第8話 龍の国

「見えて来ましたよ。もうすぐ到着します」


 敬太の言葉に、いつの間にかうつらうつらと船を漕いでいたみつるは、大きな欠伸あくびをすると首を鳴らして身体をほぐす。

 隣を見れば、真琴もまた可愛らしく小さな欠伸して、不自由そうに手枷てかせがつけられた手で目をこすっている。


 これが時差ぼけというものだろうか。

 二人が転移したのが夜で、転移してみたら昼近くだった、といった状態だったので身体のリズムが狂っている気がしてならない。

 今頃は本当ならゲームで一騒ぎした後、それぞれ解散しログアウトしておねんね、という時間帯なのだ。欠伸の一つも出るのは許して欲しいところである。

 そして敬太が誇らしげに示す先に視線を送る。

 そこには遠く巨大な城壁に囲まれた、都市か砦のようなものが見えていた。

 

「なんだ、ありゃぁ」


 あまりの巨大さに呆れていると、美久みくがケラケラと笑い、「やーい田舎者」と嘲笑するが、そんな事が気にならない位巨大な建徳構造物だった。

 まずもって円形状に見えるその城壁は、遠くから全体図を見ると、直径が㎞単位で計測出来そうなほど巨大だ。

 また城壁の高さも、周囲の樹木の大きさから比較すると、ちょっとした高層ビル位有る。

 光は西洋建築物についてそれほど知識や見聞が有るわけではないが、それでも見えている城壁が規格外の物だと分かった。


「さ、ここからは降りて馬車を乗り換えていただきます。二人ともこっちへ」


 光と真琴は顔を見合わせると素直に馬車から降り、敬太と美久。そして周囲を屈強な兵士に囲まれながら移動を開始する。

 街道沿いに待機している兵士達の波をかき分けて、ついた先には先程まで乗っていた馬車とは比べものにならないほど豪華な意匠と内装が施された、まるで王侯貴族ご用達の代物の馬車が有った。


「枷を外してやって下さい」

「え?」

「何っ?」


 敬太がそう指示するのを聞いて、光と真琴は想わず驚きの声をあげた。まさかいましめを解かれるとは思ってもいなかった。

 このまま敬太と美久の「お世話になっている人物」とやらの元に連れていかれるものだとばかり思っていたからだ。


「ここから枷はいりませんよ。お二人ともこれからこの国には大事な人になるんですから」


 あっけに取られている二人にを目の前に「本当によろしいのですか?」などと、お付きの兵士まで心配しいる。

 それに対する敬太の返事は憎らしいほど余裕に溢れたものだった。


「構いません。責任は僕と美久ちゃんとで取ります。どうせ、今のこの二人には何も出来ませんよ。第一僕らがついてますから」


 そこまで言われて安堵したのか、もしくは覚悟を決めたのか。兵士は二人の枷を解いてやる。


 自由になった二人だが、元々情報を得る為に大人しくしていたのだ。ここで逃げ出したり、暴れたりという選択肢は無い。


「じゃぁ、ここからは光さんと真琴さんは別々になってもらいます。ミクちゃん」

「ほいさ。さぁ、女の子同士仲良く行きましょうねー。真琴お姉さん?」


 そう言って真琴の手首を握りしめ、文字通り引きずるようにして一台用意してあった馬車にのり込む。


「僕たちも行きましょうか? 光さん」


 敬太もまた、くらい笑みを浮かべて傲然ごうぜんと「ついてこい」とばかりもう一台のお馬車に向かっていくのだった。





 巨大な城門を前に、光は呆れる程あんぐりと口を開いていた。

 幅は三車線の道路くらい。

 高さに至っては優に20メートルはある。


「驚いたでしょう? 僕も実際にこの目で見たときはびっくりしましたから」

「実際に? お前、知ってたのか? この場所のこと」


 その言葉に敬太は嘲笑するかのように口を歪める。


「多分光さんのレベルなら、来た事が有るはずですよ? 『オールウェンの黄金龍』が守護する、この国を」

「『オールウェンの黄金龍』? って、まさか」


 その単語に思い当たった光の反応に満足したように、敬太は芝居がかった仕草で告げた。


「言い忘れてましたね。ようこそ『ブリューグ連邦王国』に」


 光はゲームの中で聞いた単語を耳にして、今度こそ絶句した。






『ブリューグ連邦王国』

 そこは黄金龍ゴールドドラゴンが守護する国で、ゲーム上ではドラゴン系モンスターの狩り場フィールドとして知られていた。

 一応設定としては、霊峰オールウェンに住む黄金龍と建国王『アドモス一世』との間に聖なる約定が結ばれ、黄金龍はこの国を守護する役目を司った、とあったのを覚えている。


 ただ知識としてはそこまでで、設定がプレイに直接関わることは無かったはずだ。

 ただ龍族に関するイベントが多く、レアアイテムや素材が入手出来るので、腕に覚えが有る者はこぞってこの国にやってきていた。

 光もその一人で、素材欲しさに何度も足を運んだ事が有る。

 もっとも、相手は腐っても龍系モンスターである。その難易度は並では無く、光達も何度か苦汁を飲まされた。



 それが現実リアルに存在するとは


 ただ、妙に納得もしていた。


「道理で飛竜ワイヴァーンだの、竜頭巨人ドロウルに出くわすわけだよ」


 龍系モンスターとしては中堅クラスの連中だが、そのただ中に裸同然に放り出された訳だ。

 良くもまぁ生きていたなと感心する。


「それにしても、この門と言い、城壁と言い。良くもまぁ作ったもんだな、この国の人たち。どんだけ時間かかってんだか」

「別に作った訳じゃ無いみたいですよ?」

「え?」

「聞いた話だと、古代カナン文明の遺跡を利用しているらしいです。そのため、この首都ウィーデンの街の下には古代遺跡のダンジョンまであるとか」


 へぇーと光は感動したように門を見上げながら、一路王都ウィーデンに入国するのだった。




 入国してからの光は、完全におのぼりさん状態だった。馬車から身を乗り出し、異国情緒溢れた町並みや人の波に目を奪われている。


「光さん。修学旅行にはしゃぐ小学生じゃ無いんですから。そういうの止めてもらえません? 恥をかくのは僕なんですよ」 


 敬太が頭を抱えて光のTシャツを引っ張って懇願するが、光は子供のようにはしゃいでいた。


「ほえーっ! 中の建物もでけぇー!! へぇ、現実だとこんな感じになるのか」


 敬太の忠告もどこ吹く風とばかり、光は異世界の営みをしばし楽しむ。


 そこには確かな日常があった。

 人々が行き交い、子供達が遊び、良い香りのする屋台や店まである。

 それはゲームではけっして味わえなかった、生活の匂いそのものだ。


 その時、光は後ろから駆け寄ってくる、小さな姿に気がついた。


「勇者様だ! 勇者様ー!!」

「ゆうしゃ しゃまーっ!」

「さまー!」


 それは小さな子供達であった。年の頃は精々5~6歳程が年長かという位で、その子を筆頭に3人程必死になって駆け寄って来る。


 それにしても勇者様?


「俺のことか?」


 光がそんなことを言い出すと、敬太の呆れかえった答えがかえってきた。


「そんな訳ないでしょう。すみません! 車止めて下さい!!」


 その言葉に従い、御者は馬車を止めた。

 続いて真琴達を乗せていた馬車も止まり、周囲を護衛していた兵士や騎士達も警戒するよぅに立ち止まる。

 そして敬太と美久が降りると子供達を始め、周囲の人々がわっと歓声を上げた。


「おおっ! 勇者様だっ!」

「きゃーっ! 勇者ケイ様よ!」

「奥方のミク様もご一緒だわっ!!」


 えらい人気だった。まるでアイドルか何かである。


 敬太はつかつかと子供達の前にやってくると、背中を丸めて優しく子供達の頭を撫でてやる。


「ラインズ マルガリーテ ヤザック。 三人共元気だったかい?」

「「「うんっ!!」」」

「そっか」

「あんた達いつも仲良しね。よしよし」

「ミク様っ はいっ!」


 気が付くと美久と真琴まで子供達の元にやって来ていた。


「また随分な人気じゃねぇか。ん?」


 少しばかり皮肉交じりに美久に言ってやるが、美久と言えばどこか勝ち誇ったような表情をしている。


「まぁね? わたし達はこの国じゃちょっとした英雄なんだから」


 道中のツンケンした態度が嘘のようにえらく機嫌がいい。それに何というか年頃に見合った仕草だった。

 相変わらず馬鹿にはされているが。


 ただ子供達の懐きようといい、大人達の反応といい、この幼い二人がこの国の危機を救ったか、それに匹敵する名声を得ているのは確かなようだ。

 それに飾らぬ態度と若さ、幼さが周囲から好感や親近感を得ている秘訣なのだろう。


「さ、またこれあげるね? 大切に食べるんだよ?」


 美久はスカートのポケットから、飴の包みをそれぞれに手渡すと、敬太と同じように子供達の頭を撫でてやる。

 子供達は口々に礼を言い、兵士達に連れられて去っていった。


 なんだよ。優しい所も有るじゃねぇか、こいつら。


 などと妙な感慨にふけりながら、光と真琴は肩を並べて苦笑して二人を眺めていた。


「ところで一緒に乗ってきた別嬪べっぴんさん二人はだれだ?」


 二人? 俺達の事か。でも別嬪さんて今日日きょうび言わんぞ。まぁ一人は真琴として──もう一人はまさか俺?


「妙な格好しているな」


 まぁ異世界の寝間着姿だからな、うん。


「肌なんか出して、破廉恥だわ。娼婦かなにかかしら?」


 文化の違いって怖いな。薄着しているだけでビッチ呼ばわりとか。


「ケイ様とミク様と同じ、神世かみよの国の方々だろうか」


 あの二人、異世界人っつーか神様扱いか。で、俺らがその同類とでも? まぁ、悪い気はせんが。それにしても、だと? まさかあの二人以外にも俺達みたいなのがやっぱりいるのか?


「また龍の討伐に狩り出されるのかしら」

「今度は帰って来ればいいけどな。かわいそうに」


 聞き捨てならない事が聞こえた。


 龍の討伐?

 言ってることを聞く限り、この国では良くあるクエストだったが、異世界に来てまでそんな物があるのか?

 それにそのクエスト、未帰還者ばかりだと?


 そんな事を考えていたら、ふと視線を感じた。


 自分をじっと見つめている子供がいる。

 ボサボサの銀灰色の髪。

 そしてみすぼらしいぎだらけの貫頭衣を身に纏っている。

 何よりも目立ったのが首に巻かれているチョーカーだった。

 それはチョーカーと呼ぶには余りに無骨でみすぼらしかった。まるで犬猫がつける首輪と呼ぶほうが相応しい。

 年の頃は三歳程度といった所か。


 その子はトコトコと足元までくると、恐る恐るといった様子で手を差し出した。

 そして「飴、ちょうだい」と震える声でそう懇願する。


 光はその子に視線を合わせるようにしゃがみ込むと、ポケットに手を入れて何か無いかと探ってみたら、塩飴の包みがみつかった。


「ちょっとしょっぱいかもだけど、いいか?」


 その子は黙って頷く。本当に言葉は通じるらしい。

 光が笑顔で塩飴を渡そうとしたその時。


 突然その子の姿が消えた。


 一瞬何が起こったのか、理解出来なかった。


 何が起きたか分かったのは、目の前を真琴が駆け抜けて行ったその先に、先程の子供が倒れていたからだ。

 目の前に、美久の足が見えていたからだ。


 その子は、飴を受け取る直前に、美久に蹴られていたのだった。


「──おい」

「何よ」


 真琴がパジャマの裾で子供の顔の血を拭っている。


「どういうつもりだ」


 自分の声から、感情が抜けていくのが分かる。


「ああ、その奴隷の子を蹴ったこと?」

「奴隷?」


 自分の声が遠くに聞こえる。


しつけよ? ただの お し お き」

しつけだと?」

「そ 身分を分からせる為のね。第一、その子亜人よ?」


 子供の姿を再び見やると、確かに普通の人間では無い。

 頭に小さな狼の耳。貫頭衣に隠れて見えなかったが、尻の辺りから狼の尻尾が生えているのが分かる。

 ゲームでもプレイヤーキャラクターとして使える種族『人狼族ウルヴァン』だ。


「真琴も今はエルフなんだが?」

「エルフは別よ。この世界の人間ひとからは友好的な種族として尊重されているから。でも人狼族は別。蛮族として人間ひとに害を加えている種族、らしいわ。そんな連中よ? 奴隷にして何が悪──」


 美久が言えたのそこまであった。

 

 パァンという高い音がしたかと思うと、その小柄な身体が宙に舞う。

 

 そして、ドサッと街の石畳みの上に倒れ伏した。


「いい加減にしろよ。このクソ餓鬼」


 光は美久の頬を張っていた。

 しかも、岩をも砕く力で。


「な、なにすんの!」


 だが、死なずにいたのは流石同じ存在ということか。

 ただ、猫を思わせる端正な顔は歪み、頬がどす黒く腫れていた。

 おびただしい鼻血がながれ自慢のドレスを汚し、口元も切れたのかツゥと一本の赤い糸が流れている。


「何を言ってるのかって? そうさな。躾、だと言えば納得するか?」

「そんなものっ、納得出来るわけないじゃないっ!! わたし何か悪いことした!? ねぇっみんなっ!!」


 それに対して一部始終を見守っていた人衆は、異口同音に叫んだ。


「そうだそうだ! ミク様が何をした!?」

「悪いのは亜人の奴隷の子の方よ!」

「母親はどうした!? 責任取らせて親子共々不敬罪で吊し上げろ!」


 皆美久に賛同する。

 そして美久は勝ち誇ったように哄笑をあげた。


「ほら見なさい! これが現実っ この世界の現実リアルなのっ! 分かった!?」


 美久はまるでたがが外れたように笑い続ける。


「正しいのはわたしっ! あんたじゃないわ!! 悔しかったら力を持てばいいのよ。誰にもおかされない! 屈服しないだけの力をね!?」


 だが、光はそんな美久を冷たい目で見つめる。

 そんな光を見て美久はたじろぐが、意固地になったように睨み返した。


「あんたに……あんたに何が分かるの」


 そしてそこまで言うと美久はこうべを垂れ、肩落として呪詛のように呟いた。


「もういいわ、あんた」


 手にした短杖ワンドに炎が灯る。


「ホント、サイテー」


 その炎が巨大な槍と化していく。


 そんな美久の姿に、群衆はようやく危険を察知した。

 そして、どこかで悲鳴が聞こえ、蜘蛛の子を散らすように逃げていく。

 周囲の騎士や兵士もまた、事態の推移についていけず、ろくな動きがとれないでいた。


ヒステリックな雰囲気に飲まれていたその場所は、一転してパニックに襲われた阿鼻叫喚の地獄絵図となっていく。


 そして美久は、短杖を高々と振り上げ巨大な炎の槍を放とうとした。


 一方光は丸腰のまま立っていた。

 だが、まるで居合術のように腰だめに構え、本当の刀を持っているような姿勢を取る。


「骨も残さず死んじゃえ! 『爆炎フレイム』っ」


 美久の炎が周囲の空気を焼いて放たれた。


「『ランスっ』!!」


 轟音をあげて魔術『爆炎槍』が飛ぶ。

 

 光めがけて。


 誰もが少年の死を確信した、その時──


「ふ……っ!」


 光の右腕が閃き、鋭い軌跡となって空を切る。

 その軌跡は飛んできてた爆炎の魔術とぶつかり合い、激しい渦をまいた。

 そして唐突にそれがぜる。


「うわっぁぁあ!?」


「ひぃいいいぃつ!?」


 ひとしきり周囲を蹂躙した衝撃破が霧散した後に残っていたものは──


「──嘘?」


 腕を振り抜き、無傷で立っている光の姿であった。


「な、なんで? どうやって?」


 呆然とする美久に向かって光は何も答えない。

 ただ静かに構えを解いた。


 だが、そんな光に美久は尚も問う。


「なんで無傷でいられるの!? どうやって

私の魔法を消したの!!」

「別に? 簡単なこった」


 それに対する光の言葉に、周囲は言葉を失う事になる。


「居合い斬りの要領で、お前の魔法を。 それだけだ」

「斬ったって 武器は? なんで斬ったのっ!?」

「そりゃお前──」


 光は自分の右手を開いたり閉じたりして、手刀を形作ってみせる。


「これで」


 美久の顔からポタリ、とまた血が一滴落ちた。


「そん……な。 す、素手で ? 竜頭巨人ドロウルの頭を消し飛ばす、私の魔法を?」


 美久はあまりの事実にがくりと膝をついて、今度こそ敗北に打ちひしがれた。


「ば、化け物……っ」


 そんな美久の姿を見て、光は深いため息をついた。


 そして──


「んで? 次はお前か?」


 にやりと不敵に笑って見せる。


「──敬太」


 その視線の先には、剣の柄に手をかけた、敬太の姿があった。

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