホントだろ?」

「あんなデカいの見たことないっすよ! あれ、マジで全部喰っていいんすか?」

「いいよ。その代わり純度の高いフグ毒クスリと、ケツのデカい女の子をまた頼むぜ。俺の事を、好青年と触れ回るのも忘れずにな」

「勿論です! この海をスナメリパイセンのDNAで埋め尽くしちゃってください!」


 クボタンはそういって、スナメリを持ち上げた。そして叫んだ。


「行くぜ! 屍肉食いどもスカベンジャーズ!」

「おおー!!」


 クボタンを先頭に、ヨゴレザメたちは我先にとカジキの方へ走っていく。奴らはバカなので、目の前にエサを見つけると、喰う事しか考えられなくなるのだ。


「最後に腹一杯食って死にな。半端に生き残られちゃ、後が面倒だからよ」


 スナメリはそう独り言ちた。ヨゴレザメの群団は、別に『屍肉喰い』だけではない。自身の高評価を外海じゅうに広げるため、彼は沢山の群団長と付き合っていた。スナメリはクズのヤリチン野郎だが、キメセクのためには努力を惜しまない男なのだ。


「お前らの弔辞は、俺がかっこよく読んでやるよ。くくっ、これでまた好感度アップだぜ」



 ヨゴレザメの群団を認めた全力さんは、帆綱を結び、舵棒を固定した。そして、ナイフを縛り付けたオールを手に取った。両手があまりにも痛むので、オールを持つ両手をそっと開け閉めして、痛みをほぐす。


狂乱索餌きょうらんさくじになっとるなあ。数も多いし、さっきのアオザメより厄介かも知れん」 


 狂乱索餌とは主にサメに見られるもので、『集団が狂乱状態になりながら、餌を欲する状態』のことである。全力さんは両手を固く握りながら、近づくサメを見つめた。シャベルの刃のように平らで広い頭と、先端が白くなった大きな胸びれが見える。


「こん、腐れ外道がー!」


 全力さんは声に出してそう叫んだ。全力さんは猫だった頃、ヴァルダと一緒にヤクザムービーをよく見ていたので、汚い言葉をたくさん知っているのである。そもそも全力さんは、『じゃりン子チエ』と、『仁義なき戦い』のヘビロテで、日本語を覚えたのだった。


 こいつらは憎むべきサメじゃ。集団で殺しもやるし、腐肉あさりもする。腹が減っとりゃ、オールにでも噛み付つくんじゃ。魚の血がついとらんでも、人間だって標的にする。


 だがクボタンは、さっきのアオザメのようにまっすぐには来なかった。体をくねらせ船の下に隠れる。残りの四匹は、細長く黄色い眼で全力さんを注視していたが、やがて我慢が出来なくなり、半円形の口を開いて魚の魚の傷ついている部分に噛みついた。


「ヨゴレザメめ!」


 サメの背中の、脳と脊髄が繋がる部分には、はっきりと線が浮き出ている。全力さんはオールに付けたナイフをその繋ぎ目に打ち込み、次に猫のような黄色い眼に突き刺した。


 サメは魚を放して滑り落ちる。噛みちぎった肉を飲み込みながら、最初のサメは死んだ。二匹、三匹、四匹と全力さんは倒していったが、船はまだ揺れ続けていた。最初に下に隠れたクボタンが魚を襲っているのだ。


「お前、意外と賢いやんけ! でもここまでや!」


 全力さんは帆綱の固定をほどいて船の向きを変え、下にいたクボタンの姿を暴いた。その姿が見えた瞬間、全力さんは身を乗り出して頭を突き刺す。だが今度は肉を叩いただけだった。


 腐ってもリーダーである。皮は硬く、ナイフはわずかしか入らなかった。しかもこの一撃で、全力さんは両手だけではなく、肩まで痛めてしまった。


「えらいなあ……。人間はやっぱ大変や」


 クボタンは素早く頭を突き出してくる。その鼻が水面から現れ、魚に襲いかかった瞬間、全力さんはサメの頭の中心を正面から打った。刃を引き抜き、再び同じ場所に叩き込む。それでもクボタンは、顎で魚にぶら下がっていた。


「この、キチガイめ!」


 全力さんはクボタンの左眼を刺した。だがクボタンは決して肉を放そうとはしない。全力さんは銛を引き抜くと、脊椎と脳の間に刃を突き立てた。今度は軟骨が裂ける感触があった。


 全力さんはオールを返し、刃の先をサメの口に突っ込んでこじあける。

 オールをひねり、サメが滑り落ちると、全力さんは言った。


「じゃあな、ヨゴレザメ。海底まで一マイルや。さっきのアオザメによろしく伝えといてくれ」


 全力さんはナイフの刃を拭いて、オールを下に置いた。

 そして帆綱を拾う。帆は膨らみ、船は進路に戻った。


「四分の一は取られたなぁ。一番いい所をやられた。しかしまた、船は軽うなったな」


 食いちぎられた部分のことは、それ以上考えなかった。サメがぶつかる度に、一番上質な腹側の肉から剥ぎ取られていくのが、全力さんにはよく分かっていた。いまや魚は海中に匂いで航跡を描き、全てのサメを引き寄せる広い道を作っているのだ。


「あいつらマジで半端ないなー。目を衝かれても、喰うのを諦めようとはせん」


 狂乱索餌は、大量の血を見た場合に惹起されると言われている。感覚器によって得られた情報が脳の処理能力を超過して、オーバーフローに至るのだ。全ての感覚がマヒし、喰うこと以外に何も考えられなくなる。


「悪かったなぁ、兄弟。こんなを釣らなきゃ、何も悪いことは起こらんかったのに……」


 全力さんは、魚の背を撫でながらそう言った。もう腹の側は見たくなかった。血は抜け、波に洗われ、体は鏡の裏側のような銀色に見えた。ただ、背中の縞模様はまだわずかに残っていた。


「こがいな遠出をせんほうが良かったんやろな。こんなにとっても、わしにとっても。悪かったな、兄弟」


 全力さんはもう一度そう繰り返した。

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