第9話 王都にて

「次の相手はお前か? 敬太」


 光は不敵に笑ってそう言ったが、内心はしまったとあせっていた。


(やべぇーっ!? 大人しくして上手く情報収集するつもりだったが、ついブチ切れて台無しにしちまったぁああ!?)


 思えば去年の今頃からそうだった。

 真琴がいじめられていたと知り、それ以来光は弱者をいたぶる行為や、いじめ等に対して過剰な反応を示すようになっていたのだ。

 上級生の過度のシゴキはもちろん、学内でいじめの現場に出くわすと、相手が誰彼構わず噛みついていった。

 それは大人達に対してもそうで、体罰を加えていた教師を見るな否や、その教師にいきなりドロップキックを喰らわせて乱闘事件を起こした事もあったし、生活指導と称してネチネチと陰険にいたぶる教師の胸倉を掴んで説教をかましたこともある。

 それどころか、今社会問題にもなっている教師同士のいじめにも首を突っ込んでいた。

 今もそれは変わらず、現に美久がただ飴が欲しくて近づいて来ただけの幼い奴隷の子を、問答無用で蹴り飛ばした事に激怒し、ついカッとなって平手打ちを食らわせてしまった。

 ただ、そのことに関しては反省はしても後悔はしていない。

 問題はそれを公衆の面前で派手にやってしまったことだ。

 おかげで美久の相方である敬太どころか、二人に心酔する町の人々まで敵に回してしまった。


 一方の敬太と言えば、腰の剣の柄に手をかけてくらい目でこちらを見ている。すでにいつ剣を抜いても不思議ではない。

 さてどう切り抜けようか。そう考えていたときだった。


「申し訳ございません!」


 人混みの中から一人の若い人狼族の女性が現れ、真琴が保護していた子供を奪うように抱きかかえた。


「勇者様! この子の罪をお許し下さいっ! 責めは私が負いますので、どうかどうかっ!!」


 母親だろうか? ひざまづいて必死になりながら敬太に懇願する。

 その敬太と言えば、そんな女性に対して何の感情も覗えない視線で見つめていた。

 そして敬太はその女性にゆっくりと向きなおり、ツカツカと近付いていく。

 女性が子供を抱きしめ、庇うように座り込んでいる。その姿はまるで災厄から我が子を守らんとする聖母そのままだ。

 敬太はその傍らに幽鬼のように黙って立った。

 人狼族の親子が無礼打ちされるのだ、誰もが

そう思っていた。


 だが、 敬太は


「ウチの家内がすみません。手荒なことを。君、大丈夫かな?」


 そう言ってしゃがみ込むと、人狼の子にかざし、治癒ヒールをかけたのだ。

 そして治癒が済んだ事を確認すると立ち上がって、母親とおぼしき女性に頭を垂れるのだった。

 その姿に周囲はざわめき、女性も目をまるくしている。


「ご主人様には、あまり叱らないで下さいって頼んでおきますから、安心して下さいね?」


 そうして手近にいた兵士を呼んで、何事か指示した。

 兵士は敬礼すると人狼族の母子を丁重につれていく。

 そして人狼の女性は何度も何度も頭を下げその場を去っていった。

 それを見ていた群衆達は、ざわざわとざわめいている。

 だがそのざわめきは徐々に明るいものになっていき、やがて大きな歓声となって町中に響き渡った。


 誰もが敬太を称え、感激の声を上げる。

 そんな群衆に向かって敬太は照れくさそうに頭をかきながら、何度もお辞儀をしていった。

 いかにも謙虚そうなその姿に、群衆のボルテージは更に高まる。


 その様子を、光は戦慄にも似た思いで見ていた。


 なんだ、この茶番は?


 感動のシーンなのだろうが、光の胸に去来したのは不気味さだった。

 確かに、敬太が行ったのは良いことである。

 だが、それだけでこの群衆の盛り上がり様は異常としか見えなかった。

 誰も彼もが敬太に心酔している。

『勇者』と呼ばれている敬太が、この国で何を成し遂げたのかは今は未だ知らない。

 無論悪いことなら、こんなにも慕われることは無かっただろう。

 だからといってどんな良いことをすれば、これほどまで人心を掌握出来るのか、見当もつかない。

 正直魔術か呪術で心を惑わせているとでも説明された方が、よほど納得出来る。


 保護欲をそそる性格なのは認める。だが、その下にはどこか壊れた、しかししたたかな一面があるような気がしてならない光であった。


 だがそんな光に気が付いているのかいないのか、敬太は事を済ませると、今度は未だ茫然としている美久の元に駆け寄っていた。

 そして気遣わしげに治癒の術をかけ、光がつけた傷痕を癒やしていく。

 その時になって美久はようやく我に返ったらしい。

 ぼんやりと敬太の顔を見つめたかと思うと、すがりついてわんわんと人目もはばからず泣き出した。

 敬太は優しくその頭を抱きしめ撫でてやる。

 そして愛をささやくようにこう言った。


「だめだよ、ミクちゃん。今のはミクちゃんが悪い。だって光さん達はこの世界に来たばかりなんだよ?」


 そこまで言って静かに顔を離す。


「この国の事だって詳しくは知らない。当然文化も常識も。僕たちだって最初はそうだっじゃない。ね? そうでしょ?」


 それを聞いて、美久は驚いた顔をするが、

やがてコクンと大人しく頷いた。

 だが、光を見る目は相変わらずきつい。

 それどころか、殺意すらある。

 しかし、それ以上もう事を構える積もりは無いようだった。

 そして敬太は、今度は光のそばにとやって来て、深々と頭を下げた。


「ミクちゃんが無礼な事を言って、すみませんでした」

「ついでに殺されかけたけどな?」


 いくぶん挑発的な口調でそう言ってみる。


「その点もお詫びします。僕が止めなければ

いけなかったのに 申し訳ありませんっ!」


 そして頭を上げ、真っ直ぐな視線で光の顔を見つめた。


「これで気が済まないなら、気が済むまで僕を殴って下さいっ。それで水に流してもらえませんか!?」


 真っ直ぐで誠実な態度で敬太はなおも光の目を見つめる。

 光にしてみれば困ったことに、その目の色に嘘は感じられなかった。

 勿論、いささか大仰であるが、本心から言っていると感じられる、誠実そのものの言葉だった

 まるで先程感じた嘘臭さが、それこそ嘘のように。

 この嘘なら騙されてやっても良い。

 そう思わせるだけの覚悟の色が見える。


 さて、どう答えたものかと迷ったその時。


「一体何をしておるのか。勇者ケイよ」


 いわおのような重く荘厳な声が響いて来た。


 見るとそこにはいつの間に来たのか、馬上で二人をじっと見つめている偉丈夫の姿がある。

 声と同じくいわおのような壮年の男だった。

 シンプルだが細部に上質の刺繍や細工が施された衣服を纏っており、その下から鍛え上げられた肉体が弾けて飛んできそうなほどガッシリとした巨躯を誇っている。


 顔立ちもまた整っていながらも、鋼をたがねで彫ったようで、鷹のような鋭い視線と相まって、凄まじいプレッシャーすら感じた。


「ゴードウェン閣下!!」


 その姿を見て敬太が慌てて向き直り、最敬礼をした。美久もまた慌ててやって来て淑女さながらの礼を尽くす。

 周囲の兵士や騎士はと言うと、慌てて隊列を組み体制を整えていた。その動きは、戦時中もかくやという緊張感に溢れている。


 どうやらこの国の身分ある人物のようだ、と思った光もまた、日本風ではあるが姿勢を正して会釈する。気が付けば真琴まことも傍らに来て会釈をしていた。

 あるいはこの国の流儀では無礼にあたる作法かもしれないが、そこは知ったことでは無い。ただ、自分達流に目上の者に対する礼儀を尽くすだけだ。

 だが、正解ではあったらしい。

 偉丈夫はその様子を見て鷹揚に頷い見せた。

 

「今し方、この場所で強大な魔法が発動するのを感じた。同時にそれが霧散したさまもな。一体何事があったか。兵どもは何をしていた?」


 質量すら感じる重々しい声でそう問われると、まるで責め立てられている気がした。

 無論それは錯覚で、偉丈夫はただ確認しているだけだ。


「け、喧嘩けんかです」


 敬太が絞り出すように、そう答えた。


「喧嘩」


 だが偉丈夫、ゴードウェンの声音は疑問というよりやはり確認するような響きを持っている。


「はい、僕たち異世界人同士でいさかいがございました。死者こそ出ませんでしたが、軽率でありました。申し訳ありません」

みやこの中での魔法の行使が罪になると知ってのことか」


 相変わらずとがめだてている、という感じでは無い。あくまでも確認という口調だった。

 だが同時に嘘や誤魔化しを許さない、と言った意味も込められている。


「それは……は、はい」


 この人物相手に嘘や誤魔化しは通用しないと知っているのだろう。敬太と美久の顔色が目に見えて青くなっている。

 どのみち衆人環視の現場で行われた事だ。調べればすぐばれる。


「では罰を受ける覚悟は出来ている。そう考えてよいのだな」


 ゴードウェンはやはり確認するかの口調だった。

 同時にそれは最後通牒にも聞こえた。

 ここで「はい」と答えれば美久の罪は確定となる。

 二人──特に美久が顔色を真っ青にしていたその時、


「話の途中すんません。ちょっと質問いいですか?」


 突然光が手を挙げて尋ねてきた。


「この件に関する事であれば許す。申せ」

「この国じゃ亜人の奴隷に物をやるのは御法度なんで?」

「ふむ」


 光の質問にゴードウェンは割れた顎に手をやって考え込む仕草を見せた。


「奴隷は財産であり、所有物だからな。他人が勝手に物を与える事は基本的に控えるべき、という不文律はある」

「法で禁止されているわけじゃない、と。具体的に菓子や食べ物を与えたりするのは?」

「別に禁じておらんが、感心はせんな。例えば、食べ物を与えて腹を壊したり、毒を盛られて死ぬことになれば、損壊罪で罪に問われるからな」

「じゃぁ、持ち主以外が奴隷を仕置きしたりした場合も、その損壊罪になると」

「その解釈で間違いは無い」


 それ聞いて美久は益々青くなった。他人の奴隷に暴行を働くのは罪になるからである。

 つまりこの現場では美久は二つの罪を冒しているのだ。

 だが、それに対する光の発言は、美久にとって意外なものだった。


「ってことは、今回の件俺もその損壊罪未遂で罪に問われるってことですよね」

「うむ?」


 ゴードウェンの顔に初めて感情の色が見えた。

 太い眉がピクリと動く。


「どういうことだ」

「いや。この喧嘩、元はと言えば俺が奴隷の子に菓子をやろうとして、それを美久の奴が止めようとしたことから始まってるんですよ」

「それで?」

「んで、この国の法律を知らない俺は怒ってこいつを引っ叩いた。それに怒って美久は魔法で反撃せざるを得なかった。そう言う事です」

「貴様。チンピラが喧嘩で拳やナイフを振るうのとは訳がちがうのだぞ。分かっているのか」


 いけしゃあしゃあと言う光に対して、ゴードウェンは今度は明らかに責めるような口調だった。


 だが


「尺度の違いってやつですかね。俺達の世界じゃ普通のことですが? 現に魔法による被害出てますかね」


 そう言ってどうぞご覧下さいとばかりに視線を配る。


「確かに魔法が霧散する気配がしたが、それは貴様が?」

「ええ」

「どうやって」

「技使って斬りました」

「見たところ武器を持ってはおらんようだが?」

「ええ、だから」


 光はさも何でも無いように手をブラブラさせて言った。


「この手で」


 これにはゴードウェンもあっけにとられたらしい。目を軽く見開いていた。


「まさか、素手でミクの魔法を斬ったと、そういうのか」

「俺達はそれくらいの芸当が出来る。事実ですよ? ほら、ここに観衆ギャラリー大勢いますから、確認してみたらどうです? ねぇ」


 最後は周囲に向かって言った言葉だった。

 皆顔をつきあわせた後、めいめいに頷いて肯定する。


「確認する。本当に、今回の事は『喧嘩』なのだな?」

「はい、『喧嘩』です」

「そうか、『喧嘩』か」


 ゴードウェンは呆れたような、疲れたような、そんな顔で呟いた。


「あいわかった。今回の件、共に未遂と言うことで不問とする」

「ありがとうございます」


 光は深々と腰を折って最敬礼した。


「だがむやみに暴れてくれるなよ。この世界の人間は貴様達人外のような力は持っておらんのだからな。それと貴様」

「なんです?」

「その口調は改めろ。そんな野卑な男の様な口をきいていては、嫁のもらい手がなくなるぞ」


 してやったりと、機嫌良く笑みを浮かべていた光の顔が、ピシリと音を立てて引きつった。


「どこ見てやがるっ! このモアイが!! 俺は、男だぁああああ!?」


 この激怒ぶりに、ゴードウェンの目が「手で魔法を斬った」と言われた時以上に見開かれる。


「何!? 貴様男だったのか!!」

「どこをどう見りゃ女に見えるっ!?」

「どこをどう見れば男に見えると言うのだっ!!」


 大騒ぎである。


「まぁ良い 名を聞いておこうか」

「良くねぇよっ!? 光 日高ひだか みつるだっ! 覚えとけこのモアイっ!!」

「モアイでは無いっ! ゴードウェンだっ マクス・デル・ゴードウェンっ! そちらこそ覚えておれ!!」


 それだけ言うとゴードウェンはお供を連れて去っていったのだった。


 後には毒気を抜かれた人々が残された。

 一人を除いて。


「全く、敵つくらないと気が済まないの? 先輩は。 折角上手く立ち回ってたのに、台無しじゃない」


 それは呆れたようにわざとらしくため息をつく真琴だった。


「なんだ、真琴。お前、気が付いていたのか。いつからだ?」

「んとね、敬太君が先輩に謝って、先輩を逆に悪者に仕立て上げようとしてた所から」


 これには流石に光も驚いた。


「正直どうしようか迷ってたんだけどさ、あのモアイさんが来てくれて助かったよね。先輩、今度は自分から悪役になって、敬太君達守ったでしょ? アレで町の人たち、先輩の事を敬太君達の味方と思ったはずだよね。よかったね? 敵に回さなくされて」

「良く見てんな。ほんと、お前」

「言ってるでしょ? 先輩のことならズバッとまるっとお見通しだって」


 そう言って、真琴はこつんと肩を嬉しそうにぶつける。


 燦々さんさんと日が降る、爽やかな午後の事であった。

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