第69話 勝ったんだ
体育館の入り口にいた結愛が、こちらに近づいてくる。
最初は小走りで。
徐々にゆっくりと。
こちらの目と鼻の先まで。
揺れる黒髪も、丸い瞳も、いつもと変わらない。
少しだけ息を弾ませながら、一歩ずつ歩いてきた。
そして、静かに立ち止まる。
彼女の息吹を感じ、俺は少しだけ気分が和らいだ。
「円二…あたし来たよ。あたしにできることがあれば、何でも言って」
「ありがとう。まずは少しだけ、横で俺の話を聞いてくれないさ」
「分かった。待ってるから…」
結愛は静かに俺の横に立ち、右手をしっかりと握った。
俺は義妹の暖かさをしっかりと感じた後ー、
「…待たせたな、凛」
千恵美に捕らえられている元幼馴染に声をかけた。
「くぞぉぉぉぉおおおおっ…うぅぅううううっ…」
髪はバラバラに乱れ。
顔は傷だらけ。
半狂乱の表情となり。
口からは憎悪と怒りを撒き散らしている。
服も粗末なものになっていた。
完全に追い詰められ、傷つけられた幼馴染。
なんとか千恵美の拘束を引き剥がそうとしているが、完全に力負けしており、足をバタバタさせるのが精一杯。
「お、大嘘つきの裏切り者!!!ペテン師!!!恥知らず!!!主人公である私を裏切るなんて…天罰が降るわよ!!!」
昔の俺だったら、哀れに思ったかもしれない。
そばに駆けつけたかもしれない。
同情したかもしれない。
だが、そんな気持ちは今、一欠片もない。
こいつは余りにも罪を重ねすぎた。
自分の欲望で人を傷つけ、人を騙し、人を貶める。
どれだけ説得しても改心するつもりもないだろう。
観覧車の中で対話しても、こいつは自分の考えを改めず、贖罪の気持ちを持たなかった。
だからー、
容赦なく復讐を成し遂げるだけだ。
「ねえ…分からないの!?私の…私の重要性が!!!」
叫びすぎて声が掠れはじめた凛が、俺の姿を見て声をあげる。
「分かる?何がだ」
「私は、あなたの人生の全てを演出してきたの!!!お金を払って、『ともだち』をあなたと付き合わせた。あなたが青春を楽しめるようにねぇ!!!そんな私を罠にはめようだなんで、神をも殺すー」
「気づいてたさ、途中から」
「…え?」
「…ずっと前から、気持ち悪いと思っていた」
「き、気持ち悪い?わ、私が…」
「ああ。分からないのか?」
俺は、過去を思い出しながら、ゆっくりと話し出す。
「何の前触れもなくお前は現れ、千恵美がいなくなった傷心が消えぬうちにベタベタと接してきた。そして、急に何人かの取り巻きを引き連れ、俺の私生活を強引に共有しようとした。あまりにも、不自然な形でな」
「そ、そんなことはしてない…私は完璧に…!!!」
「まだ子供だった俺は、最初は『落ち込んでいる俺を励ましたいんだろう』と疑問を感じずに受け入れていた。だが、数年経ち、俺は徐々に気持ち悪くなってきた。どうしてみんな、話も大して合わない俺と仲良くする?どうして、凛がいなくなった後はすぐいなくなる?どうして、他のクラスメイトは遠巻きに俺を眺めている?心の中で、不気味さや気持ち悪さが次第に大きくなっていったよ」
「…」
「だから…お前が考えているほど、俺の人生は楽しいものじゃなかった。作為的なものを常に感じていた。お前が高井をけしかけた日に不信感が限界を越えるまで、少し時間がかかったがな」
「そ、そんな…」
「だから…お前はもうずっと前から、俺をコントロールすることなんてできなくなっていたんだ!」
凛は絶句し、言葉を失う。
俺に『楽しい人生』を完璧に提供できだと思っていたらしい。
金だけで、人の心や本物の思い出を作ることはできない。
それが、こいつには分からなかったらしい。
「い、いや!いやだ!私の前からいなくならないで!!!ヨリを戻してえぇぇぇぇぇぇええええ!!」
「ヨリなんて絶対に戻さない!お前は、俺の人生を作ってきた神様でも、ましてや主人公でもない!!!お前は…」
「いやぁ…いやぁあああああああああああっ!!!それだけは、それだけは言わないでぇぇぇぇぇええええ…!!!私の人生を、否定しないでえええええええええっ!!!」
懇願する凛を無視し、俺は結論を言い放つ。
「お前は…主人公を気取っているだけの悪魔だ!金を使って人を操り、傷つけ、人生を弄び続けた!だが、最終的には何も手に入れられず、俺をコントロールもできず!そのまま全てを失っていくんだ!」
「…あああぁぁあああああああっ!」
「これからお前には、これからの罪をたっぷりと償ってもらう。長い間、法的にも、精神的にも、物的にも、あらゆる手段でな!お前の…負けだ!!!」
「ああああああ…」
最後の一言を聞いて、凛はガクリとうなだれる。
体育館の床に崩れ落ち、完全に脱力してしまった。
そしてー、
体育館に、再び静寂が訪れた。
凛は何も口にはしない。
俺はー、
結愛はー、
美也はー、
千恵美はー、
ついに、凛に勝ったんだ。
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