第6話 故郷

 僕は走っていた。

 行き先はメジク。

 の方向。

 あくまで方向だ。


 よく考えてみれば問題ない。

 メジクの町に入れとは言われてないからだ。周囲の地形を利用して体を鍛えて帰ってこいという意味であって、中の人達との交流をしてこいという意味ではない。

 周囲を走って帰ろう。


 離れたところに街道を見ながら、草原や、林の中や、ときには崖のような道も走った。

 街道を走ることを禁止されているわけではないが、一度、僕の姿を見た通行人に驚かれてからは、主だった道は通らないことにしていた。

 ささやかながら、僕も筋肉さんに見ためが近づいているようだ。



 体を動かしていると、だんだんよけいなことを考えなくなっていく。

 頭の中は、体について、でいっぱいになっていく。

 どう動かしたら効率が良いのか。

 試してみる。

 合っていることもある。

 まちがっていることもある。

 そのたびに、修正、修正。

 道を選ぶ効率の良さが筋肉を鍛える効率の良さとはまた別だったりして、自分の中の基準をつくるのがなかなか難しい。


『目的なくして、結果なし、ですぞ?』

 筋肉さんの声が聞こえるようだった。

 なにがしたいのか。

 どうしたいのか。

 それがなければ、ただがむしゃらに動いているだけになる。

 それでも結果は出る。

 でもそれはたまたまでしかない。

 がむしゃらにやることが目的になってはいけない。

 目的は魔法だ。

 たくさん筋肉をつけ、魔法のように動くのだ。


 とまじめに考えてばかりでは疲れてしまう。

 意味なく、影から影へ、跳び移ってみたりする。

 片足だけで走ってみたり。

 後ろ走りをしてみたり。


『やる気は筋肉のもと、ですぞ!』

 つらいとやめたくなってしまう。

 無理に続けると、体よりも精神的にきつくなる。

 だから、筋肉を鍛えるときには、なにより、やる気を大切にすることが重要だ。


 疲れてきたので、見晴らしのいい岩場で座り、手足をもみほぐした。

 筋肉さんに、疲れを取るあれ、をさんざんやってもらっていたら、なんとなくやり方がわかってきた。

 筋肉さんほどではないけれども、疲れが取れる。


 岩を降りていって川の水を飲んで一息つくと、まわりから聞こえてくる、水の流れる音、鳥の鳴き声、葉がこすれ合う音が聞こえてくる。

 草原で暮らしているせいだろうか。ひとつひとつの音に敏感になってきていた。

 耳をすませば、ずっと遠くの音まで……。


「……!」


「ん?」

 いまのは。

 叫び声?


 耳をすます。


 そうだ、人の声。

 逃げるような足音。

 女性の声だろうか。焦ったような。

 魔物のうなり声のようなものも聞こえる。


 走って向かう。

 どこだ。

 林を走る。

 木が茂っていて見通しは悪い。

 音に集中する。


 規則的な足音の方が大きい。

 不規則な方は弱々しく乱れている。

 その足音が交錯する。

 間に合わないか。

 でも近い。


 そこだ!


 林の中ですこしだけ開けた場所で、魔物が二匹。

 前後をはばまれるようにして、しゃがみこんでいる女性がひとり。


 魔物は牛よりも小さいが、筋肉が発達していて動きが速い。

 あれは一度、急接近され鋭い牙に食いつかれてしまったことがあった。筋肉さんは、せっかちさん、などとのんびりしたあだ名で呼んでいる。

 そんな名前をつけるくらいだから、せっかちさん、はすぐに襲いかかってくるはずなのだが……。


 と思っていたら、せっかちさん、の一方が前に飛び出した。

 だけど女性ではなく、女性をかすめるようにして突っ込んでいって木にぶつかった。短い悲鳴を上げて、地面を転がり、立ち上がる。

 よく見ると、女性はなにか、ぶつぶつと唱えているようだった。

 魔物は視線をさまよわせているようだった。


 妨害系の魔法。

 おそらく、見えているものを操作するような魔法だろう。幻覚系か。

 高位の幻覚魔法なら、魔物同士を戦わせることもできるだろうし、せっかちさんに苦労することなんてない。だがそもそも幻覚魔法は難易度が高く、敬遠されている分野だ。指導者もすくない。


 女性の詠唱が止まる。

 二匹の目つきが、さっきよりも鋭くなったように見えた。

 魔力切れか。


 一方が女性に飛びかかる。

 が、僕の方が速い。横から魔物を蹴りとばし、女性を抱えて木の上に跳ぶ。

 続けて幹から幹へと何度も移ると、魔物たちは僕らはを見失ったように戦闘態勢を解いた。

 ゆっくりと、僕らから離れていく。


 魔物が見えなくなって、僕はそっと降り、木の下に彼女をおろした。

「……。あっ、ありがとうございました!」

 はっとしたように僕を見ると、勢いよく頭を下げ、思い切り頭を振り上げる。

 そのせいでふらつき、僕はあわてて倒れそうになる肩を支えた。

「す、すみません……」

「魔力切れですよね? ちょっと休んだ方がいい」

「はい……」

 女性は二十代くらい、とてもきれいな顔をしていて、体つきはほっそりしている。魔法使いに多い、肉体労働経験をあまり感じさせない体型だった。


 それから、どこかおびえたように僕を見ている視線に気づいた。

 そうか。

「ああ、失礼」

 僕は彼女から離れた。

 筋肉さんを初めて見たときの印象をすっかり忘れていた。

 街道で人に会ったときも気づいたじゃないか。

 彼女は僕がこわいのだ。

 筋肉さんほどではないにしろ、筋肉さんのところでずっと鍛えていた僕の見た目は、一般人から離れたものになっているのだ。


「もうあなたにはさわりませんから、安心してください」

 僕が言うと彼女ははっとしたような顔になった。

「あ、いえ、すみません!」

 彼女はまた大きく頭を下げた。

 そしてふらつく。


 倒れそうになるのをほうっておくのもどうかと思い、かといっていまさわらないと言ったのにすぐ手を出すのもどうかな、と考えていたら彼女が倒れそうになったので、結局手を貸して、すぐ離れた。

「なんか、言ったそばからさわって、すいません」

「いえ、とんでもない! 助けていただいたのに!」

 彼女はぶんぶんと頭を振って、またふらつく。

 また支える。

 僕らは顔を見合わせて、笑ってしまった。


「すいません、私、ちょっとバカなんです」

「いやいや」

「私はリンといいます。この近くにあるメジクという町で魔法の勉強をしているんですけど、今日は薬草を取りに来ていて」


 あれ……?

 この人……。

「なにか?」

「あ、いえ。僕の名前は……、ネルです」

「ネルさんですか」

「あの、このあたりは魔物があまり出ないはずですけども、討伐の時期ですか?」

「よくごぞんじですね!」

「有名ですから」


 メジクは、普段は平和でのどかな場所だが、年に数回、魔物たちが大量に押し寄せてくる。

 それは、メジクの土地、中心部にある魔力に引かれてやってくるのだと言われていた。


 魔法学校では、そこから逃げるのではなく、その集まってくる魔物を活用している。

 あえて校舎も、町の中心部に建てられたくらいだ。

 町のつくりも、魔物と戦いやすいように設計されている。


 多数の魔物は、魔法での実戦経験や、研究材料として役立てられた。危険もあるが、教師が中心となり最低限の安全を確保した上で運営されている。そもそも、魔法学校に入る場合、こういうことも全員了承しなければ入学できない。


 僕は、誰にでもできる手伝いくらいしかしたことがないけれども。


「まだ魔物が来る時間ではないはずだったんですけど、たくさん薬草が取れたのでついつい、いつまでもやっていたら、魔物が……」

「薬草?」

「あ、逃げる間にカゴを落としてしまいました」

 リンさんは照れたように笑った。


 さて。

 立ち去ろうか。

 知り合いに会うのは面倒だ。

 というかすでに会ってしまっている。

 本人は気づいてないようだが。


 このリンという人、僕と同じ年に入学した人だろう。見た目、性格の良さもあって男子たちから人気があった。中身はかつてのリンさんとあまり変わらない印象だが、見た目はぐっと大人になっていた。女子ではなく女性、と言えるだろう。

 僕とはほとんど会話もしていなかったし、気づいてもいないようだけど。

 しかし。

 リンさんを見る。

 いかにも、また魔物に襲われそうだ。

 リンさんは、ん? と無邪気に僕を見ている。その無邪気さが魔物にも通じたらいいんだけれども。


「これからの時間は、魔物が増える一方でしょう?」

「だいじょうぶですよ」

 リンさんは笑いながら、右足をすこし浮かせた。

 よく見ると、足首が赤くはれていた。

 僕の視線に気づくと、隠すように引いた。


「だいじょうぶです。ありがとうございました」

 と微笑んだ。


 送ってくれません? なんて美人を売りにしたような笑顔で言われたら、どうしようか迷ったかもしれないけれども。

 そんな顔をされてしまうと。


 僕は彼女に背を向けてしゃがんだ。

「お送りします」

「え? でも」

「さっきから、さわらないなんて言っておいて、と思われるかもしれませんが」

「でも私、本当に」

「もう魔法も使えないんじゃないですか? それに、さすがにもどらないと、捜索隊を編成しなければならないかも」

「あ、そう、ですね……」

「僕もすぐ他へ行きたいので、時間はかからないようにします」

「ええと、それでは……」


 そっと背中に乗る体重を感じた。

 人間ってこんなに軽いんだな。

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