第4話 マッキン魔法教室

 目を開けると星空があった。

 

「起きたようですな」

 月明かりの下、筋肉さんの姿が見えた。

 体を起こす。

 僕は……?

 

「服までは直せませんでしたぞ」

 体を見ると、僕は穴を開けた麻袋をかぶって、手足を出している状態だった。


 そうだ。

 指輪の炎に包まれたんだ。

 圧倒的な熱さ。それがあった。


 でもおかしい。

 体は無傷。

 立ち上がっても、わずかな痛みもない。

 夢?

 いや服が。


「僕は……?」

「あれはなかなかに立派な魔法具でしたな。お高い品物だったのでは?」

「あなたが炎を吸い取ったように見えたんですけど」

「そのとおりですぞ」

「それはどういう魔法ですか」

「呼吸ですな」

「ちゃんと教えてください。息で消せるわけない」

「ネルどの。魔法は、筋力ですぞ? まあ、呼吸というのは筋力に見えないかもしれませんがな。これもれっきとした筋力で」

「だからそれは」

「もちろん、魔法でもありますぞ」

「え?」

「つまり、拙者はこう思うのですぞ」


「魔法とは、ふしぎなもの、ではないかと」


「魔法は結果であって、過程はいくつもあっていいのではないかと思うのですな。魔力でも、筋力でも、結果が魔法と思えるのなら、それは魔法だと思うのですぞ」

 筋肉さんは言った。


「魔法は、結果……」

「そうですぞ。子どものころ、魔法とはどういう印象でしたかな? 拙者の印象では、自由なものだったのですがな」

「魔法は、自由……」


 魔法を初めて見たとき。


 ものがふわふわ浮かんだり、風が吹いたり、キラキラ光ったり。


「いまは、そうですな。魔法というのも、いろいろなものがありますな。ネルどのが生まれたときにはもう、たくさんの魔法があったでしょうな。魔法というのがなんなのか、考える前から、知ってしまったのでしょうなあ」

「魔法とは、なんなのか」

「それを考えず、ただ、魔法を区分し、適正を調べ、使う。それも悪くはないと思うのですがなあ。拙者はなんというか、そのようなやり方は、しっくりこなくて、ムズムズしてしまうのですぞ」

 筋肉さんは笑った。


「魔力とは……。魔力だけじゃない……」

「拙者はそのように考えておりますな。もちろん、魔法を区分する方々の努力を否定するものではありませんぞ? それはそれですばらしいものですからな! おたがいに、自分たちの考え方を大事にしていけばいいと思っておりますぞ! この、マッキン魔法教室では、魔力より筋力! ということですぞ!」


 そんなふうに考えたことはなかった。

 でも、納得できるところもある。


 小さいころ。

 ただ、魔法、というものについて考えていた。

 いや感じていた。

 それはただただ、ふしぎなもの、だったのかもしれない。

 でも、魔法を使おうと思ったとき、そこに魔法はなかった。

 学問のような、はっきりとした形を持ったものになっていた。

 それは魔法だろうか。


「僕の体はどうなったんですか」

「魔法、で治しましたぞ」

「筋力で治せるんですか」

「それはコツですな」

「さっき、腕の疲れを取ったやつの応用ですか?」

「お、よくわかりましたな! 筋がいいですぞ!」

「僕にもできますか」

 僕が言うと、筋肉さんはにっこり笑った。


「マッキン魔法教室へようこそ、ですぞ」




「なにをすればいいですか」

「これを上げ下げするのですぞ」

 といきなり例の、やたら重い輪をわたされる。

「いまからですか?」

 まだ夜だ。

「では、いつやるおつもりですかな?」


 そのとおりだ。

 いま。

 いましかないのだ。


「うう……、ぬう……」

 僕は、ぐっ、ぐっ、と重りを上げ下げする。

「おっと。ゆっくりやるのですぞ」

「え?」

「遅くやって鍛えるのですぞ!」

 早くやればいい、というものではないらしい。


「いいですぞいいですぞ!」

 僕が苦しめば苦しむほど筋肉さんがほめてくれる。

「はあ、はあ」

「あと三回ですぞ!」

「うう……」

「あと二回ですぞ!」

「うう……」

「いまのはちょっと早かったから、もう二回ですぞ」

「ううう……!」


 体なんて鍛えてこなかった僕には相当きつい。

 でも、ここからだ。


「これで、終わりだあ!」

 僕はついに上げきった。

 これでいったん休憩。

「では、疲れをとりますぞ!」

 

 重りを置こうとする僕の腕をとる筋肉さんの指が、なめらかに動き出す。

「うひゃあ!」


 指がなめらかに動いて、三十本も四十本もあるかのように僕の腕を刺激してくる。

 そしてあっという間に腕の疲れが消えていた。


「さあ、続きですぞ!」

 ふと思う。


「え……、ちょっと待ってください」

「なんですかな?」

「これだと、無限にできてしまう気がするんですが」

「そうですぞ? どんどんやって、すぐ鍛えないと。ネルどのは細身ですから、この調子ですと一生かかっても筋肉魔法が使えるようになりませんぞ」

「え……。え……? え。……ええ?」


 いや、運動をして限界を迎え、翌日からまた鍛える。

 それが鍛錬というものだろう。

 と思ってたけど、でもたしかに、こんな調子でやり始めたら何年か経ってやっと常人並にしかなれない。

 そこから鍛えて僕はどこまでいけるのか。


 いや。

 こう考えるべきだ。

「休まずに鍛えられる! やった! ってことですね」

「そうですぞ」

 筋肉さんがにっこり笑顔になる。

「僕は、みんなよりも早く成長できるってことですね」

「そうですぞ!」


 前向きに、前向きに前向きに、やがて前のめりすぎて死ぬ。

 それくらいがちょうどいい。

 そもそも僕はさっき死のうとしたじゃないか。

 僕は死んで、いまは、人生のおまけ期間みたいなものだ。

 なら別に、どうでもいい。

 やれることがあって、それをやったらすごいことになるかもしれない。

 そういうものが目前にある。

 だったらやればいい。


「苦しいけど、みんなに追いつけるかもしれない……」


 練習して、勉強して、練習して、勉強して、練習して勉強して練習して勉強して練習して勉強して練習して勉強して、それでも一歩も進まない。

 それが僕だ。

 でも筋肉はちがう。

 貯まる。


「苦しむだけでいいんですね!」

 筋肉さんは微妙な笑みで僕を見た。

「苦しいだけ、なんてかんたんなものではありませんぞ?」


 そんなの筋肉さんを見ればわかる。

 まともな鍛え方じゃない。

 筋肉さんは、厳しい鍛錬のつらさを知っているのかもしれない。


 でも筋肉さんは、どんなにやってもなにも結果につながらないということを知らないだろう。


 結果。

 それがあるならいくらだって苦しんでやる。


「続きをお願いします」

「いいですぞ」

 筋肉さんは言うと、別の重りを持ってきた。

 倍くらいの重さがあった。


「やる気が出たようですので持ってきましたが、どうですかな?」

「どんどんいきましょう」

 僕はゆっくりと持ち上げた。



 夜が明けて、太陽が動いていく。

 その間に僕の体は変わっていた。

 一日で筋肉の大きさが変わっていくのを実感するのは初めてだった。

 腕の、脚の太さが明らかに変わる。

 疲れはない。

 僕は無限に動けるのだ。


「さあ、これを上げ下げするのですぞ!」

「はい!」

「いいですぞ! どんどんいくのですぞ!」

「はい!」

「脚に引っかけて、そうですぞ!」

「はい!」


 筋肉さんの手助けさえあれば無限に動ける。

 これで僕は、僕は変わる。

 新しい僕になれるんだ!


「え?」


 急に体が動かなくなった。

 目の前がチカチカして力が入らなくなる。

 ゆっくりと沼に沈んでいくように、意識が閉じていく。

 あれ?

 どうしたんだ。

 これで、終わり、なのか……。


「うっかりしておりましたぞ」

 筋肉さんの声が遠くから聞こえる。


「さあ、ミルクですぞ」

 すぐあとに聞こえた声。

 なんとか目を開くと、

 筋肉さんは、僕が腰まで入れそうな大きさの、太くて大きな缶を抱えていた。


「飲むのですぞ」

 僕の口元に缶があてられ、筋肉さんが傾ける。

 口の中に入ってくるミルク。

 こんな状態じゃ、口に入らないか吐き出すだけだ、やめてください。そう言いたくても力が入らなからどうしようもなく……。


 と思ったのに。

 するする体に入っていく。


 ごく、ごく、ごく、ごく。

 ごきゅっ、ごきゅっ、ごきゅっ、ごきゅっ。

 ぐおーっくん、ぐおーっくん、ぐおーっくん!


「ぷっはあー!」

 一息ついたときには、でかい缶の半分以上を飲んでいた。


「どうですかな?」

「うまい」

 信じられないくらいおいしい。

 いままで飲んでいたミルクがなんだったのかと思うほど、濃厚なのにさっぱりという相反する味わいだった。


「はっはっは、体力は回復させられますが、食事を欠かしては体が動きませんぞ! 筋肉をつくるにはこれが一番ですな!」

「食事?」

「ミルクさえあれば筋肉はできるのですぞ!」

「え、肉とかは」

「いりませんぞ!」


 僕は離れたところでうろうろして草を食べている牛を見た。

「信じられませんかな?」

 信じられないという気持ちはあるけれど。

 いまさら筋肉さんを疑うつもりはない。


「さあ、飲み終わったら再開ですぞ!」

「はい!」



 僕は足首に金属を取りつけられ、走る。

 金属さん、いや筋肉さんは並走しながら僕の疲れをとってくれる。

 適度にミルクも飲ませてくれる。


「跳ぶのです! 高く、高く!」

「はい!」

 僕は重りを持って足に重りをつけられて、跳ぶ。

 跳ぶ。

 跳ぶ!

 筋肉さんは適度にミルクを飲ませてくれる!


 息が切れても疲れは消える。

 ミルクを飲んでいると、のどもかわかないし腹も減らない。

 口から入ったミルクが筋肉に変化して、全身に広がっていっているように感じられた。



「ネルどの、体調はどうですかな?」


 最高です。


 体は悲鳴を上げているけれども同時に歓声を上げているというか。

 一日の間で、重りを持ち上げられる回数が増えていく。

 速く走れるようになっていく。

 体つきも変わっていく。

 やり方はすべて筋肉さんが教えてくれる。

 苦しさに耐えるだけでいい。

 つらいだけでいい。


 迷いは一切ない。

 なんて楽なんだろう。


 みんなはこんな気持ちで魔法を覚えていっているんだろうか。

 ずるいな。


 毎日毎日壁に体当たりをしているみたいだった毎日が、大きく開けていた。

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