"Who Killed Cock Robin"

鍵谷 理文

Song for the Little Sparrow


 港町の宴は、日が沈みきる前に始まる。今日は大漁だったのか、街の皆の顔が

ほころんで見えた。

祭りのようなどんちゃん騒ぎを傍目に、男は顔を伏せ歩いていく。

また今日も無事に過ごせたと、安堵するように息を吐いた。


 裏通りは生ゴミの腐臭と野鼠の死骸が、今日の太陽光でむせ返るほどに酸っぱく

醸されている。ここなら誰も来ないだろう。男はそう思い、野良猫の残飯を片手で

払う。粘ついた手を煤で黒くなったコートで拭い、腰を下ろした。


 道を挟んだ両側の通りを、酔っ払いが肩を組み、千鳥足で行き交うのを目で追う。

日は暮れかけている。

もう陽の下を歩けない男にとって、静寂こそが話し相手である。


 漣を返す海の静寂と裏腹に、宿場街はまるで太陽が指しているような喧騒で

溢れているのであった。そのまばゆさは、今宵の満月でさえ霞んで見える。


黒い海に手招かれ、潮風とともに防波堤に佇み、ポケットを弄る。

漆黒の海がおいでよと誘う。そんな囁きを鼻であしらってみせた。

無精髭を蓄えた口元から息がふっと漏れた。


 モノクロの世界を見渡した時、ひときわ赤い少女がいた。

その少女の靴はも彼女同様赤かったが、ひどくつま先が剥げていた。見ていて

痛々しいくらいに。


 男はすぐに理解した。誰もいない石造りの劇場で舞うことを彼女は夢見ているのだと。かつては私もそうだったから。


さぁ、ドゥミ・プリエから、おっとそこでルルベか。


そうら、ポワント。


まずはアンドゥオール。


なんだ、まだ基礎もままならないじゃないか。

男は思わず吹き出した。


少女は突然こちらに視線を向け、ばっと逃げ出してしまう。


不審に思うのも当然だ。今の私は正真正銘の不審者であるから。


 しかし応援してやりたい。

 少女の逃げた先を歩いていくと、港町には似つかわしくない、大きな靴屋を見かける。

 そのショーウィンドウには、純白のバレエシューズが飾られていた。

それは月光に照らされ、妖精の薄羽のように透き通った白色を反射していた。


 男は衝動に駆られた。コートを脱ぐと拳をそれで包み、ショーウィンドウを

叩き割った。ここは宿場街から離れている、そうそう人も来ないだろう。

花を摘むように手のひらで妖精を優しく包み込むと、足早に少女を探した。


 彼女は広場にいた。

 懸命に夜空に足を伸ばし、手で不器用なアーチを描いたそれは、月明かりに照らされた白鳥プリマだった。


私はそっと近づき、彼女に妖精を見せびらかした。


「さぁ」


男の低音に小さな身体を震わせ、大きく首を振る。

しかし目線はシューズから離れない。やはり気になるようだ。


 男は広場の腰掛けにそっとシューズを置き、2,3歩後ずさる。

 恐る恐る手をのばす少女。人間に慣れていない白鶺鴒のようなシューズを訝しげに手に取ると、しばらくしてから愛おしそうに抱いた。


 少女は男に目をやり、警戒したまま、それでもわずかにほほえみながら頭を下げ

石畳を駆けていった。


 一体何を期待していたのだろう。

だが、少女がいない今ではもうどうでも良かった。

明日はどこへ向かおうか。



 翌朝、少女は窃盗で捕まった。必死の弁明も地主の娘には届かなかった。

男はもう次の街へ到着した朝だった。

朝日を通した雲は薄紫色で、わずかに乱反射した大気を照らしている。



さぁ、また今日が始まる。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

"Who Killed Cock Robin" 鍵谷 理文 @kagiya17

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ