第11話 自分のことを中の人だと思い込んでるVTuber その5

「で、先生がさっき言ってた、最後に取っておいた手とは? それを使っちゃってくださいよ」

「いや……それがな、『この状況を続けると鈴木君の肉体が危ないぞ』と訴えるという作戦だったのだよ……まさにこの状態のことだ。十四歳のラクナ君に精神的ショックを与えるのは避けたかったのだが、こうなってしまってはやむを得まい。最終手段だ――と思っていたのだが……実際に倒れている鈴木君を目にしてもピンと来ていないというのではな……私はもっと、京華院ラクナにとって鈴木君は大切な存在だと踏んでいたのだがな……」


 ダメだ、この人。僕の上司無能だった。


「なっ、ちょっと待ってよっ! わたしが律子のことを大事に思ってないって言うの!? そんなわけないじゃん! 律子はガワなんだから、わたしが入らない限り動かないのは当たり前でしょ!? ていうか……何……? ホントのホントに律子が何か危ない状態なの……?」


 京華院ラクナが不安そうな顔で問いかけてくる。

 掛かった。全く意図していないところで釣れた。もうこのチャンスに乗じて畳みかけるしかない。主に先生が。僕は手が痛いので少し横になることにした。こんな手でスマホ弄るんじゃなかった。くそぉ、これだから橋下徹は。全部奴が悪い。


「ラクナ君! そういうことなんだ! 騙されたと思ってで構わないから、私の言葉を聞いてくれ! 仮に鈴木君が生身の人間だったら、と仮定して考えてみてくれ!」

「う、うん……仮になら、まぁ……」


 京華院ラクナは納得し切ってはいない顔で、しかしそれでもコクリと頷く。僕は暇なのでスマホで野球ゲームをすることにした。もちろん課金はしない。大丈夫、無料ガチャで奇跡的に引き当てた大エース一人を酷使し尽くせば何とかなる、たまに。


「鈴木君はずっと飲み食いしていないのではないかい!? 君のアバターになってからずっと! 彼女が生身の人間だとしたら生命維持が困難になるぞ!」

「え……え……でっ、でも……っ、そんなこと言われても律子にご飯は食べられないし……」


 そういうことか。京華院ラクナに肉体を乗っ取られること自体でのダメージはないけど、飲み食いをさせてもらえないからどんどん健康を害していくと。ってことはあと三日くらいは猶予あるな。よし、


「先生、今日から僕有給取りたいんですけど。この真夏の炎天下で肘をガンガン壊していく高校生を、クーラーをガンガン効かせた部屋でガリガリ君食いながら眺めてニヤニヤしたいんです」

「あっ! というか、もしかして……鈴木君のいる部屋はクーラーも何も使わずに、閉め切られているのではないか!? 一日中ずっと! この真夏に水分も摂らずにそんなこと……! 迂闊だった! まずいぞ、このままでは本当に命が危ない!」


 この人いつも迂闊だな。自分がクーラーなしで生活してるからそこまで頭回らなかったんだろうけど。


「え? え? じゃあ、わたしが律子を……――嫌……っ、そんなわけない……っ、そんなわけないもんっ! 律子は死んだりしないもんっ! わたしのアバターだもん!」


 耳を塞ぐように頭を抱えて崩れ落ちてしまう京華院ラクナ。現実逃避モードである。そもそも現実の存在じゃないくせに現実逃避である。

 それはともかく依頼人の口座が凍結されるのは確かにまずい。仕方ない、僕も働こう。

 てめーがいくら現実逃避したって関係ない。どこまで逃げようが徹底的に現実を突き付けてやる。


「ていうかじゃあ風呂とかにも入れてないってことだよな。おい、クソガキアニメ。お前のアバター、この一日で見た目とか汚らしくなってんじゃないか? 髪とかもボサッってるだろ、たぶん。生身の人間じゃなかったらそんなことになるわけないよな?」


 実際鈴木さんから変な臭いしたしな。うん、全然オーラとかじゃなかった。ただの体臭だった。


「あ……本当だ……何で……何で律子がこんなに汚れて……で、でも違うもんっ! そうだ、律子はすっごくリアルなアバターだから人間みたいに弱ったりもするんだもん……! だから……っ! だからわたしが律子を動かして、ご飯食べさせる! お水飲ませる! お風呂にも入らせる!」

「そ、そうだ! とりあえずはそれでいい! 私の言葉を全て信じろとは言わないから、ひとまず鈴木君の中に入って水分を摂ってくれ!」

「う、うん、わかったっ! じゃあ、律子を起動させるねっ――――おはラク~♪ 鈴木律子だよっ♪ お待たせっ♪」『おはラク~♪ 鈴木律子だよっ♪ お待たせっ♪』

「おい、ふざけてんのか。状況わかってんのかクソガキアニメ」

「違うって! これが律子のお決まりの挨拶なのっ! ブイチューバーはみんなこういう挨拶持ってるんだから! もう二年間もやってるから律子の中に入ったときはどうしても言っちゃうんだってば!」『違うって! これが律子のお決まりの挨拶なのっ! ブイチューバーはみんなこういう挨拶持ってるんだから! もう二年間もやってるから律子の中に入ったときはどうしても言っちゃうんだってば!』


 京華院ラクナが言葉を発するのと同時に、画面の奥の方からもう一つの声が重なるように聞こえてくる。それは京華院ラクナと同じ声ではあるのだが、明らかにどこか掠れているし、張りがなく、弱々しい。発生主が苦しんでいることがありありと伝わってくる。その割に初っ端の「おはラク~♪」とかいうクソキモ挨拶だけいやに生き生きと発声できてたのがムカつく。その挨拶自体めっちゃムカつくのに、輪をかけてきやがった。てかずっと思ってたけど、どうやって語尾に音符を――ん?


「……ちょっと待て、クソガキアニメ。何だ、『おはラク~』って。お前は二年間ずっと配信でその挨拶をしてきたんだよな?」

「だからそうだって! 待ってよ、いま律子にお水飲ませるから! えーと、あれ? いつもどうやってるんだっけ……?」『だからそうだって! 待ってよ、いま律子にお水飲ませるから! えーと、あれ? いつもどうやってるんだっけ……?』

「それはおかしいだろ。だってお前は鈴木律子という着ぐるみを被って活動してきたはずなんだから。京華院ラクナという名前は隠して活動してきたはずなんだから。だったら挨拶は『おは律~』になるんじゃないか? 何だ、『ラク』って?」

「え……? あ、あれ……? あ……」『え……? あ、あれ……? あ……』


 ディスプレイの中の2Dキャラクターが目を見開いてフリーズする。

 よし、これでトドメだな。


「わかるだろ、クソガキアニメ。お前の方がアバターでガワでキャラクターでブイチューバーだから、挨拶にお前の名前が入ってんだよ。さすがに現実が見えたよな。言い訳不可能だよな。だってお前自身がずっと言ってたことなんだから」

「あ……あ……あ……わたし……じゃ、じゃあ、律子は……っ』『あ……あ……あ……わたし……じゃ、じゃあ、律子は……っ』


 悲痛に顔を歪ませる京華院ラクナは、目が馬鹿デカくて、鼻がほとんどなくて、明らかにアニメ調のイラストでしかないのに、どうしようもなく人間のように見えてしまう。

 でも、それでもやっぱり、どうしようもないほど確実に、


「京華院ラクナ。お前は――絵だ」

『ああああああああああああああああああああああああっ、ごめんねっ、ごめんね、律子……!』

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る