第9話 宝石は薬を作る

 癒草を使った傷を癒す水薬型魔薬の作り方は簡単だ。適切な量の癒草を適度な大きさに刻み、適量の水に投入して適温で一定時間煮込み、適切な目の網で濾して瓶詰めするだけである。作るだけなら、何なら子供でも出来るだろう。

 ただしその効果を高めようと思うのならその難易度は相当に上がる。何せ各工程で使う材料の量や温度、時間と言った全ての要素に気を付けなければならないからだ。こだわろうと思えば、1秒とか1匙とかいう単位でこだわれるし結果に直接反映される。


「……まじめに勉強しておいて良かったわ」


 とはいえイアリアの場合、その中でも最低限高品質になるレシピというのを最初から学んで知っている。本来魔薬師となるにはこういうところから最適な作り方を手探りしなければならないのだが、一応魔法使いというエリートが集められる教育機関に所属していたのだ。つまり、先人たちが積み上げた物を最初から手に持っている。

 だからこそ魔薬師としてのアドバンテージとなる訳だし、2つサバを読んでいるとはいえ、年齢の割に腕が良いと言われるのも当然だ。ちゃんとした教育と言うのは文字通りの宝であり武器である。

 そして基礎をしっかり習得できていれば、そこから崩すことも可能となる訳だ。そう。今まさに野菜の千切りのように癒草を纏めて刻み、水を張った深い鍋に流し込むようにしていても、刻む大きさと量があっていれば問題ない。


「さて、ここで一工夫ね」


 と言って、魔法であれば小さな水球が出る筈の魔力を右の手に集めた。発動した筈の魔法は、やはり青い小さな石の形になって手の上で転がるだけだ。分かっていた事なのでイアリアは小さく息を吐くにとどめ、その魔石をぽいっと鍋の中に放り込んだ。

 魔石とは、魔力が石の形に固まった物だ。だからいくら見た目が宝石に似ていても、実際の宝石とは性質が全く違う。何故石の形に固まるかは分かっていないが、その本質は魔力と言う形の無い力だ。

 だからよりなじみやすい物が近くにあれば、そちらに溶けるように形を無くして移っていく。そして癒草は、魔力によって変異した植物だ。


「この量に対してだと少ないから、効果は気持ちになるだろうけど……それぐらいずつでも減らしていかないと、いつまでたっても使い切れないもの」


 ぐるぐると鍋をかき混ぜ棒で混ぜていると、カラコロという魔石が転がる音はすぐに聞こえなくなった。これで癒草の変異した効能、つまりは傷を治す効果が上がった筈である。

 持ち込んだ砂時計の砂が落ち切った所で火を止めて、瓶を作業台に並べて漏斗を突っ込む。こちらも持ち込んだ持ち手の付いた網と注ぎ口のついた柄杓を両手に構えて、魔薬を瓶に詰めていった。

 最後に防水紙を適した大きさに切って紐で固く縛れば完成である。イアリア自身は魔法が使えなくなっている為に物の品質を調べる事は出来ないが、質が落ちていることは無いだろう。


「袋一杯に詰め込んで瓶50本分……ならまぁ別に袋を買い足すこともないかしら」


 ずらっと並んだ魔薬入りの瓶を眺めてイアリアは考える。かかった時間は殆どが瓶詰め作業である事もあって、これ以上に作ろうと思う気力は無くなっていた。ちなみに癒草は午前中に採って来たばかりの新鮮な物だ。

 とりあえず鍋や持ち手付きの網を洗って回収する物は回収し、使った小部屋を元の状態に戻す。そして1階に降りて、冒険者ギルドの職員を1人捕まえて、魔薬の納品をお願いした。

 まだ日は空に残っているので忙しさのピークはまだの筈だが、それでも何だかバタバタとしている中で手続きは完了。まとまった現金が入ってイアリアもにっこりだ。


「とりあえずは調理器具と、今日のご飯を買って帰って……ベッドの買い替えについて聞いて、それ以外は明日以降ね」


 ただで手に入れた材料が銀貨1枚と大銅貨5枚になったのだから、それはそうなのかも知れないが。もちろん、新人冒険者の稼ぎとしては群を抜いて破格である。

 とはいえあくまで新人冒険者の稼ぎとしては、であって、一般的な収入からすれば同程度か低いぐらいだ。大きな家具を購入するには全く足りない。大銅貨は銅貨にくずして貰って受け取り、そこそこ大きな現金が入った袋をポーチに押し込んだ。

 そこへ、慌ただしい足音が使づいてくる。気のせいか叫びと悲鳴を伴うその騒音は近づいてきて、然程なく、バン! と乱暴に冒険者ギルドの扉が開かれた。


「魔薬は!? 魔薬はあるか!? あるだけ売ってくれ!!」


 まず飛び込んできたのは、恐らく魔物の皮で出来た鎧で全身を包んだ冒険者だった。その後ろから、ぐったりとした大男を担いで似たような格好の男達が続く。冒険者ギルドのロビーはそれなりの広さがあるが、その端にいるイアリアの所まで色濃い血の匂いが届いた。

 どうやら、誰かが相当な重傷を負って撤退してきたようだ。魔薬を求めているという事は、普通の手当ではどうしようもないのだろう。とはいえ……と、イアリアは考える。


「(あの納品に対する姿勢からして、たぶん使われるのは私の魔薬よね。それでこの傷は……50本全部使っても、ちょっと塞がるかどうか自信が無いわ)」


 イアリアが作って納品したのは、魔薬としては基礎の基礎と言えるものだ。もちろん普通の傷薬や癒草をそのまま使うより効果は高いが、生と死の狭間で、今まさに死神に連れていかれようとしている相手を引き戻せるだけの効果は無い。

 もちろん数を使えば助かるかも知れないが、それでも分は悪いだろう。……最悪、魔薬を使っても助からなかったと、魔薬師である自分の評価につながりかねない。

 冒険者ギルドの職員たちが、案の定先程納品したばかりの魔薬を取り出しているのを見つつ、イアリアはその1人を捕まえた。


「ねぇちょっと。ホットミルクをちょうだい」

「は、はい?」

「薬を作るから、コップ一杯のホットミルクをちょうだい。早く」

「えっ。はっ、はい! すぐに!」


 雨の日用の分厚いマントにすっぽりと全身を隠した怪しい姿が、魔薬を納品したばかりの魔薬師だという情報は共有されていたらしい。薬を作る、と言ったとたんに動きの良くなった職員は、本当にすぐ木のコップに入った湯気の立つミルクを持ってきてくれた。

 それを受け取って近くのテーブルに置き、イアリアは先程魔薬を作った時、濾して残った癒草の塊を入れておいた革袋を取り出した。それを、コップの上で逆さにして口を開く。

 ぼちゃん、と黒に見える程色の濃い緑色の塊が白い液体に投入された。イアリアはそのまま付いていた匙を使ってミルクをかき混ぜ、中にある塊を潰して崩すようにして溶かしこんでいく。


「……[齎すは癒し。光と熱を以て、消えかけた命の灯を灯し直せ]」


 その合間に呟き、白と赤の混ざった大銅貨程もある魔石を作って、ドロリと濁ったような緑色に変わったコップの中身に投入。魔石の固い感触が無くなった所で匙を引き抜き、そこについた液体を舐める。

 ……苦味に乳臭さが加わって、食べ物の味としてはほとんど最低だ。だがそれは素材が上手く混ざったという事を示している。薬としては問題ない。

 恐らく魔薬を使っても傷が塞がるには至っていないのだろう。悲壮な声で空気が重くなっている集団の方へ、コップを持ってイアリアは近づいて行った。


「そこをどいて」

「はぁ!? てめぇ一体何も――」

「その魔薬を納品した魔薬師よ」


 案の定気の立った冒険者に絡まれたが、端的にイアリアが返答すると目をむいていた。周囲の冒険者も同じくその視線が冒険者ギルドの職員に向けられると、高速の頷きが返ってくる。

 もう一度、どきなさい、とイアリアが声をかけると、人垣が2つに割れた。その中を通り、イアリアは濃い血の匂いの源に辿り着く。

 床に寝かされている大男は、一言でいうなら死に体だった。此処に運ばれてから出来たらしい自分の血の海に沈んでいる傷口は、非常に太い杭のようなもので貫かれたような深いものだ。そんな傷が、ほとんど腹の真ん中に口を開けている。

 その状態に僅かに眉をしかめ、そんな状態でもどうやらまだ意識があるらしい大男に驚き、それを全部フードの下に隠したイアリアは、ずい、とその目の前に木のコップを押し出した。


「飲みなさい。味は死にたくなるだろうけど、飲み切れば死なずに済むわ」


 そして返答を聞かずに、中身を口に流し込んだ。一口目が口に入った瞬間に暴れかけた大男だったが、それは周囲の冒険者達が押さえ込む。

 痛みも死にそうなことも忘れたように顔をぐしゃりとしかめた大男だが、それでも口を閉じることは無かった。その口に、イアリアは窒息しない程度に急いでコップの中身を流し込んでいく。


「……まじかよ」


 呻くように呆然と呟いたのは、周囲の冒険者の1人だろう。イアリアがコップの中身を全て飲ませて身を引くと、大男の腹に大きく開いた傷口は塞がりこそしていないものの、湧き水のように流れていた血が止まっていた。

 癒草の変異による回復力の上昇は、その葉肉にこそ本来の効果がある。通常の魔薬50本分に相当する癒草の葉肉をコップ一杯に突っ込んだのだから、出来上がったのは魔石による効果上昇を含めると、腕を斬り落とされた程の傷でも塞がるような非常に効果の高い魔薬だ。求めたのが水では無かったのは、栄養価が高い事、及び水ではそんなに大量の癒草を溶かしきれないからである。

 もちろん傷跡は残るだろう。それを消すにはさらに効果の高い魔薬が必要だ。だが、今この場で、命を繋ぐという目的であれば、十分な効果がある。


「後は体力勝負よ。清潔にしてしっかり休むことね」


 少なくとも、瀕死の状態は脱した。そう判断したイアリアは、唖然とした空気で動きを止めた冒険者の集団にくるりと背を向け、同じく呆然としている職員に空のコップを押し付け、さっさとその場を離れたのだった。

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