第29話 友達になってください!
「あち〜なぁ…」
鮎川さんとのデートから数日。
うだるような暑さと晴天。
夏の気配はさらに近づき、夏休みは目前となった。セミは毎年飽きもせず盛大に鳴き、文字通り一夏の恋を探し求めている。
高校生活、つまり、学生生活最後の夏。
俺のような進学するつもりのない(というかお金がないんだが)ダメ学生とは違い、周囲の学生は受験に向け死に物狂いで勉強している。
鮎川さんのいった通り、青春は終わりつつあるのかもしれない。
俺は何となく足を運びたくなった学校の屋上で昼の時間を過ごしつつー、
「んっ…円二、あんまり動いちゃダメ。くすぐったい」
結愛の膝枕の上にいた。
「ごめん。体が自然に動いた」
「…わざと膝の感触を楽しんでるでしょ」
「そういう側面もある」
「そーゆーのを変態って言うの」
「妹が可愛すぎる兄はみんな変態になると聞いたことがある」
「べ、別に誉めても何も出ないんだからね…」
…誉めてるのか?
ま、いっか。
結愛は屋上の古びたベンチの上にちょこんと座り、細い膝をきゅっと曲げ、俺の頭を支えている。
すべすべとしたスカートの感触と、柔らかくて暖かい太もも。
時折太ももを動かした時に聞こえる衣擦れの心地よさ。
耳元に感じられる結愛の息遣い。
膝枕を発明した人間にはノーベル平和賞を授与するべきだ。
「…今いやらしいこと考えてたでしょ」
「ああ」
「いや、そこは否定するところだから!もう、あたしだってはじめてなんだから、じっとしててよね」
結愛は緊張した面持ちで、右手に持っている小さな棒ー、すなわち耳かきを構えた。
義妹がどこからか入手してきた代物で、水色の花のストラップが目に涼しい。
そのお手製耳かきを、俺の耳の中にそっと挿入する。
「ここ、かな」
サクッ…
耳の中で柔らかい木の棒が、耳の中の異物をとらえ、ゆっくりとかきだしていく。
最初はおずおずと。
徐々にリズミカルに。
「うん…あたしにも、できそう」
徐々に自信をつけたのか、結愛も少し微笑んでいる。
そのまま、しばらく結愛の耳かきに身を委ねた。
誰もやってこない静かな屋上。
セミの鳴く声と、耳かきの静かな音だけが響いている。
「1つ、聞いてもいいか?」
「なに?」
「学校でもイチャイチャしたいって言い出した理由とか」
「いっ…イチャイチャとは言ってないでしょっ」
結愛は少し頬を赤らめ、唇を尖らせながらも答えた。
義妹が奇妙なことを言い出したのは、鮎川さんとのデートが終わってから。
ーその…
ーん、どうかした?
ーあたし、もっと円二といろんなことがしたい。例えば…ええと…その…もっと家族らしいことというか…学校でもできることというか、ありふれたことというか…
ーそうだなぁ…
しどろもどろな結愛との対話の末、なぜか『学校で耳かきをする』という謎のプランだけが残った。
うまくいくかどうか不安だったが、うまく行きそうだ。
結愛が笑ってくれるなら、どんなことでも自信満々で実行する自信がある。
「今年で円二も卒業でしょ。もしかしたら気軽に会えなくなるかもしれないし…だから、もっと一緒に過ごしたいだけ」
「別にどこにも行ったりはしない。ずっといる」
「そ、それはそれで恥ずかしいんだけど…」
「…乙女心は複雑だな」
結愛も鮎川さんの言うところの青春を気にしているのかもしれない。
学生はみんな青春の奴隷なのだろうか。
あるいは…
いや、今はやめておこう。
「そんなことより、例の件はどうなったの?」
「それは…」
ばたん。
結愛の質問に答えようとしたとき、屋上の扉が勢いよく開いた。
「おっはよー円二さん、結愛ちゃん!元気ー?」
夏の陽気に輝くポニーテール。
鮎川さんだ。
姿勢を直す暇もない。
あっさり昼下がりの密会は暴かれる。
「あ、鮎川先輩!?違うんです!これはその…」
「むむむむむ!早速青春を楽しんでいるようだね?学校ではぐくむ兄と義理の妹の禁断の愛!青春ウォッチャーとしては見過ごせないよ~~~」
「~~~~~!お、大きい声で言わないでくださいっ…」
「このワスレナグサのストラップ付き耳かきも、今回のために特別に入手したとみた!」
「あ、あうう…」
「いいね~~~青春だね~~~!」
「ううう…恥ずかしい…!」
いろいろあったデートからはや数日。
鮎川さんはすっかり元の鮎川さんに戻っていた。
****
「これからどうするか決めたの?円二くん」
「どうするか…か」
気を取り直して、俺たち3人は今後について語り合う。
今後とはすなわちー、
どこにいるかも分からない元幼馴染、凛をどうするかだ。
正直、あの事件以降関わり合いたいと思ったことは一度もない。永遠に名前を口にしたくもないとすら思っていた。
だが、いまだに怪しい動きを見せるなら話は別だ。
俺のせいで結愛やほかの人間に危険が及ぶのを無視できない。
これは、俺が招いた事態でもあるのだから。
「凛と…もう一度だけ会う。そして話をする。そこからどうなるかは、分からない…」
「本当に、そうするんだね」
「ああ」
真剣に聞いてきた鮎川さんに断言した後、結愛の方を向いた。
「結愛は、どう思う?」
「…正直、今の凜さんと会うのは怖い。でも…」
一瞬の迷い。
体の震えを抑え、口を開く。
「凛さんがこれ以上悪いことをしようと考えてるなら…止めてあげたい。だって…」
「…」
「たとえ嘘だったとしても、あたしが学校生活に溶け込めるようになったのは…凜さんのおかげだから…」
「…そうだな」
涙を必死でこらえている結愛にハンカチを渡した。
「ありがとう…」
少しだけ肩を抱いて落ち着かせる。
俺もこの2人がいなければ泣いていたのかもしれない。
あいつがどう思っているのかは知らないが、心の傷は俺も結愛も癒えてない。
「よーし!じゃあ、美也も協力するね!」
湿っぽくなった雰囲気を、鮎川さんがブレイクする。
「さっさと凜さんに会ってばちーんと色々聞いちゃおう!あとは流れで!」
「その、いいのか?鮎川さんはそこまで関係してるわけじゃない。俺たちだけで…」
「水臭いこといわないの!美也もストーカーさんに襲われたし!それにね…」
鮎川さんは震えている結愛のもう片方の肩に身を寄せる。
「円二くんが傷ついたり、結愛ちゃんが泣いてるのを見過ごせないよ」
デートの時のような真剣な表情だ。
こうなったら、鮎川さんは引かないだろう。
「鮎川先輩…」
「分かった。協力してくれてありがとう、鮎川さん」
「どういたしまして!」
こうして、俺たち3人は新たな同盟を結んだ。
あとはどう凜を探すかだが…
ばたん!
再び、屋上の扉が勢いよく開かれる。
短髪でボーイッシュな女の子。
原田千恵美だ。
俺の心臓がどくんと飛び跳ねる。
何度か話しかけようとしたけど、結局断念していた旧友。
「え、円二くんがここにいると聞いたんですけど!いますかっ!」
「あ、はい。いるけど…」
あまりに突然でしどろもどろになってしまう。
「円二くん…その…ぼくは…」
やめてくれ。
昔のボーイッシュな面影を残したまま、スカートを押さえて女の子のように…って言ったら失礼だけど、そんな感じで恥じらうのは心臓に悪い。
「な、何か?」
「…」
視線を落として迷っていた原田さんだったが、意を決したようにこちらを見つめる。
そしてー、
「ぼくとまた…友達になってください!」
こちらがずっと言いたかった言葉を、先に言われるのであった。
****
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