第8話 押し寄せる黒
魔法学校には大まかに、約百人の生徒と、十人ほどの教師がいる。
生徒は四つの教室に分けられている。それぞれ、初級は六十人ほど、中級は三十人ほど、上級は十人前後。
超級は、最大十人で、ひとりもいないこともある。超級の生徒と教師は、能力としてはそれほど差がない。立場というか、学ぶのか教えるのかといったちがいがあるだけだ。
生徒の年齢はバラバラだが、若いほど入学の壁は低く、年齢が高いほど難しくなる。
決まりは、教師も生徒もこの町で生活をすること。
二十五歳になったら、教師、超級以外は学校には残れないことだ。
毎日いろいろな勉強があるが、魔物の接近を察知すると、それまでやっていたことは全部強制終了になり、生徒による町の防衛が始まる。
危険な相手は、町の東西南北に配置された、超級、上級、中級の一部の生徒が担当する。そこで、初級に相手をさせても問題ないと判断された弱い魔物は、あえて倒さずに校舎に向かわせる。初級の生徒は教師に見守られながら、魔物との実戦を学ぶ。
町の中心である魔法学校の校舎の前にはずらりとならんでいる生徒たちがいた。五十人ほどいる。ほとんど初級の生徒だろう。
「まだ、町の入り口あたりにしか魔物は来てないみたいですね」
久しぶりに見る校舎。
三階建ての校舎と、その横に講堂がある。校舎では主に書物での勉強、広い講堂は、生徒を集めての講義や、魔法の訓練に使われる。
講堂は、三階建の校舎よりも高いくらいなのに、柱が一本もない。天井が半球状の、ただただ広い空間だった。魔力ではなく、ただただ高い技術で建てられた建造物だという。魔力以外の技術についても考えさせる、といった意味もある。
魔力を持たない僕は、講堂をながめているとなんだか落ち着いた。僕にも、なにかができるのではないか、と思うことができたからかもしれない。
ずらりとならぶ初級の生徒につきそっている教師の中には、父の姿は見あたらない。
すると、教師の中からひとりがこちらに向かって歩きだした。
「君はメジクの関係者ではないな。何者だ!」
言いながらやってくる。大股で、つかつかと早歩きだ。
年齢は三十代くらいに見える。
がっしりとしていて魔法使いとは思えない体つきなのは、魔法と、体を使った戦闘と、両方を研究している魔法戦士だからだろう。
アカマさん、という名前が頭に浮かんだ。
「アカマ先生!」
リンさんが僕の背中で言う。
「リン君か」
アカマさんの表情がすこしゆるんだような気がした。
すぐにアカマさんと対面する。
僕が見下ろす形になっていて驚いた。記憶の中では、僕はいつもアカマさんを見上げていた。
「この人は、私がケガをしたところを助けてくれた人です。森で親切に助けてくださって」
アカマさんは、リンさんをじろりと見る。
「君はまた、実習前に薬草でも取りに行ったのか?」
「すみません……」
「前にも注意をしたが……、いや失礼。どうも、うちの生徒がお世話になったようで、感謝申し上げます」
アカマさんは頭を下げた。
「いえ」
アカマさんは優秀だったのは知っていたが、教師として残ったのか。
アカマさんはリンさんの足の傷を見て、顔をしかめる。
「これはひどいな」
「そんなに痛くはないです」
「魔物の毒に感染している。このままだと腐って落ちる。すぐ解毒魔法が必要だ」
「ひえっ!」
リンさんが変な声を出した。
「ここで彼女を引き受けるのが筋でしょうが、いまは持ち場を離れられません。失礼を承知でおねがいしますが、校舎の、戦闘実習に備えて治療魔法使いが集まっている教室というのがあります。そこまで連れていっていただけますか?」
アカマさんは僕に言う。
「かまいません」
「ありがたい。あなたは、旅の方、ですかな……? 今夜の宿や食事もご用意いたしますので、お手数ですが、終わったらそのまま、お待ち下さい」
「いえそんなつもりでは」
「無理にお引き止めはしませんが、感謝のしるしだと思って受け入れていただくとありがたいです」
「えっと……」
ていねいに言ってくれる人へのうまい断り方が思いつかない。
筋肉ばかり鍛えていたからだろうか。生活感覚がすこし遠い。
「旅に必要なものも用意させましょう。どうやら、現金、をお受け取りになられないようですので。実用的なものを。それとお話もお聞きしたい。そのような装備でどのように切り抜けられたのか。興味があります」
先生の僕を見る目が鋭くなったように見えた。
いくらなんでも肉体ひとつで脱出したとは思えないから、魔法を使ったと考えているのだろう。要するに、魔法談義がしたいのだ。
「ええと……」
「これから魔物が山ほどやってきます。とにかく安全のため、しばらく校舎の中でおくつろぎください。今夜はいつもよりも豪華な食事も出ます。ぜひ会食にご参加ください」
「お気遣いはうれしいのですが」
僕が言いかけると、アカマさんはやってきた生徒の方に視線を向ける。
「どうした! ……失礼、ではまたあとで」
アカマさんは、生徒の方へと走って行ってしまった。
「ごめんなさい。いま、みんな忙しくて」
リンさんが言う。
「そうみたいですね」
「とりあえず、本当にここだと危ないので校舎へ行きましょう」
「はい」
「あと、ちゃんとしたお礼をしてくれると思うので、期待していいですよ」
リンさんは、へへ、と笑う。
でも僕は、様子を見て町を抜け出す方法を考えていた。
これから人の流れが入り乱れるだろうから、その機会はたくさんあるだろう。
校舎の入り口から広い玄関広間を抜け、右手の廊下から最初の教室に入る。
なつかしさに声が出そうだった。
ふだんは初級の教室として使われている部屋は机がならんでいるのだが、今日は椅子や寝台などが運び込まれ、治療を受け休みをとる場所としてふさわしく中の様子を変えている。
手前に、白い服の生徒が四人、奥には黒い服の教師がひかえている。教師はもしものときのため、生徒主導で治療が行われる。
生徒は四人とも女子だった。回復魔法を学びたがるのは、どちらかといえば女子が多いようだ。
僕を見て、目を大きく開き、口をぽかんと開けていた。
「あ、リンさん」
ひとりがそう言ってやっと、平静をとりもどしたようだ。
「いつもすみません」
僕の背中からおりたリンさんが言うと、女子たちがくすくすと笑った。
「あらリンちゃん、また? あら、ずいぶん大きなお客様もいるのね」
奥の教師が言った。ライ先生だ。
やわらかい印象で人気があるけれども、年齢不詳だ。僕が小さいころからずっと、お姉さん、といった印象の外見をしている。いまも変わらない。
回復魔法の審美的な応用もしているらしい。
僕はリンさんを近くの椅子に座らせた。
「あらリンちゃん、これちょっとひどいんじゃない?」
「先生」
様子を見ようとするライ先生に、髪の長い生徒がさとすように言った。
「はいはい、先生は出てきちゃいけないのよね」
ライ先生はまた奥の椅子にもどっていった。
先生が出てきては、勉強にならないからだ。
「はー、先生はすぐ仲間はずれ」
とわざとらしくほおづえをついている。
「静かにしててください」
「はー」
女子はリンさんに向き直る。
「今日はどうしましたか?」
女子が三人集まって、でもすこし僕を気にしながら話を始めた。
「魔物にやられたみたいで」
「どんな魔物でしたか?」
「えっと……」
僕は話のじゃまにならないよう、窓際に移動した。
外が見える。町の南側だ。
まだ魔物との戦いは本格化していないようだった。
町を出るなら、いま、だろうか。
忙しそうだし、町の外から入ってくる者は警戒するだろうが、中から出ていく者はそれほどでもないだろう。ここにいる時間が長くなればなるほど、僕に気づく人も増えるはず。
アカマさんも気づかなかったから、そうそう気づかれる心配はないだろうとは言えるけれども。
僕が筋肉さんのところで鍛錬を重ねていた期間が予想外に長そうだからだ。僕の知るアカマさんは二十代だし、リンさんは十代だ。
とすれば、僕は十年近く筋肉さんのところにいたことになるのか。
そんなにいたのかという気持ちと、それくらい時間をかけなければこれだけの変化はなかっただろうという気持ちが同時に起こった。
それと。
誰かに気づいてほしいと、思ってしまうことがこわかった。
すぐやろう。
いま。
もう出よう。
飛び出すか、ゆっくり出るか。
窓の外を見ていると、道の先のほうで黒いものが動いているのが見えた。
目をこらす。
校舎の周囲にある広場に、小さなものが動いていた。
どんどん増えてくる。あれは……。
「トカゲですね」
リンさんやってきた。
「治療は?」
「いま、解毒の治療方針を考えてるみたいですよ」
生徒たちは、紙に書いたものを見ながら相談をしているようだった。
「傷は?」
「痛み止めと、毒以外の回復はしてもらったので」
「それはよかった」
「ネルさんは、トカゲも知ってるんですか?」
「はい」
トカゲというのは、あの黒い、トカゲのような魔物だ。
地面にはいつくばって、素早く動く。校舎に向かって何体も一緒にやってくる。
太陽の光が体にあたっても反射せず、深い穴の底みたいに黒かった。
「トカゲは魔法が効かないんですよね」
「そうなんですよー」
リンさんがしみじみと言った。
魔法を吸収する特性があり、その代わりというか、物理攻撃であっさり死ぬ。
僕がやっていた雑用の一部に、トカゲ退治があった。魔法使いにとっては、魔力を奪われて体の自由が効かなくなることなどを心配しなければならないが、魔力がない僕にとっては、なんの危険もない作業だからだ。いや魔法使いだけじゃない。ふつうに、魔力を持っている人なら大なり小なり影響がある。
窓の外に、トカゲに向かっていく生徒たちが見えた。
武器は刃先のついていない槍だ。攻撃力はいらないので、仲間同士での事故をさけるためにああしている。
「多いですね」
僕の知っている数の倍以上のトカゲが校舎に迫っていた。
「最近多いんですよ。だから私も手伝うこともあるんですけど、どんくさいので、役に立てないんです」
「そんなことないですよ」
「あ、心にもないこと言ってますね!」
「いやいや、僕だって大して役に立ちませんけど」
「あ、絶対心にもないこと言ってますね!」
リンさんは笑いながら抗議した。
僕も笑う。リンさんに見えている僕と、僕が知っている僕は全然ちがうということがよくわかる。
「そういうことの積み重ねで、結婚を考えるようになったんですけど」
「え?」
「私、要領が悪くて。魔法も続けたかったんですけど、もう私も年齢的に、いつまでも誰かが求めてくれるかもわからないので。ソートさん、あの、さっきの人は、このグレンデール家の跡取りでもあるんです。私をいいって言ってくれるなら、そのほうがいいのか、とか……」
「他にもリンさんをいいって言ってくれる人はいるんじゃないですか?」
「いえ、全然」
リンさんは笑いながら首を振った。
外見だけでも口説いてくる人間がいそうなものだが、逆に、高い壁だとあきらめてしまうのだろうか。
「もう私も二十五歳ですし、そろそろ、ですよね……」
「二十五歳」
やはりそう。
リンさんと僕は同じ歳。
僕がここを出たのが十五歳のとき。
とすると、僕は筋肉さんのところで、十年も鍛錬を積んでいた。
「くり返さないでくださいよ」
「はは、すいません」
「なんかネルさんには、言わなくてもいいこと言っちゃいますね。初対面じゃないみたい」
「はは……」
思ったより、ここにいられる時間がないのかもしれない。
行くか。
一度廊下に出て……。
「あれ。なんだか、ずいぶんトカゲの数が多いような」
窓の外。
南側のトカゲが、さらに数を増していた。
「あんなに増えてるんですね」
「ええ、でも、今日は多すぎるかもしれない」
リンさんは窓に顔を近づけた。
トカゲの黒が、地面を覆い始めていた。
外がさわがしくなってくる。
大声が飛び交い、窓の外に見える生徒たちの数がぐっと増えた。
校舎にやってくるとき見えた生徒数全体の、四分の一ほどではないだろうか。
南側に四分の一ということは、全方向にそれぞれ四分の一?
生徒はが全員参加になった?
生徒たちがじりじりと前進していく。
人の数に対して、トカゲの数が明らかに多い。それでも武器を振ってトカゲを倒していく。当たれば倒せる。だからといって、これは……。
当然のように、すり抜けて校舎に向かってくるトカゲがいる。
アカマさんなど、教師たちが忙しく動く。
が。
多い。多すぎる。
「あ」
生徒のひとりがトカゲにまとわりつかれた。みるみる全身がおおいつくされていく。
気づいた生徒がやってきて、そのトカゲを振り払おうとするが、自分もとりつかれて、黒いかたまりが二つできてしまった。
教師は気づいているのかいないのか、すり抜けてくるトカゲを始末するのに忙しそうだ。
黒いかたまりは、動きを止めてうずくまってしまった。
リンさんが、ぱっ、と振り返った。
「ライ先生! トカゲがここにも来るかも!」
教室内がざわつく。
「ほんとう? どうしたの?」
ライ先生がゆっくりとした足取りでやってくる。
「あの人だいじょうぶなのかな……」
リンさんが不安そうに言う。
トカゲにまとわりつかれた生徒は動かなくなってしまった。
先生たちもまだ行かない。
僕の知っているトカゲは、魔力が吸収され体調は悪くなるが、致命的なことにはならない。
だけど数が多い。これだけの数、一気にとりつかれたらどうなるのか。先生たちは、平気だから助けに行かないのか、助けに行く余裕がないのか。
ふと思う。
これだけ混乱していれば、まぎれてメジクを出るにもぴったりだ。
僕は窓を開けた。
「ネルさん?」
「僕も出ます」
「え?」
僕は教室を飛び出した。
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