第6話 自分のことをメンタリストだと思い込んでるカシマさん その5

「伊吹君、君はもう黙っていろ」


 先生は僕を押しのけると、しゃがんでカシマさんと目線の高さを合わせ、彼の右手を両手で柔らかく包んで、ゆっくりと語りかけ始めた。


「君のせいなわけがないだろ。君はエースとして本当によく頑張った。頑張るしか、なかったんだよな……誰かに命令されたわけじゃなくても、投げ続けるしかない状況だったんだ。期待とか伝統とか――無言の圧力に抗えなんて、十八歳の若者に課すべきことじゃない。高校生にそんな大怪我を負わせて移植手術させるのが当たり前の社会が異常なんだよ。そんな社会に理不尽に潰された君が、大好きな野球を奪われた君が、ひとり一心不乱にリハビリだけを頑張っていたら、今度は心の方が壊れてしまうじゃないか。まだ若かったんだ。寄り道は必要なことだったんだよ」

「…………っ、千夜さん……っ、でも……でも結局俺が弱かったのが悪いんだ……弱かったから、人からよく見られたかったから、流されてしまったんだ……」


 結局弱々しく項垂れることしかできないカシマさんに、先生は自嘲交じりの微笑みを浮かべながら、


「ふっ、分かるぞ、その気持ち。私も、君と同じだからな」

「千夜さん……?」

「君も言っていただろう? 私はな、他人の目が気になって仕方のない人間なのだよ。社会が『正義』と見なしていることから外れるのが怖い。正しくない人間だと思われたくない……。でも仕方ないだろう? 私は弱いのだから。同調圧力に屈するな、自分を突き通せ――だなんて、独りぼっちで出来ることじゃないさ。だから、そんなことを誰かに期待するのは間違っている。悪いのは同調圧力の方であって、それに従うしかなかった君は何も悪くない。弱いことは悪いことじゃないんだ。私達に出来るのはせいぜい、弱いもの同士手を取り合って、みんなで弱々しい声を張り上げていくことだけだよ」

「う……っ! ぐっ……! うっ……ずみまぜん……っ、俺……っ」

「謝るな。ふふ、好きなだけ泣けばいいさ」


 甘い。相変わらずこの人はどこまでも甘い。そんな甘さはこの世の中では通用しない。結局誰のためにもならない。

 それなのに――それなのに僕は、先生のそんな甘さからいつも、目が離せないのだ。


「うぅっ……でも、もう俺は死んでしまって……っ、もう人を襲うだけの化け物になっちまいました……っ」

「そうだな……じゃあ、もし君がよかったら、二代目甲子園の魔物にならないかい?」

「え……?」

「ポストが空いているみたいでな。君は毎年春夏に西宮市に出向き、甲子園出場校の指導者達の枕元に現れて、奴らを脅すんだ。『二番手投手はいるか?』『三番手投手はいるか?』『四番手投手はいるか?』とな。調べたのだが、現在監督をしているような年代なら、たいていカシマさんのことは知っているようだ。『今必要です』とか『今使ってます』と答えるのではないか? 少なくとも『いらない』とは言わないだろう。答えたからには絶対に実行するよう脅しを掛けるんだ。得意のメンタリズムで説得しても構わんがな」

「千夜さん……」

「どうだ? これからは君が魔物として甲子園を支配していくんだ。二度と君のような被害者を出さない、真の夢舞台を君が作り出すんだ!」

「はい……! はい……! やります……っ、俺やります!」

「私も精いっぱい協力させてもらう! この児童虐待ショーの実態をアメリカのメディアにも伝え、外からも圧力を掛けていこう!」


 感極まったように涙を流しながら、熱い言葉を交わし合う二人。先生がカシマさんの左肩に手を置くと、カシマさんもそれに答えるように正面から先生の両肩に腕を回し、


「千夜さん! 俺たちで甲子園を、」

「いやああああああああああっっっ!! 強制わいせつぅぅぅぅぅっっっ!!」

「え? あ、え☆――――ぁがあああぁぁぁぁぁぁっぁぁああああああああぁっっ!!」


 先生は怯えたように顔を歪めながら、カシマさんの腹に拳をぶち込んでいた。ワンパン除霊である。えー……。


「触られた! 同意なしで抱きつかれた! 私は嫌だったのに――って、えぇ!? な、何故鹿島君が床をのたうち回っているのだ!?」

「あなたがこいつの肉をそいで火をつけて内臓をえぐって水に沈めたからです。よっし、仕事完了! 何だったんだこれまでの時間」


「痛いよおおおぉぉぉぉっ! ぐるじいぃよおおおおぉぉぉっ! ああぁぁぁぁあっっっ! なんでっ ナンデっ タスケテっ タスケテっ!」


 カシマさんは全身を掻きむしりながら暴れ回っていた。服は破れ、血液が沸騰したかのように皮膚がボコボコと隆起し、腕も脚も何もかもが関節をガン無視した方向に曲がり、目や口や鼻や、おそらく体中の穴という穴から血が噴き出している。

 くそぉ、ふざけんな、うちの事務所だぞ。余計な仕事増やすな。僕は至急、馴染みの特殊清掃業者に連絡を入れていた。


「ああぁ! 何てことだ……! また……またやってしまったのか、私は……!」

「あばばばっ! あばばっ あばばっ あばばっ あばっ☆」

「鹿島君……! すまない……! 本当にすまない……!」

「あぁ!? いいでしょう、そのくらいの値引き! こっちは何度も利用してやってるんですから! あなた達が非合法な仕事引き受けてることチクりますよ! わかったら大至急来てください! 遅れたら金払わねーからな! ――ふぅ。いや先生、土下座しても意味ないですよ。もうそいつに、ものを見る器官も音を聞く器官もありませんから。ただただ痛みと苦しみを感じるだけの物体に成り下がってますから」


 もうたぶん靭帯とか腱とか一つも残ってない。


「うぅ……私はっ、そんなつもりではなかったのだ……! 性暴力を受けたから勇気を出して声を上げただけであって……!」

「こいつもそういうつもりじゃなかったでしょうけどね。体育会系のノリでしょう。強制わいせつ扱いはさすがに酷い」

「しかし……! そのような『ノリ』というものを許容していては日本社会に蔓延するセクハラや性暴力はなくならない……! 本来であれば私のような被害者が声を上げなければならないこと自体おかしいのだがな! 性暴力を防ぐための法整備と性教育が必要なのだ!」

「まぁ僕も性犯罪者は死刑でいいと思いますけど」

「死刑は廃止するべきだ! 国家が生命を奪うことなど許されるはずがない! 性犯罪の厳罰化にはもちろん大賛成だが、どんな犯罪者にも人権が保障されるのは当然のことだ! 極刑などもっての外! ここにはジレンマが存在するのも確かだが……大事なのは再犯防止プログラムの確立と、そしてやはり何よりもまず学校での性教育が、」

「まぁもうこいつは死んだんで再犯しようもないですけどね」

「鹿島くぅぅぅぅぅん!!」


 息絶えたカシマさんの肉片は、まき散らした体液も含め全て、すぅーっと透けていった後、跡形もなく消滅した。何だよ、このタイプか。業者呼んじゃったじゃん。仕方ない、居留守使うか。


「こいつはこの後どこに行くんですかねー」

「……分からない。分からないよ、私には……。この世に霊として残る以外に、死後の世界というものが存在するのかどうかすら……」


 独り言のつもりだったのだが、床にへたり込んでいた先生が、何度も聞いたその説明をまた弱々しくしてくれた。

 まぁそりゃそうだ。この人は最強の除霊師であるだけであって、宗教家ではない。個々人が信じる「死後の世界」を尊重するという立場であって、先生自身には何の知識もどんな信仰もない。

 だから僕がいつかこの世から消えたときにどうなるのかも、わかりようがない。

 古田に聞いてみたらわかるかな。


 ちなみにカシマさんに奪われていた腱は、しっかり被害者達の腕や脚に戻ったようだ。めでたしめでたし。

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