第2話 自分のことをメンタリストだと思い込んでるカシマさん その1

「詩織の奴、何であんな話すんのよ……」


 いや高二にもなってあんなオカルト話を真に受けちゃってる、あたしのがおかしいか。


「はぁ……」


 バカバカしい。ほんとバカバカしい。何よ、カシマさんって。

 別にあたしはあんな話に怖がってるわけじゃない。ただただこの真夏の夜の蒸し暑さのせいで、布団に入って二時間も眠れていないだけ――


 ――え?


 心臓が止まるかと思った。体は実際に動かなくなった。現実でこういうことに直面したら叫び声も出せないんだと思い知った。いや、というよりもしかして、これも――こいつの力?

 見知らぬ男があたしの顔を覗き込んでいた。布団で仰向けになるあたしの頭の脇に立ち、じぃーっとあたしの目を見下ろしている。

 本当に来た――カシマさん。その噂を聞いた者のもとに現れ、手や足を奪っていくという幽霊。でも詩織に聞いたのは、カシマさんは両足のない長髪の女性という話だった。今ここに立っているのは、両手も両足もある長身で短髪の若い男性。

 じゃあ、こいつは一体――、


「どうも☆ カシマです☆」

「……え……?」


 そいつは微笑みを浮かべながら爽やかにそう言った。めちゃくちゃ滑舌が良かった。

 何……こいつ……何かあんまり怖くない……?

 でも、確かに今こいつはカシマさんと名乗った。それに音も立てずにここまで入ってきていたこと、真っ暗なはずなのに何故かこいつの姿だけがしっかり認識できてしまうこと、そしてその「温度のなさ」――何となく感じるそんな雰囲気が、こいつがこの世の存在ではないことを強烈に突き付けてくる。

 間違いない、こいつは噂のカシマさんなんだ。このままあたしはこいつに両手両足を奪われて死ぬ――と、決まったわけじゃない。

 自分がビビりでよかった。ちゃんと「正解」を暗記しておいた。

 カシマさんからの質問に正しく返答すれば、手も足も奪われずに済むのだ。「手はいるか」と聞かれたら「今使ってます」と答え、「足をよこせ」と言われたら「今必要です」と返せばいい。

 いや、逆だっけ……手だったら「必要」で、足は「使ってる」? あれ、どうしよう……このままじゃ……どうしよう、どうしようどうしようどうしよう!


「ではですね、愛奈あいなさん、右手・左腕・右足・左足、どれか一つを選んでください☆ 直感で決めてもいいですし、もちろん熟考しても構いません。まぁ大抵の人は自分にとって一番大切ではない部分を選ぶのですが、敢えてぼくの裏をかこうとするのももちろん自由です☆ ちなみに愛奈さん足や腕は右利きですか?」


 え? え? え? 何? 何? 何? 

 なぜかカシマさんは噂とは全然違う質問をしてきた。なぜかめっちゃ早口だった。一人称がぼくだった。

 脳が状況に全然追いついていかないけど、とにかく――とにかく何か答えないと!


「え……えと……っ」

「あ、もう結構です、右利きですね☆ ということは愛奈さんにとって、ぼくに最も奪われたくないのは右手もしくは右足、比較的奪われても困らないのは左腕ということになりますよね。いえ、ぼくの誘導に乗る必要はないですよ☆ 愛奈さんの好きに選んでくださいね☆ 決まりましたか?」

「え……は、はい……っ」


 何なんだこれ、何なんだこれ! 何で早口でめちゃくちゃ聞いてくるの、このカシマさん! でも逆らうわけにはいかない、わけがわからないけど、とりあえず左腕! 左腕に決めた!


「はい、ではまたいくつか質問ですけど、」

「て、手は今使ってます!」

「そうですか、今ぼくはまだ愛奈さんに何も聞いていなかったんですけど、なぜか愛奈さんは腕について答えましたよね☆」

「あ、す、すみません! 違くて……」


 ヤバい、ヤバい、返答を間違えてしまった……殺される……!


「いえ、別にぼくの質問に正直に答える義務はありませんよ☆ 当然嘘をついて構いません☆ まぁ、どんな嘘をついても僕には通じませんけどね。左手」

「え」

「左手ですね、選んでいたの☆」

「え、は、はい」

「はい、一回戦は僕の勝ちですね☆」


 え、え、え、これってそういうゲームしてたの!? 何か知らぬ間に負けてたんだけど! え、つまりじゃあもしかして――左手を奪われちゃうってこと?


「待って……っ! いや……っ」

「じゃあ二回戦ですね☆ 次は左手の手首か肘か、どちらかを選んでください☆」

「え、え、え」


 え、奪われないの? 助かったの?


「これでぼくが勝ったら、正解したところ貰っていきますね☆」

「ひ……っ」


 ――カシマさんは元々、事故で足を失って死んだ女性だとか、米兵に両手足を撃たれて殺された女性だったとか言われているらしい。でもこいつには手も足もあって、なぜか微笑みを浮かべながらマシンガントークしてきて――それでも結局、手足は奪おうとしてくる。

 意味がわからない。動機も目的もわからない。理解不能だ。

 でも一つだけ自信を持って言えることは――こいつは紛れもなくカシマさんで、そして確かに、こいつは何かを恨んでいる。二つだった。



      *



「あ、九回裏三点差で……二死満塁じゃないっすか。一番盛り上がる場面ですよ、先生」


 真夏の太陽の下で、高校生達が真剣な顔で向かい合っている。野球に興味なんて全くないが、デカい画面で見るとやっぱり迫力が違う。


「伊吹君……なぁ、やはりテレビは返すべきだと思うぞ……」

「いやいや依頼人の方から引き取ってくれって頼んできたんですよ? テレビがあることで、また『自分のことを受信料集金人だと思い込んでる幽霊』が来たら困るって」

「そんな幽霊は普通いないのだよ……」


 先生がこめかみを押さえてため息をつく。呆れ顔でもやっぱりこの人は美人だ。

 艶のある黒髪に透き通るような肌、小さな顔に意思の強さを反映したような大きく凛々しい目。体もスリム且つ健康的で――みたいなことを良かれと思って言おうものなら、ルッキッズムがどうとか、美の基準を勝手に他人に当てはめるなみたいな説教が、高校野球の五イニング分は続くだろうから僕は絶対に口には出さないようにしている。


 ――メリーさん(NHK委託業者契約社員)を除霊してから一週間。新たな仕事は一つも入らず、今日も今日とて僕と千夜先生は真っ昼間から事務所のソファでダラダラとしていた。

 千葉県市川市、行徳駅から徒歩十五分。築三十年の四階建てアパート二階の一室(2DK)に黒沼くろぬま千夜ちよ除霊事務所は構えられている。一階のインド料理屋からスパイスのいい香りが立ち上ってくるので、ここにいると無駄に食欲がわく。


「あー、でもたぶん今年の甲子園は去年までみたいな大逆転劇とかジャイアントキリングはあんまないでしょうね……あ、ほら」


 小柄な八番打者が打ち上げた硬球は、弱々しい放物線を描いて二塁手のグラブにスポッと収まった。

 ゲーム終了。結局、初出場の県立高が甲子園常連の私立高に健闘の末に敗退、というまぁまぁありがちな結果に落ち着いたようだ。


「去年先生が虐殺除霊しちゃいましたもんね。『自分のことを甲子園の魔物だと思い込んでるメドゥーサ』」

「ぎゃ、虐殺認定しないでくれよ……いや、違うな。確かに私はあの日もまた最低最悪の方法で彼女を葬ってしまった……」


 一年前の夏、とある高校野球部の依頼で先生と僕は甲子園の魔物を倒しに兵庫県西宮市を訪れた。魔物の正体はバックネット裏になぜかいつもいるおばさんだった。「自分のことをバックネット裏常連のおばさんに化けた甲子園の魔物だと思い込んでるメドゥーサ」だった。入り組みすぎてわけがわからないが実は割とこういうパターンもあるし、別にどんな怪異でもワンパンでぶっ殺せるのでどうでもよかった。

 メドゥーサは甲子園を熱く盛り上げるために、守備中の球児を一瞬だけ石に変えてエラーを誘ったりすることによって、試合展開を操っていたらしい。

 彼女にも何やら「地元の選手だけでひたむきに頑張っているチームや不幸な生い立ちを乗り越えた選手が報われる」ようにだとか何とか自分なりの正義を語っていたがこっちは依頼人から成果報酬を頂ければそれでいいので全部無視してワンパン除霊した。

 毎度のごとく先生はポリコレ安楽除霊を主張していたが、「こいつのせいで投手の無駄な球数が増えて高校球児の怪我に繋がってるし、神のような力で不可思議なプレーが起きることは旧態依然とした精神論・根性論を擁護する土台になっているし、必要以上に大会が盛り上がることで一人の投手の酷使がメディアなどでも美化され、高校生の健康を無視した虐待ショーが正当化されている」的な心にもないことを適当に言ってみたらブチ切れてワンパン除霊してくれた。いつものパターンだった。


「しかし、何だ。結局魔物を退治しても、高校野球の現場は全く改善されていないではないか……! この試合でも両投手、球数は百五十以上だと……! 何を考えているのだ、指導者は! 高野連は! 子ども達の健康管理を疎かにしておいて、何が教育だ! 部活動だ! このような大人達には熱中症対策すら出来ていない可能性が高いぞ!? ただでさえ地球温暖化はますます進み、今日の西宮市の最高気温も三十八度六分を記録し、」

「あ、温暖化の話はいいです、めんどくさいんで。クーラーつけていいですか?」


 千葉だって同じぐらい暑い。二十一度設定でガンガンに冷やしたい。

 この人は学校教室への冷房設置運動には積極的に参加しているのに、反面、自分には厳しく事務所では一切クーラーを使わないのだ。顧客の前に出るとき以外はTシャツ短パンスタイルでひと夏を乗り切る。アポなしで客来たらどうすんだ。まぁ来ないか。くそお、もっと僕に自由に宣伝させてくれれば……過払い金返還請求の事務所並みにCМ流したい。


「そもそも野球の本来の醍醐味は投手と打者の心理戦による駆け引きだと思うのだがな。結局指導者にそれを教える能力がないから、剛速球と鋭い変化球に頼らざるを得なくなり、さらに肘に負担が――って君は何ペットボトルなんて使っているんだい!? 私があげたエコボトルはどうした!?」

「え、だってコーラ飲みたかったんで……」


 僕がキンキンに冷やしたコーラを飲み干したそのとき、玄関のチャイムが鳴った。佐川かな。アマゾンで注文した化学調味料どっさりカップ麺が届いたのかもしれない。NHKだったら先生にぶん殴ってもらおう。

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