第23話 教師の矜持

 ――時間は少し遡る。


 アルバートとセシリアが稲妻の谷に落ちた直後、事態は混迷を極めていた。

 裂け目の縁に駆け寄り、口々にアルバートとセシリアの名を叫ぶミリアムとブレンダ。

 ハロルドはそれを気にしながらも、現れた魔物を警戒して剣を抜く。

 ロイドは魔物とブレンダたち両方の間で視線をさまよわせる。


 教師であるブランドンとダリアは瞬時に危険を察知し、生徒たちを守るべく魔物の前に立ちはだかった。

 五年樹竜クラスの生徒たち五人は身を寄せ合って悲鳴を上げている。

 彼らがこの魔物を目撃したのは二度目で、すでにその凶悪な強さを目の当たりにしていたからだろう。


「森の主……だと思うか?」


 剣を構えたダリアが、肩を並べるブランドンのほうを見ずに言った。

 ブランドンにいつもの笑みはなく、神妙な顔つきだ。

 思案するようにブランドンは目を細める。


「さあどうだろう、俺も森の主をこの目でみたことはないからね。……しかし、これはとんでもない化物だということはわかるよ」


 突如現れた魔物は、おぞましい姿をしている。

 地面に根を張るように二本の柱のような大きな脚で立っている。

 人間と同じように二本の腕があり、武器は持っていない。

 そして異形なのは、その全身が何本もの木々の枝が絡み合って構成されていたことだ。

 この魔物と遭遇した五年樹竜クラスの生徒が木の魔物と言ったのが、ようやく理解できた。


「もちろん、見た目の話ではないのだな。確かにそこらの魔物とは桁違いの圧を感じる。……勝てるか?」

「いや、ダリア先生。俺はきみと同じ人間だよ。きみが自身で勝てると思うのならそうだろうし、その逆なら俺も同じだよ」


 ダリアは深刻な顔で頷いて、後方の生徒の位置関係を確認している。


「樹竜クラス! 風竜クラス! 立ち上がって後退しろ! ここは私とブランドン先生とで時間を稼ぐ!」

「……それしか道はないようだね。きみも下がったほうがいい。アレは危険すぎる」

「何をっ! おまえはどうする!? 一人で抑えることなどできるものか! それとも私の知らない、何か奥の手でもあるのか!」

「……あるにはある。だけどきみがいると巻き添えを食うかもしれない」

「くっ……!」


 ダリアは下唇を噛みしめて、後ろ足で後退を始める。

 本心では納得していないだろうと、ブランドンは思った。

 しかし、彼女も愚かではない。

 ブランドンを信じて生徒の安全を優先するだろうと考えた。


「生徒を安全な場所まで避難させたらすぐに戻る! それまで持ちこたえてくれ!」


 ダリアは振り返って全力で走った。

 その気配を背中で感じながら、ブランドンはグラナート流剣術の構えから別の構えにシフトする。

 それは本来の流派であるエーデルシュタイン流剣術のものだ。


 ブランドンは刹那に思考する。

 相手は未知の魔物だ。

 自身の剣術がどこまで通用するか、まったくもってわからない。

 まずは全力でいこうと決断した。


「たあっ!」


 ブランドンは地面を強く蹴って跳躍する。

 初撃は魔物の左肩から右脇腹にかけて斬る。

 しかし分厚い鎧のような木々には、深く斬り込めない。

 それでもブランドンの攻撃は止まらない。

 振り抜いた剣を止めることなく、今度は別の角度から斬撃を放つ。

 流れるような連続攻撃。

 しかもその間隔には一切の無駄がない。


「なるほど、思ったより堅いっ! ならば、削りきってみせる!」


 どの流派にも演舞用の型というものが存在する。

 エーデルシュタイン流剣術も例外ではなく、本来なら魅せるための動きだ。

 だが、それを実戦に使用できるまで昇華させた剣技がある。

 連続攻撃技〈ワルツ〉だ。


 魔物を覆っていた木々の幹や枝がどんどん削られて、辺りに飛び散っていく。

 ブランドンはまだ止まらない。

 理論上は使用者の体力、呼吸が尽きるまで技を繋げることが可能だ。

 ブランドンの息が乱れ始めるが、それでも体を動かすことを止めない。

 魔物に対抗する術を持つのは自分だけだと思っているからに他ならない。


「なっ……何ですか!? あの剣技は……!」


 ハロルドは剣を構えたまま立ち尽くしていた。

 隣に立っているロイドも同じく驚いている。

 担任しているクラスの生徒も知らない、ブランドンの凄まじい剣技。

 いつもは飄々としているブランドンの面影もなかった。

 ブランドンはエーデルシュタイン流剣術で戦う姿を、これまで生徒に晒したことはない。

 例外は、アルバートの代役で闇夜の死竜に扮した先日の冒険者区での一件だけだ。

 しかしそれが同一人物だとは誰も思うまい。


「何を突っ立っている! 早く逃げるんだ!」


 樹竜クラスを従えたダリアが、ハロルドの肩を掴む。


「先生! だけどアルが! 俺たちのクラスの仲間がまだ稲妻の谷に……!」


 ロイドが身振り手振りで叫んだ。

 ダリアは一瞬渋い顔をしてからロイドの腕を掴んだ。


「いいから振り向かずに走れ! ブランドンと私で何とかするっ!」


 ダリア自身やロイドとハロルドもそれは無理だと思ったに違いない。

 そこへブランドンの声が届く。


「ロイド、ハロルドッ! ミリアムとブレンダを連れて森を出るんだ! きみたちが男の子だってところを俺に証明してくれ!」

「いや、だったら俺も……!」


 ダリアは言いかけたロイドの腕を強く引っ張った。

 互いの額が激しくぶつかる。


「いっ……!」

「バカがっ! 何のためにブランドンがあそこで体を張っている! あれがおまえたちの担任、ブランドン・ダフニーという男だ! おまえもあいつの担当する生徒なら、いま自分にできることをしろ!」


 ロイドを諫めるようなダリアの頭突き。

 二人の額からは薄く血が滲んでいた。


「くっそ……! ブレンダ、ミリアムッ! アルとセシリアは先生に任せる! すぐに立てっ!」


 ロイドの決断を頷いて肯定したハロルドは剣を鞘にしまい、ブレンダとミリアムに向かって走り出した。

 ハロルドの隣にはロイドも並走している。


「ミリアム、さあ立ち上がってください! ロイドも手伝ってください!」

「おう! ほらブレンダ!」

「大丈夫、あたしは自分で立てるわ! ミリアムを抱えてあげて!」

「任せろ!」

「ふあっ、ロイドくん!?」


 ロイドは未だに立ち上がれないミリアムを、まるで荷物を担ぐかのように肩に乗せた。

 そして風竜クラスの四人は、前を走る樹竜クラスの背中を追いかける。


 ダリアは生徒たちの背中を見届けると、ブランドンの元へ引き返すべく振り返った。

 生徒たちの実力ならゴブリンに遭遇しても自力で対処できると判断したのだろう。

 いまの自分がするべきことは、ブランドンとの共闘。

 そう決意したような強い目つきだった。


 一方、魔物に連続攻撃を繰り返すブランドンの動きは徐々に乱れていた。

 ブランドンの攻撃に陰りが見えた頃、魔物はついに反撃に出た。


「ボボボボボボボボボボボボボ……」


 奇怪な声を発しながら両腕を横に伸ばし、体全体を回転させたのだ。

 そのまま手の止まったブランドンに襲いかかる。

 ブランドンの顔や体に、魔物の体を覆っていた枝の破片が飛んできて当たった。

 ブランドンは気にせずに、呼吸を整えながら背中に目があるかのように木立の間をすり抜けるバックステップを見せる。


「〈ワルツ〉だけで倒せるとは思ってはいないけど、これはそろそろ……」


 そう独りごちた時、すぐ後ろからダリアの声が響いた。


「ブランドン! ここからは私も加勢する! 生徒たちは無事に逃がしたから安心しろ!」


 ウルズ剣術学院の同期であり同僚の頼もしい言葉に、ブランドンは頭にちらついた考えを引っ込めた。


(見せずに済むならそれに越したことはない、か)


 異形の魔物を覆っていた木々はもうほとんど残っていない。

 ブランドンの攻撃と魔物自身の回転でそぎ落とされたのだ。

 中から現れたのは金属の胴体から両手足が伸び、丸っぽい頭部とその窪みにある青白い光を放つ一つの目のようなものだった。


「何だ、あれは!? 本当に魔物なのか……!?」

「ゴーレムだね」

「ゴーレム……だと? あの遺跡なんかに出てくるあのゴーレムなのか!?」

「ああ、その認識で間違いないと思うよ」


 ゴーレムとは生物である魔物と違い、魔法の力によって動く人工の魔導生命体だ。

 その技術ははるか昔に失われたらしく、詳しいことはわかっていない。


「だとしたら、どうやって倒す?」

「ゴーレムならその動力になっているコアを破壊すればいい。まともに戦うより随分楽だ」

「そのコアはどこにある……?」

「さあ、どこだろう。顔に付いているあの光っているのが怪しくないかい?」


 ブランドンは薄く笑っていつもの表情に戻ると、ダリアと肩を並べる。


「何を笑っている、来るぞッ!」

「ああ、そうだね。じゃあ、もう少しだけ時間を稼ぐとしようか」

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