第19話 宝石は耐える

 正直なところ、イアリアが誘いに乗らずナディネの研究棟から出なかったのは、かなりギリギリだった。それだけイアリアにとって、モルガナの存在は大きいのだ。

 それを何とか踏みとどまれたのは、


「イアリア、待って、待とう、あと数日だから!」

「何がよ」

「師匠の我慢! あの師匠がここまで長い間弟子と離れて単独行動してるんだぞ!? 今までの最長記録は1ヵ月、そこが師匠の限界なんだ! だから、絶対、それこそ何を壊してでも、あと数日で帰ってくる!」

「…………そう言われれば、それもそうね」


 という、ある意味師匠であるナディネへの信頼があったからだ。

 それに加えてやや冷えた頭で思い出したのは、そのナディネへの手紙を届けに行ったリトルの事だ。恐らくそちらも足止めされているのだろうが、本来は「魔物化した魔化生金属ミスリル」であるリトルだが、そのかなり自由が利く体を動かしているのは、属霊という神の眷属である。

 ……改めて認識したことで、リトル、という名前が、そのどちらについているものなのか、イアリアがちょっと困ったのは別の話だ。


「そうよね。あと数日。ほんの数日。ちょっとタイミングをずらすだけなのだから……」

「珍しいな、そこまで冷静さを欠くとは!」

「……自分でも驚いているわよ」


 あと数日。その時間を、待つ。そう決めたことでようやく頭が冷えてきたイアリアは、実に素直な兄弟子ハリスの言葉に素直に頷いた。そう、全く冷静ではない。それに気付くことすらない程度には。

 特に使い魔が大量に送り込まれるようになってからは、随分と狭い範囲でしか行動していない。そのせいで鬱憤が溜まっていたのだろうか、と、自分の行動に内心首を傾げるイアリアだが、他に心当たりがある訳もなく、微妙に消化不良ながらそれで納得する事にした。

 とりあえずその夜はそのまま眠り、翌日。無数に送り込まれていた使い魔も来れなくなっているので、今日は研究棟の窓から離れた場所でもしばらく歩いて運動しよう、と、思いつつ朝日と共に目覚めたイアリアは。


「――――イアリア、助けてくれ! 手紙が、モルガナの手紙が奪われてしまった!!」


 その後朝食を食べ、兄弟子が2人とも学園へ行ったのを見送った直後のそんな声に、思わず思考を停止させた。

 即座に身をひるがえして飛び出しそうになる、その一歩目を、精神力を総動員してその場に縫い付ける。落ち着け、と、自分で自分に言い聞かせた。


「落ち着きなさい。落ち着くのよ。昨日の夜のような無様を何度晒すつもりなの? イアリア・テレーザ・サルタマレンダ。あなたは誉れ高き「永久とわの魔女」の弟子でしょう!」


 声に出し、自分に言い聞かせ、ついでにばちんと自分の両頬を叩く。

 おかしいでしょう。と、もう一度、分かり切ったことを口に出す。言葉にする。そう。おかしいのだ。こんなタイミングの良い事がある訳がない。絶対に罠だ。イアリアをナディネの研究棟から引きずり出す、その為の罠以外にはありえない。

 第一、誰が、何故、故人の手紙を奪うというのか。それも家族に宛てた私的なそれを。その時点で既に相当おかしいのに、何故、わざわざイアリアに助けを求めてくるのか。


「―――—ありえないわ」


 状況的にも、動機的にも、タイミング的にも、貴族的にも、さらに言えば人間的にもおかしいところしかない。ありえないのだ。だってそもそも、


「ここはザウスレトス魔法学園。国に仕える魔法使いの育成機関。国の重要地の1つであり、王の名において守られているこの場所に。何故。――貴族の癖に魔力を持たない人間が、踏み込めているのよ」


 フランツ・アルベルト・マケナリヌス男爵は。男爵の嫡男として生まれ、男爵家を受け継ぎ、貴族として土地を運営していながら。……魔力を持たない、ただの人間だからだ。

 もちろん、魔法使いでなければ貴族ではない、という事はない。何故なら魔力を持って生まれてくる条件は人の理解の外だ。規格外の極みであるナディネならば知っているかもしれないが、少なくとも9割9分の人間は知らない。

 実際、貴族は魔法使いとして生まれてくる確率が高いというだけで、魔法使いではない貴族の方が圧倒的に多い。その割合は、おおよそ3割といったところか。平民は百人か千人に1人なので、確率自体は十分に高いのだが。


「男爵にそんな権限がある訳がない。せめて。そう。最低限でも、そんな無理を通す為には、伯爵ぐらいの権限は必要…………えぇ、分かっていたわ。分かっているわ。だって、罠以外ではありえないもの。だから――」

「助けてくれ、イアリア! モルガナの手紙が奪われたんだ!」


 ふー、と、長く細く息を吐き出しながらその場にとどまるイアリアの耳に、必死さは見上げたものだが、中身のない繰り返しの言葉が刺さる。本当に、本心から懐いていた相手の事だから、心が乱れる。足が動きかける。


「――とんだ、茶番なのよ」


 それを、意志の力で、押し留めた。


「イアリア! イアリア、いるんだろう!? 頼む、助けてくれ! 手紙が――」


 同じことを繰り返し続ける声に対して、イアリアは自分の両手で、自分の耳を、力の限り強く押さえた。そのまま踵を返し、すっかり自分の部屋と化している仮眠室へと引き返す。

 あと数日。イアリアと、兄弟子であるジョシア及びハリスにとっては、早く過ぎ去れと願うばかりの忍耐の時間だ。あと数日。それさえ耐えられればどうとでもなるのだから。

 だがその、あと数日、という時間は。当然ながら、ここまで状況を整えた何者かにとっては、残り少ない制限時間だ。


「本当に、形振り構わなくなってきたわね。……この部屋じゃなくて、訓練室で結界でも張っておいたほうが良かったかしら」


 バタン、と扉を閉めれば、魔道具でも使っているのか、やけによく聞こえる声も多少は遠くなる。イアリアはそこでようやく手を自分の耳から離して、再びの籠城を開始した。

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