第2話 筋肉
青空の下、草原の中をまっすぐ貫く街道。
そこを走る馬一頭の荷馬車。
木製の荷台にはわらが敷かれていて、僕の体に伝わる揺れが抑えられていた。といっても最初から大した揺れではなく、ずっと散歩しているくらいの速さだったけれど。
「ほい、ほい」
手綱を持ったおじさんが、のんびりと馬に声をかけている。
手綱はにぎっているだけ。一回も動かしていない。
「あの」
「ほい、ほい」
「あの、すいません」
「はいはいお兄ちゃん、なんですかい」
おじさんが振り返ってにっかり笑う。
日焼けして、腹が出ているが体はがっしりしている。魔法使いと対極の体型かもしれない。
「マッキン魔法教室までは、どのくらいかかりますか」
「もうちょっとだな」
「はあ」
さっきも同じことを言っていた。
僕は荷台にひっくり返った。
わらのにおいがする。背中があたたかい。
家を飛び出して以降、他の町で新しい魔法教室、魔法学校を探した。
どこも言われることは同じだった。
『あなたは魔力が非常に少ないようですね。また、それをうまく活かすこともできていないようです』
それをどうにかする方法が知りたい、と言っても話は進まなかった。
「ライオネル・グランデールさん? ああ……」
名前を言うと、もう、ほとんど結論は出てしまった。
僕は、自分が思っているよりも多くの人に存在を知られているらしかった。
バカにされるとか、下に見られるとか、そういうことではない。
うっすらと気の毒そうに、そして丁寧な対応を受けるだけだ。
そういうことをくり返し、ただ手持ちのお金は減っていく。
気持ちも削られていく。
最初のうちは、ふざけるな! あんたらなんかわかるもんか! と思えていた。
でもいまは、望みなんてないのだろうな、と僕の方から思ってしまう。
頭に来ない。
まだやれる!
僕はやるんだ!
そういう気持ちは、もうすぐ消えてなくなってしまうんだろうか。
そんなとき近くの村で荷物をおろしていたこのおじさんに聞いたのが、マッキン魔法教室、という場所だった。
魔法教室での雑用をきちんとこなせば、学費だけでなく宿泊料なども免除してもらえると聞いて飛びついてはみたものの……。
「もうちょっとだな」
おじさんは言う。
体を起こしてみたけれど、景色は全然変わっていなかった。
こんなところに本当に魔法教室なんてあるのだろうか。
いや、あったとして、まともに活動しているのだろうか。
すでに、僕の考えは、町にもどってどうするか、ということに切り替わっていた。
景色にちょっとした変化があった。
草原を牛が歩いていた。さっきまではなにもいなかった。
ちょっと離れたところを馬車と同じ速さで歩いている。
「どうどう」
おじさんの指示で、馬車が止まった。
「どうしたんですか」
「あの牛についてきゃあ、わかる」
「牛?」
おじさんは馬車から降りた。
すると牛がこちらへ歩いてくる。
馬車の前で立ち止まった。
「そいつに、ついてきな」
おじさんの声に反応するように、牛が僕を見上げた。
僕も荷台を降りる。
見る。
牛だ。
白と黒の模様の牛。
「きれいな牛だろう?」
おじさんが言う。
たしかに、毛のつやがいいというか。
白と黒の模様が、太陽の光にうっすら輝いて見えた。
「じゃな」
いつの間にか馬車に乗っていたおじさんは、ぽんぽん、と馬の尻を手で押した。
ぱかぱかと歩き始め、馬車が進む。
「え、ちょっと」
「元気でなー」
おじさんがこっちを見ながら大きく手を振る。
そんな!
ちょっと待って、こんなところでおいてかないでくださいよ!
なんて叫んで待ってもらわなくても、馬車はのろのろ進んでいくので、追いつこうと思えばすぐ追いつける。
「あ」
牛が、街道を進む馬車とは別方向、草原に向かって進み始めた。
一度立ち止まり、振り返る。
僕を見ている。
牛は、早く来な、と言わんばかりに頭を軽く振った。
「だまされたと思って、ついていってみな!」
おじさんが馬車からこっちに怒鳴っていた。
牛がちょっと歩いて、振り返る。
どうするんだ?
そういう顔だった。
僕はどうかしてたんだろう。
牛のあとをついて歩いていた。
草原を歩いていたら、牛の数が増えてきた。
模様はほとんどいっしょの白黒で、同じ種類の牛なんだろう。
でも僕の前を行く牛はどこかちがう。意思を持った動きというんだろうか。目つき、態度……。なにかがちがう。
具体的にはよくわからないけど。
太陽が、やや傾いてきたかな、というまで歩いていたら、やっと建物の屋根が見えてきた。
近づくほどに、これは建物と呼んでいいのだろうかと悩む。
屋根だけなのだ。
地面に丸太が四本突き立てられていて、その上に木製の簡素な屋根がのっかっている。
柱のひとつに、マッキン魔法教室、と書いた板がぶら下がっていた。
どういうことだ……?
ここは、かつて魔法教室だった場所……?
すがるように牛を見る。
すると、みんなのんびりと草を食べていて、僕を連れてきた牛がどれなのかわからなくなっていた。 え?
「あの……、牛さん?」
どの牛も顔を上げない。
え?
「ええと、マッキン魔法教室は、どこですかね」
無反応な牛たち。
いや、牛よ。頼むよ。
僕は草原の中にぽつんと立っている廃墟以下の建物を見た。
いや、牛よ!
頼むよ!
牛!
だまされたと思ってついていったら、だまされないのが定説では?
本当にだまされることってあるの?
……あるんですよ。
やあ、魔法ばかり学んで世間の常識がないライオネル君!
これが社会だ! 残念だったね!
だがこれも学びだ、将来に生かしたまえ!
そんな社会消えてしまえ!
「はあ」
どっとつかれた。
草原に座る。
おじさんの馬車、行っちゃったな。
街道の方向はわかるから、そっちに向かってもどれば一番近くの町まではもどれるだろうけど、いまからでは夜までに間に合わないかもしれない。夜の街道は物騒なところもあるというし……。
この牛たちはどこで夜を明かすんだろう。誰かが飼っているんだろうか。最悪、牛についていって、牛舎にでも泊まらせてもらうしかないだろう。
しかし。
「マッキン魔法教室が、どこかに建て直されている可能性はあるか」
「呼びましたかな?」
「え?」
起き上がり、振り返る。
茶色。
それが間近にいた。
反射的に後ずさりながら、立ち上がる。
直感が危機だと訴えていた。
いつの間にか鎧の男が僕の前にいたのだ。
……いや?
いや、鎧じゃない。
筋肉だ。
生身だ。人間だ。
茶色い鎧を着てるんじゃない、筋肉がとてつもなく盛り上がってるんだ!
腰巻きだけを身に着けた、半裸の男が立っていた。
身長は明らかに僕より高い。
一般的な大人の身長くらいはある僕が、子どもが大人を見るように見上げていた。
常人の、倍とはいわないが1・5倍くらいありそうだ。
そしてそれよりもすごいのは胸、腕、腹、脚。
どこの筋肉もぱんぱんに張っていた。
全身が、浅黒い、肌に似た色の鎧を身にまとっているかのようなふくれあがり方をしている。
腕が、たぶん僕の腰回りよりも太い。
人体というより、人体をまねした鎧を着ている感じ。
だから、身長の高さ以上に大きさを感じる。
ただただでかいのだ。
人間の体と思えない。
……魔人?
そう考えたほうがしっくりくる。
こんなところでそんなものに会うなんて。
人間を狩って生活をしているのだろうか。
あの荷馬車のおじさんも仲間?
僕は死ぬのか。
いやもう死んでいる?
そうか。
夢。
死ぬ前に見ている夢のようなものなのだろう。
草原をのんびり荷馬車に乗って進んでいるなんて、平和な日常を通り越して平和すぎると思ったんだ。どうりでおかしいと思った。
荷馬車はともかく、牛に案内されて草原を歩くなんて、夢に決まっている。
たとえばそう、僕はきっと、町を出たところで盗賊に襲われて死んでいたんだ。
荷馬車のおじさんは、盗賊団と通じていて、僕のようにぼんやりしている男に声をかけては、人のいないところへ連れていく。そこで仲間と一緒に、速やかに殺して物品を奪う。そこで僕は死んでいる。
意識が完全に失われるまでの時間に見た夢。
それがこれ。
なんだ。
人生、終わってみればこんなもの。
残念。
無念。
また来世。
「はじめまして。お名前は?」
魔人は言った。
「ライオネル・グランデールです」
つい、本名を言っていて後悔した。
名前を知った相手の魂を死後も拘束できる魔人、といった存在を聞いたことがある。これが夢ならいいが、万が一魔人だったら僕は、魔人に魂を操られることになってしまう。
「よい名ですな! ところで、マッキン魔法教室へいらっしゃったということは、魔法を学びにいらっしゃったのですな?」
「はい」
「マッキン魔法教室へようこそ!」
魔人は手を出した。
すこし待ったが、僕の意識が失われない。
夢なのかそうじゃないのか。
とにかく、手を出すしかないようだ。
僕が出した手は、魔人の巨大な手に包まれた。
まず、手を握り潰される……!?
「よろしくおねがいしますぞ!」
おどろくほどふわりとした感触で握り返してくれた。
「こちらこそ」
僕が言うと、魔人は手を離した。
会話が成立している。
危害は加えられていない。
友好関係築ける系の魔人か?
あるいは、人間の可能性も……?
いやそれはさすがに。
はっ。
もしかして。
これ。
夢じゃなくて、マッキン魔法教室のマッキン氏が扱っているゴーレムなんじゃないか?
ゴーレムなど、物質を作る、操る、といったことを得意とした魔法使いなのかもしれない。
そう思ったら急に納得できた。
牛も、ここまで誘導するために魔法をかけていただけかも。あるいは、牛に見えて、牛の形をしたゴーレムだったのか? だからどこか、人のようなしぐさもあったのかもしれない。
なるほど。
夢にしてはずいぶん長い。
では現実だとしたら?
ゴーレムだ!
常識的に考えてこんなに大きい人間がいるわけがないし、こんなに筋肉をたくわえられるわけがない。
本人が直接生徒と関わりたくないので、という理由でこういうやり方の魔法使いもいる。
変わり者の部類だけれど、有能であることが多い。
とすれば、雑用を受け持つだけで無料で指導を受けられるというのが本当なら、かなりお得なのでは?
「どうも、申し遅れました。拙者はマッキン・ニクラウス! この魔法教室の主ですぞ! マッキンニクラウスですから、間を取ってキンニク、気軽に筋肉さん、と呼んでくださってかまいませんぞ!」
「ゴーレムのお名前、ということですか?」
「うん? 拙者は人間ですぞ?」
わっはっはっは! とマッキン・ニクラウス氏は笑っていた。
人、間…………?
これが……?
……夢、か?
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