第2話 魔法禁止

「はぁ……はぁ……」


息が上がり、足がふらつく。

目の前は見渡すばかりの草原。

私は背丈の低い草を無慈悲に踏み締めながら、草原を渡り歩く。


だがもう限界だ。

疲労がピークに達した私は遂にその足を止め。

荒く乱れる呼吸をゆっくりと整えて、額の汗を拭う。


「ふぅ……ちょっとー!二人ともー!待ってくださいよー!」


一息ついた所で私は大きく息を吸い込んで、声を張り上げた。

遥か遠くに映る小さな影に向かって。


私の声に反応するかの様に二つの影が揺らめき。

薄ぼんやりとしたその影は、次第にその色合いを深め大きくなってくる。

どうやら私の魂の叫びが届き、戻ってきてくれた様だ。


「全く、呆れたな。この程度で根を上げるとは」


疲労からその場にへたり込んでいると、戻って来た影の一つが私に侮蔑の視線を投げかける。


彼の名はペイル・セバース。

ミャウハーゼン家で執事長の職に就いていた男だ。

愛嬌のあるくりっとした丸い瞳に、少し茶色がかった短めの髪を整髪料で綺麗に纏めている。


その顔立ちは非常に美しく。

一言で言うと、美少年だった。

そう、私のパワハラ上司は年端もいかぬ少年なのだ。


……まあ見た目だけなんだけどね。


実年齢は相当いっているはず。

私の知る限り、少なく見積もってもミャウハーゼン家に50年は務めているであろう大ベテラン。所謂、ロリババアと対をなすショタジジイという奴だ。

何でも昔魔法の実験を失敗して以来、姿形が少年のまま固定されてしまったらしい。


「か弱い乙女にこんな重い荷物を運べだなんて、無理がありますよぉ」


地面に転がる大荷物をパンパンと叩いた。

少し前まで私が背負っていた物だ。

軽く50キロはある。


体力が無い訳ではないが、賢者である私はどちらかと言えば頭脳担当だ。

脳筋戦士じゃあるまいし、こんな大荷物を持っての行軍など私には向いていない。

そこを何とか理解して欲しいものだ。


「か弱い?あれだけがつがつと他人の飯まで喰らってる意地汚い女が、良く言う」


「誰が意地汚いよ!このエセちびっ子!」


意地汚い呼ばわりにカチンときた私は煽り返す。

確かに他のメイドの残した御飯を良く貰ってはいたが、それは捨てるのがもったいないからであって、決して私が意地汚いわけではない。


恐らく!


「んな!?誰がちびっ子だ!!仮にも上役の俺に向かって、なんて言葉遣いだ!」


「残念でしたー。私はもうメイドじゃありませんし、ペイルだってもう執事長じゃありませんから!同僚になった今、黙って言いたい放題言えると思ったら大間違いよ!」


そう、彼とはもう上司でも部下でもない。

同僚だ。

以前はペイルの嫌味に歯軋りするしかなかったが、今は違う。


やられたらやり返す。

大賢者様舐めるな!


まあ、目の前のちびっ子も実は大賢者ではあるんだけどね……


「く、こいつ……」


私は起き上がり、拳をぷるぷる震わせ怒るちびっ子に向かって勝利の微笑みを向ける。

何せ執事長から旅の従者への配置換えだ。

これは実質降格も同然。


私に意地悪していた罰が当たったのだ、ざまぁ見ろ。


「例えそうであっても、俺は目上で先輩にあたるんだぞ」


「そんなものは関係ありません!」


私は力強く言い放つ。

先輩と言っても、従者歴はお互い一緒。

年齢も見た目がお子ちゃまだから知った事ではない。

誰がマウントを取らせるものか。


「ふふふ、仲がいいわね」


「ええ、それはもう。“同僚”として仲良くやっています」


少し遅れて戻って来たお嬢様に向かって、私はにっこりと微笑む。


「その元気なら問題無さそうね。さあ行きましょう」


「あ、いえ。あのその……」


ペイルに仕返し出来てついテンションが上がってしまったが、私のカモシカの様な足はもう疲労で限界だ。

歩き出そうとすると、それを拒否するかのように生まれたてのガゼル宜しくプルプル震えだす。

今の疲労困憊の私では、ガゼルパンチを繰り出す事さえできない。


まあ仮に元気いっぱいでも、そんな謎の行動はとらないが。


「あの……お嬢様……魔法を使って……」


「駄目よ」


私の恐る恐る口にした言葉は、即座に却下される。

今の私は魔法が使えない。

正確には、使う事を禁じられていた。


そう、お嬢様の気まぐれによって――


◇◆◇◆◇◆◇◆


旅の準備を終えた私は、ペイルと共に正門前でお嬢様の到着を待っていた。

服装は動きやすい木綿のパンツに、厚手のシャツを着こんでいる。

色はどちらも空の色を思わすスカイブルーだ。


ペイルもほぼ同じような格好。

但し色はブラウン。

よく言えば落ち着いた、悪く言えば地味で爺臭い色合いである。


大貴族の従者がなぜこんな貧相な格好を?と思うかもしれないが、これはお忍びの旅。

お嬢様が諸国を巡り、世界の有様を自らの目で確かめるための旅なのだ。


普通に大貴族として旅してはそう言ったものが見えてこない。

だからこうやって地味な井出達で一般人を装っているという訳だ。


因みに馬車も使わない。

幾ら地味な格好を装っても、豪奢な馬車に乗っていたのでは意味がなくなってしまうから。


正直馬車でとろとろ行くより、転移魔法で飛んで行った方がてっとり早いので、馬車無しは個人的にも大賛成だ。


正門前の花道に、動きが起こる。

本日の主役の御登場だ。

二列に居並ぶ100を超えるメイドや執事、それに騎士が一斉に頭を下げ。


その間を優美な足運びでお嬢様が進んでくる。


「…………」


私は思わず息を飲む。

その神々しいまでの優雅な姿に。

そして思う。


なんでドレスきてるんじゃああああああああああああい!!! と。

お忍びどこ行った!?


お嬢様は青い薔薇の刺繍をあしらった、レースたっぷりの白のドレスを身に纏い。

その上から薄青いパレオを腰にかけている。

更にその頭上には、真っ赤な薔薇を思わせる鍔の広い帽子がふわりと被せられていた。


うん、何処からどう見て一般人ではない。

因みに薔薇はミャウハーゼン家の家紋だ。


「お待たせしましたわ」


「お嬢様?まさかその格好で?」


「ええ、何か問題でも?」


「お忍びの……いえ、何でもありません」


突っ込んでも仕方ない。

そう思い私は口を紡ぐ。


「ふふ、言いたい事は分かります。お忍びの割には派手だと言いたいのでしょう?」


お忍びの割どこではない。

これから社交界にでも向かうのかと言わんばかりの派手さだ。

目立つ気満々である。


「この派手な格好は餌よ」


「餌……ですか?」


「そう、旅のついでに悪党退治も兼ねようと思っているから。派手な方が悪い虫も寄って来るでしょ?」


成程。と、一瞬納得しかけたが。

なら私達のこの地味な格好や、馬車無しとは一体なんだったのか?

そんな疑問が湧いてくる。


まあ別にいいけど。


「では参りましょう」


「最初はどちらに向かわれるんですか?」


「テネーブよ」


テネーブ。

このミャウハーゼン家の南に位置し、花の栽培で有名な場所だ。

そのため世間一般では花の都とも呼ばれている。


但し聞くところによると、街中をぶんぶんと蜂が飛び回っているらしく。

花の都という儚げな呼称にもかかわらず、女性にはあまり人気が無い様だった。


私は別に蜂が嫌いじゃないから気にしないけどね。

蜂の子とか凄く美味しいし。


「わかりました」


返事を返し、私は早速呪文を詠唱する。

発動させる魔法は感知と転移。

その2つの魔法を連携させる。

感知の魔法でテネーブの正確な位置を把握し、その情報を元に転移を行う為だ。


魔法陣が光となって私達を包み込む。

後は発動させるだけ。

そう思った時、突如魔法が解除されてしまう。


外部からの力で無理やり。


「ちょっ?お嬢様?なんで魔法妨害アンチマジックを!?」


私はお嬢様に向かって声を上げる。

その手には白銀の魔法陣が煌めいていおり、彼女が犯人なのは明白だった。


魔法妨害アンチマジック


相手の魔法の発動に真逆の構築を施された魔法をぶつけ、対消滅を起こさせる超高等技術。

実行するには相手の魔法構築を瞬時に読み切り、それと正反対の魔法陣を神がかり的な速度で用意する必要がある。


そのため、常人どころか大賢者の称号を得ている私にすらまともに扱えない超絶難易度の魔法だ。


お嬢様はそんな荒業を、顔色一つ変えずにやってのける。

本当にとんでもない才器としか言いようがない。


「魔法で転移したのでは、情緒が無いでしょう?」


まあ確かに旅を楽しむならば、転移は邪道と言えるかもしれない。

成程と納得し、私は今度は飛行魔法を発動させ――そして再び妨害される。


「言い忘れていましたけど。この旅の間は魔法禁止よ」


「ふぁっ!?」


美しい笑顔から放たれる鶴の一声。

それは重労働の旅が確定した瞬間である。


賢者にとって魔法禁止の旅など地獄ヘルモードも同然だ。

マジ勘弁して下さい。

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