第16話 宝石は薬を作る

 そこから、僅かに均衡を失った天秤がじわじわと傾いていくように、状況は少しずつだが悪化していった。

 時間経過とともに増えていく、魔物と野生動物の目撃情報と、人里への襲撃。狂魔草の毒にやられた村人達に、襲われて怪我を負った村人が混ざっていく。冒険者も動き詰めて、油断か疲れか、余裕を失っていった。

 それでもその日1日はどうにか無事に終わり、ここでイアリアは一度長期滞在している宿に戻って、しっかりとした食事と睡眠をとった。……本番はここからな上に、長期戦になる事が分かったからだ。


「もちろん、狂魔草の回収が間に合って、看病に終始するだけ、というのが一番なのだろうけれど」


 まぁそうはいかないだろうな、というのがイアリアの予想であり、イアリアを素直に帰した冒険者ギルドの判断だ。何せ現状、イアリアの作る魔薬が最も効果が高い為、事態解決までの体力勝負になった場合、耐えきれるかどうかを分けるカギになる可能性が高い。

 それでも流石にのんびりと朝寝をする気にはならなかったイアリア。周辺を探索に出る時と同じ、大分早くなったとはいえまだまだ遅い朝日よりも早く宿を出て、冒険者ギルドへと向かう。


「おはよう。状況はどうかしら?」

「おはようございます。未明に戻ってこられた冒険者の方から、最も近い村で魔物を含む動物の襲撃があったと報告がありました。そしてこちら、アリア様へ冒険者ギルドからの指名依頼です」


 順当に状況は悪くなっている、という事を確認し、深く下ろしたフードの下で息を1つ吐いたイアリア。最も近い村で襲撃があった、という事は、恐らく本日中にはエデュアジーニへ襲撃がある。

 通りで冒険者ギルドに来る道すがら、随分と空気が重かった筈だ、と、内心で納得するイアリア。そしてその指名依頼を見て、その全てが昨日までも散々作っていた魔薬の納品依頼である事を確認して、全てを一括で受けた。

 受ける際にカウンターで優先順位を確認し、冒険者ギルドの2階へと移動する。依頼価格で素材を買い込み、仕切られた小部屋の1つへと移動、魔薬の作成を開始した。


「火と水は問題ないし、魔薬の材料の備蓄も十分あるみたいね。地域ごと冬ごもりをするのだから、その為に備えていたんでしょうけど」


 エデュアジーニとその周辺は、冬の間は分厚く雪が降り積もり、外界と隔絶される。それはつまり応援を呼ぶことも、外へ脱出することも出来ないと言う事であり、何が起こったとしても、冬が明けるまでは独力で何とかしなければならない、ということだった。

 だからこそ、備えは可能な限り整えているだろう。幸いというべきか、外界と遮断される原因である大量の雪、それをもたらす寒さは、食品を始めとした備蓄するべきものの保存を容易にする。

 そして現在、その冬が明けるまでの残り時間が見えてきた。そこでこの非常事態なのだから、ここで使い切ってしまっても何の問題もない。


「……問題は。冬の終わりが、致命的、という点なのだけれど」


 材料を切り刻み、磨り潰し、鍋で煮込み、と魔薬を作る手はテキパキと動かしながら、イアリアは口の中で呟いた。そう。問題は、冬が終われば、現在ギリギリで何とかしようとしている最悪の事態が、現実になる、という事だ。

 何故なら、最悪の事態……狂魔草の花が咲く事で引き起こされる、魔物の大暴走及び人里への襲撃。これを阻止していたのは、冬の寒さだからだ。

 冬の間、狂魔草の花芽は固く閉じて、その大きな葉も元気なく茎を包んでいた。狂魔草は越冬できても、冬の間に咲く事は出来ない。他の生物を毒殺して殖える生態をしている為、大半の生物が活動を控えて息を潜める冬は、咲いても無駄だと知っているのだろう。


「越冬できる植物は、春の訪れを感知できる。……だから、冬の間は1人で動いていた訳なのだけど。これも油断だったかしら」


 もしイアリアが最初に狂魔草を見つけた時、冬の始まりの時に存在を知らせていれば、確かに現在毒で苦しんでいる村人達が倒れる事は無かったし、魔物の襲撃と戦っている冒険者達の怪我も無かっただろう。

 ……だが、もしあの時点で告げていれば。冒険者ギルドはともかく、冒険者はここまで真面目に動いていただろうか。そして村人達も、心穏やかにいつも通りの冬を過ごせていただろうか。それは分からない。

 いずれにせよ、時を戻す事は出来ないのだ。イアリアは冬の間1人で戦う事を選び、そして現在、スタンピードを防ぐ戦いは、ギリギリ阻止出来なさそうな状況になっている。これは、何を考えた所で変わらない。


「今更。そう、今更なのよ。他にもっとマシな結末があったかもしれないけど、私はそれを選ばなかった。――それだけの事だわ」


 狂魔草の毒に対する対処療法用の魔薬を瓶に詰め、蓋をしたところで、イアリアは緩く頭を振った。そう。いくらでも考える事は出来る。もし、なんてものは、尽きる事は無い。

 だからこそ、今、そちらに考える力を取られている訳にはいかない。そうイアリアは自分に言い聞かせ、とりあえず出来上がったばかりの魔薬を納品する為に、冒険者ギルドの1階へと降りて行った。

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