第3話 暖炉のあるホールにて

 ホテルの主人夫婦の甥は、私より少し年上で、都会的とも言える、この村ではちょっと突出した感じの若者だった。彼とは熱いアイリッシュコーヒーをはさんで話をした。

 アーロンは本当にメアリー・ティーグに懐いていたようで、「メアリーおばさん」と、まるで親戚のように呼んでいた。彼女の手作りのお菓子の話やこの村で初冬に行われる精霊のお祭りの話等、とても話し上手だった。

「知ってる? 十一月にある精霊祭の一週間の間、見た事のない子どもに会う事があるんだ。それは精霊でね。お菓子をあげたり、優しくすると良い事があるんだよ。僕も八才の時経験したんだ。小間物店に母のお使いで行く途中、ちっちゃな女の子が僕の落とした財布を拾ってくれて、村に来た女の子だと思って、財布の中のクマのキーホルダーをあげたらすごく喜んで。でもそれ以来二度と会わないんだ。村の人達とはみんな知り合いみたいなもんだけど、誰も他所よそからそんな子が来たの、知らないって。女の子と会った時、ちょうど教会の鐘の音が鳴って、その子は眼を閉じて幸せそうに聴いてたから、あれは間違っても悪い精霊なんかじゃないよ。大人になって、夢だった文筆業につけたのは、あの子が幸運を運んでくれたからだって気がしてさ」


 アーロンにとってホテルの手伝いは副業か趣味みたいなもので、本業はフリーライターだった。彼はいくつか、ローズの知らなさそうな事実、またローズの見解と異なるメアリーの言葉を語ってくれた。


 まず、村でこの地方の伝統的な生き方をしたと思われているメアリーは、実際には全てにおいて斬新なやり方を試みた豪傑みたいな女性だったという事。料理等手仕事のイメージが強いが、農業を男と同じ位力仕事含めてやったり、その中でも新しい手法を色々試みた事を教えてくれた。その中には日本を訪れた際に見て知った棚田も含まれているらしい。


 そしてメアリーは、次男の交通事故という悲劇を経験したが、決して外に出る事を恐れないでほしいと常々アーロンに語っていたと言う。外に出る事で自分の基盤を知る事が出来ると。


 ――だってホームベースは一塁から三塁まで踏んだ後に踏むものでしょ?――


 これはローズの話とは少し食い違っている気がした。メアリーと話した年代の違いだろうか。

 そしてアーロンはメアリーの夫の事もよく知っていた。メアリーの夫は彼女の亡くなる八ヶ月前に病死したと言う。静かで穏やかな紳士でかわいいおじいちゃんだったと言う。本当に仲の良い夫婦だらしい。これはローズの話と合っている。


 また、アーロンはフリーライターであるが、特にワールドワイドなスポーツライターとしてその力を認められているようで、日本を含め、あらゆる国のスポーツの歴史に詳しかった。

 笠原選手については、メアリーの思い出の中の姿、そして実際の日本国内での評価の両方を知っている。

 そのアーロンが言うには、笠原選手はほとんど取るに足りない選手としてあまり語られていない。ただ現役時代、何らかの連続記録を破りそうな勢いだった時期もあったと言う。それは直球を連続で投球した記録とか、試合時間の短さとか。その事実だけで称賛されるような記録ではないらしい。ただ遅刻や早退が多い、監督や捕手のサインに従わない等、トラブルメーカーの側面があって、彼のピッチャーとしての投球技術には稀な才能は見受けられるものの、総合的には「残念」という烙印らくいんが押されてしまうとの事。


 そしてもう一つ、アーロンは写真集の詩について、興味深い事を言った。私がJ辺りから分かりづらいし、それ以前の牧歌的な雰囲気から変わってると言った時だった。


「Lのところで 『レモンイエローのユニフォームを着た』とあるけど初版では違ったんだよ。『Kはレモンイエローの服を着た女の子を探している』だったんだ」


「それはどういう事?」と聞く私にアーロンは謎めいた微笑を見せた。


「そこが分かりにくいんで、初版の後、今みたいに変えられたんだって。ジェイズのユニフォームはレモンイエローで間違いはないしね。メアリーおばさんから聞いてる話では、レモンイエローの服を着てたのは彼の初恋の人だったらしい」


「そんなロマンチックな話だったんですね」


「メアリーおばさんと笠原選手には、子どもの頃に似たような初恋の思い出があってね。好きな子とピクニックに行くという……」


「その話、ローズさんから聞きました。メアリーさんが積極的だったみたい」


「そうなんです。ちょっとメアリーおばさんの初恋の成就にストップをかけた出来事だったらしいです」


「え? かわいい話だと思いましたけど?」


「ところが本人にとってはそうでもなかったみたいです。もちろん十一才なんて子どものおままごとみたいな感じだけど、初めてのデートで浮かれてうれしくて仕方がなかったと。でも後から冷静に振り返ると、うれしかったのは自分だけで相手は楽しくなさそうだったし、砂を噛むような経験だったと感じたんです」

 アーロンはアイリッシュコーヒーを一口飲み、話を続けた。

「年頃になったメアリーおばさんは、それはべっぴんで、初恋の相手からも丁重に扱われるようになったけど、外見だけでちやほやされてるんじゃないかって思い始めて……それで旅に出たんです」


「それが旅の理由だったんですね。自分探しの旅だったのかも。で、笠原選手のピクニックの方は? レモンイエローの服の子との……」


「そっちは真逆に上手くいった思い出らしいです。同じく十一才の時なんだけど。それまで幼なじみの同級生とは言え、お嬢様風で成長するうち口もきかなくなった女のコが、ある日彼が日曜の朝、野球の練習に行くと言ったら、自分が応援に行くからと、言ったらしいんです。サンドイッチを作って……」


「かわいい! 周りの子がいるから照れくさかっただろうけど」


「それが練習と言ってもたった一人で野原で素振りしたりする練習。まあプロで言うなら合同キャンプの前の単独トレーニングってやつ」


「すごい小学生」


「……だよね? でもその日曜日二人でサンドイッチ食べたりしたのがとても楽しくて、それまでも好きだったのが一気に大好きに変わったらしい」


「こっちは成功だったんだ」


「でもそれじゃレモン色の服の女の子が見つかった話だったんだねって言うと、メアリーおばさんはなぜか言葉少なだった。そこが子どもの頃僕には謎だったんだ」


「確かに気になる。とにかく写真集の詩の中に出てくる位だから、余程メアリー・ティーグにとって、彼の初恋の話はインパクトあったんでしょうね」


「君は日本に帰るので、いつかこれ以上の事を知る時が来るかもしれませんよ。レモンイエローの服の子を探してた理由についてね」


 アーロンはそこだけローズと似たような言い方をし、さらにローズと同じように、こう締めくくった。

「僕は、メアリーおばさんからとても影響を受けたんですよ。海外を飛び回る生活も、ライターをしている事も、そして故郷を自分のホームベースにしている事も。子どもの頃に聞いたメアリーおばさんの外国で見た風景に魅せられたし、日本で直に見たプロ野球選手の練習風景や試合の話にもとてもワクワクしたからね。そして決して浮わついて生活しちゃいけないって事も」



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