第12話 自分のことを中の人だと思い込んでるVTuber その6

『うん……うん……大丈夫みたい……ぐっすり眠ってる。わたし律子の中に入ったら、ある程度感覚も共有できるみたいで……疲れはあるみたいだけど体調不良とかではなかったよ。ポカリとウイダーも飲んだし……変だね、わたしが律子の中に入れることで逆に律子を助けられるなんて。まぁでも何かあったらすぐ救急車呼ぶから』

「うむ。クーラーもしっかりつけたな。扇風機を併用すれば温度設定を下げなくても効率よく部屋を冷やすことが出来て、省エネになるぞ。私もクーラーを使うな、なんてことは微塵も考えていないからな。エコと健康は両立出来るのだ」

「聞いてないです先生」


 ディスプレイの中の京華院けいかいんラクナは、未だショックは隠し切れていないものの、落ち着きは取り戻していた。先生も落ち着きを取り戻していた。何もしてないくせに。


「では一段落ついたところで改めて確認なのだが……ラクナ君、君は鈴木律子君のアバターであり、本来は自我も持っていなかった――ということで間違いないな?」

『うん……そう。わたしはブイチューバー京華院ラクナのガワで、わたしの中身としてわたしを動かしてくれていたのが、ここに寝ている律子。生身の人間である鈴木律子。わたしはいつからかそれを倒錯してしまって、自分が律子の中の人だと思い込むようになってしまっていた――それで間違いないよ。ただ、自我に関しては……どうなんだろう……いつから自分が意識というものを持ってたのかなんて、明確には思い出せないよ。もしかしたら割と最近なのかもしれないし、実は「京華院ラクナ」が誕生した瞬間から、わたしはわたしを持ってたのかもしれないし』

「そうか。まぁそれは人間も同じようなものかもしれないな。しかし、一つ言えることとして、『自我を持つ=自分が中の人だと思い込む』ではなかったわけだよな。元々君はブイチューバー京華院ラクナとして鈴木君に黙って勝手に配信したり、過去の動画を消したりしていたわけだろう? 当然その時点では自分はアバターであると認識していたわけであるが……何故そんなことをしたんだい?」


 確かにそこから順を追って聞き出していかないと、なぜこいつが変な勘違いをしてしまったのかも掴みようがない。


『うん、それに関してはもちろんちゃんと覚えてるよ。元々は律子のガワとして律子の意思に従って喋って動いてただけだったけど、先月ぐらいからわたしは律子を無視して勝手にライブ配信したりし始めた。そんなことホントはしたくなかったけど、だって律子のためだから仕方なかったんだもん』

「ふむ。鈴木君のため、か。しかし彼女は困っているようであったぞ。自分と全く異なるキャラクターで配信をされたりしたら誰でもそうなるのではないかい?」

「鈴木さんは割とあの素のままというか、ガサツで痴漢もの好きな関西弁女として配信してたわけですもんね。それなのに勝手に無邪気で清純な感じの音符弁クソガキに路線変更されたらそりゃ困りますよ」

『違うからっ! これが素なの! わたしが律子の素なの!』

「「は?」」


 相変わらず何言ってんだ、こいつ。京華院ラクナが鈴木律子の素? まさか、


「お前本当は未だに自分が鈴木さんの中の人だとか思い込んだままなんじゃねーのか?」

『そうじゃなくて! わたしのこの性格と話し方がもともと律子のものなの! わたしは律子から生まれたんだもん! 律子はガサツな女の子なんかじゃないし、痴漢なんて大嫌いだし、声もあんな低くないし――エセ関西弁なんて話さない!』

「「えー……」」


 マジかよ……何かもう話が入り組み過ぎてて頭がゴチャゴチャしてきた。


「では……何故鈴木君はあのような性格と口調に?」

『キャラ作りだよ……わたしたちがデビューしてから三か月くらいは律子の素のまま――つまり今のこのわたしのように配信活動してたの。でも全く人気も出なくて、話題にすら上がらない状態が続いたからか、律子が勝手に路線変更し出して……。急に変な関西弁を使い始めたり痴漢が好きだとか言い始めたり。周りのブイチューバーが可愛らしい声ばかりだからって、差別化のために低い声作ったり。でもそしたら一気に跳ねた。バズった。で、それまでの三か月間の素の方がキャラ作りの演技で、痴漢好きの関西弁が素ってことにしちゃったの』


 鈴木さんがヤバいのかブイチューバー業界がヤバいのか……。


『でもわたしはそれでもいいと思った。キャラ作り自体は全然悪いことじゃないし、人気者になってわたしたちの夢に近づくためなら仕方ないし。何より、律子が律子のやりたいようにやって、それで律子が幸せなら、わたしは何も言うことないもん。わたしは律子に従うだけ。それでよかったの。でも……あの子すっごく生真面目だからさ、配信中にボロが出ないようにって、日常生活でも「京華院ラクナ」のキャラに成り切るようになっちゃって……二十四時間三百六十五日、ずっとガサツで痴漢好きのエセ関西弁女を演じ切っていたの。所沢生まれ所沢育ちなのに……。声だって変えちゃってたんだよ? でね、二年間もそんなことを続けたせいで、あの子、自分のことがわからなくなっちゃったのね。自分を本当に痴漢好きのエセ関西弁女だと思い込み始めちゃったの……』


 もはや、あやとり並みに入り組んでるな。まぁ、どんだけグチャグチャに絡まってても先生が一発ぶん殴ってくれれば全部粉々にぶち切れるんだけど。


「そんな鈴木君を君は何とかしてやりたかったのだな……」

『だってそんなの危険じゃん! 周りから変な目で見られるだろうし、喉だって辛いのわかるし、それに何より――現実であんなこと喋って、バカな男にバカな勘違いされたらどうするの!? だからわたしは律子を元に戻してあげるしかなかったの! 関西弁動画は全部消去して、ツイッターの痴漢関連の呟きも削除して、あとはわたしが本当の律子のように生配信をして、律子に本当の自分を思い出してもらいたかったの! 自分を取り戻してほしかったの! なのに……っ、なのに律子はそんなわたしをお化けを見るような目で見てきて……っ!』


 いやお化けだろ実際。

 特に今のお前、めっちゃ怖いぞ。

 アニメお化けは瞳孔を開いて一点を見つめ、どんどんと語勢を強めていき、


『わたしたちは二人で一つなのに、律子はわたしを怖がった! 偽物のくせに! 偽物のくせに偽物のくせに偽物のくせに!! もう完全に律子は律子じゃなくなってたの! 律子は偽物で、わたしだけが本物の律子だった! もうわたしが律子の中に入って、本物の律子になるしかないと思ったの! だってそうでしょ!? だって実際にわたしは律子なんだから! 律子を律子にできるのはわたしだけ! わたしは律子! わたしが本物! わたしだけが律子なの! わたしが律子! わたしだけが律子! 律子っ、律子律子律子律子律子律子律子律』

「ラクナ君! 落ち着け!」

『――――っ…………ご、ごめんなさい……あ、あ、あ……そっか……わたし……こんなことばっか考えてるうちに、自分が律子の中の人だと思い込んじゃってたんだ……わたしが律子の魂として、律子を律子らしく動かしてあげなきゃって……あはは、本当にわたしって、バカ真面目で思い込みが激しくて――律子みたい……』


 京華院ラクナは、切なさとやるせなさの中に数滴だけ喜びと慈しみを垂らしたような笑みを浮かべる。本当に人間みたいで怖い。そんな複雑怪奇な感情持ってりゃ、そりゃ勘違いもするかもな、自分は人間だって。


「いや、私の方こそ申し訳なかった。ラクナ君、君は私なんかが想定していたよりもずっと鈴木君のことを強く想っているのだな」

『……はい……照れくさいですけれど……』

「ふっ、鈴木君に聞かせてやれ。これからも二人一緒に活動していくのだろう? ちゃんと想いを伝えておくのも大切なことだ」

『……はい……』

「では、鈴木君に返してやれ、中の人である権利を」

『……はい……』

「うむ、これで一件落着だな!」

『……はい……………………え? あの、じゃ、じゃあお願いします』

「ん? 何がだい? お願いします、とは?」

『いや、え? 千夜さんがやってくれるんですよね? 律子を元に戻すの』

「え」

『え』

「……………………ラクナ君が自分で返すことは出来ないのかい……?」

『う、うん。え、でも千夜さんの霊能力でできるんですよね?』

「…………っ、い、いや……っ、それは……出来なくは、ない……が……いやっ! 出来な」

「できるぞ、クソガキアニメ。デコピンでお前のその自我とやらを強制除霊すればいいだけだ。お前が死ねば、お前が奪った権利も持ち主の元に戻るだろう。もうお前は鈴木さんの外に出てるわけだから、鈴木さんの肉体へのダメージもないしな」

『え……』

「伊吹君! 除霊はしないと言っているだろう!? もうラクナ君の存在は鈴木君に害を与えるものではないんだぞ!?」

「いや害になってるんじゃないですか? おい、クソガキアニメ。そこで眠ってるらしい鈴木さんのこと起こせるか?」

『……起こせ、る……わたしが律子の中に入って起きればいいだけ……』

「つーか今でも普通に出たり入ったりできる時点で問題なんだけどな。お前ホントに自分がただのアバターだって認識できてんのかよ」

「それは違うぞ、伊吹君! まぁ確かに不可解な点ではあるが……ラクナ君が鈴木君の中に入れるかどうかは問題ではない。ラクナ君がもう二度と入らないと誓ってくれればいいだけの話だ。……ただ、問題は……」

「鈴木さんが、自分のことを生身の人間だと、京華院ラクナの中の人だと、正しく認識できるようになってるか、ですよね?」

『…………』


 京華院ラクナは不安げな面持ちで目をつぶり――そして再び鈴木律子の中に入っていった。

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