第7話 優秀な兄

 魔物が集まっていることはわかっていたから、いちいち避けたくないので、僕は町の西側、崖を登っていくことにした。

 左手で背中のリンさんを支えているので右手だけで岩をつかまなければならない。片手があれば充分なので、問題なく進んでいた。


 崖を上がりきると、短い林の先で街道と合流して、メジクが見えてくる。

 初めて来た人は、不思議な印象を持つかもしれない。

 メジクは、町の中央に魔法学校の建物がある。それを広場が囲んでいて、そのさらに外側に家々が並んでいる。

 またその家々も、いくつかの区画に分かれている。


 この町を空から見たとする。

 メジクを、井、という字で表現するなら、中心地に魔法学校がある。

 そして、区切られている場所の、左上、右上、左下、右下が一般の建物のある区域だ、と考えるとわかりやすいかもしれない。

 実際には、中心の魔法学校から建物の区画はもうちょっと離れて見え、まわりの建物はもっと魔法学校を円形に囲うような形に近いが。


 こんなふうに、離れた区画で設計されているのは、魔物の通る道を確保しているためだ。


 魔法学校に向かってくる魔物たちは、魔法学校に向かうことを優先しているので、そこまでの道が確保されていれば、無理に他の建物を襲わない、という傾向があった。

 魔物の流れを管理できれば、魔物を余すところなく活用することができる。


 魔物との戦闘訓練だけでもいろいろある。

 建物間での戦い。

 校舎の前での戦い。

 町の前での討伐。

 個対個、個対多、多対個、多対多。

 自在だ。

 

 もちろん例外的に居住区域めがけてやってくる魔物もいるから、油断禁物だ。魔物は完全に管理できないというのは、安心しきってしまわないように、という意味でいえば、これも重要だろう。


 おそるべき状況というのは、常に慢心や思い込みといったものがきっかけになる。

 これはこう。

 これがあたりまえ。

 それが他人事という意識や、思考停止を起こしてしまう。

 ここだけは安全。

 そういう考えが危険を招く。

 常に、起きていることが自分のこと、という考えにしなければならない。

 いつも全員が戦いに巻き込まれる可能性がある。

 絶対はない。


 メジクにはこういう考え方が浸透しているから、僕はなかなか追い出されなかったのかもしれない。

 他の魔法学校だったらこんなに長く勉強すらさせてもらえなかったのかも。

 でも、絶対はないというメジクにも、限度はあった。



 西側の区域が見えてきた。

 区画の周囲には、人の高さくらいの、格子状の柵が立ててある。中からも外からも魔物がよく見えるようにだ。

 中には、魔法使いと思われる人や、槍、弓といった武器を構えている魔法戦士もいた。

 区画の中央には見張り台が立っている。


 僕らのことは、見張り台の人間からしか見えていないだろう。

 僕は立ち止まった。

「リンさんはどこの区画ですか?」

「西です、そこの」

「ここからなら歩けますか?」

「え? ええ」

「ではここでお別れですね」

「そんな。なにかお礼を」

「なら、今度誰か助けてあげてください」

「え?」

「リンさんが助けてあげた誰かに、誰かを助けてあげるよう、頼んであげてくれませんか? そうすれば、いつまでも、誰かを助けようとする流れが続いてくれますよね。いつか、僕が助けてもらえるかもしれませんし」

「! はい、わかりました!」

 背中のリンさんの声だけで、弾けるような笑顔が目に浮かぶようだった。

 

「では……」

 とリンさんをおろしかけたとき。

 耳をすます。

 足音が近づいてくる。

 振り返れば、狼のような魔物が十頭以上見えた。横の林からどんどん出てきて増えていく。


 向き直る。

 まだ西の区画まではすこし距離がある。

 どうするか。

 リンさんを置いていけない。リンさんを背負ったまま、跳び上がって距離をとることはできる。だがそれを、見張り台の人間が見たらどう思うだろうか。

 リンさんを誘拐した男、あるいは、人型の魔族、といった認識をされてしまうと面倒だ。追跡、攻撃を受けることになるだろう。

 一般的な攻撃だったら僕も対抗できる気でいるが、上級の魔法使いや、毒魔法、即死魔法といった特殊攻撃を受ける可能性もある。


 なら西側区画にこのまま走っていって、リンさんに僕の無害を訴えてもらい、そのままメジクを出て帰る。これがいいか。魔物に追われるように走っていけば、いきなり攻撃されることもないだろう。


「リンさん、これから」

 僕が敵ではない、と大声で主張をしてもらいたい、と伝えようとしたときだ。


 空から光の筋が降り注ぐ。

 魔物たちが体の急所を貫かれ、道に倒れていった。

 どんどんと林から現れるよりも早く魔物が細い光に撃たれて仕留められていく。


「リン、また薬草を取りに行ったのか?」

 聞き覚えのある声。

 服のポケットに手を入れ、堂々と歩いてくるのは。


「ソートさん」

 リンさんが言ったのは、兄の名前だった。

 光魔法を得意としている兄は、自分の周囲にもキラキラと光を常に放っている。これは戦闘には一切関係ない。むしろ敵対する相手に位置を察知されやすくなるくらいだ。

 それでも自分を光らせるのをやめない。


「また関係ない光をそんなに。校長先生におこられますよ」

「俺が光ってるってことが重要なんだ」

 兄は言った。

 以前からそうだった。でも、ムダに魔力を使っていることを指摘するのは父くらいだ。ささいなことを気にするなというほど、兄の魔力には余裕があった。


「拾ってくれ!」

 兄が大声で言うと、西の区画の門が開いて、背中にかごを背負った男たちが出てくる。

 倒れている魔物を調べ、回収していった。毛皮や爪など、価値のあるものを取れるならそうする。これが収入源になる。冒険者志望者は、資源を有効利用する能力も求められる。その練習だ。

 最小限の急所を射抜かれた死体は、とても喜ばれる。


「ソートさん。ありがとうございました」

 リンさんが兄に言う。

「他人行儀な言い方はやめてくれ。もう婚約もしたんだ。それより」

 兄は、不審そうに僕を見た。


「あんたは人の女を背負ったまま話をするのか?」

 兄は僕に言った。

 いらだっている様子は隠していない。


 でも?

 僕だとは気づいていない?


「あ、いえ、彼女はケガをしているので……」

 うっかり返事をして後悔した。

 声でバレてしまう……。


「ケガ?」

 しかし兄の反応はいまいちだった。

 筋肉さんとの訓練で大きな声を出していたことで、いままでとは声質も変わったのかもしれない。


 兄が、僕をライオネルだと知ってあえてとぼけている、ということは考えにくかった。

 そういう回りくどいことはしない人間だ。


「魔物に追われていたところを、ちょうど通りかかったこの方が助けてくれたばかりか、町まで連れてきてくださったんです。ええと、お名前はネルさんです」

 リンさんが言う。

「リン。魔物が来るとわかっていただろう」

「はい……」

「バカバカしい。薬草など集める必要はない。結婚してグランデール家に入ったら、そういう貧乏くさいことはやめてもらう」

「貧乏くさい……」

 リンさんは、兄に聞こえないような声でつぶやいた。


 兄は僕を見た。

「まあ、そういうことなら礼を言わせてもらう。この先に行くと魔法学校の校舎があるから、そこで俺の名前を出せば入れるだろう。リンは治療を受けろ。あんたにはそれなりの謝礼をさせてもらう」

「別にそんな」

 首を振る僕に、兄は不満そうな顔をした。

「なんだ? このままうわべだけの礼を言って帰されるとでも思ったか? グランデール家を、そのへんの成金と勘違いされては困る。受けた恩にはそれなりのことはさせてもらうぞ」

 兄はくるりと反対側を向いた。


「さて、仕切り直しだ。行くぞ」

『はい』

 冒険者志望の人たちが応える。

 また現れ始めた魔物たちへと進み始めた。

「てきとうに減らしてやるから、好きなように魔物を狩ってみろ。それでも無理だと思ったら後ろにまわせ。俺が仕留める」

「わかりました!」

 みんなが進み出し、後ろをゆっくり兄が歩く。

 たまに光の筋が走り、魔物が倒れる。それが絶妙の間で、兄を称賛する声が響き、兄は満足そうに笑みを浮かべた。

 そして振り返る。

「おい、まだそんなところにいるのか。さっさと行け」



「本当にすみません」

 校舎に向かっていると、背中のリンさんが言った。

「気になさらず。リンさんはそんなに重くないですよ」

「そうじゃなくて」

 リンさんはちょっと笑って言う。


「あの人が失礼な言い方をして」

「別に。僕もあやしく見えるでしょうし」

「そんなこと! ……あの人は、この町にある魔法学校のグランデールという家の人で、魔法の才能はとてもすごくて。悪い人ではないんですよ?」

「失礼ですけど、婚約、されてるんですね」

「はい、そうなんです」

 リンさんは沈んだ声で言った。


「おめでとうございます、でいいんですよね?」

 とつい言ってしまった。

「はい、それは。私なんかを必要だと言ってくれて」

「私なんか、ということはないと思いますが」

「いえ、私はいろいろ要領も悪いですし、みなさんに迷惑をかけてばかりで。魔法も、幻覚系で、あまり需要がないですし。あまり極めてしまうと、特殊な試験を受けて、厳しく管理されるようにもなってしまいますし」


 幻覚系魔法は、犯罪への転用が非常にかんたんなので、教育を受けられる環境も制限される。

 さらに熟練していくと、人間性など、魔法の質以外についても王都の基準によって管理されるようになっていく。技術的にも難しいのに、生活の一部が管理されるなど、魔法使いとしては不人気なのだ。

 幻覚系に適正があるせいで、魔法使いとしての限界を感じているのかもしれない。

 兄がそこにつけこんだ、とまでは考えたくないが……。


 と考えて、思い直す。

 なにをえらそうに、勝手に相手の分析などしているんだろう。

 僕がそんなことをできる立場か。

 ちょっと人生に光のようなものを見つけて、調子に乗っているのかもしれない。


「だから、私を必要としてくれる人がいて、うれしいんです」

 彼女が言う。

 兄の、たくさんの女性を同時に愛するという特徴はどうなっているのか、気になったが、口には出さなかった。

「よかったですね」

「はい」


 メジクの中心ですべてを見渡す魔法学校の校舎が近づいてきた。

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