第15話 自分のことを中の人だと思い込んでるVTuber その9

「黒沼千夜ぉぉぉぉ!!」

「先生、お客さんです」

「見れば分かる。まぁ、一旦落ち着いて、そこに座りたまえ、鈴木君」


 京華院ラクナとの騒動から一夜明けた、よく晴れた日の午後。鈴木律子さんが事務所に怒鳴り込んできた。

 鈴木さんは立ったままテーブルに手のひらを叩きつけ、ソファに座る先生の顔を超至近距離から睨みつけて、


「あんたやなぁ、火ぃつけたんは! なにラクナを炎上させてくれとんねん! おかげでラクナは――うちらは契約解除や!! ラクナの存在が事務所の手で丸ごと消されてしもたんやぞ!?」

「当たり前だろう。あんな痴漢賛美のコンテンツ、しかもそれを女子中学生のキャラクターを使って、全年齢対象でやっていたのだ。批判されて当然、事務所の判断も妥当だ。むしろスピーディーな謝罪・対処に関してはお見事だったな。まぁ炎上の規模が大き過ぎて、そうせざるを得なかったのかもしれんが」

「~~~~っ!!」


 僕と先生、そしてクソガキアニメこと京華院ラクナは、京華院ラクナの過去の痴漢擁護発言及び痴漢もの作品賛美発言を、ツイッター上で拡散していた。

 公式のアーカイブは全部クソガキアニメが消してしまっていたわけだが、ファンによる切り抜き動画はユーチューブに山ほど残されていたので問題なかった。むしろとても分かりやすく痴漢関連の発言を集めてまとめた動画などもあり助かった。本人は面白いとでも思い込んでやったのだろうが、結果的にこのファンは自らの手で大好きなブイチューバーを追い詰めたことになる。

 点火するのも、それが燃え広がるのも、本当に一瞬だった。元々、最近京華院ラクナのアーカイブや痴漢関連発言が消されまくっていたことからファンの間であらぬ憶測が生まれ、それが外部にも漏れ出していたらしく――要するに話題の下地は出来上がっていたわけだ。ファン以外からの(好奇心による)京華院ラクナへの注目度も高まっていたのである。消せば消すほど却って目立ってしまう、というやつだ。

 そしてそもそも京華院ラクナの痴漢もの好きトークはファンにウケればウケるほどエスカレートしており、もはや痴漢作品というか痴漢自体に言及することも増えていたし、果ては被害者叩き・被害者イジりみたいなものにまで発展していたことまであった。見つかる人に見つかれば即アウトの状態が完成されていたのである。

 そして「見つかる人に見つかる」のも早かった。普段からポリコレツイートを連発し、同じ思想を持った人間と相互フォローしている先生の(というか黒沼千夜法律事務所の)アカウントで告発ツイートをすれば、京華院ラクナを絶対に許せない人間にすぐ見つけてもらえるわけだ。

 後はもう、そのフォロワーと同種の選好を持ったフォロワーに情報が伝わり、そしてさらにそのフォロワーと似通った選好を持ったフォロワーに……と連鎖に連鎖を重ね、大きな影響力を持ったポリコレ界の重鎮たちの目にもすぐに止まり、ブイチューバー事務所なんていう何の後ろ盾もないベンチャー企業には堪え難い圧力をすぐさま生み出してくれる。

 結果、そのよく分からんベンチャー企業はすぐさま謝罪文を出し、京華院ラクナとの契約を打ち切った。つまり存在を消し去った。

 過去に所属ブイチューバーが軽い炎上を起こした際、中途半端な対応をしたことで火の手を広めてしまった――そんな教訓から今回のスピーディーな決断に至ったようだ。

 京華院ラクナがまだスターに昇り詰める前だったことも要因の一つだろう。他企業とのコラボビジネスなど、外部との利害関係がなかったようなので、首を切るのに面倒な手続きも少なかったはずだ。


「だとしても……だとしてもあまりにも一方的やないか! ラクナとわたしは二年間二人だけで頑張ってきたんやぞ! わたしの確認も取らんまま、こんな強行策なんて……許されるわけない!」

「いやな、いいかい、鈴木君。京華院ラクナの著作権も肖像権も生存権も――何一つ君は有していないのだよ。京華院ラクナに関する権利はすべて、君以外の人間が握っている。君自身も言っていたことだろう?」

「…………っ、そ、それは……っ、そうやけど……っ!」


 表情も変えず淡々と事実だけを述べる先生に対して、鈴木さんは歯噛みすることしかできない。

 契約書は昨晩、クソガキアニメに見せてもらっていた。僕には難しいことはわからないが、先生がしっかり確認してくれたので間違いないのだろう。さすが先生、最強除霊師なのに弁護士みたいなことまでできるとは。


「ひどい……酷すぎるで……痴漢もの言うても内々で楽しんでただけやないか……っ、何も炎上させることないやろ……オカルト女のくせに人権派弁護士みたいなことしくさってからに……っ!」

「オカルト人間だ、あ違う、人権派弁護士だ。しかしな、鈴木君。君は本当にそんな話をしていて楽しかったのかい? 京華院ラクナは喜んでいたのかい?」

「…………そんなこと……あんたに言われんでも全部わかっとるわ……ラクナのことも自分のことも、わたしが一番よく知ってんねん……わたしは本当は痴漢なんて大嫌いだもん……」

「そうか。だったらな、鈴木君、」

「やかましいわ、あんたの指示なんか受けん。……どちらにせよ、こんな目に遭うたんや、痴漢話なんてやりたくても二度とできんわ」


 はい、オーケー。これで依頼人からの要望は全て叶えた。まずは京華院ラクナ(自我)の安楽除霊。そして京華院ラクナ(ガワ)の存在ごとの抹消=完全引退。最後に鈴木律子から痴漢話を取り上げること。

 どれもどこに頼んだって聞き入れてはもらえようのない話だったが、炎上一つでどれもがあっさり解決してしまった。まさに一石三鳥である。


「まぁしかし、鈴木君と連絡が取れなかったとはいえ、確かに演者に全く確認なしというのは、契約違反でなかったとしてもコンプライアンスに反しているな。それに君の契約は名目上は業務委託という形になっていたようだが実質的には雇用契約のような性質が強かった。事務所に京華院ラクナを引退させる権利があるからといって、それは鈴木律子の雇用に関する話とは別問題だ。報酬に関することも含め、事務所と戦っていくというのなら私が何でも相談に、」

「いらんわ! なに弁護士みたいなこと抜かしてんねん! 誰があんたの手なんか借りるか、アホらしい!」

「弁護士だ」

「そもそもあんな事務所こっちから願い下げや! わたしはこれから個人ブイチューバーとして自分が好きなことだけやっていくんや! 誰からの支援もいらんし、誰からの指示も受けんし、誰からの支持も気にせん! わたしがわたしらしく生きていくだけや! 黙って見とけ!」

「ふっ、そうか。それは楽しみだ。私も応援しているぞ」

「いらん! ほなな! わたしは忙しいんや! 早う帰って明日からのガワを作らんと……」

「待ってください!」

 玄関へと向かう鈴木さんの前に回り込んで、彼女を引き止める。最愛の相棒を失って、これから独りぼっちで新しい一歩を踏み出さなければならない彼女を、このまま帰していいのか? いいわけないだろ!

「除霊代払ってくださいよ!」

「~~~~っ! あーあーあー、わかっとるわ! ほら、これでええやろ!」


 鈴木さんがポケットからクシャクシャの札束を取り出し、僕の胸に叩きつけてくる。


「何だ、ちゃんと用意してたんじゃないですか。えーと、いち、に、さん、…………じゅう……あ、税抜き十万なんで。消費税十パーセント分もお願いしますね」

「あぁっ!!」

 意味不明な雄叫びを上げながら追加の一万円札を僕の頭に叩きつけてくる鈴木さん。文句あるなら自民党に言ってくれ。

「これで本当に終わりやろ! いい加減どけや!」


 僕を突き飛ばし、鈴木さんはいよいよ玄関から出ていこうとする。いやでも! 僕は本当はこんなことが言いたかったわけじゃないんだ! どうしても言いづらくて除霊代の話だけしてしまったけれど、やっぱりこのまま帰してしまっては僕自身が一生後悔するだろう。


「鈴木さん! 僕の手の慰謝料は!? 見えるでしょう、この包帯まみれの痛ましい左手が!」

「それは知らん!」

「な……っ!? ふざけないでください! 京華院ラクナにやられたんですよ! あの悪霊に!」

「ラクナはそんなことしない!」

「ああっ、待って!」


 鈴木律子は乱暴に扉を閉めて、走り去ってしまった。

 酷い、酷すぎる。何の罪もない僕のような善良な一市民がこのような深い傷を負わされたのにもかかわらず、何の保障も受けられない。自己責任という一言で社会から見捨てられ、挙句の果てに「全てお前が悪い」と責め立てられるのだろう。被害を受けたという声をあげることすらままならない。一方で残虐非道な加害者の方は何のお咎めもなしにのうのうと世の中を横行闊歩し、また同じことを繰り返して、僕のような被害者を延々と生み出していくのだ。

 きっとこの傷が治ったとしても、僕はブイチューバーを見る度にこの痛みを思い出してしまうだろう。真に痛めつけれたのは左手ではなく――僕のこの心なのだ。

 やはりブイチューバーなどという倫理にもとるコンテンツは厳しく規制されるべきだ。頼むぞ、ユーチューブ、東京都、自民党。そしてフェミニズム。僕の心を救ってくれ!





「先生、見ましたか? 鈴木さんの新しいチャンネル」

「む? もう開設されていたのか。あれから一週間も経っていないというのに」


 ソファでスペシャル児童労働ブレンドをすすっていた先生が嬉しそうに目を見開かせる。

 奈落の獅子ナラク――それが鈴木さんの新しいアバターだった。明らかに京華院ラクナ(の音符弁バージョン)と同じ声、そして「ラクナ」をもじったような名前から、ブイチューバーファンの間ではすぐに噂が広まったらしい。名前ダサ。


「僕はユーチューブのアカウント持ってないんで先生ので見せてください」


 前回の反省からなのか念のためなのか、「奈落の獅子ナラクちゃんねる」には年齢制限が設けられており、視聴するにはログインが必須だった。

 僕と先生は隣り合って座り、パソコンを覗き込む。既に数回分のライブ配信アーカイブがあったので、適当なものをクリックしてみる。

 ディスプレイの中で、拙いながらもどこか愛嬌のあるライオンのイラストがゆらゆらと動きながら、あのアニメ声を出し始めた。


「ほう。可愛らしいキャラクターではないか。鈴木君、絵の才能があったのだな」「うるさいです、先生。内容が入ってこない」


『そうそうそうー、それでぇ、えぇ? 前世? うふふー♪ ないよー、そんなの♪ あっても内緒♪ ナラクはナラクだもん♪ で、何の話だっけ? あ、そーそー、前回もちょっと話したんだけどぉ、そー、わたしが好きなジャンルがさぁ』


「言葉もすっかり共通語に戻ったのだな」「まぁキャラになり切ってる時は戻しやすいんじゃないですか」


 音符つけるのが共通語だったらNHK死ぬけどな。


『そーそー、わたしマジで射精管理ものが好きでさぁ、うん、これはマジで。心の底から好き。誓って大好き。今の一押しは「デスゲームに巻き込まれたけどドS後輩に射精管理されてるからそれどころじゃない」かなぁ♪ あ、でも「地球温暖化の本当の原因が俺の射精だった~セカイが俺を射精管理してくる~」とか「僕が射精する度に日本中にJアラートが鳴り響くんだが~僕のちんぽに破壊措置命令!?~」もなかなかの名作で、あー、だけどやっぱ、』


 僕はそこで動画を停止した。早口で生き生きと語る奈落の獅子ナラクがキモかったからである。ちなみに先生の目は死んでいた。


「あの人は何も学ばないんですかね?」

「……いやまぁ、別にこれに関しては誰のことも傷つけていないではないか。年齢制限も掛かっているわけだし、性癖や趣味は個人の自由だ。自分の好きなものを好きに語るのは何も悪いことではないさ」


 先生はそう言いながらディスプレイにデコピンをした。もちろんそこにいるのは怪異でも何でもないので何も起こらなかった。


 やっぱり、ブイチューバーはキモい。

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