第4話 一方の現代①
奇妙な夢を見た。
目を覚ました陽(はる)は、まだ覚めない頭をゆるゆると動かしながら周りを見渡した。
間違いなくここは陽の部屋である。
そう認識すると同時にほっと息を吐く。
なんだかとてつもない悪夢のようなものを見ていた気がするが、いまいち内容をはっきりと覚えていない。それでも思い出そうと頭を捻ると徐々に思い出してくる。
「……蜘蛛?……ゴキブリ??」
決して虫マニアというわけではないが、夢に出てきた蜘蛛とゴキブリに懐かしいような嬉しいような悲しいような、なんとも不思議で複雑な感情を抱いたことは覚えている。
あるいは、自分は蜘蛛の目線で夢を見ていたのではないか。できる限り夢を思い出そうとすると、怯えて震えるゴキブリの姿を真っ先に思い出した。
再三言うようだが陽は決して虫マニアではないし、ゴキブリは見つけたら普通に殺す。容赦なく。
だがどうだろう。今日の自分はおかしいのではないか。と言うのも、震えるゴキブリの姿を思い出して少し胸が高鳴ったのだ。さらには蜘蛛の糸に捕らわれるゴキブリを見て、どこのエロゲー?と感じたことを思い出す。
ゆるゆると頭を振りながらため息をつく。
「……おれ、ついに変態になったのか」
健全な男子高生ならちょっとくらいの変態は普通だと思うが、これはなんとも特殊な案件である。
しかし陽はマイペースだった。
まぁ、気のせいだろうと気持ちを切り替え、学校に行く準備をし始めた。
母親に出してもらった朝食をもそもそと食べ始める頃には今朝の夢なんて綺麗さっぱり忘れていた。嫌いなブロッコリーを箸でつつきながら何気なくテレビを見やるとニュースが流れている。
「……那月市海山区尾瀬前交差点でトラックが電柱に激突する事故がありました。死者負傷者ともに0とのことで運転手は……」
「あら?この近くじゃない。陽も気をつけてね」
「ん?あぁ。そうだな」
味噌汁を啜りながら適当に相槌を打った陽は、今日の1限なんだっけ?と考える。決して反抗期だとか思春期だから親の話を聞き流しているという訳では無い。朝はいつもこうなのだ。
ぼーっと冴えない頭のまま家を出ていつもの通学路を歩く。徒歩で行けるだけあって学校は近い。ゆっくりのんびりと歩きながらやがて辿り着く。教室の前までふらふらと歩いて来て、そこでようやくその日の1限が英語であることを思い出した。そしてその日が、ちょうど自分が先生に当てられる日だということも。
思い出した途端に眉間にシワを寄せた陽は、教室に入りかけた足を引っ込めた。
「……ちょっと体調不良で」
誰も聞いてないのにポツリと零しながら保健室へと方向転換し、歩き始める。
もちろん体はぴんぴんしている。通常運転。不調などない。人はそれをサボりと呼ぶ。
陽は要領が良く、こうして時折サボりつつもテストの順位が落ちることは無かったし、クラスで浮くこともなく友達も多かった。また、ぽかぽかの陽射しを浴びながらうとうとしているのを見て、女子達から「まどろみ王子」と呼ばれるくらいには優れた容姿をしていた。
マイペースな陽はそんなのお構い無しに自分の生きたいように生きていたが。
保健室の扉を開こうと手をかけたところで、向こう側から扉が勢いよく開く。
「わっ!日和(ひより)か。びっくりしたー。先生今から会議だから。サボリはほどほどになー」
陽がサボるのはいつものことと、保険医は気にした風もなく適当に声をかけて手を振りながら去ろうとする。
「あ、そういえば今日は本当に体調悪い子いるからさ。邪魔しないよーにね」
ふと思い出したかのように足を止めて、こちらを振り返りながらそれだけ言うと、今度こそ歩き去っていく。
ま、日和は1人で眠るだけだから邪魔なんてしないか。なんて独り言にしては大きい声で言いながら、その声も徐々にフェードアウトしていく。
姿が見えなくなるまでぼーっと保険医の歩き去った方を見ていたが、サボりに来たことを思い出した陽は改めて保健室へと足を踏み入れる。
いつものぽかぽか暖かい日差しが差し込む窓際のベッドで寝ようと近くまで足を運んでふと気づく。
誰か先客がいる……。どうやらお気に入りの場所は「本当に体調悪い子」に取られたようだ。まぁ隣のベッドで寝ればいいだけだし、体調不良大丈夫かな。なんて知らない誰かを気にかけながら隣のベッドに寝ようと近づく。
ベッドに乗り込んでカーテンを閉めようとしたところで、シャッと隣のカーテンが開く音がした。
どうやら体調不良の子はお目覚めのようだ。パッと目が合う。
「あ、日和くんだ。おはよう~」
にこっと笑顔を浮かべるその人は同じクラスのマドンナ、小桜 花恋(こざくら かれん)であった。顔色は少し悪い。きっとまだ体調は悪いのだろうが、クラスメイトと目が合って無視もできなかったのだろう。
「まだ顔色悪いよ。寝た方がいいんじゃない」
「んー、ありがとう。そうする」
再び布団に潜り込んだ彼女を横目に、陽は自分の瞼が限界を迎えて勝手に閉じていくのがわかった。
_______________陽がスヤスヤと寝息をたてたことを感じた花恋はゆっくりと体を起こす。普段からは考えられないほど無機質な表情を伴って。
そっと隣のベッドのカーテンを開け、寝ている陽の顔に手を翳し……。
寝ている陽の眉間に皺がよる。悪夢でも見ているのだろうか。たまに身を捩りながら、されど夢から目覚めそうもない。
隣には花恋の姿はもうなかった。眉目秀麗、成績優秀、文武両道、優等生の彼女は英語の授業を途中から受けに教室に戻っていた。
教室では陽の代わりに先生に当てられた花恋が、ネイティブな発音で模範解答を示し、周囲から羨望の眼差しを浴びていた。いつも通りの光景である。
しかしながら今日の花恋はいつもと違う雰囲気を纏っている。どこか鬱屈そうな影が差していた。とあるクラスメイトは目敏くそれに気づき、心配そうな視線を、またあるクラスメイトはちょっぴりミステリアスな花恋も素敵だと言わんばかりの熱視線を送っている。そんなクラスメイトからの視線を気にもとめず、花恋は窓の向こうに見える一学年上の教室をボーッと眺めていた。そこは花恋の姉の教室だった。
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