第3話 僕の終わり

 魔法使いは線が細かったり、小柄だったりすることも多い。

 それは体を鍛えるよりも、魔法を使うことに力を注いでいるからだ。

 もちろん極めるだけが道ではない。

 誰かに教えたり、いろんな分野の魔法を使おうという意識がある人もいる。そういう人たちは、魔法を次の人たちにつなげる役割を持つ。

 あるいは魔法戦士という道もある。

 物理的な攻撃と、魔法の両立だ。

 そういう人もいるけれども……。



「ライオネル・グランデールどの、と」

 『筋肉さん』は紙束に書き込んでいた。


 僕と筋肉さんは、屋根だけの建物の下に敷かれた敷物に座っていた。

 その巨体。

 まだ人間と話をしている気がしない。


「これで受付完了ですぞ!」

「あの……、あなたがこの、魔法教室を経営している、マッキン・ニクラウスさん……、なんですよね?」

 また同じことを言ってしまった。でも確認せずにはいらない。

「そうですぞ。おっと、筋肉さんと呼んでいいのですぞ?」

 筋肉さん、は何度きいても愛想よくにっこり笑ってくれる。


「……筋肉さん」

「そうですぞ、ネルどの!」

「ネルどの?」

「ライオネルどのですから、ネルどのですな!」

 はっはっは、と筋肉さんは笑った。

「はは……」

 はは……。


「……ちょっとききたいんですが」

「なんでもきいてくだされ!」

 筋肉さんがぐっ、と顔を近づける。

 圧迫感がすごい。


「筋肉さんは、どういった魔法を使う魔法使いなんでしょうか」

「筋肉ですぞ!」

「は?」

「それがどうしましたかな?」


 聞きちがいだろうか。

 やり直しだ。

「ええと……。あの、魔法教室の先生ですよね?」

「そうですぞ」

「魔法を教えるんですよね?」

「そうですぞ」

「どういった系統の魔法を?」

「筋力ですぞ?」

「は?」

「ん?」

 僕、つかれてるのかな。

 おかしいな。


「ええと、魔法教室は、魔法を教えますね?」

「そうですな」

「だったら、魔力がないといけませんよね?」

「そうですかな?」

「あの、筋肉さんは魔力はあるんですよね?」

「ないですぞ」

「は?」

「ん?」

「ふざけてます?」

「まさか!」

 筋肉さんはぶるんぶるん首を振った。

 風が起きそうなくらいの豪快な動きだ。


 筋肉さんは楽しげですらあるのだが、僕の気持ちは急速に離れていた。

 僕の一番嫌う、ふざけかたをしている。

「あなたは魔力がないんですね?」

「そうですぞ!」

「筋力が自慢なんですね?」

「そうですぞ!」

「そうですか。帰ります」


 なんだ。

 根本的にちがった。

 魔法教室ではない。

 魔力のない人が、魔法が使えるとふざけている。そういうところだ。

 僕には、盗賊団のいるところより耐えがたい場所のようだ。


 立ち上がって後ろを向くと、瞬時に筋肉さんが目の前に現れた。

「まあ、そうおっしゃらず。せっかくこんなところまでいらっしゃったのですからな」

 移動魔法?

 いや、予備動作どころか詠唱の気配もなにもなかった。もっと単純な魔法ならともかく、そういうことができる魔法ではない。

 だったら別系統の、単純な魔法を突き詰めた魔法だった? 風魔法? 重力系?


 なら、魔法が使えるのか。

 じゃあいまの筋肉がどうこう、っていうのはなんだ?

 やっぱりふざけてる。


「魔法を学びにいらしたのでしょう? では、これを」

 筋肉さんが手にしていたものを僕にわたす。

 腕輪みたいな金属の輪だ。

「いえ僕はもう帰るので」

「まあ、どうぞどうぞ。持ってみるだけですからな」

「あの」

 断って横を抜けようとしても、左右にすばやく移動して立ちふさがってくる。一歩目で、もう僕と同じ方向に動く。行き先を察知しているかのような動きだった。高等な魔法を使えるのだろうか。


「さあさあ!」

 なにがうれしいのか、にこにこしながら僕に腕輪を押しつけてくる。

 持たないと終わらないらしい。

「はあ」

 これ見よがしにため息をつきながら、腕輪を受け取る。


「うっおっ」

 持ってみるとやたらに重くて腕が抜けそうになった。

 両手でこらえる。

 薄いし、そんなに重そうに見えないのに。

 たとえばそう、水のたっぷり入った桶くらいの重さがある。


「この金属は、鉄よりずっと重い成分ですので、充分お気をつけてほしいのですぞ!」

「……そういうことは、先に……」

「まずは肘を曲げて、持ち上げてみてほしいのですぞ」

 ぐぐっ、と顔を近づけてくる筋肉さんの圧迫感に拒否は許されない気がして、言われた通りにする。


 輪をつかんだまま、肘を曲げる。

 当然、重い。

「のばすのですぞ」

 肘をのばす。


「曲げるのですぞ」

 持ち上げる。


「どんどんやるのですぞ。どんどん。腕が動かなくなるまでどんどんやってみてほしいのですぞ!」

「もういいでしょう!」

「やってみてほしいのですぞ!」

 と圧迫感!


 わかりましたよ!


 ぐっ。

 ぐっ。

 ぐっ。

 曲げて、のばして、曲げて、のばして。

 すぐに腕が限界に。

「そろそろ限界ですかな」

 筋肉さんが、僕の手から輪を回収した。

「はあ……」

 曲げ方を忘れたみたいに腕が重い。

「では、今度はこうですぞ」

 筋肉さんは僕の腕を勝手につかむ。

「え、ちょ」

「それっ」

「あ、あわあわわわ」

 筋肉さんの指から絶え間ない振動が腕全体に伝わってくる。

 意識的な揺らし方というより、電気魔法で感電しているような非常に細かい揺れだった。


「ちょ、ちょっとやめてください」

 言ったらすぐ腕を離してくれた。

「さあ、どうですかな。腕の調子は」

「あ、え?」


 言われて気づく。

 腕が軽い。

 重さが消えた。腕の曲げ伸ばしをする前より動かしやすい気さえする。

「なんですかこれ。治療魔法ですか?」

「次はこれを」

 筋肉さんは答えず、僕にさっきの輪を。

 今度は二個。


「二個ですので、両腕分、一気にできますぞ!」

 筋肉さんが顔を近づけてきた。


「いえ、あの」

「さあ!」

「だからその」

「さあさあ!」

 持たされた。

「僕はいま、その、なにをやらされてるんでしょうか」

「筋肉を鍛えているのですぞ。疲れても、拙者がすぐ疲労を取り除いてさしあげますからご安心を! さあ、さあ! さあ!」

「ちょっと、いったん離れてください!」


 僕が叫ぶと、きょとんとしている筋肉さん。

「なんですかな?」

「帰ります」

 輪を、地面に捨てる。

 まったく弾まずズシンと落ちた輪を、筋肉さんは目で追っていた。

「僕は魔法を教わりに来たのであって、筋肉を鍛えに来たわけではありません」

「どういう意味ですかな?」

「だって、筋肉は魔法と関係ないでしょう?」


 そう言った僕をしばらく見ていた筋肉さんだったが、急に笑い始めた。

「はっはっはっはっは、はっはっはっはっは、はっはっはっはっは!」

 声がだんだん大きくなっていって、うるさいくらいだ。


「はっはっは! いや失礼、ネルどのがおもしろいことをおっしゃるもので! まさか、魔法を使うのに筋肉が関係ないかのようなことをおっしゃるとは!」

「は?」

「わっはっはっは!」

「筋肉と魔法は関係ないですよ」

「む?」

 筋肉さんの笑いが止まった。


「筋肉を鍛えたって魔力が増えるわけではないでしょう」

「そうですな」

「だったら関係ないじゃないですか」

「ありますぞ。筋肉さえ鍛えれば、魔法も使えますぞ?」

 筋肉さんは、にこにこしながら言った。


「そんなわけないじゃないですか。魔力がなければ……」

 魔力がなければ。

 魔法使いには、なれない。

 だから、だから僕はここにいるんだ。

 グランデール魔法学校にいられなくなったから、こんな、意味のわからない話を聞かされているんだ。

 魔力がないから……!


「ネルどの、そんな深刻な顔をしないことですぞ! 魔力なんて、どうでもいいのですから!」

「は……?」


 頭が、すっと冷えた気がした。


「さあ、続きをやりましょうぞ、ネルどの! ん? どうかしましたかな? もしかして、気分が悪いのですかな」

「……取り消してもらえますか?」

「なんですかな?」

「魔力なんてどうでもいい、筋肉で魔法が使えるとかいう、ふざけた言葉、取り消してもらえますか」

 僕の声は震えていた。

 気を抜くと、バカみたいに怒鳴り散らしてしまいそうだった。


「おや? ごきげんななめですな。お腹でもすきましたかな?」

「早く筋肉で魔法が使えるという言葉を取り消してくださいよ!」

 

 バカにされているようにしか思えない。

 いやそれ以上にもっと屈辱的なものを感じていた。

 許せることじゃない。

 だけどこの場は、この人が謝りさえすればおさめようと思う。

 だからさっさと謝れ。

 それで終わりにしてやる。


 筋肉さんはやっと、おや? という顔になる。

「気分を害されましたかな?」

「ええ。ですが謝ってくれれば聞かなかったことにしますよ」

 僕は、なんとか冷静さを取りもどそうとしていた。

「それはできませんな」

「は?」

 僕は、あぜんとした。

「筋肉さえあれば魔法が使えるというのは、事実ですからな!」

 堂々と言う意味がわからない。


「いや……。はは。わかりませんかね。ええと、つまり」

「つまり、なんですかな?」

「つまり上っ面だけでもいいから謝ってって言ってるんですよ」

「できませんな」

「……あ、じゃあ、はい、筋肉と魔法は関係あるっていうのを取り消してくれればそれでいいので」

「できませんな」

「……。別にいいじゃないですか。口先だけ、取り消してくれればそれでいいんで」

「できませんな」

 筋肉さんはくり返す。


 ちっ。

 舌打ちががまんできなかった。

「だからよ! 筋肉で魔法が使えるなら、筋肉を鍛えたら誰でも魔法が使えるってことになるだろうが! ふざけんなよ!」

 大声が出てしまう。

 ああ。

 自分に幻滅する。

 なにをしてるんだ僕は。

 でも止まらない。

 頭が熱い。

 死んでもがまんができないと感じる。

 文字通りだ。

 どうしようもない。


「ふざけてはおりません。魔法は使えますぞ」

 筋肉さんは、あくまでおだやかに言った。

 笑顔のままだ。

「筋肉で、魔法は使えますぞ」


 僕は髪の毛をかきむしっていた。

「ふざけ……、ふざけやがって……」

 怒りで呼吸がおかしくなる。

 こいつ、こいつ……!

 ふざけやがって!

 魔力がないと思って、バカにしてるんだ……!

 この……!


 みんな……!

 僕をバカにしてるんだ……!

 みんな……。

 みんな……!!


「体調が悪いのですかな?」

 もはや見た目も声も、すべてが不快だった。

「じゃあ……、炎を出してみろよ!」

「はい?」

「あんた、筋肉で魔法が使えるっていうんなら、できるだろ!」

「それはできませんな。筋肉で炎は出ませんからな」

「なんだ、できないんじゃないか!」

「炎を消すことならできますがな」

「ろうそくの火なら僕にもできますよ」

「そうですなあ。燃えている家くらいなら、かんたんですな」

 筋肉さんは、柱の一本を軽くたたいた。


「燃えている家……?」

「そうですな。それくらいなら、一瞬で消せますぞ」

「この家が燃えたら、ってことですか?」

「いやいや、もっと一般的なものですぞ。ふつうに人が住んでいる家ですな。水をかけてもすぐには消せないくらいのものですぞ」

「……へえ。なら、これをかき消すこともできるってことなんですかね」


 僕は指輪を外した。

 すると、指輪の形が炎のように赤くゆらめきはじめる。

 僕はそれを握りしめた。


「これはね。かんたんにいえば、炎魔法が入ってる魔法具ですよ。これを開放すれば大きな炎が発生します」


 護身用にと、小さいころ誕生日に与えられた。

 魔法が発動する前に指輪を投げれば、巨大な炎となって相手に向かっていく。

 母は危険だからと反対していたが、魔法使いの一族で魔法を恐れるようなことがあってはならない、と父は強く主張し、以来僕は肌身離さず持っていた。


 父は、そのころから魔力が感じられない僕になにか刺激を与えたかったのかもしれない。


「こんなボロ屋が一瞬で見えなくなるような炎が出ますよ。どうです?」

 筋肉さんは黙って僕を見ていた。

 僕は笑いがこみ上げる。


「はは。僕が魔法を使えないと思って、炎なんて出せないと、あまくみていたんでしょう? 炎なんて出せないと。いいかげんなことを言ったって本当に炎を消すなんてしなくてもいいって。はっはっは。はっはっは! あなたが魔法を使えるとしても、巨大な炎は手こずりますよ! ほら、逃げるならすぐ行ったほうがいいですよ! 危ないですからね!」


 くだらない。

 意味のないことだ、と自分で思った。

 こんなことをして謝らせたところで、なんの意味もない。

 くだらない。ああくだらない。

 でも言わずにはいられなかった。

 取り消させなければ、僕が僕でなくなってしまう。

 この人の言葉を許すくらいなら死んだほうがましだ、と心から思えた。


「お断りしますぞ」


 耳をうたがう、というのはこのことだった。

 本当に聞きちがいだとしか思えなかった。

「なんですか?」

「お断りしますぞ!」

 筋肉さんははっきりと言った。

「……言い直せばそれでいいんですよ」

 僕の右手が赤く光り始める。

「お断りしますぞ」

「じゃあ、あなたにこの炎を向けてもいいっていうんですか!」

「平気ですぞ」

「……言葉の意味がわからなんですか? 巨大な炎があなたに向かっていくんですよ?」

「わかってますぞ! 炎を消すのは大歓迎、言葉を取り消すのはお断りしますぞ!」


 なにを言ってるんだ。

 右手の熱が強まる。

「う」

「……ネルどの? こげくさいように思いますが」

「この炎は、あんたを殺すんだぞ?」

「ネルどの。手が」


 右手の熱さはとっくに痛みに変わっていた。

 焼けるようなにおいがしている。

 もうとっくに放つべき時間はすぎている。

 それでも手を広げていないから、魔法が完全に発動されてはいない。

 手を開けばその瞬間、僕は全身を炎に包まれるだろう。

「ネルどの、指輪を捨てて、すぐ治療しなければ」

「なら言い直せよ……」

「それはお断りですぞ! 拙者は、自分の言葉にちゃんと責任を持っておりますからな!」

「僕は冗談でやっているんじゃないだ……」

「はっはっは、わかってますぞ! 冗談で自分の右手を焼く人などいませんからな!」


 この状況で笑っている。

 どうかしてるんじゃないだろうか。

 ……ああ、もう魔法は止められない。

 自分の意志で手を開いて発動するか、右手が焼け落ちて発動するか、だ。

 どちらにしても僕は死ぬ。

 しまったな。


 まあでも実際のところ、僕は彼にこの炎を向ける気はなかった。

 使うなら自分に使っただろう。


 どこか、気づいていたんだ。

 僕は魔法を使えない。

 永久に。

 父の言葉でそれを知ってしまった。

 そして魔法を使えない僕は僕を受け入れられない。

 それもわかっている。

 こんなくだらない言い争いでも、自分自身の平静を保てなくなってしまう。

 それをいま、思い知った。


 なら。

 僕には先はない。

 死ぬしかない。

 どう死ぬ?

 魔法の炎に焼かれるなんて、ぴったりじゃないか。

 最後に、魔法の一部になれる。

 そう、僕はとっくに絶望してたんだ。

 あきらめていたんだ。

 自分で死ぬのにふさわしい、広くて開けて、誰にも迷惑がかからない場所を、求めていたんだ。

 牛を追って歩けというのに従ったのは、つまり、そういうことだ。

 とっくにまともじゃなかったんだ。


「ネルどの、治療をしましょう」

「……迷惑をかけて、本当にすいません。このへんかなり広く燃えます。離れてください」

「ネルどの?」

 炎の規模がわかっていないんだろう。


 僕は彼に背を向け、草原を走った。

 いくら気に入らない相手だからといって、こんなことに巻き込んでいいわけがない。

 それほど長くは走れなかった。

 二十歩くらいだろうか。

 右手の力が勝手にゆるんだ。

 瞬間、見えるものがすべて赤になった。

 猛烈な熱。

 熱い。

 飲み込まれる。

 どうしようもない。

 もがくが、無意味だと強く感じる。

 抵抗できない。

 終わる。

 僕が終わる。


 そのとき。


 僕のまわりの赤いものがいっぺんに消えた。

 見えたものは。

 魔法の炎を一瞬にして全て吸い込む筋肉さん、だった。

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