第42話 宝石は祈らない

 鐘の音が鳴り響く。少なくとも王城には届いているだろうし、防衛戦の最前線にも届いている筈だ。だからこそ王都の教会はこの位置、貴族街にほど近い、やや東よりとはいえ王都の真ん中に近い場所にあったのだろう、と、今更に納得するイアリア。

 その東よりというのも、国全体に鐘の音が響いていた可能性があるなら納得だ。何しろエルリスト王国王都であるエルリスタは、エルリスト王国全体で見ると、やや北西に位置する。国としての面積で言えば、東の方が広い。

 なおかつ教会の鐘を鳴らす事が「新年祭の始まり」であった場合、東に位置するアイリシア法国からも鐘の音が響いていた可能性は高い。だからこそ王都は北西に位置して、そこで鳴らされる鐘の位置はやや東よりだった。それなら、完全に筋が通るだろう。


「……どうして」


 もちろん、後で分かったこの鐘の音に頼り切るつもりは無いイアリア。何しろイアリアにまともな信心は無い。これも神の奇跡というよりは、応急処置した魔道具を若干本来とは違う形で無理矢理動かしている、という認識だ。

 だからダメ押しで、本来用意していた手札を切ろうとした時に。すっかりか細くなった声が聞こえた。


「どうして……ひとを、すくわない、かみを。たよりに、するの……?」


 人を救わない神。創世の女神を指してのものだろうその言葉は、なるほど確かに、信者の欲望を満たす邪神としてなら当然のものだろう。何しろ邪神にとっての神の定義は、人の祈りの対価として、際限ない欲望を満たすものだ。

 そもそも邪神を信仰する時点で、創世の女神に見切りをつけているという前提になる。とすれば当然ながらその祈りの内容も偏る訳で、先代の魔王が作った邪教はその魔王が滅ぼされてなお生き残り、邪神誕生の礎となった。

 生まれた時からそういう価値観の人間に育てられ、そういう価値観の人間に都合の良い思考をさせられてきた邪神からすれば、創世の女神を信仰する意味が分からなくても仕方ない。


「だからあなたは馬鹿なのよ」


 だからこそ。まともな信心を持たないイアリアは、言い切った。


「確かに、時に神に縋る事は必要だわ。生きる為にね。信じる事で救われる人もいるでしょう。目に見える救いを求める人もいるでしょう。それはいいのよ。そういう人だというだけなのだから」


 イアリアは、神を信じて救いを求める人を否定しない。その人は自分とは違うのだから、救いの形だって違って当然だ。それを知っているから。


「でもね。人間には救いなんていらないのよ。余計なお世話だわ。神様なんてものは、手も声も届かない程遠くでただ眺めているだけってぐらいが丁度良いの」


 だが同時に、イアリア自身は頼らない。願わない。縋らない。何故なら神は人を救わない。それを体感として知っているから。


「神は手を出す時に加減できない。何故なら、神は強くて人は脆いから。そんな事すら毎回毎回指摘しないと分からない程度に、神は人間を理解できてないしできる事もない」


 神の存在を否定する事は無い。

 だが、神の奇跡は呪縛と紙一重であり、人間にとっては大差がない事も、知っている。


「神が持つ、人間を救おうという感情なんてものは。人間を「自分が救ってあげなきゃいけない」っていう、傲慢極まる考え方をしているから出てくるものであって、間違っても優しさなんかじゃない」


 人間にすら理解できない相手がいる事を知っている。魔獣に理解できる相手の方が少ない事を知っている。

 だったらそれより違いが大きい神なんて存在に、理解が及ぶ部分など、恐らくは存在しない。少なくともイアリアはそう考える。


「――救ってもらう必要なんかない。私達人間は、ただ生きているだけ。そちらの傲慢で、あるいは他の人間の欲望の為に、生きる事を、邪魔しないで。私が神に求める事があるとするなら、それだけよ」


 イアリアは、神に祈らない。

 人間の醜さも、美しさも、弱さも、強さも、良く知っているから。

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