第16話 自分のことを○○だと思い込んでる○○ 上

「ああ、もちろん過払い分は返金させてもらうよ。あれでは適正価格とはとても言えないからな」

『……黒沼千夜、あんた案外まともなとこあんのやな……まぁ正直むっちゃ助かる。今はブイチューバーとしての稼ぎなんてゼロみたいなもんやし。まぁ楽しいからええんやけど。でも貯金切り崩してくのも限界あるかんなぁ……いい加減バイト見つけんと』

 微かなため息をスマホが拾う。電話越しでも話し相手――鈴木律子君が肩を落としているのが伝わってくる。

「そうか……じゃあ、もし良かったら、うちで事務職員として働いてみないかい? 専門知識は働きながら身に付けてもらえば構わないしな」

『え!? あんたんとこの除霊事務所で助手ってことか!? えー……オカルト知識覚えられたとしても、霊感も全くないんじゃ無理やろ……てか普通に幽霊の相手とか怖いし』

「うちは法律事務所だ。霊感なんていらないしオカルト知識を身に付けてどうする」

『ああ、その設定は守るんやな。やっぱりガールズちゃんねるに書かれてた通りや。てかそもそも助手なら伊吹ちゃんがおるやろ。何や、結婚でもすんのかあの子。寿退社か――とか言うたら、時代錯誤だとか男尊女卑だとか言うてくるんやろうなぁ、あんたは……』

「いやそんなことはないぞ。結婚によって仕事を辞めることを強いられているのであればそれは大きな問題だが、本人が心から望んでいて、且つ夫婦間で話し合った上での選択なら他人がとやかく言うことではないだろう。それに夫である伊吹君が家庭に入るというのならば女性の社会進出を拒むようなことにはならないわけだしな。というかそもそも彼が結婚するから、という話ではない」

『ん?』

「ん?」

『え、夫? 彼? え、ん? え…………あ、伊吹ちゃんって男やの!?』

「ああ、シス男性だぞ。しかしな、他人の性別をわざわざ確認するような真似は控えるべきだ。そもそもそんなことをする必要性なんてないのだからな。まぁ伊吹君は全く意に介さないだろうが」

『うぜぇ……いやだって見た目も声も中性的やからさぁ。まぁ確かに話し方や一人称は男のそれやから、文字に起こされたりしてたら男だって分かったんやろうけど。実際会うことで勘違いさせられるってのも変な話やなぁ』

「今どき性別と見た目を結びつけるのも不適切だと思うが……」

『いやでもめっちゃ童顔やしさぁ。何ならセーラー服とか着せたらラクナと変わらんぐらいに見えるんちゃう?」

「やめろ。まるで私が児童労働させているみたいではないか。伊吹君は私と同い年の、れっきとした成人だ」

『まぁあんたが何歳なのかは知らんけど……まぁ二十八とかやろ? 女子中学生ってのはさすがに言い過ぎやけど、でも伊吹ちゃんがアラサーってのはビックリやわぁ。マジで歳とらへん存在なんちゃう? それこそ幽霊とか……あ! それやろ! あんた、「自分のことを生きた人間やと思い込んでるお化け」を助手として雇ってたんやな! 除霊事務所らしくてかっこいい。あと伊吹ちゃんのサイコパスっぷりとも辻褄が合う。生きてる人間にあんなに血も涙もなかったら怖い』

「何だその狂気じみた発想は……そんなわけがないであろう。うちは法律事務所だし伊吹君は生きた人間だ。…………まぁ、ただ確かに……自分のことを大いに勘違いした化け物ではあるのだがな……本当に幽霊だったらどんなに良かったか」

『まぁサイコパスやしな』

「いや……そうではなくてだな……」

 今度は私の方がため息をついてしまう。

 とは言え、愚痴るわけにもいかない。鈴木君に話しても仕方ないし、むしろ余計なことを知らせてしまえば、ますますうちには来てくれなくなりそうだ。

 とりあえず、考えておいてくれとだけ伝えて、鈴木君との通話を切る。思わず脱力して、営業中だというのに応接室のソファに横たわってしまったその時、

「そりゃあ僕はサイコパスなところありますけど、でもやることやってるんだからいいじゃないですか。仕事は完璧で誰にも迷惑かけていないでしょう。無能なせいで他人に迷惑かける奴が僕は一番嫌いですからね」

「ひっ……!?」

 キッチンの陰からヌルッと姿を現したのは、この事務所唯一の事務職員――

「伊吹君……っ、君、いつからいたんだい……?」

 伊吹伊吹君である。姓も名も伊吹である。

「十分ぐらい前ですけど。営業日に事務所に出勤するのは当たり前じゃないですか。はい、児童労働ブレンド」

 伊吹君がコーヒーカップを差し出してくる。

 いやいやいや。ツッコミどころ満載なのだが。まぁ、それを指摘出来なくなってしまっている私も悪いのだが……。

 でも、もういい加減にしなければならない。このままではいずれ、やっていけなくなる。

「鈴木さんをスカウトですか。僕は反対ですけどね。僕の負担が減るのはありがたいですけど、新人なんてどうせいつもすぐ辞めちゃうじゃないですか。はぁ……先生がちゃんと指導してくれないから教育係の僕が大変な思いするんですよ? てかまぁ、そもそも人件費に割く金なんてもうないですって」

 ……やはり話も聞かれていたのか……。いや、好都合だ。むしろ良いきっかけになった。今日こそ、今こそ言ってやる。

「そ、そう言えば伊吹君。先日のメリーさん人形の供養の件だが……君に任せてから数週間、何の報告も受けていないのだが……。領収書を発行しないお寺であっても、寺の名称、金額、支払日等の記録があれば経費精算出来るから言ってくれれば……」

「は? なんすか、それ。メリー?」

 伊吹君は何ら悪びれる様子もなく、ペットボトルのコーラを飲みながらソファにドサッと腰掛ける。

 私は頭を抱えそうになるのを堪えて、

「いや、『自分のことを受信料徴収員だと思い込んでるメリーさん』のご遺体……私が適切に対応しようと思っていたところを、君の方から『任せてください』と言ってきたのではないか」

「あー、あれか。ちゃんと処分しましたよ。燃えるゴミに出しました」

「な……っ!」

 今度は頭を抱えそうにもならなかった。唖然とすることしか出来なかったからだ。

「だから金もかかりませんでしたよ。脱税坊主に何万も払うとか頭悪すぎでしょう。あいつら何の能力も持ってませんし。結局燃やすだけですよ」

「…………っ、いやいやちょっと待ってくれ……。メリーさんだぞ? 元々、ゴミに出されたことで怪異になってしまったという存在だぞ? それを再度ゴミに出してどうする……? 最悪また同じことになるやもしれんぞ……?」

「あ。いやだからそうなればまた仕事になるじゃないですか。無限ループです。先生が大好きなリサイクルですよ。あれ? リユースでしたっけ」

「いや、いやいやいや……!」

「何ですか? はぁ……また面倒なポリコレを持ち出す気ですか? いいですか、先生。悪霊の、それも死んだ後の身体をどう始末しようが何の問題もないでしょう。そんなものを無駄に丁重に扱うために払う金なんてうちにはないんですよ。いい加減現実を見てください」

 今までの私ならもうここで伊吹君への反論はやめていた。しかし今回こそは諦めない。こんな穴だらけの主張を受け入れ続けるのはもう限界だ。

「いや、私は別に怪異福祉の観点からでのみ言っているわけではない……! 捨てたのは君なのだから、新たなメリーさんとなって戻ってくる場所はこの事務所になってしまうだろう? それか、私達に処分を頼んだ元の持ち主――三崎君の家だ。つまり先の依頼を私達は達成出来ていなかったことになる。成功報酬を貰っておいてな」

「あ、そうですか。じゃあまた先生が殴ればいいだけですね。既に一回殴り済みなんだから次も殴れるでしょう? てかそうだ、大丈夫ですから。あんなボロボログチャグチャになって、もはや人形のていを成してなかったですし、先生の残虐除霊から蘇ってきた怪異なんてたぶん今まで一匹もいないでしょう。ちゃんと考えて物を言ってください。僕はちゃんと考えがあって仕事したんですから。あと甲子園見てるんで極力話しかけないでください」

 伊吹君は非常に早口でそう言ってテレビをつけた。甲子園は昨日閉幕したのでやっていなかったが、そのまま真っ赤な顔でNHK高校講座を眺め続けている。小学生の時からずっと不登校だったらしい伊吹君には高校数学は難しいと思うが。

 はぁ……やっぱり良い気分はしない。居たたまれない。今日も伊吹君はサバサバとした冷静無感動な人間を装いながら、上司からの控えめな注意だけで、声にも表情にも不機嫌さを露わにする。本人は全く気付いていないだろうことが、より厄介だ。

 もう既に胃がキリキリする。やっぱりここら辺でやめておこうか…………いや、ダメだ。もう先延ばしにはしないと決めたじゃないか。

「い、伊吹君…………あの……その……そうだ、手の具合はどうだい? 私が紹介した病院は? あの経緯では労災認定されないだろうが、当然治療費は事務所で負担すると伝えたであろう?」

 うっ、こんなことを聞いてどうするのだ。結局また逃げているだけじゃないか。いやでもあまりに直接的過ぎるのも無駄に刺激してしまうだけだし……。

「ああ、あの病院もダメでしたよ。医者も看護婦もみんな揃って無能でした。無能なくせに態度ばかり大きくてまた一方的に出禁食らいましたよ。あんなのを自信満々で紹介してくる人も無能ですね」

「か、看護師な」

「うざ」

 結局そうなるのか……。伊吹君はこの周辺の病院でも悪質で一方的なクレームをつけまくって、軒並み出禁を食らっている。

 そして案の定また不貞腐れてしまう。

「だいたい治療費だけとか……依頼解決のためにいつも危険を冒している僕に対してそれだけですか? 普通ボーナスとか出すでしょう。手のことで言ったらこれだけじゃなくて、カシマさんのときだって僕は靭帯を奪われそうになったんですよ? まぁ僕が特殊な存在だからそれは回避できましたが」

 いや何か君自分が特別な人間みたいに言ってるけど、長掌筋は日本人の二十人に一人ぐらいは生まれつき無いものだからな? 全然珍しくないからな? 君は元々持っていないものを奪われなかったというだけだからな?

「あのな、伊吹君。実はいつもの清掃業者から損害賠償の請求が来ているんだ……見てくれ」

 いい加減本題に入っていくために、伊吹君へと請求書を差し出す。

 まずはこの件から。言わなければならないことの核心はシンプルだが、外郭となる事例は山ほどあるのだ。

「は? 損害賠償? 何であいつらから……あんなに使ってやってるっていうのに。こっちは客ですよ。神ですよ」

「うちからの悪質な無断キャンセルが頻発しているからだそうだ。記載されている内容を見るに、私が把握していないようなものばかりなのだが……身に覚えはないかい?」

「キャンセルってか必要なくなったときには来ても無視してますよ、そりゃ」

「…………っ、いや、そもそも必要ないのに何故呼んだんだい」

「必要になりそうなときは早めに呼んでるんですよ。じゃないと待ってる時間が無駄になるじゃないですか。僕、非効率なの大嫌いな人間なんで。効率悪い奴見てるとマジでイライラするんですよね」

「――――」

 その結果損失が生まれているだろうとか、そもそも私に許可を得てからにしてくれ、君にそんな権限は与えていないとか、口を出そうになった小言はたくさんあるが。

 伊吹君が呆れ顔を浮かべ、やれやれと肩をすくめるのを見て、さっさとこの時間を終わらせる覚悟が決まった。

「伊吹君。要するに君は私を見下しているのだよな。使えない無能だから、自分が気を利かせてフォローしてやらなければならないと考えているんだよな。いや、いいんだ、それは。それは事実だから。私は自分に能力が足りていないことを自覚しているから。だから君にも自覚してほしい。間違った思い込みをせずに、自分の姿を正しく認識してほしい」

「……は? 何すか、いきなり。ていうかわかってますから、自分がクズ人間なことくらい。金のためなら自分以外のこととかどうでもいいですし、僕の足引っ張るような無能な奴らとか全員死ねばいいと思ってますし。はいはい、そうですよ、僕はクズでサイコパスでめちゃくちゃ性格悪いですよ。おまけに顔も悪いから恋人も友達も出来やしない。まぁ仕事以外の人付き合いなんてコスパ悪いから要りませんけどね。ふっ、ああ、そっか。先生も嫌いですよね、僕のこと。そりゃあ先生のようなポリコレ人間にとって一番癇に障るのは僕のような冷笑系リアリストですもんね。でも仕方ないでしょう、とことん合理的にしか生きられないんですよ、僕のような人間は」

 このサバサバとした感じが余計に人を遠ざけちゃうんですよね、と言った感じで伊吹君は冷笑しながらため息をつく。

 だから私は、伊吹君のその発言を悉く訂正しなければならない。

「いや、違う。自分のことを一番に考えるのは全く悪いことではないし、君の倫理観がズレていても私にそれを全否定することは出来ない。そして伊吹君。君の顔はとても綺麗だ。だから私は君のことが好きだ」

「…………は……?」

 伊吹君と出会って一年強。私の側が君をこんな風にキョトンとさせたのはこれが初めてじゃないだろうか?

 そんな間抜け面さえも本当に美しくて可愛いぞ。

「君の顔が好きなんだ。スタイルも好きだ。私は恋愛対象を完全に見た目だけで選んでしまう人間なんだ。そんな政治的に正しくない自分のことは大嫌いなのだがな。でも、仕方ないのだ。直せないのだ。君のような冷笑系のスタンスが大嫌いなのに、顔が好きだから許せてしまうのだ。顔が好きだから全部好きになってしまうのだ。顔が好きだから君を雇ったのだ」

「ええー……何言ってんだこの人、きめぇ……。いきなり告白とか……まぁ別に僕の方も先生には自分がついてないと心配なところあるんで、まぁ公私ともにサポートしてあげるのも――」

「無理だッ! やめてくれ! 君とはもう一緒にいたくない!」

「は…………はぁ?」

「いられないのだよ……っ、何故なら、何故なら君は……っ」

 これが、私から君への告白だ。

「君が……とんでもなく無能だからだ……っ」

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