第12話 自らの目と耳と足で
「
話を最後の最後まで聞き終えた
状況を見極め、相手のわずかな言葉から真実を見抜いた機転も、殺気立った武家や役人と渡り合った胆力も本題ではない。最も重要なのは、薄雲がそれだけの立ち回りを演じたのは、ひたすら姉貴分の
大っぴらに旗本家を糾弾することができないから意味がない、というのも理由だろうが、それ以上に藤枝花魁がめでたく好き合った相手と結ばれたことで全て良しとしたのではないか。夏目の言葉によって描かれた薄雲の笑みは、そんな度量の広さを窺わせたのだ。
(では……やはり……?)
たった今聞かされた薄雲の人柄ならば、
「そうだな。――あれで、結構優しいところもあるんだ、あの女は」
「そう……なのでしょうね……」
身体を縮める隆正を前に、夏目は足を組み直し居住まいを正した。昔話を語る比較的楽な姿勢から、若い者を教え諭す構えへと切り替えたのだ。低くゆっくりと、相手の胸に染み込ませるような声の調子は、隆正も既に何度も聞いた覚えがある。遥かに歳上の目上の者に、これほど真摯に語りかけられたら聞かずにはいられない――絶妙に、そう思わせるのが夏目の人徳なのだ。
「薄雲に限らず、遊女は客を試すもんだ。単純に金払いが良いか、また通ってくれるかを見極めようとするのもあるだろうが、それ以上に心を傾けて良い相手かどうかが大事らしい。
「
薄雲に対して取った態度、吐いた言葉を思い出すと、隆正の
(
昨夜、薄雲が座敷を去る前に依頼した――というか命じたことを反芻しながら、隆正は考える。何の目的があってのことか、今ひとつ分からないことばかりだったが、彼の態度次第ではもっと詳しい話を聞くこともできたのだろうか。そう思うと、自身の狭量が悔やまれてならなかった。
「お前なら、きっとあいつの眼鏡に適ったはずだ。そう思うから紹介したんだからな」
「いえ、某は――」
「花魁が一番嫌うのは、わざとらしく
「はあ」
「お前の顔を見れば分かる。あいつの態度に気に入らないところもあったんだろう。だが、薄雲だってそう思われることは承知で振る舞ったはずだ。その上で、お前の馬鹿正直さは伝わっただろう」
「馬鹿正直、ですか……」
普通ならば、誉め言葉にはなり得ない形容だった。今回の鈴の件でも、夏目以外の上役や、果ては目下の岡っ引きからも散々言われたのだ。町民からの些細な訴えにいちいち耳を貸していては立ち行かない、ことの軽重を見定めろ、少しは聞き流すことも覚えろ、云々と。きっと彼らの言い分は正しいのだろう。隆正は若く経験もなく、目に入る者全てを救うには力が足りない。たまたま直に乞われたからといって舞い上がることこそ未熟者の証なのかもしれない。――だが、今の夏目の口ぶりは、それでも良いのだと言っているかのようだった。
「薄雲に何を言われたかは聞かねえ。言われた通りにするのかしないのかもお前が決めることだ。ただ、俺の経験から言えば、あの女はいつも分かりにくいことしか言わないな。全てはお
「そうでしたか」
強面の夏目が、
隆正は少し笑い――そして、表情を改めた。不安も不審も、今は拭われた。この心持ちならば、改めて迷いなく事件の調べにあたることもできるだろう。
「薄雲花魁からは、幾つか気に懸かることがあると言われております。どのような結果になるのか――某も、自らの目と耳で確かめたいと思います」
「そうか」
夏目の厳つい顔にも、柔らかな笑みが浮かんでいた。不甲斐ない若輩のこと、気を揉ませてしまっていたのかもしれない。藤浪屋に行かせたことといい、昔語りを聞かせたこととい、思えば夏目は隆正の身をよくよく案じてくれていたのだろう。全く、手厚い気遣いをしてくれたものだと思う。
感謝の念を込めて見つめているのに気付いたのか、夏目は照れたように視線を隆正から外した。そのまま、石を片付けた碁盤を見つめながら、独り言のように呟く。
「お前のことは、御父上との縁もあるから鍛えてやらなければ、と思っている。一方で、俺は薄雲のことも心配でなあ。身請けの話も雨のように降ってきているだろうに、どれにも頷かないで。……役人が出入りしていると知られれば、心強くもあるだろう。だから、今回のことの顛末にもよるんだろうが――」
あいつのことを、頼む。そう続けられて、隆正は内心少なからず慌てた。上役からの頼み事にも、あのように美しく底知れない女が心配だ、などという言葉にも。
(そうか、全ては教えてくださらなかったな……)
薄雲が身揚げをしてまで事件の話を聞きたがる理由。さらにまた、身請け話を受けないなどという不思議が加わってしまった。多分そこも、自分で確かめろということなのだろうが。そして、薄雲と再び会うためには、何かしらの成果を上げてからでなければならないだろう。
「――薄雲花魁は、間に合えば良いが、などと不穏なことを申しておりました。聞かせていただいたこと、大変身になる話ではありましたが、そろそろ行かなければ。……失礼を、させていただきます」
「おう。行って来い」
夏目に対して深く頭を下げると、隆正は勢いよく立ち上がった。まず向かうのは――
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