第33話 君だけなんだから

 「ん…」


 その日の結愛は、夕食後机でつっぷして眠り始めた。

 今までにはないパターンである。

 夜更かしでもしていたのだろうか。


 いずれにせよ都合がいい。


 ゆっくりと華奢な体を抱き抱え、ソファで眠らせ、ピンク色の毛布を被らせる。


 「少しだけ、行ってくる」


 物音を立てないようにそっと家を出て、原田さんにはLINEでメッセージを送る。


 ー今からそっちに向かう。


 既読はつかない。原田さんも向かっているのだろうか。


 なんにせよ行けば分かるだろう。  

 原田さんと腹を割って話せばいい。


 街頭以外は明かりがなく、ひっそりとした街を歩いていく。

 目的地まで、家から徒歩10分だ。

 今日はやけに人通りが少ない。


  「久々だな、聖陵第一学園に行くのは…卒業式以降は行ったこともなかった」


 小学校と中学校、計9年を過ごした母校を離れて約3年。これまで戻ったこともなく、戻りたいと思ったこともない。


 理由は曖昧で、自分の中でも答えがなかった。でも、今ならはっきり言える。


 


 原田さんがいなくなってから、あの場所は俺にとって気分の良いところではなかったのだ。


 どこかにかつての友人がいる気がして常に落ち着かず、居心地が悪かった。


 ー円二くん!今日は何して遊びますか?みんな待ってますよ!


 そんな鬱屈とした気分を晴らしてくれたのが凛だったけど、あいつの真意を知ってからは忌まわしい記憶でしかない。俺にとって、聖陵第一学園は呪われた場所。

 

 それでも、原田さんがこれまでのことを全て話してくれるなら、喜んで行くまでだ。


 「…あれ、か」


 数分して、5階建ての学校施設が目の前に見えてきた。天井がドーム状の体育館も、茶道部の茶室も、音響設備が整った記念講堂も、全てそのまま。


 すでに夜のはずだが、校門は開かれている。原田さんが開けてくれたのかも知れない。


 念のためスマートフォンを見たが、未だに既読はついていない。


 時刻を確認する。

 まあ、これくらいならいいだろう。


 「……よし、行くか」


 俺は意を決して、聖陵第一学園の中へと入っていった。



   

 待ち合わせ場所は、体育館の隣にいる記念講堂。



 ****



 【side:凛】


 「待っていたわ!原田さん!」


 講堂奥の舞台で待っていた凛は、ゆっくりとこちらに近づいてくる人影を見て歓声をあげる。


 黒の短髪。

 ボーイッシュな容姿。

 自身なさげな表情。


 チェックのフード付きパーカーを羽織り、キョロキョロと周囲を見渡しながら歩く、かつてのクラスメイト。


 原田千恵美。


 凛の姿を確認し、おずおずと声を出す。

   

 「り、凛さん…久し、ぶり」


 凛は昔とあまり変わっていない少女の姿を見て内心ほくそ笑んだ。


 (昔と全然変わってないわねぇ。でなきゃ、こんなところにのこのこと来ないだろうけど。まぁいいわ。これなら、計画通り…)


 もちろん、表向きにはそんなそぶりをおくびにも出さず、彼女の心に入り込もうと猫撫で声を出す。


 「ええ!久しぶり!最後にあってからもう10年以上かしら。素敵な女の子になったのねぇ。私なんかよりよっぽど可愛いわ」


 「そんなこと…ない。その、怪我、してるの?」


 「ええ、円二くんにやられたの。彼にひどい暴行を受けて、一生治らない傷をつけられてしまったわ…」


 病院に行く機会を作れなかったため、包帯やガーゼはボロボロになり、凛は常に頭の鈍痛に悩まされるようになった。


 もはや一生このままかもしれない。


 だが、今の凛にとっては、この傷すらも道具である。


 「いたっ…!」


 「だ、大丈夫…?」


 「いたぁい…助けて、原田さん!円二くんに殴られた傷跡が痛むのっ…!誰も助けてくれないの…」


 「待ってて、今行くから…きゃっ!」


 舞台に駆け寄ってきた原田にわざとらしく倒れ込み、彼女に自分の体を支えてもらう。

 

 騙そうとしている相手が動揺しているのを確認し、偽の涙が凛の瞳から溢れ、作られた涙声が響いた。


 「聞いて原田さん。私、彼に騙されて、暴行まで受けて、全てを失ってしまった…その時気づいたの。本当に悪者なのは、全部円二くんなんだって」


 「…」


 「でも、これきっと私に対する罰。私があの時、円二くんじゃなくて原田さんを信じていれば、こんなことにはならなかったのね…」


 「凛さん…」


 短髪の少女の瞳は揺れていた。

 

 (案外、こういう存在の方が頼りになるのかもねぇ…あの結愛とかいう女もこいつに襲わせて…)


 勝負どころだと感じ、凛はたたみかける。



 

 「原田さん!私と同盟しましょ?私、罪滅ぼしがしたいの!円二くんに騙されて、原田さんにひどいことを言ってしまった罪を!」


 「罪、滅ぼし?」


 「ええ!私と2人であの男と周りをうろついてるアバズレの弱みを握るの!そして、それを学校中にバラして破滅させましょう!私たちならきっとできるわ!」


 苦しんでいるという演技も忘れ、揺れる少女を誘惑した。

 今回も成功すると信じて。


 (そうすればきっと、円二くんも自分の過ちに気づいて戻ってきてくれる。そして…!)


 凛の脳内が次の計画に向けて案を練り始めたときー、




 「そうだね…罪滅ぼしをしよう。ぼくと一緒に」


 「…え?きゃあっ!」


 原田の声色が変わった。支えていた凛の体を乱暴に放り出す。無言で行われる叛逆。


 そして、動揺したまま動けない右腕を思い切りひねり、動きを封じた。


 「いやぁああああっ…!痛いっ!何するの原田さぁん…!」


 「言ってなかったけど、ここにもうじき円二くんも来るんだ。凛さんとは19時30分の約束だったから、ちょうど20時に」


 「そんな…!あなたも私を裏切るのっ!!」


 「裏切る、ね。それは凛さんのことをいうんだよ」


 原田はさらに腕に力を込め、凛を完全に逃げられなくした。髪を振り乱しながら逃れようとする凛だったが、やがてうめき声を一度あげ、動かなくなる。




 「円二くんが来る前に教えてよ。12年前、ぼくと円二くんにもたらした災いを…ぼくも全ては知らない。全てを知ってるのは、君だけなんだから」


 この夜、はじめて原田は笑みを浮かべた。



   ****



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