第15話 栄屋での捕物

 店内に入ると、戸板越しだとくぐもって聞こえた人声が途端に隆正たかまさの耳を刺した。


「止めてください! 何するんですか!」

「うるせえ!」

「小娘は引っこんでろ」


 高い声はすずのもの、そして野太い男の声が複数。素早く目を走らせれば、一味は三人か。鈴を突き飛ばした者、ひっくり返した椀を踏み躙る者、店主を押し退けて奥に踏み込もうとしている者。堅気かたぎと思しき客は、既に隆正と入れ違うようにして逃げ出している。

 背後で喜平きへいが身体で戸口を塞いだ気配を感じながら、隆正は声を張り上げた。


「悲鳴が外まで聞こえていたぞ。一体何事だ!?」


 三人のうち、徒手がふたり、残るひとりが匕首あいくちを握っている。袖口から刺青いれずみが覗く者もいるところからして、お店者たなものではありえない。やはり、金で雇われた者ということだろうが。鈴の最も近くにいる者が刃物持ちなのが気になるが――捕物としては、さほどの規模ではないはずだった。この程度、隆正と喜平のふたりでもどうとでもなる。


「何だぁ、てめえは……」


 凄もうとした破落戸ごろつきが、隆正と目を合わせると途端に声を萎ませるのが少し面白かった。十手じってに黒の巻羽織まきはおり、帯刀とくれば何者かと問うまでもなく身分は知れるはず。行きずりの者が義侠心に駆られたという訳でもなく、店が雇った用心棒という訳でもなく。公儀の役人が暴れ出そうとした瞬間に現れたなら、気勢を削がれて怖気づくのも無理はない。


「北町奉行所定廻じょうまわり同心、遊馬あすま隆正である! 夜を騒がす騒動を捨て置けぬ。神妙にするが良い!」

「何を……っ!」


 隆正の口上に、しかし、男たちは再び声を荒げて拳を構えた。十手を突きつけただけで相手が大人しくなることなど、はなから期待していない。この手のやからは仲間内での面子めんつに拘泥するもの、役人を前にしたからと言って黙って従うなど安い矜持が許さないのだ。とはいえ狭い店内のこと、逃げることもままならないとなれば、次は――


クソ――っぎゃあ!?」


 白い閃光が走り、同時に無様な悲鳴が上がる。男のひとりが鈴の首筋を狙った匕首が、隆正の十手に絡め取られ宙に舞ったのだ。この場を切り抜けるために人質を、と。卑劣な考えは読むのも容易い。

 衝撃で痛めたのだろう、右手を抑えて呻く男の腕を取り、地に転がす。ほぼ同時に、落ちた匕首は喜平の方へと蹴り飛ばす。これでまずはひとり、それに鈴も安全だろう。


「何だよ、……!」


 残るふたりは素早く目を見交わすと、店の奥を目指して隆正に背を向けた。勝手口から逃げようというのか。そちらには、さかえ屋夫婦がいるのではないか。


「待て――」

「おい、何するんだい!」


 慌てて後を追う隆正の声と、栄屋主人のそれが重なった。追い詰められた破落戸が、時間稼ぎにか店中のものを手当たり次第に投げ始めたのだ。床几しょうぎがなぎ倒されて行く手を阻む。膳に残っていた食べ物がひっくり返って出汁と醤油の香りが充満した。更に、破落戸どもはくりやに入り込むと鍋や食器をも引っ張り出してくる。


「この……っ」


 顔を目掛けて飛んできた茶碗を払い除けると、腕に鈍い痛みが走る。体勢を保とうとしても、散らばった陶器の破片が足を滑らせる。色とりどりの食器がぶちまけられ、音を立てて砕けていく。その様は、目にも耳にも騒々しい嵐が屋根の下に吹き荒れるかのよう。陶器のつぶての合間に、破落戸どもが栄屋を突き飛ばすのが見えた。この隙に、逃げおおせようというつもりなのか。


「させるか!」


 叫んで跳んだ瞬間に、足裏に痛みが走った。陶器の欠片を踏んだのかもしれない。が、構ってはいられない。転がった膳を踏み抜き、零れた汁物を踏み躙るのも。気が咎めるがこの際仕方ない。

 一歩、二歩。飛ぶように駆ければ、破落戸の背は目の前だ。往生際悪く、何かの棚に手を伸ばそうとしていた男に、勢いをつけて体当たりする。ふたり分の身体の重さで、最後のひとりを巻き込みながら。


「ぐえぇ」

「い、いてぇ」

「喜平、縄を!」

「へえ、ただ今!」


 破片の上に倒れた破落戸どもが呻くのを無視して、隆正は喜平に呼び掛けた。最初のひとりは既に縛り上げられている。だから喜平の答えも勢い良く、縄を携えて飛ぶように参じてくる。

 三人全員を縛り上げてやっと、隆正は息を吐いた。栄屋店内の有様は惨憺たるものだったが――


「御同心様……」

「怖かっただろう、すまなかったな。……怪我がないようで何よりだった」


 声を震わせ、涙を浮かべている鈴は、とにかくも無傷ではあるようだった。栄屋夫婦も同様に。壊れたものは、直すことも改めてあがなうこともできる。ならばこの場は、ひとまず上手く運んだと思って良いだろう。



      * * *



 店の惨状を嘆く暇もなく、栄屋一家は後片付けに乗り出し始めた。この辺りの切り替えの早さは町人ならではだろうか。思い切りの良さというよりは、明日の商いを考えなければならないという事情もあるのだろうが。

 割れた器の欠片が奏でるかちゃかちゃという音を聞きながら、隆正と喜平は破落戸どもに対峙している。いずれも不貞腐れたようにそっぽを向く者たちに、青海屋との関係を問い質さなければならなかった。男のひとりが、聞き捨てならないことを言っていたのを、隆正はしっかりと覚えている。


「聞いていない、などと言っていたな。このように取り押さえられるはずではなかったということか? 誰に何を言い含められてこの店にあだなしたのだ?」


 彼らも隆正も、顔や手には細かな傷が幾つもできている。尖った欠片が散らばる中で立ち回りを演じた結果だった。口を開くたびにぴりっとした痛みを感じるのは不快といえば不快だが、口を開かない訳にもいかないのだ。

 それに、不快というなら空々しくすっとぼける破落戸どもの態度の方がよほど、だった。後ろ手に縛られて並んだ三人が三人とも、うすら笑いを浮かべて言い逃れる構えを見せていたのだ。


「それは言葉の綾ってもんで……大した意味はねえよ」

「そうそう。不味い飯で金を取ろうっていうから道理を教えてやろうとしただけでさあ」


 あくまでもよくあるいざこざだ、雇われてなどいない、と言い張る様子は図々しいことこの上ない。隆正はもちろん、横で聞いていた喜平も憤りの声を上げて破落戸を小突いたほどだ。


「馬鹿言うんじゃねえ。この店の飯が不味いなんてある訳ねえだろうが」

「へっ、不味いものを不味いと言って何が悪い!」

「何だとお!?」

「喜平、止めろ!」


 喜平が拳を振り上げようとするに至って、隆正はさすがに割って入った。喜平の怒りももっともながら、抵抗できない相手に手を上げるのは仁義にもとる。叱りつけられた喜平は、少々不満げな顔をしながらも拳を収めた。


「でも若旦那……どうするんです?」


 痛めつけて吐かせた方が良いのではないか、と。それこそ破落戸のようなことを考えていそうな喜平ではなく、縛られた男たちに向けて隆正は答えた。しっかりと相手の目を見据えて、いかなる感情の揺るぎも見落とさぬように目を光らせて。


「貴様らの雇い主には心当たりがある。見事当ててやれば、貴様らの顔色も変わるだろうな。それまで沙汰を待つが良い」

「雇い主なんざいねえってのに……!」


 隆正があまりに自信たっぷりに断言したからだろう、せせら笑おうとした破落戸も、語気が少々弱まっていた。もちろん、身に覚えのない難癖をつけられたからではないだろう。今日の今日でこの騒動だ、この者たちが青海あおみ屋の依頼で栄屋を狙ったのは間違いない。喜平が吼えた通り、この店の飯は美味いのだし。

 破落戸たちと実際に顔を合わせたのはあの手代てだいか、他の者かは分からないが。青海屋に行って面通しを命じれば、隙や動揺を見出すこともできるだろう。


(今宵のうちに訪ねなければな……不意を突いた方が良いのだろうし)


 傷の痛みも、昨晩からの寝不足による疲れも、高揚した精神で乗り切れる程度のものだ。予期せぬ来客が栄屋への企みを暴いたと知らせてやれば、青海屋もを出すかもしれない。

 そう決意した隆正が、喜平に出発を命じようとした時だった。通りから慌ただしい足音が響いてきた――と、思うや否や、栄屋の戸口が慌ただしく押し開けられた。


「遊馬の若旦那はこちらにおられるかい!? 猪之助いのすけ親分からの使いです!」


 駆け込むなり叫んだ男の顔は、確かに隆正も知っている者だった。猪之助の一家の者で――今夜は、青海屋を見張る役目を受け持っていたはずだ。

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