第5話 鍛錬×鍛錬

 休む必要がない。

 休憩どころか、眠る必要もないのだ。


 一日、という区切りがあいまいになっていく。

 外が明るいか暗いかのちがいでしかなくなる。

 雨の日、というものがなくなり、晴れている時間、雨が降っている時間、というだけになるのだ。


 あらためて、柱と屋根だけの建物を見る。

 そういうことか。

 いらないのだ。

 壁も、部屋も、なにもいらない。


 家というのは外と中を区切っているだけにすぎない。

 その区切りがあいまいになったらどうなるか。

 草原も、街道も。

 川も山も全部、同じなのだ。


「さあ、今日はすばやく動く練習ですぞ!」

 僕の体が大きくなってくると、筋肉さんが要求してくるものが変わった。


 やわらかい、石くらいの大きさの玉がたくさん入ったカゴを持ってきた筋肉さんは、すこし離れたところに立つよう、僕に言った。

「それなんですか?」

「布をかたく丸めたものですぞ。さあ、避けるのですぞ」

 筋肉さんが投げる玉を、よける。

 連続して投げてきた玉を、よけるよけるよけ。

「いたたた」

「慣れれば避けられますぞ!」

「いたたた」


 三回に一回くらいしか避けられない。

「なんで、いた、こんなことを、いた、するんですか」

「牛を守れないといけませんからな」

「牛泥棒がいるんですか?」

「泥棒というか、牛を食べる魔物ですな。魔物を倒せたほうがいろいろと都合がいいですからな」

「え、魔物って、いたたたた」


 とやっていたけれども、なんといっても僕らは休まなくてもいい。

 すぐできるようになる。


「お! 十回連続で避けられましたな!」

「これしかやってませんからね」

 体におもりをつけているとはいえ、本当にこれだけしかやっていない。

「では、そろそろ次の段階にいきますかな」

「なんですか?」

「あの牛食いを倒すのですぞ!」


 見ると、草原の向こうの方、かなり離れたところに影が見えた。

 それでもわかるくらい、大まかな形がわかる。四足の生物で、頭には牛よりもはるかに大きな角があるようだ。


「あれは……」

「知ってますかな?」

「はい。牛に似た、ホーンボーン、と言われる魔物ですね。突進力が強くて、あの角は石造りの外壁も簡単に貫くことができます」

「よくごぞんじですな!」

「はあ」

 魔法学校の書物ばかりあさっていたときが思い出されて軽く気が滅入る。


「ではネルどの。倒してきてくださいな!」

「筋肉さんの見本をおねがいします」

「ネルどのはもう、自力で倒せる力を得ていますぞ!」

「そういう気持ちの問題ではなく、ちゃんとした教えを」

「やってみることも大切ですぞ!」


 そう言って筋肉さんは僕をかついだ。

「ちょ」


 もがいてみるが、まったく振りほどけない。

 見た目の体格の差以上に無限の差を感じた。

「筋肉さん! ちょっと!」

「まあまあネルどの、落ち着いてくださいな!」

 そう言って筋肉さん。


 魔物がいる方へと僕を投げた。


「あああー!」

 人が、自分は投げられたことがある、という話をしていたとして、それは格闘技の技の話だろう。

 人が、空を飛んだことがあると言っていたとして、それは魔法だろう。

 おかしいな。どっちもちがうぞ。

 筋肉とは!


 勢いのまま飛んでいく僕。

「うおっ!」

 頭から地面に叩きつけられそうになったが寸前、無理やり回転してなんとか足から着地。

 じーん、と足がしびれる。

 とはいえまあ、なんとかかんとか、無事に……。

 と顔をあげると目の前には。

 迫る魔物の角。


「グオオオオ!」

「うおっ!」

 突いてきた魔物の角を両手でつかんで止める。


「グルルルル!」

 長い角は僕の脚の長さくらいあるんじゃないだろうか。

 意外と太い根本からだんだん細くなっていってその先端の鋭いこと。

 凶暴な顔をして、よだれをたらしている口からはみ出ている牙もまた鋭い。殺る気まんまんである。


 というか魔物の体がめちゃくちゃでかい。

 筋肉さんよりでかい。巨大な筋肉をそなえた脚でぐいぐい押してくる。

 必然、手で止めきれずに滑り、ずず、ずずず、ずずずずと角の先端が僕に近づいてくる。

「おいおいおいおい」

 なにが悲しくて突進力が売りの魔物を真正面から受け止めなきゃいけないんだ!


「ちょ、ちょ! ちょ!」

 じり、じり、じり、と手の間を角が進み出てくる。

 もう、目前、だ……!

 僕の、眉間に、先端が、刺さり、そう……!


「やめ、ちょ、待って、この、おい、ばか!」

 と力を振りしぼって角を横に!

 ボキ!


 ボキ?

 手には、僕の腕くらいの長さに折れたホーンボーンの角があった。


 魔物の額には、折れて短くなった角。

 それと、怒りに燃えている赤い瞳。

 魔物が低い声でうなる。

 そして前足で地面を何度もかく。


「あの……、事故です。折れるなんて思いませんでしたし、大変反省しております。今回のことは今後に活かすよう、しっかりと検討し」

「グオオオオオ!」

「うおっ!」


 すごい速さで突っ込んできた魔物を横に転がって避ける。

 助走なし、一歩目からめちゃくちゃ速い。

 どうする。

 と考える時間があると思ったら、魔物を信じられない軽さで身をひるがえして連続でこっちに向かってくる。

 そして突き出してくるのは短くなった角!

 ふつうに痛そう!


「うおっ!」

 また寸前で横に跳ぶ。

 横を抜ける魔物の巨体が僕の体をかすめた。

 すれちがいざま。

「たあ!」

 持っていた角で魔物の腹を軽く突いた。

 ぷつっ、という手応えだけで深くは刺せなかった。


「グオオオオ!」

 魔物は叫んで、後ろ足だけで立ち上がった。

 あわてて距離をとる。

 前足で茶着地した魔物は、ゆっくりと僕に向き直った。

 地面をかく。

 目が怒りに燃えている。

 刺さなきゃよかった。


 背を向けて逃げる。

 筋肉さん!

 どこ!?


 とにかく走る走る。

 どうだ、いくら素早いっていったって、それはその体の大きさのわりに、というだけで、お前なんか……。

 なんか足音が近いぞ。

「うーわ!」

 と振り返ったらもうすぐ後ろまで来てておいおい!

 どうなってるんだ!


 僕は右に急転回!

 ついてこれまい!

 と思ったらぴったりついてくる!

 

「ひい!」

 でかくて強くて軽い足取りなんて反則だ!

 立ち止まって地面に寝転んだらその上を走り抜けてくれるだろうか、いや死ぬ。

 このままがまん比べをしたらどうなるだろうか、僕の体力が切れたら死ぬ。


 絶望しかけたとき、背後の足音が離れて消えた。

 振り返る。

 魔物は、よろよろと歩いていて、やがて、大きな音を立てて倒れた。

 よく見ると、腹がゆっくり上下している。


「眠りましたぞ」

「うわ! 筋肉さん!」

 いきなり背後にいた。

「この魔物の角には、刺した相手を眠らせる成分がありましてな。眠らせてから、ゆっくり相手をしとめて、食べるのですぞ。優雅なお食事ですな」

「……」

 どうせ死ぬなら一気に殺してほしい。

「そんな情報、本にはなかったような」

「しかしネルどの。期待通りにしっかりやってくれたではないですかな?」

「完全に、たまたまですよ」

 僕は折れた角を見た。

「素早い動きさえ見切れれば、案外やれるものでしょう?」

「だからたまたまだって言ってるじゃないですか! 死にますから!」

 僕が言うと、筋肉さんはにっこり笑った。

「ていねいに教えることが、成長につながるとはかぎりませんぞ」


「一から十まで教わるというのは、実は頭が働きを減らしてしまうものでしてな。効率を考えても、必ずしも良いとはいえないのですぞ?」

「いや、死んだら……」

「だいじょうぶ、ネルどのを死なせるようなことは絶対にありませんぞ! たとえ心臓を貫かれたとしても、きっちり回復させてあげますから、ご安心を!」

「え」

 逆に安心できないというか。

 死ぬべきときには安らかに死なせてほしいような。いや、死にたくはないんですけれども。


 と思いつつ。

 僕は不思議な感動も覚えていた。

 自分が感動している理由がわからなくて混乱したけれども、遅れて、なんとなく理解する。


 自信。

 これがほしいんだ。

 絶対に僕を救うと言い切れる自信。

 筋肉さんは、口ぐせのように絶対と言っている人たちとは明らかにちがう。いい加減に聞こえることは言うけれども、いい加減なことは言わない。責任を持って言っている。裏付けを持っている。

 ちゃんと、自分として、言えるものだ。

 それが筋肉。

 僕は、きっとそれが魔法である人間になりたかった。

 

 この絶対的な自信。

 自信の裏付けになるもの。

 きっと僕は、それが魔法であってほしかった。

 それがかなわないと知った。

 でも、魔法とはなんなのか。

 僕はまだ考えてみる余地があるんじゃないか。


「ネルどの、どうしましたかな?」

「いえなにも」

「うむ?」

「僕は筋肉さんについていきます」

「うむ? よいですぞ! では、せっかくですから、その角を使って、今日からは武器の使い方も教えてあげましょうかな!」

 筋肉さんは笑って言った。



 それから何日も経った。

 寒くなったり、暑くなったり、ということが何度もあった。ということは、季節が変わっているのかな、と考えたけれども、すぐどうでもよくなった。僕はその暑さも寒さも問題なく耐えられる。それを感じていればよかった。

 ただ、かなりの時間が経ったんだろうな、ということはわかった。でも気にならなかった。退屈だとか、おもしろいとか、そういうことも特になかった。

 自分の変化を感じ、まわりの変化を感じる。そうすることが、筋肉、の成長につながることを、なんとなく感じていた。




 そんなある日だった。


「では、今日はこれを抱えて崖めぐりでもしてもらいますかな」

「はい!」

 

 筋肉を増やして、魔物を倒して、ということをくり返すだけでなく、遠出もするようになった。

 指定した場所に行って帰ってくる。できるだけ早く。

 筋肉さんが指定する場所はいつも、僕の成長にとって意味がある場所だった。


「拙者は牛の世話と買い物がありますから手助けができませんので、無理はいけませんぞ?」

「はい!」

「今日は……、メジクに行ってくるのですぞ!」

「え」


 言われた瞬間、胸の奥が重くなったような気になった。


 魔法の町。


 忘れたと思った両親や兄姉の顔。

 町の様子。

 一瞬にして頭の中に広がった。


「では、拙者は買い物に行ってきますぞ!」

 あまりの加速に筋肉さんの姿が消えたように見えた。

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