第15話
新年を迎えてからも、僕の心にぽっかり空いた穴は少しも塞がることはなかった。むしろどんどん大きくなっているようにも思えた。
あの朝、渋谷の街で見かけた紗佳さんの悲しげな表情。そして鹿島さん。
頭の中で「終わった恋」だと自分に言い聞かせても、僕の心はいつまでも紗佳さんのことを追い続けていた。
そんなある日のこと。研修で久しぶりに会ったゴシップ好きの同期が自慢げにとっておきのネタを披露した。
「本社営業部の鹿島さんって知ってるよね? で、鹿島さんが去年の会社の忘年会のあとにデザインセンターの松本さんをホテルに連れ込んでエッチしたんだって。二人とも結構酔ってたらしくてさ。朝起きて『また会ってくれるよね』って聞いたら断られちゃったんだって。びっくりだよね。さらにびっくりなのは左手の手首に刃物で切ったような傷があったんだって。なんかスゴいよね。松本さんて歳の割に可愛い感じなのにちょっとガッカリだよね」
☆
彼女が会社を辞めたのを僕が知ったのはそれから一ヶ月後のことだった。
久しぶりにデザインセンターでの仕事を終えた後、受付に紗佳さんの姿がなかったので、事務所に顔を出して彼女のことを聞いてみた。
「あれ、千葉くん知らなかったの? 松もっちゃんは先月末で会社辞めたんだよ」
コーディネーターの磐田さんが教えてくれた。磐田さんは歳が近く、一番の仲良しだと紗佳さんが言ってたっけ。
「彼女ね、十二月だったかな、体調を崩してしばらく休んでたの。そしてその後に変な噂が広まっちゃって、この会社にいるのが辛くなっちゃったみたいなんだよね」
「千葉くんは知らないかもしれないけど、松もっちゃんは前の旦那との間でいろいろあってさ。情緒不安定になっちゃってたらしいんだ。でもウチの会社に入ってどんどん明るくなって、仕事も頑張ってたんだけどね。急に元気なくなっちゃってさ。教えてくれなかったけど彼氏と別れたみたい。相当つらいことがあったみたいなの」
「それが十二月ですか?」
「うん。十一月の終わり頃かな。で、十二月入ってから休みがちだったから」
「そうだったんですか……」
僕は自責の念にかられた。
「ねえ千葉くん、もしかして千葉くんだったの? ううん、それについて詮索する気はないんだけどさ。ただもしそうなら、松もっちゃんを助けてあげて。あの子、真面目で、とても寂しがりやのくせに自分のことより人のことを考えちゃう子だから」
磐田さんの話を聞いて、僕は紗佳さんの家へ向かった。何をどうしたいわけでもなく、ただただ逢いたかった。僕の中ではまだ何も終わってないのだ。
オートロック付きのワンルームマンション。当然ながら入居者は一人暮らしばかり。エントランスで彼女の帰りを待っていたが、帰宅する住民の不審者でも見るかのような視線に耐えかねて、僕は外で待つことにした。
2月中旬、東京でも夜の冷え込みはかなりのものだ。時折白い雪が空から舞いながら落ちてくる。
時間の経過とともに体温が奪われていった。
どれくらい待っていただろうか。
「千葉さん?」
聞き慣れた少しハスキーな声が僕の名を呼んだ。紗佳さんだった。
「何やってるんですか!こんな寒いのに風邪ひいちゃうじゃないですか!」
「あ、ごめん……なさい。ただ、俺、紗佳さんにどうしても会いたくなって……、会社辞めたって聞いたから……」
僕が言い終わるよりも早く、彼女が語気を強めて言った。
「とにかく、すぐに部屋を暖めますから。一緒に来てください!」
雪混じりの冬の夜。
久しぶりに目の前に現れた紗佳さんは、やはり前よりも少しやつれたようだった。
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