冥府魔道を終えて 2/7
そこに居たのは神子ではなく、ただの心折られた女だった
神からも見放された、あらゆる生命が存在しない不毛の荒野。その只中に掘られた穴の底に作られた牢獄に、彼女はいた
プラチナブロンドのウェーブがかった長い髪。白磁のように白いきめ細やかな肌の上に白いワンピースを纏った幼顔の女はこんな汚れた地の底にありながらも美しく整った身形をしていたが、黄金の瞳は暗く濁っており、生きながらに死んでいると自分は感じた
『君が反逆の神子か』
言ってから、少し高圧的に過ぎたかな、と思った。人と話すのは久しぶりだし、特にここ最近は情報収集か狂った連中との殺し合いしかしていないから、心がささくれだっていたのかもしれない
けれど彼女からはまともな反応は返ってこず、ぼうとした表情でこちらを見上げてきただけだった
『俺は地球から呼ばれた……いや。君にもわかるように言うならば、異世界人って奴になるのか』
『……』
『俺は自分のいた場所に帰るために、これから外の連中の思惑をぶち壊そうと思っている』
『……』
『もしも君がまだ戦う意志を残しているというなら、俺と一緒に来ないか』
『……』
『ねえ聞こえてる?もしもーし』
『……』
(期待はずれか?)
こちらからいくら呼びかけても彼女は欠片ほどの反応も返すことはなかった
長い時間独りで居たから心を亡くしてしまったのか。檻の中の彼女はただの肉人形のようにしか見えない
来るだけ無駄だったか。そう思い、踵を返してその場を後にしようとすると
『――どうせ抗っても無駄よ』
『――なんだと?』
背後から投げかけられた言葉に思わずカッとなり、その場で足を止めて振り向いてみればそこには檻の中の女が暗く濁った眼を向けてきている
『たった一人じゃ何も変えられない』
『だろうな』
『わかってるなら諦めたほうがいいわ。どうせ無駄死にするだけだもの』
『だが君は一人で世界に立ち向かったのだろう』
『私は愚かだっただけ。始まりの神子とか、神に最も近い存在とか言われて持て囃されても、結局一人じゃ何もできなかった』
『じゃあ二人でならどうなってたと思う?例えば俺みたいなのとかな』
『……あなたじゃ無理だよ』
『かもしれないな。だけど、やってみなけりゃわからないだろ』
『万に一つすらなんとかなる可能性なんてないよ』
『ゼロでさえなければ、やってみる価値はあるだろう。どうせ喪うのは命くらいだ』
場に沈黙が訪れる
一刻か、あるいはもっと長いかもしれないし、刹那ほどの間のことだったかもしれない
少女が深く息を吐き、諦めたように言った
『馬鹿な人……異世界人ってみんなこうなの?』
『さて。俺が特別愚かなだけかもな』
『そんなあなたに付き合おうと思った私も同じくらい愚かだね』
黄金の視線がこちらを突き刺す。その瞳は先までとは違い、少しではあるが輝いているように見えた
『どうせとっくに終わってたんだし、いいよ。一緒に死んであげるわ』
『俺も君も死なない。必ずやり遂げてみせるよ』
『できるかどうかもわからないのに?』
『なんでかな。君と一緒ならなんとかなる気がするんだ』
『口説くならもっとロマンチックなシチュエーションでお願いしたいかな』
『童貞にそれは酷ってものだ』
『ははっ。かわいそうな人。初体験もまだなんだ。まあ見るからに彼女もできたことなさそうな顔してるしね』
と、二人顔を見合わせ、くすりと笑った
『俺は十上裁。君の名は?』
『私はアルフ。しょうがないから、あなたの死出の旅路に付き合ってあげるよ』
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殺して、殺して、殺し尽くした
男を殺し、女を殺し、老人を殺し、赤子を殺し、異世界人も、同郷の勇者も、魔王も、全て殺した
自分一人ではなにもできなかっただろう
彼女が――アルフが居たから、戦い抜くことが出来た
楽な戦いなどなかった。自分とアルフの戦いは常に崖っぷちだった。それでも自分たちは勝利を重ね続けてきた
無能と敗者が手を取り合ったところで何が出来るかと奴らは慢心していた。その舐めた面に握り拳を叩き込み、敵対する全てを打ち砕いていく。こちらに慢心はなかった。常に不利な状況下での戦いを強いられた自分たちの慢心できるほどの余裕などなかった
人を殺す事に抵抗がなかったわけではない。それでも自分は立ち止まることはなかった。もはや賽は投げられたのだ。後は見定めた目標へとひた走るしかない
そうして駆け抜けた冥府魔道の末に、地上からあらゆる生命が消え失せ、怒れる神が座より降臨する。自らを信奉する子らを殺し、自らの世界を壊そうとする咎人を滅ぼすために
神との戦いが始まった
神の力は絶大で、一挙一種一投足が天変地異に匹敵するほどの破壊の乱流であり、裁とアルフは自身が神の前ではどれだけ矮小な存在なのかを理解させられた
――まだだッ!
だがその程度で膝を屈するはずがなかった。幾度の戦場を潜り抜け、如何なる苦境にも抗いきった自分の心はたかが神如きに折られるようなものではなかった
崩れ行く大地の上を駆け抜け、吹き抜ける嵐を乗り越え、吹きすさぶ落雷を掻い潜り、自分はアルフと共に神へ剣の切っ先を突き立てた
天を引き裂くほどの断末魔が響き渡り、神の身体が崩れていく
裁とアルフはついに勝利したのだ。だが
『ああ、なんということか。呼び寄せた贄の中に、このような化け物が紛れていたとは。人の身をした怪物め。ただ壊すことしかできない破綻者め。呪われよ、呪われよ。未来永劫、尽きることのない怒りを抱いたまま、冥府魔道を彷徨い続けよ!』
死の際。崩れ逝く世界の中で、神の言葉が響き渡る。地の底から響き渡るような、恐ろしい声だった
だからどうした。その程度で自分が苦しむと思う低能だからたかが人間に敗北するのだ
崩壊した世界から投げ出されながら、忌々しげにこちらを睨みつけてくる神の残滓ヘ向かい、自分は中指を立てながら嘲笑うような笑みを浮かべて返した
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それからの記憶はなく、気がつけば自分は自宅の寝室のベッドの上に横たわっていた
長い夢を見ていたのか。いや、あれは夢ではなかった
「……サバキ?」
なぜならば自分の隣には、あの異世界を共に駆け抜けたアルフがいたからだ
どうやってあそこから帰ってこれたのかはわからない。枕元に置いてあったスマートフォンを覗けば、異世界に召喚される前から一刻も経っておらず、異世界で過ごした歳月の中で成長した身体は十代の頃のそれに巻き戻っていた
けれど隣でこちらを見つめてくるアルフが、あの世界での出来事が実際にあったことなのだということを物語っている
「……アルフ」
「……なあに?」
「……なんとかなったぞ」
「……そうだね。死に損なっちゃったね」
「生きててよかったじゃないか……あー……マジ疲れた……もう一生動きたくない……」
「私も……起き上がるのも辛いよ……」
「わかるわ……あー……これからどうしよう……帰ってこれたのはいいけどさあ……」
「……もしかして、ここが地球……?」
「ああ……地球の、俺の家だよ……」
「……そっか……ねえ……サバキ……」
「……なんだ……」
「……私……ここに居てもいいかな……」
「ばかやろー……気が済むまでいろよ……」
「うん……ずっと離れないからね……死出まで付き合うって約束したから……」
「……重すぎるのはNGで……」
「だあめ……諦めてください……」
「マジか……」
「……マジです」
「……マジかあ」
同じベッドの上。抱き合いながら、ゆっくりと語らい合う二人
息の詰まるような殺し合いばかりの異世界ではできなかった、ただ時間を浪費していくだけのじゃれあい
未来のことは後回し。考えるのは明日からでもいいだろう。だって裁の物語は、ここでひとまずのエンドマークを迎えることができたのだから
ここから先は、長いエピローグ。争いからかけ離れた平穏な日常が始まるのだ
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