第16話 最初の一歩

「ネルさん、いかがですか?」

 僕はリンさんがむいてくれた果物をほおばった。

「おいしいです」

「これも食べますか?」

 とリンさんは続けて別の果物も出してくれようとするので、だいじょうぶだと止めた。


 ここは魔法学校の応接室だった。

 治療室は他のけが人でいっぱいになってしまっていたので、僕は応接間の端に運び込まれた寝台で横になっていた。

 本当は、筋肉さんのおかげで、あっという間にケガは完全に治ってしまった。けれども、手で体をほぐしただけでドラゴンの呪いまで完全に治ってしまうなんて誰も信じてくれず、僕はたくさんの人たちにすすめられ、この部屋に押し込められた。


「では、他に用がありますのでな!」

 と筋肉さん本人が詳しい説明せずに帰ってしまったことも大きいだろう。


「ネルさん、痛みはないですか?」

「だいじょうぶですよ」

「頭痛とか、めまいとか」

「だいじょうぶですって」

「でも」

「リンさんはだいじょうぶなんですか?」

「私のはそんなに、ちょっとした反動で。鼻の奥の血管が切れただけですから、すぐ治りました」

 自分のことには、このいい加減さだ。


「でも、亡くなった人がいなくてよかったですね」

「アカマさんも無事だったみたいで」

 ドラゴンが暴れた時間は短かったけれども、それでも重軽傷者が出ていた。アカマさんが一番ひどく、治療期間もかかるそうだが、後遺症は残らないらしい。


「あの、ネルさん。私」

 リンさんは僕を見た。

「はい?」

「……ネルさん、私、魔法を続けることにしたんです」

「え? 本当に?」

「本当は、魔法をもっと勉強したかったんです。でも、だめで。余計なことばっかり考えちゃって」

 ネルさんは笑って言った。


「でも本当にだめだったのは、そんなことを言い訳にして、自分がどうしたいのか、知ろうとしなかったことなんだって、気づいたんです。本当に、心底考えてみて、それで魔法をやめるんだったらいいのに、なんだか考えたくなくて、迷ってばっかりで。どうしてでしょうね」

「なんとなくわかります」

「ネルさんは、迷わず進んでる人だと思うんですけど」

「いえ、僕は……」


 そう見えるんだろうか。

 だとしたら、自分を他人に丸投げしているだけだ。

 迷っていないのと、頭を使っていないのは全然ちがう。

 それではいけない。


「それで、これからも魔法を続けたい、ってソートさんに言ってみたんです」

「婚約者の?」

「はい。私は魔法をやめる約束だったから、婚約もなくなるかもしれない。そう思ったんですけど、言いたいって思ったんです。それが私の道だって。そしたら」

 リンさんは僕を見た。


「そしたら?」

「当然だって。むしろ、あの才能があって、いままでなにしてたんだ、って怒られちゃいました」

 リンさんは笑った。

「よかったですね」

「はい! 私も、これからもっと……」

 リンさんはそう言って、泣き笑いのようになっていった。


 きっと、引け目があったんだろう。

 魔法学校の一番上の能力を持つかもしれない兄と、魔法学校で大した結果を残せないと思っていた自分が、ずっと釣り合わない存在になってしまうのでは、という。

 兄と比較され続けてきた僕にはそう感じられた。

 あのときのリンさんは、メジクを守りたいという気持ちだけではなかったのかもしれない。

 自分がどこまでいけるのか。

 先を見たんだ。


「あ、ごめんなさい。ちょっと顔洗ってきますね。すぐもどってきますから」

 リンさんは目元をぬぐって、応接室を出ていった。


 扉の向こうの足音が遠ざかっていく。

 もどってきたら、リンさんは僕につきっきりになるんだろうか。

 もしかしたら、うまく僕の様子を見る役としてここにいるのかもしれない。


 目を閉じ、耳をすませる。

 遠くですこし、にぎやかな話をする音が聞こえていた。リンさんではない。

 リンさんの足音はどんどん離れていく。

 僕は寝台を出た。

 何度か、音を立てないようその場で跳んでみた。痛みはない。不調も感じられない。


 窓を開けた。三階だ。

 校舎から他の区画までは、建物のない、見晴らしのいい場所が続いている。このまま飛び降りると、誰かに見られるかもしれない。

 僕は窓から身を乗り出し、上に向かって跳んだ。


 そっと屋上に着地する。


 屋上は、トカゲを始末する石を確保するため、そこらじゅうを砕いたためだろう、いろいろな場所がえぐれていた。

 そして中央あたりに誰かがいて、声が出そうになった。

 父だった。

 こっちを見ている。


「どうされました?」

 父は言った。

「外の風にあたろうかと思って……」

「階段から来たようには見えませんでしたが」

「体の調子を見たくて……」

 いちいち自分の言葉に無理があると思いながらしゃべるのは嫌なものだ。


「体調は、いかがですか」

「それなりに。校長先生はなぜ?」

「もう、行かれるのですか?」

「は?」

「こうしている間も、まわりの様子を気にしておられるようだ。あなたの身体能力なら、ここから跳んで、他の区画まで行き、そのまま町の外に出る。そういうこともできそうですね」

 父は西側を見ながら言った。


 とぼけても仕方ないようだ。

「まあ、実はそうです」

「なぜでしょうか」

 父は短く言って、僕を見る。


「僕は……。まだ、途中なんです」

「途中?」

「ドラゴンを倒してくれた、と歓迎してくれていることはうれしく思います。ですが、たまたまなんです。倒せたことも、命が救われたことも。ですが、僕の力ではありません」


 父は首をかしげた.

「マッキン氏に命を救われた、というお話をされているのですか? それはまた別の話でしょう。彼がいつ到着するかはわからないし、勇敢なメジクの民の抵抗は、裏目に出て、大変な損害を生んでいたはず。あなたのやったことに対して、我々は最大限のもてなしをするべきだと考えていますがね」

「そういうことではないんです。僕は、ここで、なんというか。認められたような気持ちになってしまいたくないのです。ここで、結果を出したつもりになってしまったら、この先……。一歩も、進めなくなってしまうかもしれない。そんなふうに思っていて……」


 なんて言えばわかってもらえるだろうか、と思いながら話していた。

 本当にたまたまだった。

 アカマさんの剣があってはじめてまともに攻撃ができたし、リンさんがいなければどこかで死んでいただろう。兄がいなければ時間をかせぐことも、決着に向かうこともできなかっただろう。


 筋肉さんなら、すべてをひとりで突破しただろう。

 僕は、あまりにみんなを頼りすぎている。

 それなのに、僕のおかげ、なんて思ってしまったら。

 とても、みにくい人間になってしまいそうだ。


「ですから……」

「わかりました」 

 父はうなずいてくれた。


「我々は町を救っていただきました。ですから、あなたの望む形にするのが、我々の感謝の気持ちのひとつです。残念ですが、ここでお見送りしましょう」

「すみません」

「出発されるなら、北西側から出ていくと、誰にも知られずに出られるでしょう」

「ありがとうございます」

 僕は北西側を見た。

 屋上を見る。助走の足取り、歩数、そういったものを計算する。


「ライオネル」


 父の声に、急に目が覚めたかのように意識が開いた。

 僕の体は、どんな言葉が続くのか、そう気をつけなくても勝手に耳をすませていた。

 

「という名前の人に会ったら、伝えてほしいことがあります」

 父は続けた。

「え?」

「ライオネル・グランデール。彼は私の息子です。残念ながら、魔法の素質がなく、学校を退学させました。ですが私のいたらない点が多くあり、まるでこの町から追い出すような形になってしまったのです」

「……」

「ですが、それは本意ではありませんでした。彼を、ここから追い出すようなことは考えていません。いつでも帰ってきてほしいと思っています。彼の能力がどうであれ、私は受け入れるつもりであること。それを伝えられなかったことを悔やんでいると、言いたいのです」


 父は真剣な顔をしていて、表面的なことを言っているようには見えなかった。

 いや父はそんな取りつくろうようなことは言わない。そもそも、父が僕を追い出すようなつもりはなかったことなんて知っていた。退学。それを受け止めきれなかった僕の暴走だ。

 でも。


「……もし、僕が、ライオネルという人に会えたら、でいいんですね」

「はい」

「わかりました。それでは」

「あと」

「はい?」

「これを」

 父が差し出したのは、指輪だった。


「指輪には魔法が込められています。私の持っている指輪と、音がつながり、話ができるものです」

「……ライオネルさんに会えるかわからないのに、こんな高価なものを預かるわけにはいきません」

「いいえ。お持ちください」

 父は僕をしっかりと見て言った。

 そして僕の手に指輪を置いた。

 太くなった指には入りそうもなかったが、僕らはそれについてなにも言わなかった。


「息子のことを、よろしくおねがいします」

「……機会があれば」

 僕は助走をつけて、屋上から跳んだ。

 森を走りながら、父は、ライオネルという人間の特徴についてなにも言っていなかったな、と気づいた。



「おや、お帰りですかな、ネルどの!」

「それは僕の言葉ですよ」

 僕が柱と屋根だけの家にもどってから二日後。

 やっと筋肉さんが姿を見せた。


「二日も、王都でなにをしてたんですか」

「王都の忙しい人たちに、いろいろな話をしてきましたぞ! いやあしかし、ドラゴンに会えるなんて、生きているとは楽しいものですなあ!」

「楽しくはないんじゃないかと……」

「いやいや。ドラゴンですからなあ。あんなものを見られるなんて、はっはっは! ネルどのが倒してしまう前に、拙者も手合わせ願いたかったですな!」

「筋肉さんは勇者だったんですか?」

 僕が言うと、筋肉さんは笑顔で首を振った。


「まさか!」

「でも、世界の敵と戦う人なんですよね」

「はっはっは」

「教えてくださいよ」

「まあ、きわどい話は、守秘義務ですな!」

「ええー?」

「でも勇者ではありませんぞ! はっはっは!」

 筋肉さんが笑っているのを見ていたら、僕もなんだか笑ってしまった。


「それでネルどのは、あいさつにきたのですかな?」

「はい?」

「もう、ここを出て行かれるのですな?」

「そんなことはありません」

「そうでしたか。とんだかんちがいをしてしまいましたな。はっはっは。失礼失礼」

「どうしてそんな」

「いえいえ、勝手な思い込みをしてしまっただけですぞ。もう、ネルどのは、ここで学ぶべきことを学び終えたのかと思いましてな」

 筋肉さんは僕を見た。

 全然ちがうのに、父の顔を思い出した。


「……あの、筋肉さんって、王都でなにをしてるんですか?」

「守秘義務ですぞ」

「具体的に、どんなことか知りたくて。僕も手伝えませんか?」

「ネルどのが、ですかな?」

「はい。ドラゴンを倒す手伝いはできましたし、なにか、最低限のことはできると思うので」

「それは喜ばれるでしょうがなあ。よろしいのですかな?」

「なにがですか?」

「他に、行きたいところ、やりたいことは、ありませんかな?」

 筋肉さんは全て知っているのだろうか。


「ありません」

「そうですかな?」

「はい。僕はいまやっと、なにかを始めたばかりだという気がしています。これからやっと、なにかをできるような、そんな気分です。だからまだ僕はここにいて、筋肉さんにいろいろなことを教わりたいです。……いいですか?」

「もちろんですぞ!」

「はい!」

「では、今日はきびしいですぞ!」

「はい!」

「拙者と王都まで競争ですぞ! 負けたほうは、帰り道は逆立ちですぞ! それでは、はじめ!」

 そう言って筋肉さんは走り出した。


「ちょっと、待ってください! 僕、王都がどこにあるか知りませんよ!」

「はっはっは! はっはっは!」

「ちょっと!」

 行き先がわからないから勝てない、という話をしてるんじゃない。

 迷子になる。

 筋肉さんが速すぎて見えなくなったら、僕ひとりで王都に行かなければならない。到着するまで何日かかるかわからないし、僕ひとりでお城なんかには入れないだろう。

 と言いたい。


 そういうことを順序立てて言わせてくれる距離じゃなくなってきた。

「この……!」


 離れそうになる筋肉さんの姿を目で追う。

 体勢から次の一歩を見極める。

 走る。

 跳ぶ。

 心機一転、最初の一歩、なんてのんびりしたことは言わせてくれないようだ。


 まず一歩分距離を詰める。

 それからだ!

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筋肉魔法教室 森野 @morinomorino

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