第5話 宝石は辿り着く
そこからも頑張って人混みを歩き続け、途中で何度かお菓子やお茶を屋台で買って休憩し、気のせいか太陽の角度が変わる程度に歩き続けたイアリア。
「……薬草を探して山を歩く時の、何倍も疲れるわね」
ようやく地面が見える程度のまばらさとなった通りを見て、イアリアはフードにしっかり隠した影に、そんな呟きを零した。ぐったりと疲れた溜息もセットだ。
イアリアは決して運動不足ではない。学園を力技で逃げ出して、すでに半年以上が経過しているし、そもそも学園でも身体を鍛える授業には積極的に参加していた。だがそれでも、野山を歩き回る事と、石畳の上をひたすら歩く事では、使う体力が違う。
それでも絶対的な人数が少なくなった事と、通りの雰囲気自体が落ち着いてきた事で、イアリアも一息ついてゆっくりと周囲を見る余裕を取り戻す事が出来た。
(……まぁ、静かだったらそれはそれで、貴族の関係者が多いという事だから、あまり嬉しくもないのだけれど)
貴族は魔力を持って生まれてきた人間の血を取り込むことで、魔力を持って生まれる確率を上げる。と言う事はつまり、貴族であれば魔力を感知する能力を持っている可能性が高い、という事だ。現在逃亡中の身としては、これはこれで警戒しなければならない。
と、ひそかに緊張を高めて警戒していたイアリアの正面から、かなりのスピードで馬車が走って来た。元々道の端を歩いていたイアリアは問題ないが、通行人が慌てて左右に逃げている。
まさかこのまま通りを走り抜けるのか、と、馬車が暴走した場合に備えて咄嗟に並ぶ建物の隙間へ滑り込んだイアリアだったが、少し先の店舗らしき建物の前で馬車は止まった。すぐに、でっぷりと太った貴族らしき衣装の男性が下りてくる。
(降りる動作だけで馬車がきしみを上げるってどういう事よ……)
建物の隙間からこっそり覗き見るようにしているイアリアの視線の先で、その貴族らしき男性に続いて召使の様な格好の男性が、何か凝った装飾が施されている四角い鞄を持って、馬車が止まった店舗へと入り。
「きっっさまぁあああ!! これは!! どういう事だっっっ!!!」
まもなく、もし近くに居たら、確実に耳をやられていると断言できる程の怒号が響いた。恐らく、というか、間違いなく先程の貴族らしき男性だろう。よくこんな声が出せるわね、と、多少は距離があるにも関わらず耳を押さえてイアリアは呟いた。
そこから、聞くつもりもないのに耳に叩き込まれた怒鳴り声によれば、どうやら貴族らしき男性はランガリカ子爵と言い、あの店に、
イアリアとしてはその時点で、馬鹿なのかしら。と思わず口に出してしまう程にあり得ないのだが、このランガリカ子爵が文句をつけているのは、
(……食器が口から逃げるって、どういう事よ?)
どうやら、スプーンでスープをすくっても、フォークで肉を刺しても、それを口に入れようとすると、くにっと曲がってランガリカ子爵の口に入ることを拒むらしい。
器用にもすくわれたり刺さったりしている料理は落とさずに、ぬるぬると動いて決して口の中に入ろうとしないのだそうだ。あまりにも頭に来たので無理矢理自分の指ごと口に入れると、口の中で暴れまわるらしい。
相手、恐らく接客している店員の声自体は聞こえないが、それを反復して怒鳴っているらしい声は良く聞こえる。それによると、カトラリーセットに加工する際、「健康を優先する」という方向で加工したのだそうだ。
(健康を優先する、食器が口から逃げる……あぁ、もしかしたら、そういう事?)
この時点でイアリアは大体察したのだが、ランガリカ子爵は察しなかったらしい。カトラリーセットの代金を返せと詰め寄っているようだ。……どうやら素材も持ち込みだったらしく、そちらも返せと喚き散らしている。
が。どうやら店員の方は引かなかったらしい。しばらく押し問答した末に、ランガリカ子爵は更に頭に来たらしく、二度とこんな店は利用しない、という旨の大変汚い台詞を吐き捨てて、店舗から息も荒く出て行ったようだ。
そして馬車に乗り込むと、そのままスピードを上げながら通りを走り抜けていく。誰かひかれないといいけれど、と口の中で呟いたイアリアは馬車を見送り、先程まで騒ぎが起こっていた店舗へと足を向けた。
「あ、いらっしゃいませー」
「冷やかしよ」
「わっははは、正直だな!」
先程までの騒ぎを感じさせない様子で声をかけてきたのは、カウンターの中に居る男性だった。年齢は、恐らくイアリアの4つか5つほど上だろうか。色褪せた様な白い髪を雑に紐でくくり、淡い黄色の目を細めてへらへらと笑っている。
体格はお世辞にも立派とは言えず、鍛冶師どころか農民よりも細い。体格だけなら学者か研究者といった姿に、年季の入った分厚い作業エプロンと、同じく使い込まれた火の粉から身を守るための鍛冶作業用の上下を重ねているので、大変ちぐはぐな印象だ。
そんな店員の声掛けを一言で切って捨てたイアリアは、それに対する返答が明るい物だったので、無遠慮にぐるりと店内を見回した。そう広い訳でもない店内の壁際に並んでいる棚には、しかしそこまで商品らしいものは並んでいない。
「……
「そりゃそうだー。だって
「それもそうね」
それこそスプーンやフォーク程度しか作れない大きさであっても、
が。イアリアの本題はそんな事では無い。店員が気づいているのかどうかは分からないが、今の会話で確信できることが、最低でも1つはあった。そしてそれは、大変重要な事だ。
「持ち込めば加工してもらえるのは確かみたいだけど。それにしては、随分小さい店ね?」
「はっきり言うなぁ。ま、親方の趣味さ。客を選り好みしてるんだ。気に入らなかったら貴族だろうが王族だろうが絶対に作らないし、逆に気に入ったらそれこそちょっと幸運なだけの平民だって腕を振るうっていう」
「あら、とっても変わり者の気配がするわ。
「どっちもその通り~。だからこの小さな店兼工房で十分って、意固地にしがみついてんだよな~」
「あなたこそ、散々に言うわね」
「長い付き合いなもんで」
そう。この店に
そしてあっさりとした話調子に、これは多少冗談にしか聞こえない話を振っても問題無いか、と判断したイアリアは、こんな問いを投げかけた。
「ところで、その親方さんは、メタルスライムをご存知かしら?」
「へ? メタルスライム? まぁそりゃ知ってるだろうな。この街じゃ「鉄食い」って言われて、天敵だし」
「そのメタルスライムなのだけど。通常種と希少種がいる、という噂を知らない?」
「えー、どうだろうな~……親方、そういう不確かな噂は嫌いだからな~。あっでも俺は聞いた事あるぞ! なんか時々、金属自体が動いてる感じの奴がいるって奴だろ?」
スライムとは、大体は植物や動物といった相手を食らう、動く水のような魔物だ。元は粘菌、カビやキノコの仲間であり、魔力により消化する物の範囲が広がり、能動的に動くように変異した、と言われている。
なので、元々が金属を食らう粘菌が変異したスライムは、その名の通り金属を好んで捕食する。捕食した所で体に蓄積される訳ではないので、鍛冶師が多いディラージでは、まぁ目の敵にされるだろう。
ただし。通常のメタルスライムは、黒っぽい色をしているだけのスライムだ。倒したところで鉱石や金属が取れる訳ではない。……のだが、極稀に、金属光沢を持ったスライムが目撃される、という噂があった。なお、割と有名な話である。
「で、それが?」
「話を戻すけれど、この店に
「まぁ親方が凄いからなー。大抵はいけると思うぞ」
「ならいいわ。お邪魔したわね」
「マジで冷やかしか!」
「最初に言ったでしょう?」
そんな、店員からすれば恐らく訳の分からないやり取りをして身を翻したイアリアは、深く下ろしたフードの下で、笑みの形に口角を持ち上げた。後ろから「えぇぇー……」という店員の声が聞こえるが、完全に無視だ。
「……鉱山に潜る理由が、これで出来ちゃったわね」
ここまで歩いてきた疲れも忘れたように、イアリアは傍目にはそう見えないものの、実に楽し気に来た道を戻っていくのだった。
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