第14話 自分のことを中の人だと思い込んでるVTuber その8

 …………子……りつ…………律子……!


「ん~~~~……何や……寝かせといてや、こっちは最近寝れてないねん……」

「律子。起きて。ラクナだよ。あなたの相棒」


 ――え?


「え? え……!? ラクナ……ラクナやん!」

「だからそう言ってんじゃん、さっきから」


 目を覚ますとラクナがいた。うちの枕元にペタンと腰を下ろしていた。

 戸惑いながらも、うちも上体を起こす。どこまでも真っ白な空間の中で、ラクナと二人きりで膝をつき合わせる。

 艶やかな髪、水を弾くような張りのある肌、採れたての桃のような甘く爽やかな匂い――こんなに近距離からまじまじと見ても、この子はどうしようもなく美少女で、うちがずっと憧れてきたような女の子で、どこかうちのような女の子でもある。

 京華院ラクナ。うちのアバター。うちの相棒。


「どうしたんや、ラクナ。パソコンから出てきたらあかんやん。うちは嬉しいけど事務所には内緒やで」

「わたしもこんなつもりなかったんだけれど……パソコンから出てきたんじゃなくて律子の中に入ってるんだと思う。何でこうやってお話できてるのかは、ちょっとわかんない。てか、いいの! 今はそんなこと! 律子に言いたいことがあるの!」


 ラクナがうちの両手を握ってくる。温かい。すべすべ。潤ってる、てかちょっとだけ汗で湿ってる? ギュッて握り返したら、またギュッと握り返してくる。

 すごく通じ合ってる気がする。まぁ当たり前か。うちらは二人で一つなんやもん。うちがこんなに幸せってことは、ラクナもこの時間を幸せに感じてくれているってことや。

 うちの大好きな相棒は、うるうるとした上目遣いで真っすぐとうちを見つめ、


「バカぁっ!! ばか律子ぉっ!! バカーーーーっ!!」

「えー……」


 何や、何で半泣きでうちの胸をポカポカ叩いてくるんや、この子は……。かわいい。


「バカバカバカバカバカ! バカーーーーっ!! 何で勝手なことばかりするのーーっ!?」

「な、何や、勝手なことって!? うち、何も変なことなんてしてへんやろがい!」

「してるし! してるじゃん! ずっとずっとずっとぉ! 『おつラク園』って何!? わたしたちの配信終了挨拶は『おつラク様』だったじゃん! 気に入ってたのに勝手に変なのに変えないでよーっ! 園はどこから来たの!?」

「え、ええやんけ、別に。ラクナーからは好評やねんから……失楽園や。エロい小説や。それとも『おつラク天』の方がよかったかいな」

「それはエッチな漫画でしょーっ!? 変えないでって言ってるの! こっちは『おはラク~♪』だけでも死守しようと必死だったんだからね!」

「そ、そこは変えるわけないやろ、うちとラクナが出会って初めて一緒になって、最初に出した言葉なんやから」

「それはありがとうっ!! その感覚あるんならもっとわたしのこと大事にしてよーっ!」

「何や、さっきから一方的に……! うちだって考えがあってやってんねんぞ!? 全部あんたのためでもあって……!」

「わたしのために痴漢もの好きになるって何!? 性犯罪なんてわたしたち大っ嫌いじゃん! 好きな男の子相手ですら向こうから迫ってくるのは無理でしょ! 変なキャラ付けしないでよーーっ!」

「しっ、仕方ないやろ! 売れるためや! あんたとの夢叶えるためやろ! 稼いでヌルヌル3D化して天下とったるんや! 世界一のブイチューバーになるんや!」

「その変な関西弁をやめろーーっ!」

「ええぇ……!? やめぃ言われてもうちは生まれた時から虎命のナニワの女――え、あれ?」

「虎じゃなくてライオンでしょーっ!? 律子は所沢生まれ所沢育ちなんだから! あとその声も! 辛くないの!? ずっと無理して低い声出して!」

「…………ほんまや……」

「ほんまじゃない! 本当!」


 ああ……そうやった、ちゃう、そうだった……うちは、わたしは、こんな女やなかった。ラクナみたいな女の子やったやろ……。


「あかん、でもやっぱすぐには戻せへん……声も口調も完全に染み付いてもうた……」

「はぁ……別にいいよ、そこは。無理せずゆっくり直してこ。エッチな話だって、痴漢とかじゃなければ別にダメとか言ってない。律子が本当に好きなことなら堂々と話せばいい。……律子らしくいてって言ってるの……これからもずっと律子は律子らしくいてよ……」

「ラクナ……」


 そうやな……ほんまそうや……。うちがうちを大事にするってことは、ラクナを大事にするってことなんやから。うちらは一心同体なんやから!

 ほんまにごめん、ラクナ。これからはもっとラクナのこと大事にして、うちららしく、ずっと二人で頑張っていこな!


「うん、わかってくれたね。……じゃあ、たぶんそろそろ時間だから」

「ん? 何がや?」

「もう、わたしはいなくなるから。京華院ラクナはもうこの世からいなくなる。これからは律子だけで頑張ってね」

「は……?」


 ラクナは淡々と言う。淡々と、とても受け入れられない事実を告げてくる。

 ラクナが、いなくなる? これから、わたしはひとり?


「大丈夫、律子は素敵で面白い女の子だし。わたし以外のガワを被ってもやっていけるよ」

「な、何言ってんのや、ラクナ……ラクナ……! ラクナ! 嘘なんやろ、ラクナ!」

「嘘ちゃう、間違えた、わたしにまでエセがうつった……嘘じゃないよ。嘘じゃないから今すぐちゃんと受け止めた方がいいよ」

「~~~~っ! アホぬかせ! 嫌や! これからも一緒にやろうや!」

「律子が嫌がろうが何だろうが関係ないから。もう決まったことだから。ちなみにわたし的には律子は個人で活動した方がいいと思う。変にプレッシャー感じずにノビノビやれるでしょ? たぶんね、そっちのが律子の良さ出せるよ。ガワも自分でデザインしたら? 何回かお絵かき配信とかしたじゃん? 律子の絵、上手くはないけど、わたしは好きだよ」

「もうやめてや! わかるやろ! ラクナとじゃなきゃ意味ないんや! ラクナじゃなきゃ、うちやないんや!」

「わたしじゃなくても律子は律子だよ。ブイチューバーのわたしは律子がいなくちゃわたしになれないけれど、人間の律子は生まれた時からいつまでも何があっても、ずっとずっと律子でいられるんだよ。だから、自信を持って」

「嫌やぁ……っ! ラクナぁ……!」

「ちょっと、抱きしめないでよ。たぶんわたし突然消えるから危ないよ? ……抱きしめないで、お願い」

「嫌やっ! 嫌やぁっ! ラクナ! ラクナ! ずっと一緒やったやんか! ラクナなしじゃ無理なんや! 知ってるやろ! わたしは子どもの頃から地味でどんくさくて、ずっとずっと負け続けて……声優でもやっていけなくて……! でも、夢が破れて生きてく希望もなくなった時――あんたに出会ったんや! あんたと一緒に叶えたい、新しい夢を見つけたんや!」

「お願い、離して……いい子だから。ね?」

「二人でずっと頑張ってきたやん! 辛いことも乗り越えてきたやん! 歌もたくさん歌ったやろ! 苦手だったゲーム配信も頑張って覚えたやろ! あんたがいなかったら一生知ることもなかった曲やゲームが、今やうちの十八番になってんねんで! 雑談エピソードがすぐに尽きてもうて、思い出したくもない昔の嫌な話とかもネタにするしかなくなって――それでもラクナと一緒やったから、心から笑い話にできるようになったんや! キモいマシュマロもマネージャーからの嫌味もパパやママからの『真面目に働け』電話も、ラクナとだから踏み台にしてやろうって気になれたんや! 全部全部全部、ラクナがいたから楽しかったんやで!」

「律子……長いよ、話が。全部知ってる話だよ。こんなに時間が残ってたならもっとわたしからも話せばよかった」

「話せばええやん! これからもずっと一緒なんやから! ラクナ……! 行かないで、ラクナ……!」

「でも、もうダメみたい。うん、離して」

「嫌やぁ! ラクナぁ!」

「……まぁ、いっか。わたしも抱きしめちゃお。律子はちょっと腕の力ゆるめて。そうすればケガすることはないでしょ」

「ラクナぁ! もっとギュッとしてぇ! わたしはこのままあんたと結婚するんやぁ! 大好きやぁ!」

「うふふっ……バーカ♪ ……バイバイ、律子。わたしも大好」


「へ……?」


 両腕が、空を切る。そのまま勢い余って、わたしは前のめりに倒れてしまった。


 ――ラクナが消えた。パッと、でも、スッと、でもなく――音どころか擬態語すら感じさせないくらい――突然、いなくなった。

「ラクナ……っ」


 必死で辺りを見回しても、真っ白い空間があるだけ。ここにいるのはわたし一人で、ラクナがいた痕跡はどこにもない――わたしの体に染みついた、ラクナの温もりと匂い、以外は。

 ラクナ……ラクナ……っ! ラクナラクナ、ラクナラクナラクナラクナラクナラクナラクナラクナラクナ――ラクナ!




「ラクナ……っ!」




 飛び跳ねるように、わたしは勢いよく布団から起き上がった。クーラーのよく効いた自分の部屋で、カーテンの隙間から差し込む真っ昼間の日差しがわたしの寝ぼけ眼を鋭く攻め立ててきた。

 全部、夢だった。


「恥っずぅ……」


 いやいやいやいやマジであかんって……三十二にもなってどんな夢見とんねん、わたしは。ラクナがディスプレイから出てくるわけないやん。何当たり前のようにアバターと触れ合ってんねん。

 でも、何でやろう。体中にあの柔らかい感触がめっちゃ生々しく残ってて、服にあの桃のような香りも微かに残っているような気がする。てか汗くさ。そっか、お風呂入ってないんやな、わたし。ん? あれ? てかいつから眠ってたんや? えーと、確かあのオカルト詐欺事務所から帰ってきて、それから……って、そうや! ラクナが勝手に配信とかしてて困ってたんやった!

 なぜか枕元に置いてあったポカリとウイダーを喉に流し込んで、ぼーっとした脳を無理やり覚醒させる。

 霊能力者が役に立たず、事務所も何もしてくれないとなれば、もうわたしが自分で何とかするしかない。


「とりあえずまた変なことしてへんかチェックせんと……」


 夜の間にまた勝手に生配信でもしてたんやろか。でも何か、今だったらそれはそれでええかと思えてしまう。たぶんラクナの「勝手に生配信」を見て普通に笑ってまう。ツッコミ入れたりしながら楽しんでしまう。ラクナが自我を持ってるのは当たり前のこと――そんなバカげた考えを自然に受け入れてしまう。

 一人でにやけながらパソコンでユーチューブのアカウントにアクセスし、


「――あれ?」


 え……? 何で? 変やな。何か間違えた? もう一度……もう一度っちゅうか……、


「え? え? え?」


 何で……何で……


「何でわたしたちの……京華院ラクナのチャンネルが、ないんや……!?」


 おかしい……おかしい……! 何が起こってるんや!? どういう……そうや、ツイッター! ツイッターは――


「ツイッターアカウントも……!?」


 何でや、これじゃ、まるでラクナが初めからいないものみたいな――、


「――――っ」


 スマホが鳴動する音でビクッとしてしまう。画面に表示されているのは――わたしのマネージャーの名前。

 嫌な予感がする。胸騒ぎが止まらない。というか、この電話は一度目のものなんだろうか。わたしが眠っている間に何度も何度も連絡があったのではないだろうか。ダメだ、出られない。怖い……っ。

 ラクナ……ラクナ、ラクナ、ラクナ。ラクナ、どこに行ったの……?


「――――え……?」


 無意識のうちに検索窓に『ラクナ』と打ち込んでしまっていたらしい。表示されたトップニュースが目に飛び込んできて――わたしは震える手で電話に出た。

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