第11話 きざし

 絵で見たことはある。

 数百年前は、他の魔物と同じように、僕らと同じ大地に生息していたらしい。

 背中の翼で空を飛ぶ種類もいれば、体と比較して羽が小さすぎて別の力が働いて空を飛んでいると考えられる種類もいるという。後ろ足で立ちあがり、前足を腕のように使えるものもいれば、ヘビのように細長い形のものもいる。しっぽが共通点で、足の爪、牙、そしてしっぽが攻撃手段だということだ。

 膨大な魔力や、口からの炎でも攻撃をするとも言われていた。


 ドラゴン。

 

 僕らは息を飲んで見ていた。

 前足をかけたドラゴン、らしき魔物は、そのままゆっくり穴から出てきて講堂に現れた。

 

 第一印象は、思っていたよりもずっと小さい、だった。


 生物としては大きい。

 だが体長そのものは、馬の倍もないだろう。もちろん、体を起こして二足で立っているその足、体、首、といったものの力強い太さは比較にならない。魔獣、という言葉を連想させる。

 体の大部分は黒いうろこにおおわれていて、外から差し込む光に、深い紫色に光っていた。


 しかし僕の信じていたドラゴンは、講堂の天井を軽々と突き破れるくらい大きく、炎を吐けばメジクなどあっという間に火の海になるような巨大な存在だった。それに比べると、ずっと現実的というか。


 僕、父、他の魔法使いたち。誰も、うまく反応できていなかった。

 姿を見せたドラゴンが静かだったことで、現実感がなかったのかもしれない。

 あるいは単純に、ドラゴンに見えるなにか、と考え、様子を見ていたのか。

 そのせいで対処が遅れた。


 ドラゴンが吠えた。


「あっ」

 体に響く。

 声というより振動。

 大砲を撃ったときのような、体が反射的に動きを止めてしまう、そういう大きな音だった。


 ドラゴンが翼を広げ、こちらを見た。

 ぞくり、とした。


 反応良く動いた魔法使いのひとりが氷魔法を撃つ。

 五本の氷の剣。

 命中した。

 だが深く突き刺さるはずだったそれは体の表面であっさり砕けて散る。

 ほとんど同時に周囲に起きた雷魔法もドラゴンに触れたとたん、おかしな形で散って消えた。

 魔法が効かない?

 まるであのトカゲに対する魔法のように。


 そのとき。

「参る」

 講堂に入ってきたのはアカマさんだった。

 速い。

 ドラゴンがそちらを見たときには、すでに加速したアカマさんはドラゴンの視界から消え、側面に回り込んでいた。

 目で追うのがぎりぎりの速さ。


 アカマさんが抜いた剣は魔力をおびて光る。

 初太刀。

 入った。


 だがなぜかアカマさんの体が吹っ飛んだ。

 大きな音を立て、先生の体は講堂の壁にめり込んでいた。


 ドラゴンのしっぽがゆらりと動く。

 アカマさんの死角から殴りつけたのだ。

 太いしっぽは、みっしりと中に筋肉がたくわえられていることが想像できた。

 あれで殴ったとなれば、巨人の一撃と呼んでも大げさではないだろう。


 まずい。

 僕はそれしか考えられなかった。

 だけどすぐに行動できた魔法使いの魔法は効かず。

 すばやくやってきたアカマさんもふっ飛ばされた。

 まずい。

 まずいまずいまずい。

 ドラゴン?

 全滅?

 そういった言葉だけが頭に浮かぶがそれだけだ。

 頭が真っ白。

 ドラゴンの赤い目ばかりが見えている。



「閉じよ」

 父の声がした。


 父が手をついた部分から、床に、光の直線がジグザグに広がってドラゴンの下へ。

 描かれた正方形から、光の線が何本も立ち上がり、横だけでなく上部に、格子状に広がった。

 ドラゴンは立方体の光の檻に閉じ込められていた。


 グランデール家の魔法は光の魔法。

 光の魔力を、兄は攻撃に使用しているが、父は逆。

 守りにすべてを投じている。


 ドラゴンがしっぽで光の檻を殴った。

 衝突した部分から、火花のような光が散る。

 だがそれだけ。


 アカマさんが埋め込まれた壁から、手をついて、はい出てきた。だがそのまま床に倒れてしまう。

「ザズ。様子がおかしい、ライ先生を呼べ。治療魔法をアカマに。死ぬぞ」

 ザズさんは返事もなく風魔法で室内を飛んでいった。


 ドラゴンが吠え、僕は反射的にそちらを見る。

 ドラゴンは、しっぽ、前足で、光の檻を殴っていた。

 音は重い。

 だが檻に変化はない。

 ドラゴンが殴った場所で、檻の光がすこし散るだけだ。


 対応した講堂の魔法使い、異常を察知してやってきたアカマさん、反撃するドラゴン、そのわずかな時間を使って父は魔法の詠唱を完成させ檻に閉じ込めた父。

 あっという間のできごとだ。

 僕はそれを見ていただけ。

 危機への対応が染み付いている人たちと、しょせんはただ体を鍛えただけの僕、という差を見せつけられた思いだった。

 広がる無力感が、トカゲを倒したくらいでいい気になっていた証拠だとわかる。

 人を助けられる存在になっていたつもり、だとよくわかる。


「アカマ、まだ意識はあるか」

「はい……。治療魔法が使えません……」

「呪いか、そういったものかもしれない。無理なら魔法を使おうとするのはやめて意識を保つようにしろ。もう返事はいい」


 魔法が使えない。打撃に、そんな効果を上乗せできるなんて。

 ドラゴンは魔力のかたまりだとか、そういう話を読んだことがある。魔力の王、ドラゴン。

 本当にドラゴンなのか。

 あれが。

 光の檻に閉じ込められているのを見ても、心のどこかがざわざわと、落ち着かなかった。


「もどりました」

 ジズさんがライ先生と一緒に、浮かんだままもどってきた。

 するりとアカマさんのところまで行き、すぐに、アカマさんが白い光に包まれた。

「ライ先生、アカマはどうです?」

 父が言う。

「魔力封印だねえ。他にもいろいろ。とにかくここで全部治療をするのは無理だわ。最低限の処置はしたから、いったんここから運び出さないと……。おや」

 ライ先生が講堂の入り口に向いた。


 トカゲだ。

 ドラゴンの登場によってどこか包囲網がくずれたのか、外のやつがするすると数匹入ってきていた。

 ザズさんが風を起こす。風ではなく、ゴミや小石がトカゲに当たり、消滅した。


 それだけでは終わらず、またちょろちょろとトカゲが数匹入ってきた。

 またザズさんが魔法を使おうとして、父が止めた。

「いや、いい」

「よろしいのですか」

「いい」

 父は言った。

 じっとトカゲの動きを見ている。


 トカゲは光の檻の間から入っていって、ドラゴンに向かっていく。

 そしてドラゴンの左足にくっついた。


 ドラゴンが左側に傾いた。まるで足から力が抜けてしまったようだった。

 しっぽでトカゲを払うと、ドラゴンはさっきまでのように力強く両後ろ足で立つ。

 他のトカゲもまたやってくるが、今度はすぐしっぽで払われてしまっていた。


 父は、いまのドラゴンとトカゲの様子をじっと見ていた。

 驚いているような、困っているような顔だ。

「まさか……。いや、これは……」

「校長?」

「……ザズ、外の生徒たちはどうしてる」

「引き続き魔物の討伐を行っています」

「やめさせろ」

「は?」

「いや、魔物の討伐は続けろ。トカゲには手を出すな。一匹も殺させるな。それから……、住民、中級以下の生徒は全員メジクから避難させろ」

「は?」

「すぐにやれ」

「わかりました」

「いや待て! ザズは残れ。誰か他の者が行ってくれ。すぐに」

「では自分が」


 教師のひとりが講堂を飛び出した。

「校長先生、どういうこと?」

 ライ先生が言う。

「私たちは、思いちがいをしていた……」

 父がつぶやく。


「根本的にまちがっていた。この百年、いやそれ以上……」

 父がぶつぶつとなにか言っている。

「校長先生? 避難というのは」

 ザズさんが言うと、父はぱっとザズさんを見た。


「ザズ。いまから王都へ飛べ。伝言は、メジクがドラゴンに襲われているから『世界の危機』を救う兵をよこすように」

「『世界の危機』ですか」

 ザズさんの顔色が変わった。

「私が責任をとる。お前の出せる最高速度で飛べ!」

「はい」

 瞬間、ザズさんから衝撃波のようなものが出た。

 次の瞬間にはザズさんの体は消えていた。


 他の魔法使いが父を見る。

「校長、なにを」

「トカゲを見ろ」


 あれほどみんなで退治をしていたトカゲ。

 それが、魔法使いたちに見守られながら、講堂に堂々と入ってくるのは不思議な光景だった。


 トカゲたちは一直線に、あるものに向かっていた。

 ドラゴンだ。

 父の檻のすきまから入っていったトカゲは、ドラゴンに取りつこうとして、しっぽで払いのけられ消滅する。


「トカゲが向かっているのは、町の中心ではない。私は大きな思いちがいをしていた。トカゲの狙いは、ドラゴンだったのだ」

 父は言う。

「どういうことですか?」

「私たちは、トカゲを排除しようとしていた。何年も、百年以上も。記録が正しければ数百年にもなるかもしれない。魔物やトカゲを倒し続けて、今日、ドラゴンが現れた」

「そうですが」

「トカゲが取り付いたドラゴンはどうだった? 明らかに様子がおかしかった。力を封印されたかのように。おそらくトカゲは、ドラゴンに対して効果を発揮する、魔法、呪いといったもののようだ。呼び方はわからないが、我々の使う魔法よりもはるかに高度なものだろう。ずっと過去の魔法使いがドラゴンを封印するために用いた呪法ではないかと私は想像する。未来永劫、ドラゴンが力を発揮しないようにしておくために……」


「校長は、あのトカゲがドラゴンを封印するものだったとおっしゃるのですか?」

「ばかな」

「信じられない!」

「トカゲを倒したからドラゴンが出たというなら疑問があります」

 魔法使いたちが口々に言う。


「我々は、かなりの年月、トカゲを排除してきました。トカゲにドラゴンを封じる力があるというのなら、それほどの長期間、ドラゴンが復活しなかったことの説明がつきません」

「違和感は認める。だが、我々が排除してきたのは地上のトカゲだ。別経路があったとしたらどうだ?」

「は?」

「地中、水脈。そういう経路を通るトカゲが一定数いたとしたら? 地上と地中の封印があったからこそ、ドラゴンは復活しなかった。だが我々が地上のトカゲを排除し続けた分、封印は弱体化していた。弱体化していたからこそ、それを補うため、地上のトカゲの数は増えていた。地中も増えていたのかもしれない」

「トカゲは自動的だと?」

「そうだ。そして今日、ドラゴンの封印を続けるために必要なトカゲは爆発的な数になり、それすら我々が排除してしまったために、ドラゴンの封印が解けた」


 父の言葉に、しかし魔法使いたちは半信半疑、いや疑いのほうが勝っているように見えた。

「しかし校長!」

「ではさっき、トカゲがとりついたドラゴンはどんな様子だった? ドラゴンに対してトカゲが効力を発揮するのは明白だ。それも、人間に対するよりも劇的だ」

 ドラゴンは、檻の間から入ってくるトカゲを、いまも払い続けていた。


「あのドラゴンには魔法も効かなかったな?」

「しかし校長、この町とトカゲとドラゴンの関係など、どこにも、どんな書物にも書いてありません!」

「そうです! トカゲを放つ魔道士なり、そういう存在がいたというのなら、メジクに対して警告をしていたはずです! そうでなければ、トカゲを排除しようと思うのが当然です!」

 魔法使いたちは口々に言う。


 父は首を振った。

「書物に書いてある保証はないし、『トカゲ』を召喚した魔法使いは、もう生きていないかもしれない。ドラゴンの時代の話だ。トカゲは自動的に効果を発揮するよう、誰かが永続的に効果を発揮するものとして、召喚を続けているのかもしれない、召喚、という扱いで良いかはわからんがな」

「そんな! そんな魔法、ありえませんよ!」

 父は、魔法使いたちの反論にも動じた様子はなかった。

「聞け」


「聞け。我々が最も重視しなければならないのはなんだ?」

「は?」

「この状況だ」

 父は全員を見た。


「我々は限られた情報でこの状況を理解し、行動しなければならない。そしてそれは最悪の事態も見なければならない。『ドラゴン』には、魔法は効かず、メジクで一番の魔法剣士アカマを一撃で戦闘不能にする力がある。講堂から出ればメジクの町を破壊するおそれがあるだろう。さらに、メジクを出て、周囲の土地に深刻な被害をもたらすかもしれない」

「それはそうですが……」

「そんな魔物がいままでいたか? 平常時の対応でいいのか? ちがうだろう」


「私はあの魔物が、ドラゴンであったとしても、ドラゴンでなかったとしても、ドラゴンであるかのように対応すべきだと考える。それだけの脅威だ。異論があるなら発言をしてほしい」

 父の声が静かに響いた。


 そんなことが……?

 しかし、目の前にいるドラゴン。

 大量のトカゲ。

 魔物たちは、両者の間にある特別な魔法に導かれるように活性化し、定期的にメジクに殺到しているのだとしたら?

 一定の答えが得られたように思えるのは、気のせいだろうか。


 父の決断は早い。

 それによって救われてきた実績もある。失敗もあるが、成功が上回る。

 なにより、父は保身を考えないというのが周囲の信頼を得ていた一番の理由だった。

 魔法使いたちが反論しているのは、むしろ父の立場を心配してのことだといってもいいかもしれない。


 王都から、対ドラゴンの兵を呼ぶとなれば超一級、世界の危機に対して備えるために鍛錬を重ねた者たちがやってくるだろう。王都直属ではなく、王都滞在。その部隊は自由な権限を持っていて、世界の危機に対応する。

 かつて、勇者と言われていた人たちに近い扱いかもしれない。

 当然、軽々しく呼べるものではない。


 部隊が危機を救ったあと、検証が行われる。部隊を呼ぶのに不適切な危険だったと判定された場合、その危機が軽ければ軽いほど、罰が与えられる。金銭の要求、土地の没収、組織の人事の刷新などだ。

 父はすでに、ただではすまない責任の取り方、を考えている。

 最悪、自分の立場、家、金銭、いかなるものでも、必要に応じて手放す。

 そういう覚悟が常にある。

 そして反論する魔法使いたちは、それが嫌なのだ。

 だが本当にそれほどの危機であれば、そうも言っていられない。


「でも待ってください。校長の魔法で完全にやつを封じきれているではないですか!」

「そうです!」

「決断を遅らせるべきです!」

「いや」


 父が言ったときだった。

 ドラゴンのしっぽが檻を打つ。

 そして檻の一部が折れた。

「あれが真にドラゴンなら光の檻でも抑えきれないだろう。確信してからでは遅い、と思ったが」


 ドラゴンが格子の欠けた部分から首を出した。

「すでに遅いかもしれんな」

 父は淡々と言った。

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