第12話 抵抗

 ドラゴンが、檻から出した首をゆっくりこちらに向ける。

 口を開けた。

 まさか炎。

 まずい、と思ったが、ドラゴンはそのまま口を閉じ、素早く頭を引いた。

 その一瞬前にドラゴンの後頭部へ迫った影。

 アカマさん!

 振り下ろした剣はドラゴンをかすめた。

 わずかに交錯する。


 空中で交錯したあたり、下になにか落ちた。

 鱗?

 よく見れば、ドラゴンの口元の鱗が数枚はがれていて、その下の肌から血がにじんでいた。

 ドラゴンに傷を……?

 魔力をまとったアカマさんの剣は、ゆらゆらと黒い光を放っていた。

 さっきはわからなかったが、ただの剣ではない。

 まさかやれるのか?

 ドラゴンを?


 が、すぐにアカマさんが、がくん、と体勢をくずし、苦しそうに息をはいた。

 それを見てドラゴンがまた首を出そうとするが父は動いていた。

 光の格子が再構成。

 檻は、最初よりもずっと細かく、格子に縦横の棒が入り、光の檻ができあがる。


「くっ、はあ……!」

 魔法の反動か、苦しげな父はひざをついた。


「校長!」

「いい」

 近寄ろうとした魔法使いに父が手を上げて制する。

 

「……アカマ、体調はどうだ」

「五割、といったところでしょうか」

「二割ですよ。呪いが解けてないんだから」

 ライ先生があきれたように補足する。

 父はゆっくりと深呼吸をし、立ち上がった。

「今後の方針を伝える」


「アカマ、ならびに残りの者は住民の撤退、避難を手伝え」

「まだやれます」

 アカマさんは言う。

「私はやれないと判断した。行け」

「……では校長も」

「私はドラゴンを抑え込む」

「先ほど、それはできないとおっしゃっていたではないですか! 現にいまも!」

「このドラゴンはまだ未成熟だ。しばらくなら問題ない」

「これで未成熟ですか?」

 アカマさんはドラゴンを見上げる。

 父も僕と同じ印象を持っているようだ。


「小型と未成熟とは別かと」

 アカマさんは言う。

「ドラゴン、あるいはそれに近い存在であることに、もはや疑いはないだろう。だが、特別な魔法を使ってくることもなく、炎などをはくわけでもない。攻撃も単調。さらに、檻を部分的に破壊することしかできていない。そういった点からの想像だ」

「判断材料がすくなすぎます!」

「我々にはすべての可能性を検証する時間はない。観察し、確率の高そうなものを、即時選ぶしかない」

「ならばこのアカマ、校長を手伝います」

「現状、アカマがここにいるより、避難を手伝うことに価値があると私は判断した。世界の危機と向き合っているという自覚をしろ。行け」


 父は淡々と言う。

 世界の危機、という言葉が何度も聞こえる。

 だが実際、僕の理解は追いついていない。

 結びついていない。

 世界の危機がここにある?

 みんなわかっているんだろうか。

 実感を持っているんだろうか。

 なにが起きているのか。

 なにが起きるのか。


 この期に及んでまだ僕は、自分が死ぬことなんてない、と思っている。

 思ってしまっている?

 それが正しいのか、まちがっているのかもわからない。


「校長おひとりでは無理です!」

 アカマさんは食い下がる。

「行け」

「行きません!」

「よく考えろ。私の檻は魔力を遮断する。だからこそドラゴンを閉じ込めておける。手伝うというのなら、お前は中に入ってドラゴンへの妨害をするしかない。いや、入るだけではない。状況に応じて出入りし、回復を受けなければ命を失うだろう。しかし私はこの相手に対して、複雑な檻の操作は無理だ。お前は自力で檻の出入りができるのか?」

「なら檻の外で待ち、檻が破られたときの対応をします!」

「いまのお前の戦闘力で十分だと? ならば私がいますぐ檻を解いてもドラゴンに意味のある攻撃ができるのか?」

「それは……」


「ものごとには、できることとできないことがある。やりたいこととは明らかにちがう。お前はお前にできることで最善をつくせ」

「ですが、ですが……!」

「お前がドラゴンを倒せない場合、お前はドラゴンの養分になるかもしれない。アカマだけではない。他の魔法使いも、ドラゴンに吸収されれば、成長を促進させる可能性が高い。いいか? お前がドラゴンを倒せる可能性よりも、倒される可能性のほうがずっと高い。そして、ドラゴンを成長させてしまう可能性もある。つまりだ。お前がここに残ることが、状況を悪くする」

「しかし、校長が……」

「ドラゴンをここにとどまらせ、王都兵が来る時間を稼ぐのは私にしかできない。仮に檻を破られたとしても、私だけなら、被害を最小限にできるだろう」

「校長……!」

「アカマ。お前は自分のやりたいことをやるのか? メジクを救うのか?」

「……わかりました……」


 アカマさんは手が白くなるほど力を込めて拳を握っていた。

「すぐ、避難した生徒たちを追います……」

「頼んだ」

「校長。どうか……。どうかご無事で……」


 父は僕を見た。

「客人。とんでもないことになってしまったことをお詫びする。ですがご安心いただきたい。そこのアカマは、二割の力でもそのあたりの魔物には決して負けません。きちんとあなたを安全なところまで送り届けてくれるでしょう。私も、あなた方が逃げる時間は稼ぐつもりです」


 外の指示が完全に通じたのか、大量のトカゲが講堂に入ってくるようになった。

 檻の中へと入ってくる。檻の下側、格子を避けるようにして入ってきたトカゲは、まっすぐドラゴンへと進んでいく。

 だがドラゴンはもうトカゲに対して無防備にはならない。大量のトカゲを、しっぽで払い続ける。

 弱くしっぽを振っても問題ないと学んでいる。

 さらに、ゴミを飛ばしてもいいと知ったようだ。さっきザズさんがやったように、軽い風を起こしてトカゲの数を減らすことまでやってみせた。

 学習能力があることはまちがいない。

 アカマさんの剣の腕も警戒されていると考えるべきだろう。

 より、攻撃は当たりにくくなっている。


「アカマ、そろそろ出発を」

 父が言ったとき、ドラゴンは僕らの方へ突進してきた。

 そのまま檻に体当たり。

 さっきまでよりも大きな衝突に、檻が大きくゆがむ。

 攻撃を受けた檻の一部が、格子の幅が変わり、せまかった四角形がいびつに広がったひし形になった。

 部分的に、人が入れそうなほどの大きさに。


 その中にアカマさんが体をすべりこませた。

「アカマ!」

「校長を犠牲にして俺だけ生き残るなんてできません!」


 いったん奥へ走りドラゴンの視界から消える。

 剣を構えて、振り向いたドラゴンに突進する。

 ドラゴンのしっぽが迫る。

 当たった、という直前にアカマさんの体が急加速。

 一気にドラゴンのふところまで入った。


 前足が振り下ろされるのをかいくぐり、アカマさんの間合いに。

 まさか。

 いけるのか。


 だが上。

 ドラゴンの頭突きでアカマさんは地面に叩きつけられた。

 反動で軽く浮かんだところを、しっぽで殴られ横に吹っ飛ぶ。

 アカマさんの体は檻に叩きつけられ、床に倒れた。


「誘われたか」

 父は言った。

 しっぽをかわしてドラゴンのふところへ入ったアカマさんの動きが冴えていたのではなく、あくまでドラゴンが招いたとでもいうのだろうか。

 あえて遅めにしっぽを振った?

 まだ見せていない頭突きで動きを止めた?

 狙って?


「アカマ!」

 アカマさんは動かない。

 しかし他の魔法使いは動けない。

 助けに入ったところで、魔法の効かないドラゴン相手になにができるだろう。

 冷たい対応だとか、そういうことではない。父が言ったように、ドラゴンの養分になる危険がある。人を食って、成長するかもしれないとしたら、捨て身で助けに行くことは、美徳でもなんでもない。

 魔力を多く持った魔法使いが食われることこそ、害だ。


 倒れているアカマさんに、ドラゴンが向き直る。

 すぐにでもとどめをさせそうだ。

 だがやらない。

「助けに行く者を待っているのかもしれない」

 父は言った。


 檻の中。

 アカマさんはエサ。

 僕らを誘っている。

 いつの間にか、檻の意味合いが変わっていた。

 ドラゴンのものになっていた。


「校長」

「我々が全員で行けば救出することも不可能ではないかと」

 魔法使いたちが言う。

「出発しろ」

 父はすぐ言った。

「アカマ先生は」

「あきらめろ」

 父はすぐ言った。


 判断の速さ。内容。

 誰も口をはさめない。 

 見捨てるしかない。

 それは誰もが思っている、

 でも言えない。言いたくない。

 それを父は言ってくれる。


 父は表情を変えない。

 あくまで冷静でいようとしている。

 だが血管の浮かぶ額。

 拳を握り、震える腕。

 隠しきれない。


 ドラゴンが舌なめずり。

 さあ食うぞ。

 さあ来い。

 誘っている。


 アカマさんはなにもしない。

 体が小さく上下している。意識をとりもどしているのかもしれない。でも、なにもしない。助けを求めるなんて論外だ、とばかりにじっとしている。


 ドラゴンはしっぽを振ってトカゲを払いながら、アカマさんを見た。

 口を開いてゆっくり接近する。

 頭から、胸くらいまでかじりつけそうな、大きな口。

 白い牙がならんでいる。

 誰かの小さい悲鳴。


 アカマさんが食われる。

 アカマさんが死ぬ。

 アカマさんが。


 全員がやるべきこと、やらないべきことをやっている。

 僕以外は。

 僕は。

 やっぱり、なにもできない。

 なにもできないのか……!


 いや。

 いや……!


 動かない僕らを見て、ドラゴンはもうあきたのか、アカマさんにかみついた。

 いや、かみつこうとしたが、牙は空を切った。


 僕はアカマさんの体を抱えて攻撃をよけ、振り向きざまにアカマさんが入った格子の穴へと、アカマさんの体を放り投げた。乱暴だったが、うまく檻の外に出て転がってくれた。

 代わりにドラゴンに向かい合う。


「先生、アカマさんに治療を」

 ドラゴンは僕を見ていた。

 予備動作なしで、しっぽを振ってくる。

 速い。

 僕は後ろに跳ぶ。


 とんだ僕に、いま右へ振られたしっぽがもどってくる。

 それをさらに後ろにとぶ。

 そこには檻がある。

 アカマさんならそこで止まる。

 でも僕の体は通過し転がり出た。


 僕は魔力がない。

 魔力をさえぎる檻につかまることはない。

 もっと早く気づくべきだった。

 

 檻から出た僕を見て、ドラゴンが、今度は檻に体当たりをしようとする。

 僕は檻の横から入り、ドラゴンの背後、斜めから、人間でいえば脇腹あたりを殴った。

 手応えが重い。

 が、ドラゴンの体がすこし傾く。


 ドラゴンのしっぽが動くより早く、僕は檻の外へ。


 ぱっ、と振り向いたドラゴンがまたしっぽを振ったが、僕はまた檻に入り、また出る。

 そして入る。

 僕でも、単純な動きだけならアカマさんと同等、あるいは上をいけるかもしれない。

 やるべき仕事ができた。


「来い」

 見苦しく、跳ねまわってやるよ。

 僕らしいだろう。


「魔力がない……? まさか、君は……」

 父の、どこか気の抜けたような声がした。

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