第5話 自分のことをメンタリストだと思い込んでるカシマさん その4

「では、始めましょうか☆ 伊吹さん、右手・左手・右足・左足から一つを選んでください☆」


 軽妙に話すカシマさんの両腕に目をやるが、ダメだ、こいつこんな真夏にびっちりスーツ着込んでやがるんだった。


「ちなみに伊吹さんの利き手・利き足は?☆」

「両利き」


 嘘だけど。


「ふーん☆ それにしても伊吹さん、さっきからキョロキョロとして、緊張感が表に出すぎですよ☆」

「この状況で緊張しない奴いないだろ。スーツ着た幽霊に靭帯奪われようとしてんだぞ」

「あれ?☆ もしかして結構悩んでる感じですかね☆ アドバイスですが、直感で選んだ方がメンタリストが使えるテクニックも減りますよ☆」

「悩んでんじゃなくて状況を理解すんのに時間がかかってんだよ。メンタリストっぽくプレッシャーかけてくんな。お前の存在自体がめちゃくちゃプレッシャーなんだよ。てか別にどこにするかはもう決めたわ。決めたっていうかどこでもいいわ。左手な」

「伊吹君!? 何を言っているんだい、君は!?」


 先生がうるさい。あと熱闘甲子園もうるさい。誰だ、こんなときにテレビつけっぱなしにしてる奴。

 でも、そうだ。古田もさっき言っていた。

 これは……こいつは……。


「え☆ あー、なるほど☆ 駆け引きですか☆ ふっ、メンタリストに駆け引きを挑むとはなかなかですね☆ でもいいんですか☆ ひ・だ・り・て、で本当にいいんですか☆ 今から変えてもいいんですよ☆ 右手は? 右足に変えてみたりは? 左足でもいいですよ☆ それでもやっぱり左手ですか?☆」

「変えない。左手だ。もちろん心の中で選んだところも変えてない。さぁ、僕が選んだ場所を当ててみろ」

「いいでしょう☆ ふふ、伊吹さん、あなたは声のトーンをコントロールするのは得意なようですが、筋肉の動きに心が出やすいようですね☆ 素人では読み取れないでしょうけど、ぼくになら余裕でしたよ――ようこそ、メンタリズムの世界へ☆ あなたが選んだのは――左手です☆」


 自信満々で宣言するカシマさん。祈るように両手を握り合わせ、ぎゅぅっと目をつぶる先生。いやその手で殴ってくれるだけで全部解決すんだけど。まぁいいや。だって、


「残念、不正解だ。僕が選んだのは右手。はい、僕の勝ち」

「え……☆ …………は…………?」

「凄いぞ! よくやった伊吹君! 見たか、詐欺師! やーい、お前の保護者のヘソ、個性的ー」


 呆然と立ち尽くすカシマさんを、先生が家族構成と身体的特徴に配慮しつつ煽り始めるが、それでいいのだろうか。


「はい、じゃあそういうことだから。約束通りもうこんなことすんなよ。ほら、帰れ」


 はぁ……除霊できず、か。

 どうしよう。別に依頼人には見られてないし、こいつがもう二度と人を襲いさえしなければ、除霊完了したことにして満額ふんだくることは可能だ。でもそんなの先生が認めてくれないだろうしなぁ……くそぉ、どうすれば……、


「いや……☆ い、や……! そんなわけありません! 伊吹さん、あなたは絶対左手を選んだはずです!☆ ぼくが左手に言及した時だけ表情筋がわずかに……!」


 カシマさんの言う通り、僕が選んでいたのは左手だ。

 でも、


「ん? いや勘違いじゃね? だって僕右足選んだし」

「え☆ いやさっきは右手と……」

「ああ、嘘嘘。そう、右手ね。右手って心に決めてたから僕の勝ち」


 でも証明しようがないじゃん、このルールなら。

 当てられても当てられてないと嘘をつき通す――これがこのゲームの必勝法である。てか一番の必勝法は先生がぶん殴ることなんだけど。


「伊吹君……君の方がよっぽど詐欺師ではないか……」


「ふ、ふざけるなよ……っ!」


 カシマさんの口調と顔つきが変わる。あのいけ好かなかったニヤケ面が見る影もない。額に青筋を浮かべ、凄みのある声で僕に迫ってくる。あと星がなくなった。


「そんなイカサマ認められるか……! 反則行為のペナルティだ! お前の靭帯――長掌筋腱ちょうしょうきんけんを頂くぞ!」

「…………っ!」


 カシマさんの指先が僕の左手首に触れた瞬間、焼けるような痛みが――走らなかった。


「これでお前の靭帯は……え、あれ……? 長掌筋腱ちょうしょうきんけんが……ない……だと……?」

「ああ、僕はそういうのがない存在だから。でも今ので確信した。おい、カシマさん――ていうか鹿島投手。お前あれだろ、そのスーツの下、利き腕の肘と……あと手首とかどっかに手術痕があるだろ。トミー・ジョン手術の」

「…………っ! し、知っていたのか、俺のこと……未だに覚えている奴がいるとは……」


 いや別にお前のことなんて知らんけど。でも僕の推理は当たっていたようだ。


「どういうことだい、伊吹君。カシマさんの生前のことについて何か分かったのかい!?」

「はい、先生。こいつ、『靭帯じんたい』を欲しがってたくせに僕から奪おうとしたのは長掌筋ちょうしょうきんの『けん』じゃないですか。中村さんが奪われたのも長掌筋腱なんでしょう。ってことはこいつは他人から腱を奪って、それを靭帯として使おうとしてたと考えられるわけです。他から腱を持ってきて靭帯として使う――真っ先に連想されるのは、トミー・ジョン手術です」


 トミー・ジョン手術とは、断裂してしまった肘の内側側副靭帯ないそくそくふくじんたいを再建するための手術である。自らの手首や膝裏などの腱を肘に移植させ、新しい靭帯としての役割を担わせるのだ。患者はほとんど野球選手、それも投手だ。投げすぎによる腕の酷使で、前腕と上腕の骨同士を繋ぐ靭帯が断裂してしまうわけだ。と、古田が言っていた。


「そうだ……その通りだ……俺は、鹿島光一は三年前の夏、足利農林高校のエースとして甲子園のマウンドに立っていた……」


 カシマさんこと鹿島投手が何か勝手に語り始めた。勝手に情報を提供し始めてくれた。どうやら生前は甲子園球児だったらしい。道理で顔に見覚えがあったわけだ。きっと熱闘甲子園で見たのだろう。農林高校とか絶対取り上げられるし。


「予選から甲子園の準々決勝で負けるまで全部俺一人で投げ抜いたんだ。肘がどれだけ痛んでも、周囲からの賞賛と期待が麻酔になって我慢できた。毎試合、最後の打者を抑えてキャッチャーと抱き合う瞬間に痛みも吹き飛んだ。大学か社会人でさらにレベルアップしていつかプロに行くという決意も固まった。でも、甲子園でサヨナラヒットを打たれたストレートを投げたその瞬間、俺の右肘の靭帯は完全に断裂していたんだ……」


 鹿島投手が長々と自分語りを続ける中、僕は就寝の準備をしていた。終電を逃したので今夜は事務所にお泊りだ。


「それでも俺は諦めなかった……! トミー・ジョン手術を受けた! 大好きな野球ができない辛さにも耐え、一年半のリハビリと並行してメンタリズムを学んだ! 打者との駆け引きに勝つためにな……! それなのに……っ」


 きっかけそこかよ。


「それなのに俺の肘は復活しなかったんだ! 怪我前に百四十キロ以上出ていたストレートが今は百三十キロにも届かない! 何度試しても変化球はほとんど動かなくなっていた……! 公立校の星だった俺が、プロどころか弱小大学リーグでさえ通用しないピッチャーに成り下がっちまった! 手術は失敗したんだ! 俺は潰された! 俺を酷使した監督と、あのヤブ医者に!」


 その涙ながらの叫びが、僕の心を揺さぶった。酷く不愉快な感触で。


「俺はもう一度ヤブ医者に掛け合った! 責任を取って、再手術をしろとな! だが断われた! 損傷もしていない肘にメスは入れられないし、そして何より一度目の手術で使った左膝の腱以外に、俺の体に、肘へ移植できる腱はなかったんだ……! どれも長さや太さが足りなくてな……つまり……俺はもうマウンドには上がれない人間になっちまっていた……。奴らのせいで、何の価値もない人間にな……。失意の中この世からオサラバしてやった俺に、最初で最後の幸運が舞い降りた。俺は幽霊として地上に残ったんだ。しかも特殊能力を持っていた。俺の教育係についたこの道四十年の口裂け女先輩に教えてもらった。俺の噂を耳にした人間に、ある特定の質問をして、その問答に勝てば相手の体の一部を奪えると。しかも勝負のルールはこちら側が自由に設定できると。メンタリズムの勉強は無駄にならなかった。俺は決めたんだ。俺を潰したこの世界の人間どもから靭帯を奪って、俺の肘に移植してやると。それなのに……何度も何本も奪って俺の肘に取り付けたのに、俺の肘は復活しないんだ……! きっとあの監督とヤブ医者のせいで、俺の肘はもう骨からダメになっちまったんだ……!」


「そんなわけねーだろ」

「な、何がだ……!」


 動揺を見せるカシマさんに詰め寄り、僕はその機能不全の目に耳に脳に、現実ってもんを叩き込んでやることにした。


「手術に失敗した? でもお前、百二十キロの球は投げられるんだよな? 何球も続けて変化球を投げられるんだよな? じゃあ完治してんだろ、肘は。成功してんだろ、手術は。失敗したのはリハビリだ」

「…………っ!」

「トミー・ジョン手術は百パーセント近い確率で成功する。って古田が言ってたぞ。マウンドにもほとんどの人間が戻ってくる。復帰できないパターンはリハビリを適切に行えなかった場合だってな。なぁお前、なに人のせいにしてんだ? お前が無能だから失敗しただけだろ? いや、無能だからっていうか、そもそもお前は本当に真面目にリハビリをしたのか?」

「…………っ! や、やった! やったに決まってるだろ! 俺は血のにじむような努力をした! 体のトレーニングだけじゃなく、投球術のためにメンタリズムまで習得して……!」

「そう勝手に思い込んでるだけじゃないのか? お前視点の自分語りなんて信用できねーよ。メンタリズムってのもどうせ現実逃避で勉強しただけだろ。リハビリをサボる言い訳にな」

「そんなわけ……っ! 俺、は……!」

「甲子園で活躍してチヤホヤされたスターの自分が、地味で地道なリハビリなんてやってられっかって思ってたんだろ。リハビリ中でも、見た目だけ派手なパフォーマンスでも披露して誰かに相手にしてもらいたかったんだろ」

「違う……っ、違う……っ」


 カシマさんが耳をふさぐように頭を抱えてうずくまっていく。また逃げる。こうやって現実から目を背けようとする。でも逃がすつもりはない。お前みたいな奴は徹底的に追い詰める。


「そもそもな、肘壊したのだって自己責任だろ。高校生なんていい大人だ。投げたくなければ投げなきゃいいだけ。お前は自分の意思でマウンドに立ち続けた。お前がお前の判断で投げて、その結果として、お前が名誉を得たんだろ? だったら責任も全部お前が負えよ。なに被害者面してんだ」

「あ……っ、あ……っ」


 もはやまともに言葉も出せずに口をパクパクさせるだけの化け物を見下ろして、最大限の軽蔑の眼差しを送ってやる。

 本当に化け物だ、こいつは。

 無能なくせに自分はできる奴だと思い込んで、出しゃばった末の大失敗を周囲に責任転嫁する――世の中で一番厄介で一番害悪で一番消えるべき化け物。除霊できないというのなら、現実を見せてその自意識と承認欲求をぶっ潰すしかない。


「一番嫌いなんだよ、お前みたいな勘違い野郎が。いいか? お前の夢が破れたのはお前が無能だったからだ。誰のせいでもない。お前のせいでお前はこうなった。お前が投げすぎたのも、お前の肘の靭帯が完全断裂したのも、お前が復帰できなかったのも、お前が死んだのも、全部お前自身が原因で元凶だ。わかるか? わかるよな? お前が努力を怠ったせいで、お前は自殺に追い込ま」


「ふざけるなッ!!」


 と、僕の言葉を遮ったのは――自分のことを人権派弁護士だと思い込んでる最強除霊師――黒沼千夜先生だった。

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