第14話 光

 僕らとドラゴンの間にはなにもなかった。

 一瞬、床に光が走り、ドラゴンの周囲に光の檻が形成されかけたが、すぐ消えた。

 父の魔力は限界だ。

 やるしかない。

 僕は剣を両手で持ち、ドラゴンを見る。

「え?」


 ドラゴンは僕らなど見ていなかった。

 翼を広げ、上を向いていた。


「おい」

 とつぶやく僕を無視して大きく翼を動かす。

 風が講堂に吹き、飛ばされそうになる。

 ドラゴンの体が浮き上がった。

 翼の大きさは、風は起きたがドラゴンの体を支えられるほどではないように思える。物理的に、というよりは魔力で浮かんでいるのかもしれない。


「待て……!」

 父の声はドラゴンには届かない。

 浮かび上がったドラゴンは、講堂を頭で破ろうと突っ込んでいく。

 もうだめだ。

 メジクの避難民、あるいは近くの村や町を襲っていく。

 ドラゴンは成長していき、数えきれないほどの被害につながってしまう。

 世界を救う人たちというのは本当に来てくれるものなのか。いまごろ王都ではザズさんの話を聞いても了解がもらえなくて、ずっと、時間ばかりかかってしまっているのではないだろうか。

 僕らはここで生き残ったとしても、意味のないことなのかもしれない。

 

 講堂の天井は花が開くように派手に壊され、ドラゴンは大空へ……。

「え?」

 空が、ない。


 天井が破れて見えるはずの青空がなかった。

 代わりに、木とは思えない太さの幹、その先には空を覆うように広がる枝、無数の葉があった。

 ドラゴンが触れると木が一気に形を変える。食虫植物が小虫を取り込むように広がった枝全体が閉じてきた。木の先の方が、球のように閉じた巨大な葉のかたまりになる。


「校長!」

 声がした。

 壊れた講堂の外には、逃げた、と思われた魔法学校の生徒たちがずらりといた。

「女性や子どもなど、非戦闘員はすべて避難させました!」

「ドラゴンは逃しません!」

「メジクの魔法使いは負けません!」

 口々に言っていた。


「無茶なことを……」

 父の声は小さすぎて聞こえなかったかもしれない。

「校長!」

 汗をかいてひざをついている父を見つけた者がかけより、他の魔法使いたちも集まってきた。


「全員、逃げろ……」

「なにを言っているのですか」

「ドラゴンは捕まえましたよ!」

「ご安心を!」

「ドラゴンは魔力を吸う……、お前たちの魔力は、ドラゴンのエサになる……」

「魔力を……?」

「しかし、あの木は魔力で形成したものではなく、あくまで成長の養分として使っているだけで」

「そうです! それに、非常に力に強い品種です」

「それに燃えにくい! 仮に炎をはいたとしても、そうかんたんには着火しません!」

「あ……!」

「見ろ」


 木の幹の色。

 みるみるうちに生気を失い、茶色く、干からびていく。

 葉は黄色くしなびて、かさかさと落ちてきた。

 密集していた葉が消えていくと、中にいたドラゴンの姿が見えてくる。


 現れた体はいっそう大きく。

 頭には太い角が生えていた。

 爪は四本。

 潰れた目は復元されていた。

 空から、僕らを見下ろしていた。


 一度羽ばたいた。

 ひゅっとなにげない動きに見えた。

 本当に、空中でちょっと旋回するくらいの、なにげなさだった。

 それだけで、魔法学校のずっと上にいるように見ていたドラゴンが、すばやく地面近くまで移動していた。


「かかれー!」

 上級の生徒の号令か。

 魔法が乱舞する。

 炎。

 氷。

 雷。


 四方八方から、ドラゴンに命中する。

 いろいろな温度の魔法がぶつかりあい、水蒸気が、湯気が、煙のように上がって視界をふさいでいく。

 だが。


「やったか……?」


 魔法使いの声が聞こえた。状況をわかっていない。

 気持ちはわかるが、これでは……。


 煙のようなものがそれがゆっくり晴れていく。

 ざわ、と声がした。


 さっきまでより、さらにひとまわり大きくなったドラゴンが現れた。

 魔法は効かない。

 それ以上に。

 トカゲは無効化するだけ。

 だが、ドラゴンは魔力を吸う。


「退却だ。メジクを捨てろ! 隊列を組んで避難だ!」

 父の、疲れきった体のどこから出るのかというくらい大きな声だった。

 我に返った生徒たちが動きかけるが、すでに遅い。

 ドラゴンが吠えた。


「くっ……!」

 空から押さえつけられているような圧力だった。

 これは重力魔法なのか?

 それともただの鳴き声?

 こんな相手に、なにができる……。


 いや。

 やるしかない。

「来い!」

 僕は声を上げて自分を保つ。

 剣を構えた。


「え……?」

 だがドラゴンが向かっていったのは、初級の生徒たちの方だった。

 ドラゴンが来るのがわかって走り出す生徒たち。

 それよりずっと速いドラゴン。

 みるみる両者の距離が縮まっていく。


 滑空する。

 口を開ける。

 悲鳴が上がる。

 これでは。


 食べ放題に。


「待て!」

 僕はそちらへ走る。

 遠い。

 足を前に出しても出しても進んでいる感じがしない。

 ドラゴンが口を開けて突っ込んでいくのがゆっくりに見える。

 遅い。

 あんなに鍛えたのに。

 あんなに速くなったと思ったのに。

 ドラゴンの脅威になったつもりでいた。

 戦えるつもりでいた。

 もう僕しかいないつもりだった。

 檻の中。

 僕だけが、ドラゴンと張り合えると思ってしまった。

 だが外に出たらどうだ。

 振り向いてすらもらえない。

 ドラゴンの右目をつぶしたのはアカマさんの剣だ。

 僕じゃない。

 ドラゴンにとって僕は、いまのうちに倒すべき存在でもなんでもなかった。

 エサにするには面倒。

 それくらいの人間でしかない。

 食われてしまう。

 みんな、みんな。


 僕は走る。

 それは生徒が食べられる瞬間を特等席で目撃するというだけの意味しかない。

 でも止まれない。

 止まれない!


「待て! 止まれ! 待ってくれ!」

 逃げまどう生徒にゆっくりとドラゴンが降下する。

 口を開く。

 浮かんだまま首を前に出し、頭を下げ、かぶりつこうとして。


 ドラゴンは空中で口を閉じた。

 口を閉じた音が聞こえたのか、生徒が振り返って間近に迫るドラゴンに表情を変える。

 必死に走る。

 そしてドラゴンはまた、生徒の頭くらいの高さに首を持っていき、また空中で口を閉じた。


 なんだ?

 いつでも食べられるんだぞ、という様子を見せて、おびえさせている?

 そのわりには焦ったように、今度は連続で空中をかむ。

 無意味だ。

 なにがしたい?


 逃げる初級生徒と同じ速さになったドラゴンに、僕は追いついた。


 ドラゴンは僕に気づいていないのか、低空でしっぽがゆらゆらと空中で動いている。

 絶好の好機。

 走って追いつき、僕はしっぽの根本に剣を振り下ろした。

 が、かたいうろこに弾かれた。魔力を吸われたせいか剣の力が落ちている、あるいはドラゴンが強化されたせいか。

 ドラゴンが振り返ろうとする、その瞬間に僕は即座に切り替え、下側、完全にはうろこで覆われていない側から切り上げた。

 重い手応えを押し込むと、しっぽが切れ、落ちた。

 血が吹き出す。

 やった。


 ドラゴンと目が合った。

 赤い目が僕を見ていた。

 そして叫んだ。

 いままでとはまるで違う叫び声。

 直接、耳の中をかきむしられたような距離感で鳴り響く音は、およそ生き物の声とは思えないものだった。

 とたんに僕の全身が硬直する。

 意志と関係なく、動かせない。


 真っ赤な瞳がこぼれ落ちそうなほど見開かれており、大きく開いた口には鋭い牙がずらりと見えた。

 接近してくる。

 食われる。


 頭の中で僕は何度も飛び退いていた。

 だが現実では、指がわずかに動くだけ。

 これがドラゴン。

 死ぬ。

 せまってくるドラゴンの牙を見てそんなふうに思っていた。

 しかし。


 その口は、なぜか僕の手前で勢いよく閉じた。


「早く逃げて!」

 と誰かの声。


 体が動く。

 硬直が解けた。

 僕は、しかし前に出てドラゴンの顔へ剣を振り下ろす。

 音をたてて剣はうろこに弾かれた。

 金属を打ったような、強い抵抗。

 さっきしっぽのうろこを打ったときと同じだ。

 だめだ。

 僕は横に飛びドラゴンの正面から外れた。

 すぐドラゴンも僕を追って体を反転させる。

 いや、反転させようとした。

 だが、よたよたと、途中で体勢をくずした。もたついている。

 なんだ?

 ……しっぽか!

 動物にとって体勢をつくるのに重要なしっぽ。

 切断の影響が出た。

 やれる。

 と前に出ようとしたが、ドラゴンが口を開きかけた。

 僕はなんとか後ろに大きく跳んだ。

 予想通り、ドラゴンはまたあの叫び声をあげていた。全身に叫び声の振動を受けたが、距離があったせいか、体の硬直は一瞬だけだった。


 周囲を見る。

 生徒たちはすこし離れた。

 ん?

 逃げ遅れが。

 誰か倒れている。女性。

 いやあれは。

「リンさん!」


 リンさんが地面に手をついて、はあはあと息を切らせていた。

 僕はそちらへ走る。

 ドラゴンが背後から迫ってくるのを感じるが、放ってはおけない。


 リンさんを拾い上げてそのまま走る。

「リンさん!」

「ネルさん……」

 リンさんは鼻血を出していた。

 攻撃を受けたのか。だが外傷らしい外傷はない。

 ちらりと振り返ると、やはりドラゴンが迫ってきている。

 できるだけジグザグに走って、至近距離で叫び声を受けないように。


「どうしたんですか!」

 リンさんを見る余裕はない。

「無事、ですか……」

「僕は無事です。リンさんはどうしたんですか!」

「魔法を……、ドラゴンに……。体が、限界で……」

「え?」

 魔法をドラゴンに?


 ……あ。

 意味がわかって背筋がぞくりとした。

 そんなことができるのか?

 でも、リンさんの魔法といったらそれしかない。

「まさか、ドラゴンに幻覚魔法を使ったんですか」


 だったら、さっきの、ドラゴンが生徒を襲えなかった変な動きも理解できる。

 空中にかみついていた動作だ。

 あれは幻覚の生徒を襲っていたんだ。

 さっきの僕への攻撃もそうだ。ドラゴンは幻覚を襲った。だから無事だった。

 だけど。


「ドラゴンにそんな魔法が効くわけがない」

 魔力のかたまりのような生物だ。おそらく、魔法が魔法としての形を保てず、もっと原始的な形、魔力にまで、ほどけてしまう。それを吸う。

 父の魔法ならまだわかる。あれは反魔法に近い。

 でもリンさんの魔法は正攻法の幻覚魔法だ。

 ドラゴンに効果を発揮するほどの力を出すとなれば、そんなもの、体が耐えられるはずが……。


 ドラゴンが近づいてきた。

 くっ。

「えい!」

 リンさんが手をドラゴンに向け、声を上げた。

 ドラゴンは急に真横を向いて前足を振るう。

 本当に、幻覚魔法を。

 尋常じゃない才能だ。

 リンさんは常人をはるかにこえる魔法の才能を持っていたのか。

 もしかしたらたったいま、それが開花したのかもしれない。


 そのとき、リンさんの鼻から血がどっと出た。

 あわてて手で押さえるリンさん。

 だめだ。

 体がついていけていない。

 才能を開花したというより、強引に開花させた。

 反動が大きすぎる。

 高度な魔法を使うにあたっての段階を何段階も飛ばしすぎている。

「リンさん、もういい!」

 左手でおさえている鼻から、また出血が。

 自分の限界を制御できていない。

「自分の魔法で死ぬぞ!」


 リンさんの目は充血し、呼吸が荒い。

 それでも右手をドラゴンに向ける。

 ドラゴンは変な動きをした。


「やめろ! 僕がなんとかする!」

「私が……、避難の……時間を……、つくる……」

 自分ことじゃない。

 まだ逃げ切れていない、初級生徒のことを言っている。

「それ」

 ドラゴンが地面に頭から突っ込んだ。


「もういい! もういい、あとは僕が戦う! リンさんは逃げてくれ!」

 僕はリンさんを抱きしめるようにして、右手を揚げられないようにする。

 リンさんは力なく首を振った。

「私はもう、走ることも、できそうにない……。ここに置いてください……、ネルさんを、援護します……」

「リンさん!」

「しっぽ、切ったの、すごい……」

「リンさん!」

「私の魔法に、まだ、できることがあったなんて……、うれしかった。私、メジクが、好きです……。だから」

 もはやリンさんは魔法を使うきっかけに、右手を上げる動作もいらなくなっていた。

 かけ声もいらない。視線と、意思だけで魔法を発動できている。それはドラゴンの不審な動きでわかる。

 リンさんの右目から、なみだのように血が一筋、流れた。


「ネルさん、私を使って。それで、その剣で、ドラゴンを倒して。メジクのために」

 どこにそんな力があったのか、リンさんは僕を押しのけるようにして僕の腕から抜け出し、地面に立った。

 鼻血を左手でぬぐい、ドラゴンを見据える。

 だがいまにも倒れてしまいそうだ。

 なのに。

 くそ、くそ、くそ!

 ドラゴンを倒す方法がわからない!

 僕は!


「もう無理だろう。リン、寝てろ」

 声がした。


 そしてドラゴンに対して大量の光の槍が降り注ぐ。

 ドラゴンが光の槍に押しつぶされるように地面に、はいつくばった。

 攻撃魔法はドラゴンに通じない。

 光魔法以外は。

 父の、そして……。


「あんた、あれとやるのか? なら援護してやる」

 兄は言った。

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