第15話 僕の魔法

 僕が知っているかぎり、兄はずっと魔法を使えていた。

 それこそ、魔法学校に入って本格的に勉強を始める前からだ。僕がまだ、自分の意識がはっきりしていないような小さなころに、離れた場所から僕のまわりにあるものを小突いて僕の前に落とし、泣き叫ぶのを笑っていたらしい。それはすぐ父に発見された。すぐやめさせられ、家族会議が始まったという。


 魔法学校に入ってからも、兄のあふれる才能は誰の目にも明らかだった。他人が一歩進む間に十歩進むようなもので、時間が余ってしまったので自分に近づいてくる女の子たちの相手をできる。家柄、見た目、能力。いろいろなものがある兄にひかれる女の子は多くいた。

 僕が本と向き合っている間、兄はいろいろなものと向き合っていた。その分、魔法にはあまり向き合っていないように見え、僕は人生の不公平感というのものを何度も感じさせられた。


 だけど、それは事実だろうか。



 ドラゴンは身をひるがえして逃げていった生徒を追おうとするが、それを阻むように空中にきらめく光の球が現れる。そこから放たれた無数の光の槍に押され、ドラゴンは地面に押しつけられる。

 兄は舌打ちした。

「おいおい、本当にドラゴンなのかよ」

 光の槍はドラゴンのうろこを貫くことはできていなかった。あくまで妨害にしかなっていない。

 講堂の床を割って出てきたときよりも、強化されているように思える。


 僕は剣を握り直す。

 しっぽを切れたじゃないか。

 やるのは僕だ。


「そのままドラゴンを地面に近づけてください」

「まかせろ」


 僕は走っていく。

 ドラゴンの真上に光の槍の束が現れ、ドラゴンを地面に押しつける。

 近づく僕をちらりと見て、ドラゴンは大きく羽ばたいた。

「う」

 飛ぶ気じゃない。

 猛烈な風が吹きつける。

 吹き飛ばされないよう地面に手をついてこらえる。

 そのとき吹きつける風の方向が変わった。

「リン、やめろ!」

 兄の声。

 リンさんがまた……!

 死んでしまう……!

 早く仕留めなければ。


 正面から迫っていく。

 姿勢を低くしたドラゴンは口を大きく開けた。

 直前で横に進路を転じる。

 側面から近づく。

 ドラゴンは僕の動きをわかっていたみたいに前足を横に振る。

 僕はさらに斜めに奥へ跳び、ドラゴンの背後にまわった。


 まだしっぽが生えていたところからは血が流れている。

 ここなら切れる。

 それに背後からの攻撃にはしっぽで対応すると、慣れてしまっているはず。

 対策が瞬時に浮かんでいないはず!

 しっぽの傷口に剣を!


 急に視界が真っ暗になり体がなにかに覆われた。


 なにが起きたのかまったくわからない。

 体をよじるがなにかに覆われたままだ。

 充分に動かない。

 それでも強引に、なにかから抜け出そうとすると頭上にかすかな光が差した。

 これは。

 そうか。

 僕はいま、ドラゴンの翼に挟まれている。

 翼を下側におろしながら、接近する僕を挟んで捕らえたんだ。


「くっ」

 金属のように硬いものなら、力を込めれば押しのけられる、それくらいの筋肉はあるという自負がある。

 しかし、ある伸縮性がある。押しても、もがいても、力が受けながされてしまって力の入れどころがわからない。

 まずい。

 今度はドラゴンに時間を稼がれる。兄の魔力までなくなってしまったら。

 早く、ここを出ないと。

 剣で切り裂きたいのに、手の動かし方がわからない。


「くそ! この! ……え?」

 

 急に周囲が開けた。

 僕は地面に転がり、横に、一緒に倒れ込んだのはアカマさんだ。アカマさんの右手には光り輝く剣があったがすぐ消えた。魔力だけで擬似的につくった剣か。

「うう……」

 アカマさんは苦しそうに息をはいていた。

「アカマさん!」

 無茶だ。ドラゴンの体に傷をつけられるまでに練った魔力を使える体じゃない。

 そもそもどうやってここまで。

 アカマさんの体を見ると、背中、足の裏などに焦げたようなあとがあった。まさか、爆発系の魔法で無理やり吹き飛ばされてきた? なんてことを。


 アカマさんの顔色が紫色になってきていた。

 僕はアカマさんを抱えて飛び退く。それから筋肉さんを真似てアカマさんの体をほぐしてみる。だめだ。僕の力では、ドラゴンの魔力に侵されつつある身体には……。

 いったんもどるか?


 ドラゴンに降る光の槍の数が減ってきた。

 兄も限界だ。

 リンさんも。なのに、傾く体を兄にもたれさせ、それでもドラゴンをじっと見ていた。一回でも多く幻覚魔法を使ってやろうと言わんばかりだった。

 兄も退く気はなさそうだ。


 どうして。

 僕の頭に浮かぶ疑問。

 彼らにはない疑問。

 逃げるべきときは逃げるべきだ、と僕は考えてしまう。それがまちがっているとは思えない。

 だけど彼らはそんなことを考えていないように見える。

 考え方がちがう。

 事態のとらえ方がちがう。

 彼らはドラゴンをどうにかしなければならない、ということがまずある。

 僕は?

 僕は、ドラゴンをどうにかしなければならないという以前に、可能か不可能か。それを考える。自分の安全のことを考えている?


 彼らは失敗を考えていない。

 僕は、それではいけないと思う。

 まちがっていると思う。

 だけど。

 まちがっている道に先があった。

 リンさんは幻覚魔法をドラゴンに使うことができた。

 アカマさんは僕を救出してくれた。

 ドラゴンに幻覚魔法なんて、できる能力があってもやらないだろう。

 動くべきではないような体で、魔法を剣にして斬りかかったりしないだろう。


 僕は理解した。

 僕は無能だ。


 心の底では、魔法なんて使えないと思っていたんだろう。

 とっくにあきらめているんだろう。

 そのことがよくわかった。

 努力をしている、他の人たちは楽をしている、そんなふうに思いながら、ずっと前にあきらめている。

 誰よりも僕自身がが、魔法を使えるようになるなんて思っていなかったんだ。

 結局のところ、自分の前に道があると信じていない。

 それで前に進んだところで行き詰まる。

 僕の道には先がない。


 筋肉さんに出会ったからといって、それが根本的に変わることはなかった。筋肉さんが教えてくれるとおりにやっているだけで、僕は、僕の考えた鍛錬の方法なんてない。先人の道をなぞっているだけなんだ。

 本当にあきらめていないなら、父に魔法学校を退学させられたところで、魔法学校の職員として働き、合間に魔法の勉強を独学ででもさせてもらえばよかったんじゃないのか? 父に、それならばいい、と言わせる方法を探すべきだったんじゃないのか?

 みんなが僕の努力を認めてくれているなんて思いながら、実際のところ、努力が認められない魔法名家の劣等生、という立ち位置が心地良かっただけなんじゃないのか!

 何者でもなくなってしまうのが嫌だっただけじゃないのか!

 死んでしまえば永遠になるなんて、ひどい妄想をしているだけじゃないのか!


 なにも。

 なにもできていない。

 なにも!

 なにもだ!

 ただ、誰かにくっついて、できそうなことをしているだけだ!

 僕は、誰も通っていない道なんて一度だって通っていないんだ!

 一度も!

 それでなにをなそうというのか!

 そんな態度で世界に唯一のドラゴンになにができるというのか!

 僕は……。

 僕は!


 光の槍が止まった。

 ドラゴンは空に目を向ける。


 僕はアカマさんを地面におろし、剣をにぎった。

「援護を!」

 もう望めないとわかっているが、兄に怒鳴り、ドラゴンへと走る。

 僕はこの道を走らなければならない。

 走らないなら生きる必要がない。

 乗り越えたつもりで全部横に逃げていた僕の人生の壁がここにある。


 信じられないことに、ドラゴンに接近したらまた無数の光の槍が降り注いできた。落下点も繊細に調整されていて、僕だけをさけるように降ってくる。

 ドラゴンは一度体を軽く振った。


 アカマさんの剣でもうろこは切れない。

 うろこを避ける。

 ドラゴンの背後はどうか。翼は、穴が空いただけだ。まだ活用してくるだろう。殴ることもできるかもしれない。

 側面からでは、体のうろこの量が多くて難しい。

 やはり正面。

 うろこが少ないのは腹。腹には分厚い筋肉もあるだろう。その上、胸、あるいは首。周囲はうろこにおおわれているが、あごの下から胸にかけて、まっすぐな、うろこのない部分がある。


 首だ。


 正面から迫っていって側面へ跳ぶ。

 剣を振り下ろす。うろこに弾かれた。やはり切れない。がそれでも気をそらすために連続で切りつけてから、振り下ろされた前足をさけつつ背後へ。

 翼を狙って剣を振りつつ、だが剣を振らずに翼だけを見る。翼を広げて下側に傾けながら近づけてきた。

 僕をつかまえるように動かしたときにすばやく正面にもどる。


 腹へと突進。

 前足を振り下ろしてくる。

 ここだ!

 急停止、それから小さく跳び前足に乗って駆け上がる。

 首は目の前。

 もう一方の前足で削られてもいい。

 これで終わりだ!


 首に向かって、剣を横に。


「え?」


 ドラゴンは首を大きくのけぞらせていた。

 剣は空を切る。


 全力で振った剣をもどすよりもドラゴンが首をもどるほうが速い。

 読まれていたのか?

 迫るドラゴンの顔。

 開いた口に並んでいる牙。

 その下側。

 うろこがない、のどがやたらに広く見えた。

 あそこに手が届けば……。

 届きさえすれば……!


「う」

 ドラゴンの牙が僕の腹をとらえた。

 深々と食い込む。

 体が裂けたみたいな痛み。


 僕をくわえたままドラゴンは頭を大きく振り、それから高々と僕をかかげた。

 勝利を表現しているのか。

 僕をくわえているので、雄叫びをあげるわけでもなく、静かだった。

 ただ、牙を通して、ドラゴンののどの奥から伝わってくる、うなり、のような振動が僕の体に響いていた。


 ついに兄の光の槍も止まった。


 やりたいことと、できることはちがう。

 父が言っていたじゃないか。

 やりたいことが先走ってしまったらこうなる。その見本みたいなものだ。

 力の限りにやっている人にあこがれて、できもしないことをした愚か者。

 それが僕だ。


 僕の口から血がこぼれる。

 できることなんてなかった。

 だから、安全に安全に、誰かの通った道を通ってきたのは、正解だったんだ。

 僕はできない側の人間。

 父や兄やリンさんやアカマさんとは全然ちがう。

 思い知った。

 思い知ったよ。

 できる人をあこがれて、無理をするとこうなる。

 これから気をつけたいけれども、もうその機会はないだろう。

 残念だ。


 ただ。

 まだ終わっていない。


 ドラゴンの顔の前の空間。

 僕の間合いだ。


 ドラゴンの、のどに剣を突き刺した。


 ドラゴンは頭を振り、閉じた口で叫んだ。強い振動が僕の体を震わせる。

 開いて僕を離し、距離を取れば終わりのはず。


 だが口は開かない。

 開けないのだ。

 僕は腹筋背筋、その他周辺の筋肉にすべてに力を込めていた。

 摩擦力の話を思い出していた。


 本を、向かい合うように置き重ねる。

 それぞれの頁をたがいちがいに、一枚ずつ、はさんでいく。

 すると二冊はしっかりとかみあい、ふくらんだ本のかたまりができあがる。

 これを、それぞれの本の背を持って、引き抜こうとすると、できないのだ。

 かんたんに見えるのだが、一枚一枚の摩擦力が相乗効果を生み、通常の何倍もの巨大な力になる。本をしっかりと閉じているのなら、常人には引き抜けないほどの摩擦力が生まれる。


 いまドラゴンの牙と僕の体。

 僕の筋肉はドラゴンのたくさんの牙をつかまえている。

 ドラゴンはうなっている。口は開かない。

 前足が、僕の頭や腕をひっかいてくる。

 僕は剣を持っている指や、腕の筋肉がやられないよう、そこだけ気をつけて何度も刺した。

 傷口を広げた。

 だんだん、ドラゴンの口の力がゆるんでくる。

 僕を振り落とそうという頭の振りも、小さくなってきた。

 あとすこし。

 おっと。

 返り血で滑って剣を落とすところだった。あぶないあぶない。

 しっかりと握り直す。

 ドラゴンもあとすこしで……。

 いやちがう。

 これは僕の血だ。

 体を伝って手まで流れていた。

 もうすこし。

 深く突き刺し、横に動かしたとき。

 僕の体が落ちた。

 全身が地面にたたきつけられたが、不思議と痛みはなかった。


 空。

 頭のないドラゴンが立っているのが見えた。

 僕の近くには、切り離されたドラゴンの頭が落ちている。

 赤い目が僕に向いていた。

 さっきの燃えるような瞳ではなく、きれいな宝石のように見えた。

 とたんに、申し訳ないような気持ちになった。

 ドラゴンも生きていただけだったのに。

 でも、僕もメジクを守りたかっただけだ。

 そういう意味では、同じなのかもしれない。

 それとも、ドラゴンにはもっと高い次元の目的があるんだろうか。

 なにか理由があって生まれてきたのだろうか。


 黒い、トカゲがたくさんやってきてドラゴンにむらがっていく。

 ドラゴンはトカゲにおおわれて、姿は見えなくなった。

 すこし動いていた手足が止まる。

 さようなら。


 誰かが来た。

 リンさん。

 それから兄や、アカマさん。

 ライ先生もいる。

 僕を見てなにか言っていた。

 音が聞こえない。

 治療魔法を使ってくれているようだった。

 しかし効果はない。

 ドラゴンに直接牙でかまれ、多くの血を浴びた。多くの呪いや魔法よりも力があるだろう。

 さすがに、魔力を持っていないという体質だけでは対抗できないか。

 治療魔法が通じなくなっても、当然に思えた。


 人生はいつか終わる。

 僕は十年前、筋肉さんの前で人生を捨てようとした。

 でも、いまはメジクのために使うことができた。

 そこを考えれば、成長できたのかもしれない。


 終わる。

 そう思うと、長く生きてみたかったとは思う。

 でもいつか死ぬなら。

 それが適切なときであってほしいと強く思う。

 いま。

 それは悪いときじゃない。

 メジクは守られた。

 よかった。


 そのとき、感覚が鈍くなった僕でもわかるくらいの大きな衝撃が、地面を伝わってきた。

 なにか落ちてきた。

 巨大生物?

 まさか、第二のドラゴンが……?

 まずい。

 誰か、早く避難を……。

 すると僕の近くにやってきたのは。


「遅くなりました、ネルどの!」


 なぜかその声だけはよく聞こえた。

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