第20話 宝石はヒビの結果を得る
本当に咄嗟の事となると、悲鳴は出ないものらしい。
どこか麻痺したように呑気な思考の中、イアリアは咄嗟に木箱を抱えるように身をひねった。それは自分が下になる、つまり頭から落ちる格好になるという事なのだが、その瞬間イアリアの中で一番優先度が高いのは魔薬の安全だった。
そのまま、思い切り目をつぶる。下に巻き込まれる人が居なければ良いけれど――と、どこまでも自分の安全に関する気持ちが出てこないまま、冷静に考えれば死んでもおかしくない筈の衝撃に備えて、
「っとぉおおい!! あぶねぇ!!」
がっ、と、箱ごと、誰かに受け止められた。
さすがにそうなればイアリアも目を開けて周りを見る。まず抱えた木箱の中身を確認し、周囲に飛び散ったりはしていない事を確かめた。次いで視界の一部を埋める事が常となっているフードが下りているかを確認。こちらも問題無いようだ。
そこまでやって、ようやくそろりと顔を上げ、受け止めた誰かの顔を見た。
「って、魔薬師の嬢ちゃんじゃねぇか。何で荷物運びなんかしてんだ」
「……だって皆忙しそうなんだもの。というか……」
「しかし軽いな、ちゃんと食ってるか?」
ひょい、と、なんと木箱の縁を掴んでイアリアから取り上げたのは、大男だった。すとん、と下ろされると、フードを押さえながらだいぶ見上げなければならない。長時間話をするなら、確実に首が疲れるだろう。
そしてその大男は、この町にいない筈の人間だった。そう――
「……確か、ベオグレン、だったわね。ウルフルズってクランの」
「おうよ」
にぃ、と笑うその姿は、いつだか腹に大穴を空けて担ぎ込まれ、狂魔草を持ち帰って来た集団の先頭に居て、その後の話し合いにも参加していた、まさにその人だった。
その話し合いの直後から姿が見えなくなっていた為、イアリアはてっきり逃げ出したのだと思っていたのだが……。
「嬢ちゃんには助けて貰ってるからな。ランスボア相手の怪我も、味草と癒草が違うってのも、一番新しいのだと魔物避けの副作用か? 傷を治す魔薬もならもっとだな」
どうやら、そうではないらしかった。
……まぁ逃げたと思っていたのはイアリアだけで、それも姿を見ないというただ一点だけの話で、イアリアの人嫌いな部分が悪い形で出たというのも十分にあったのだが。
ともかく……と、フードに隠した顔をむっすりとさせながら、声は努めて平常を維持しつつイアリアは聞いた。
「受け止めてくれてありがとう。流石にちょっと疲れが出たみたい。……ところで、あなた今まで何処に居たの?」
「あぁ、あの話の時に言ってただろ? 花だけ相手にすりゃいいって。そりゃつまり花だけ収穫するって事だろ? この近くの村には収穫に関しちゃ俺らなんかよりずっと腕のいい人間がごろごろしてるから、全員で回って頭下げて、手伝ってくれって頼み込んできた」
フードの下で目を丸くしているイアリアをよそに、「流石に時間かかっちまったけどなぁ」と言っている大男――ベオグレンは何てこと無いように言っているが、それは驚くべきことだった。
自ら危険に飛び込んでいくことが常な冒険者と違い、農村の人間は同じ毎日の繰り返しが続くことを重んじる。それに近くと言っても他と比べればの話であり、馬車を使って半日はかかる距離だ。
それを。この2日で手分けして巡り、頭を下げ、説得し、スタンピード発生寸前の森という危険地帯に、自ら足を踏み入れて貰う事に成功した。そう言ったのだ。
「……なんで、そんな……」
「そりゃ手数が足んねぇだろうよ。そもそも俺らはそんなちまちました事は出来ねぇから冒険者なんだ。まぁ俺達だけだったらそれも無理だったけどな。ものすごく良く効く魔物避けを、好きなだけ使っていいって条件があったから何とかだ。あれも嬢ちゃんなんだろ? 助かってるぜ」
わっはっは、と続けるベオグレンに、イアリアは呆気に取られていた。間違ってもそんな、笑いながら言える事ではない筈だ。渋り、拒絶し、恐らくは報酬を吹っかけられることもあっただろうし、それ以前に移動が強行軍では済まない。
それを、どうして――と、口に出しかけ、ようやくイアリアは、人の善性と言う物を思い出した。
きっとそこに、利己的なものは何もないのだ。ただ自分に出来る事を、町を守る為に必要な事を、自分でどうにかできる範囲でやっただけ。そう。恐らくは、仲間を庇って死にそうになった時と同じように。
「……そう。それは、私では思いつかなかったわね」
「なーにこういうのはこの町に長い俺達に任せてくれりゃいいんだよ! 嬢ちゃんは魔薬を作る、俺達は最前線で体を動かす、そういうもんだ!」
もう一度、底抜けあるいは豪快な笑い声を残して、ベオグレンは手に持った木箱を1階のカウンターへと持っていった。どうやら納品してくれるらしい。
……今の所2階を使っているのはイアリア1人だし、あの魔物避けの魔薬(上位互換)を作れるのは現状イアリアだけのようなので、手続きとしては問題無いだろう。
それを見送って、ふ、と息を吐くイアリア。どうやら、ちょっと悪い方に考え過ぎていたらしい、と自覚したようだ。そして、この町に来てからの日々は、決して無駄ではなかったのだ、とも。
「……なら、私も、自分に出来る事をしなくてはね」
これなら間に合うかも知れない。
そんな希望を胸に、イアリアは再び2階へと戻っていった。
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