第24話 四人だけの戦い

「おい、どうしたんだ! 早く逃げないと!」


 樹竜クラスの最後尾を走っていた生徒が振り返って叫んだ。

 後ろを走っていた風竜クラスの四人の足はもう止まっている。


「先に行ってちょうだい。あたしたちにはやることがあるわ」


 ブレンダが何かを秘めたような緑の瞳で、彼らを見つめながら言った。


「ブレンダの言ったとおりだ。おまえらは先に行ってくれ。ゴブリン相手に後れを取る樹竜クラスじゃないだろう?」

「そ、それはそうだけど……おまえらはどうするんだ?」


 ハロルドが前に出て口を開く。


「稲妻の谷に落ちた仲間を助けます」


 樹竜クラスの顔面が思い出したように蒼白になる。

 風竜クラスの言葉を理解して、信じられないとでも言うようにかぶりを振った。


「くそっ、勝手にしろ!」


 樹竜クラスの五人を見送った風竜クラスの四人は、大きく息を吐いて顔を見合わせる。

 彼らの意思が固いのは、その表情から十分推測できた。

 ミリアムは樹竜クラスの消えた森を心配そうに眺めている。


「大丈夫よ、ミリアム。彼らの実力はあたしたち以上だもの。問題はセシリアとアルよ」

「うん、わかってるけど……もしあの大きい魔物が出てきたら……」

「あんなのが何匹もいてたまるかよ。多分、あれが森の主なんだろうぜ」

「ブランドン先生の剣技……ロイド、見覚えありませんか?」


 ハロルドが顎に手をやって考える仕草を取る。


「……凄かったよなぁ。めちゃくちゃビビったぜ」

「そうじゃなくて、僕たちはあれと似た技をこの間見たはずですよ」


 ロイドは腕を組んで唸るが、要領を得ないようだ。


「どういう……ことだよ?」

「旧冒険者ギルドの廃墟。殺された黒ずくめと戦っていたあの人と似ているんです」

「…………!? おいおい、嘘だろ? ブランドン先生が闇夜の死竜ってことか?」


 これにはロイドだけではなく、ミリアムとブレンダも反応する。


「そ、それはないんじゃない? ブランドン先生はブランドン先生だよー! それに……」

「ミリアムの言うとおりよ、もしそうだとしたらあたしたちが知っていることが根本から崩れるわね」

「だぜ! 俺はわかんなかったけど、ハロルドが言うならそうかもしれねぇ。でもよ……」

「……すみません。いま話題にする話じゃないですね。優先するのはアルとセシリアでした」


 四人は頷き合うと左手に向かって進み始めた。

 ほどなくして大きな裂け目が現れる。稲妻の谷だ。


「それで、どうやってアルとセシリアを助けるよ。こんな絶壁を下りるのは無理だぜ?」

「アルくんには空を飛ぶ魔法があるよ。きっとセシリアちゃんと一緒に飛んで戻ってくる……と思う」


 ミリアムは自分で言っておいて途中から自信がなくなったのか、尻すぼみに声を小さくしていった。


「魔法が使えるといってもアルはそんなに魔力はないし、そこまで高度な操作は難しいと思います。それにどのくらいの深さまで落ちたかもわからないですし」

「いや、中継地点を挟みながら飛べばいけるんじゃね? アルなら考えそうだ」

「あら、ロイドにしてはまともな考えね」

「ブレンダ~、あのな~」

「でもそういう前向きな考えは嫌いじゃないわ」


 誰もアルバートとセシリアが命を落としたなどとは考えていないのだろう。

 そもそもアルバートとセシリアなら絶対に無事だという、確かな自信がブレンダにはあった。

 そしてロイド、ミリアム、ハロルドも同じ気持ちだろうと思った。

 さっきのハロルドの発言には多少驚かされたが、それでも自分たちの考察は間違っていないと考えている。


 ああでもないこうでもないと互いに意見を出し合っては、消えていく。

 最初に気付いたのはブレンダだった。


「ねぇ、何か聞こえないかしら?」

「何がだよ? おまえの腹の音でも鳴ったのか?」

「……オオカミの遠吠え……ですか?」


 確かにこのサイーダの森にはウサギやクマに加えて、人間を襲うオオカミが棲息している。

 しかし、オオカミとてゴブリンに駆られる餌に過ぎない。

 そして、かすかに聞こえる獣の唸り声のようなものは、決してオオカミではないとブレンダは思った。


「オオカミっ……!」

「違うわ、ミリアム! ……ワイバーンよ!」


 ブレンダは考えられる答えを口に出す。


「ばっか、んなわけあるか。ワイバーンは稲妻の谷から出てこないって聞いたぜ?」

「そうだけれど、いまあたしたちがどこに立っているのかわかって?」


 ブレンダたちが立っているのは切り立った崖のすぐそばだ。

 その下に広がる稲妻の谷にはワイバーンが棲息している。


「いやいや、それでもここまで上がって来ねぇだろ」


 そう言いながら裂け目を覗き込んだロイドが、大きく仰け反った。


「わっ! うおおおおおおおおおおおおおおッ!?」

「ロイド! 危ないですっ!」

「ロイドくん!」


 地の底から真上に向かって飛び出したのはワイバーンだった。

 森の木々の高さまで達したワイバーンはそこでピタッと停止すると、翼を大きく上下に動かしながら体の向きを変え、ブレンダたちを睨みつけた。


「グオオオオオオオオオン!」

「何でだよっ! どうしてここにワイバーンがいるんだよッ!」

「僕に聞かれても困りますよ。どうやら僕たちを標的と捉えたみたいですね」

「わ、私たち食べられちゃう!?」

「一旦、森に入ってやり過ごすわよ!」


 ブレンダの指示に逆らう者はいなかった。

 踵を返した四人は一目散に森に向かって走る。

 しかし森に入ってもワイバーンは器用に体の向きを変えながら、木々の間を追いかけて飛んでくる。

 狭い隙間はさすがに通れないが、遠回りしてもワイバーンには速度があった。

 ブレンダたちが追いつかれるのも時間の問題だ。


「無理だ、戦うしかないぜ!」

「あなた正気!? 冒険者でも恐れる魔物なのよ?」

「ロイドの意見に賛同するのはアレですが、逃げて体力を消耗するよりもまだ希望が見えますよ」


 確かにハロルドの言うとおり、逃げるだけではいずれ体力も底を尽き、背後からあの鋭い爪に串刺しにされるだろうということは容易に想像できる。

 しかし、ワイバーン相手に勝負になるのかという葛藤がブレンダの中にあった。


「みんな、どうにか隙を作ってくれ。俺の剣ならちょっとは効くかもしんねぇ」


 ロイドが剣を構えて言った。

 剛の剣ザルドーニュクス流剣術。

 ハロルドのグラナート流剣術や、ブレンダのザフィーア流剣術、ミリアムのディアマント流剣術に比べればもっとも攻撃に特化した剣術だ。

 そこへロイドの腕力が巧い具合に重なれば、相乗効果が期待できるとブレンダは考えた。


「わかったわ!」

「僕が引きつけます。ロイドはタイミングを見計らって――」

「待って、ハロルドのグラナート流は正攻法すぎるわ。ここはあたしのザフィーア流で翻弄する! ハロルドはミリアムを守って」

「……っ! 了解しました!」


 悔しそうな声ながら、素直に自分の欠点を認められるのがハロルドの良いところだ。

 中級を取得しているハロルドのほうが、初級のブレンダより実力が上なのは間違いない事実。

 だが敵の注意を引きつけることを焦点とするならば、技巧に優れたザフィーア流剣術が勝るだろう。


 ブレンダは地面を蹴った。

 ワイバーンが正面から迫る。

 素早いステップで地面に着地しながら、加速と減速をワイバーンを惑わせるように行う。

 その姿はまるで、舞いを踊っているような華麗さがあった。

 蝶のように舞い、蜂のように刺す。

 ザフィーア流剣術の突き技〈アイリス〉だ。


 その正確な突きはワイバーンの獰猛な瞳に吸い込まれる。

 しかし、ワイバーンは頭をわずかにずらしてやり過ごす。

 ブレンダの剣はワイバーンの眉間のあたりに命中するが、その強固な皮膚は剣を通さなかった。

 素早く剣を戻して、ワイバーンの周囲を移動する。


 ブレンダは焦っていた。

 アステリア王国では貴族の剣術と呼ばれるザフィーア流剣術は、その見た目の華やかさから貴族の愛好家が多かった。

 歴代の達人たちもその大半が貴族だ。

 当然、剣技のほぼすべての名称は貴族の家名が付けられていた。

 しかし突き技〈アイリス〉だけは別だ。

 その名が示すとおり、〈アイリス〉だけは平民が編み出した剣技である。


 貴族たちは平民の名を冠したこの剣技を邪道と罵って、使うことを忌避していた。

 平民が編み出した技など使ってなるものかと。

 だがブレンダは違った。

 貴族平民がどうした。この美しい剣技を理解できないのかと。

 ブレンダは〈アイリス〉に魅せられた。

 いまではブレンダの一番得意な剣技となっている。


 その〈アイリス〉を外したことで、いや意に介さないワイバーンの恐ろしさを改めて感じ取った。

 ロイドのザルドーニュクス流剣術なら効くはず。

 しかし、ロイドが攻撃を仕掛けるタイミングはいまだ回ってこない。

 自分のふがいなさに苛立ちと焦りから、ミスを犯した。


「ブレンダァァァッ!」


 いつも憎まれ口を叩き合う仲間――ロイドが、身を挺してブレンダを庇った。

 ロイドの剣は弾き飛ばされ、その肩には鋭い爪が食い込んだ。


「うああああっ!」

「ロイド! このっ……ロイドを離しなさいっ!」


 ブレンダがワイバーンの後ろ脚に斬りかかる。

 やはり、ザフィーア流剣術――いや、いまのブレンダの技量ではいま一つ威力が足りない。


「ロイドくんから離れてっ!」


 ミリアムが魔法で拳大の炎を生み出して攻撃するが、ワイバーンの脚を焦がすことさえできない。


「させませんよっ!」


 そこへハロルドが剣を振り下ろした。

 しかしワイバーンの皮膚は斬れない。

 ロイドの左腕は痙攣したようにぶるぶると震えている。

 その顔は苦痛で歪んでいる。

 ワイバーンの爪はなおもロイドの肩に深く食い込もうとしている。


「あ、あああああっ! あがっ……!」

「ロイド! しっかりしてちょうだい!」


 悲壮感が漂った、その時――




「俺の仲間に好き勝手やってくれたな、ええぇおいッ!」




 ――一陣の風が通り過ぎる。




「ギャアアアアアアアアアアアアアッツ!」


 悲痛な咆哮を上げたワイバーンの翼が見るも無惨な状態に斬り裂かれた。

 翼だけではない、その胴体にも大きな傷ができ、そこから木立を真っ赤に染めるような血飛沫を上げている。

 ワイバーンを斬り裂いたのはアレクサンドリート流剣術の必殺剣技の一つ〈ドラゴンオーガスト〉。

 こんなことができるのは一人しかいない。


「遅くなった! みんな大丈夫か!?」


 そこに立っていたのは両手に剣を持ったアルバートだった。

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