第19話 宝石は向かう

 仮眠とも言えないような休憩を間に挟みつつ、断続的に鳴り響く鐘の音にもだいぶ慣れてきたイアリア。それでも神経を削られていない訳ではなく、結果として眠気を全く感じないまま、ずっと魔薬を作り続けていた。

 この間に届いた良い知らせとしては、元々が軽症だった一部の村人が回復した事と、少なくとも普段村人や冒険者、狩人が使う獣道及び行動する範囲に、もう狂魔草が見つからなくなったことだろう。

 逆に悪い知らせとしては、襲撃してくる魔物の数と頻度が更に増してきた事と、防壁の上からの攻撃だけでは仕留め切れずに接近を許し、門や防壁に傷が増えて来た事だろうか。


「無傷で済むとは思っていなかったけれど、襲撃が始まって1日経たずにこれというのは、厳しいわね……」


 もちろん、門を破られた時に備え、門の内側に防御の為の柵が作られ始めている。防壁の内側にも、攻撃を受けた場所を中心に土嚢を積み上げ、気持ち程度だとしても防御力を上げる指示が出ている事は知っていた。

 イアリアに回って来る依頼も、傷を癒す魔薬や、応急処置的に修理をする為の接着剤などがほとんどになっている。それに加えてイアリアは、それらの作業の隙間を縫って効果の高い魔薬を作り、冒険者ギルドエデュアジーニ支部の個人金庫に預け入れていた。もちろん、品質は鑑定した上でだ。


「(流石に個人用の魔薬ばかりを余分に作っていると、バレた時に面倒でしょうし……これなら依頼ではなくても必要なものだから、問題無いわよね)」


 ……まぁ、そういう打算もあったりしたが。

 それ以前の問題として、普通の魔薬師は、ここまで多様な魔薬をこんな大量には作れない。だからそもそも、余計な事をしているのではないか、という疑いが向けられる事、それ自体が杞憂なのだが、イアリアは気付かない。

 作業台のある小部屋を1人で複数使わせてくれ、と言い出したかと思えば、常人の倍はあるだろう魔薬を納品しつつ、個人用と称して非常用の効果が高い魔薬も作成し、質は一切落さない。

 顔色は見えないものの淡々と、当たり前と言った調子で桁外れの能力を見せつける「冒険者アリア」ことイアリアに、冒険者ギルドの職員達は畏怖に近いような感情を覚えていた訳だが、当然、それにも一切気付かずだ。


「それでは、こちらの魔薬を鑑定証書と共に保管させて頂きま――きゃぁっ!」


 そして夜中になっても昼間と変わらず、むしろ昼間より忙しく人が動いている冒険者ギルドのカウンターで、イアリアは魔薬の納品と、余分に作った効果の高い魔薬の品質鑑定からの預け入れを行っていた。

 その手続きが終わろうとしたところで、ドゴン!! と、何か重く大きなものがぶつかるような音が響く。音と共に地面も揺れたので、相当な衝撃だ。


「何事!?」

「ゆ――雪熊です! 雪熊が、雪熊が現れて、門に体当たりを……!」


 咄嗟に姿勢を低くして耐えきったイアリアは、今の衝撃で混乱している冒険者ギルドの内部へと鋭い声を飛ばした。それに答えたのは誰か分からないが、その声は怯えと恐怖で震えている。

 雪熊、というのは、一応動物の枠に入る。冬の間は白く、夏の間は濃い茶色の体毛をした、平均体長3mを越える熊だ。特に冬の時期……白い姿をしている時の体毛は1本1本が太く丈夫で、分厚い筋肉の上にたっぷりと脂肪を蓄えている。

 雪の山を平気で歩き回り、春に向けて蓄えられた山の恵みを食い尽くす、冬の山の暴君として知られている。雑食であり、一度でも人間の味を覚えたら、それこそ国に討伐の嘆願を出してでも討伐しなければならない。


「単体? 大きさは?」

「それが……お、親子連れで。子供の方も、もう一人立ち間近なのか、体長3mほどが2体! 親の方は……っご、5mを越えています……!」

「控えめに言って最悪ね」


 何より厄介なのは。雪熊は、ただでさえ少ない敵が更に少なくなる、この冬の時期に子育てをする、という事だ。子供を産み、育て、守り。親は体力を使って、子供は大人に近いほどに育ち、一番飢えて危険な時期が、この冬が明ける頃である。

 その雪熊が、狂魔草の影響範囲に引っ掛かり、エデュアジーニまで来てしまった。3mが2体、5mが1体。そんな雪熊の親子が現れたというのは、はっきり言って、狂魔草の件が無くても村の1つぐらいは地図から消えていただろう。


「他は?」

「はっ、はい?」

「だから、他は? まさかご丁寧に、他の奴らを薙ぎ払ってくれた上に雪熊親子だけで襲ってきたの?」

「いえ……っ!」

「そう、いるのね。しかも同士討ちもしていない」


 なお、かつ。狂魔草が関わっているせいか、普段なら出会うなりお互いを捕食しようとする雪熊と他の動物、あるいは魔物が、仲良く肩を並べて襲撃してきたらしい。

 イアリアが確認している間に、再び、ドゴン!! という衝撃と揺れを伴った音が響いた。まだ門が壊れる前兆となる音は混ざっていないが、それこそ時間の問題だろう。

 雪熊は、弓矢程度では仕留められない。近寄り、その爪と牙を掻い潜って、目か口の中に刃を突き立てるしか、人間が雪熊を殺す方法は無い。しかしそれも、雪熊しかいない状態でしか出来ない方法だ。


「……仕方ないわね。私が行くわ」

「えぇっ!?」

「知っていると思うけれど、普通の弓矢で雪熊は殺せない。かと言って、雪熊以外が一緒にいるなら門から出る事すら出来ないでしょう。はっきり言って、もう詰んでるのよ。このままだと全員死ぬわ」

「そ、れは……そう、かもしれませんけど、でもっ!?」


 息を1つ吐いて、イアリアは自分の格好と、マントの下に用意した戦闘用の魔薬を確認する。そうしながら現状を断言すると、「冒険者アリア」は腕の良い魔薬師だと思っている冒険者ギルドの職員から、悲鳴のような声が上がった。続く言葉は、自殺行為、だろうか。


「安心しなさい」


 その目の前で、イアリアは。肌身離さず身に着けていた、内部空間拡張機能付きの鞄……マジックバッグから、とあるものを取り出した。そのまま持ち手の所についているハンドルを回し、弦を引き絞って固定する。

 それを見た冒険者ギルドの職員が、目を丸くした。何故ならそれは、魔薬師という職業からは程遠い、明らかな武器だったからだ。

 形としてはハンドル式のボウガンに近い。だが本来矢を乗せる部分が太く、引き絞られた弦の真ん中には皮が足されて、幅が広くなっている。その分だけ全体が大きく、イアリアは両手でそれを抱えていた。それはそうだ。何故ならこれが撃ち出すのは、矢など言う小さなものではない。


「死にはしないし、死なせもしないわよ」


 その武器――機構式のスリングショット、或いは、超小型のカタパルト。商人都市、そう呼ばれたベゼニーカでは、あり合わせの素材で作られていたそれ。間に合わせだったその武器は、鉱山都市、大型武器が特産であるディラージにおいて、さらに本格的な物へと作り変えられていた。

 もちろん威力も射程も大幅に上がっている。そして撃ち出されるのは、イアリア特製の、戦闘用の魔薬だ。


「――ちゃんと距離をとれるなら、熊程度なら余裕だわ」


 ……なお、冷静に最大火力の事を考えるなら、完全なる過剰火力オーバーキルである。

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