第16話 初めての野外授業

 定期試験が間近に迫ったある日、ブランドン先生は授業の締めにこう言った。


「かねてより伝えていたとおり、明日は野外授業を行うからそのつもりでね。今夜は明日に備えてしっかり睡眠をとるように」


 野外授業とは剣術学院の外で行われる授業だ。

 俺は一年の間に数度あるこの野外授業を体験するのは初めてだった。

 もちろん、セシリアたちも同じだ。

 というのも野外授業は魔物が跋扈するウルズの町の外で行われる危険を伴う授業であり、一部の上位クラスにしか許可されていないものだからだ。


 六年生なら六番目の水竜クラス以上、五年生なら四番目の風竜クラス以上、四年生は一番目の樹竜クラスのみ。

 三年生以下には野外授業はない。

 去年も風竜クラスだった俺たちにとって初めての授業となる。

 主な授業内容は付近の探索と魔物討伐で、駆け出しの冒険者がやる仕事と似ている。

 もっともハロルドに至っては、先日それを飛び越して黒ずくめの男と対人戦を経験したばかりだ。


 黒ずくめか。

 あれから夜の仕事のときにブランドン先生とも話したが、黒ずくめを殺したやつの情報は依然として掴めないでいた。

 軍の施設に拘留されている黒ずくめたちゲルート帝国スパイ?の連中は、その事実を知って震え上がったという。

 闇夜の死竜にも臆さなかった連中がだ。


 うち一人は「粛正は嫌だー!」と狂ったように叫び舌を噛み切って死んでしまったそうだ。

 残った八人の黒ずくめも怯えた表情で口を閉ざしているらしい。

 ブランドン先生の話では、黒ずくめたちの中では恐ろしい人物として認識されているようだ。


 目的を遂げられなかった黒ずくめを口封じに殺したと考えるのが妥当だが、そもそも黒ずくめの目的は何だったんだ。

 十分休養をとって魔力も回復しているし、魔眼も使える。

 そいつが夜に俺の前に現れてくれれば話は早いんだけど、そう都合良く事は運ばない。


「――ル? ねぇ、聞いてるの?」

「えっ……ああ、聞いてるよ」

「嘘。今何か考えごとしてたでしょう。聞いてたのならわたしが何を言ったか答えてみくれる?」


 うっ、考え事に集中していてセシリアの話を聞いていなかった。

 俺は苦笑しながら頬をかいた。


「ごめん。ぼーっとしてた」

「もう、そうだと思ったわ。明日は忘れ物しちゃ駄目よ。それから――」


 隣の席にいるセシリアが指を立てて、ブランドン先生が説明した話をまとめて教えてくれる。

 それを見て、後ろの席のミリアムとブレンダがおかしそうに笑った。




 ◇ ◇ ◇




 翌日の朝いつもどおりに剣術学院に登校した俺は、教室で剣を回収してベルトに装着した。

 今から野外授業なので今日だけは教師引率の元、限定的に帯剣を許されるのだ。

 それからみんなと一緒に冒険者区の入口へと向かう。


「冒険者区か。この間来たときとはなんだか雰囲気が違うわ」


 並んで歩いていたセシリアが独り言のように漏らす。

 酒場は開いているが娼館は閉まっている。それに武器や防具、冒険に必要な道具を扱っている店が繁盛している。

 酔っぱらいもいないし、通りを闊歩するのは鎧を纏った男やローブを羽織った女だ。

 すなわち冒険者だった。


「今から仕事に向かう冒険者も多いみたいだな」


 冒険者の入口近くにある広場には、多くの生徒が整列していた。

 五年生の樹竜クラス、氷竜クラス、雷竜クラス、そして俺たち風竜クラスの総勢八十名だ。それに加えて、各クラスの担任教師四名もいる。

 早速、樹竜クラスのエドガーとイアンを見つけてしまうが無視する。

 話しかけてこない限り関わらないほうがいいだろう。


 全員が集まったのを見計らって、樹竜クラスの担任である女の先生が前に立った。

 名前はダリア・ビートだったかな。

 腰まで伸びた銀色の直毛と成熟した大人の色気を感じさせる体つき。

 ブレンダやローラ先輩にも引けをとらないだろう。

 じっと眺めていると、セシリアが俺の脇腹をつまんだ。


「痛い……」

「ダリア先生に見とれてたでしょ。ちゃんと、説明を聞いておかないと後で大変な目に遭っても知らないから」


 決してそういう目で見ていたわけじゃないんだが、言い訳すればするほど疑われそうなのでやめた。

 俺はダリア先生の経歴を頭に浮かべる。

 聞いた話じゃ確か伯爵家の娘で、ブランドン先生の同期でもあるらしい。

 つまりウルズ剣術学院の卒業生だ。

 今年からウルズ剣術学院に赴任して、五年樹竜クラスの担任となった。

 エドガーやローラ先輩の話では、剣術が得意で教育熱心なようだ。

 どうやら、そのダリア先生が教師を代表して今日の野外授業の内容を詳しく説明してくれるらしい。


「――最後になるが、皆も知っているとおり、これから向かうサイーダ森林には多くの魔物がいる。いずれにしても脅威は低く、皆の実力なら遅れをとることもないだろう。しかし、この中には初めての実戦となる者も多い。決して油断せず、日頃の鍛錬の成果とチームワークで乗り切って欲しい。私からは以上だ」


 今日の野外授業に指定された場所は、ウルズの町から西に向かったところにあるサイーダ森林のようだ。

 森の奥深くには立ち入りが禁止されている危険な場所があるが、それ以外は強い魔物も出ず駆け出しの冒険者が狩りをするような比較的安全なところだ。

 剣術学院の生徒が実戦を経験するにはおあつらえ向きだと言えるだろう。

 しかし肝心の野外授業の内容を聞き逃していたようだ。

 このままではセシリアにあらぬ誤解をかけられそうで恐い。

 どうしたものかと思案していると、ロイドが俺の肩に手をかけてきた。


「なぁ、アル。あの先生、口調は男っぽいけど、すんげぇスタイルいいよなぁ。なんかこう大人の色気っつーの? わかるか?」


 馬鹿野郎、俺にそんな話を振るんじゃない。

 俺は聞こえないフリをして横目でセシリアの様子をうかがった。

 そこには笑顔のセシリアがいた。

 目の奥は笑っていない……多分な。


「……というか、ロイド。おまえ寝不足か?」

「あん? あ、いや……ちょっと親父の手伝いでさ」

「あんまり無理するなよ」


 ロイドは目の下にクマを作っていた。

 鍛冶職人である親父さんの手伝いをしていたらしい。

 ここ数日続けてだけど、今日は特にひどいように見える。

 背中には長細い筒状の包みを背負っている。


「遊びに行くんじゃないんだぞ、なんだよその荷物は?」

「何って予備の剣だよ。俺の流派は豪快に技を繰り出すから、剣の消耗が激しいんだっての」

「それはザルドーニュクス流のせいじゃなく、おまえの剣の扱い方に問題があるだろ。なぁ、セシリアもそう思うよ……な?」


 セシリアに同意を求めるが、彼女はじっと俺を見ていた。

 俺がごまかしてると思ったのだろう、反応は薄い。

 微妙な沈黙を見かねて助け船を出してくれたのはハロルドだ。

 これぞ男の友情。


「要するに、魔物のいるサイーダ森林に入って実戦の空気を感じ取れって授業みたいですね。時間は昼過ぎまでですか。まぁ、暗くなれば危険が増しますから当然でしょう」

「んなもん楽勝だぜ。何てったって俺たちはすでに実戦を経験してるしな」

「おまえは、誰かに殴られて気を失ってただけだろう」


 俺が言うとセシリアが吹き出したので、ホッと胸を撫で下ろす。

 しかし冒険者区での一件は、ロイドに妙な自信を持たせていたようだ。

 あのときロイドを失神させたのは、おそらくブランドン先生だったのだろうと思う。

 あのまま黒ずくめに向かっていったなら間違いなく返り討ちに遭っただろうから、ブランドン先生の判断は正しかったと言える。


 そうこうしているうちに、樹竜クラスを先頭に西門に向かって歩き出した。

 途中、何人かの冒険者が声をかけてくる。


 「頑張れよー!」「気をつけてねー!」といった応援から、「雑魚掃除頼むぞ!」「今回は何人が泣いて帰ってくるかな~」などという半ば冷やかしの声もあった。


 冒険者区の端にある西門の前に辿り着くと、樹竜クラスから順番に門をくぐり外へ出る。

 今回の野外授業は事前に各クラス三つのグループに分かれている。

 一クラスは二十人いるので七人、七人、六人となる。

 もちろん俺たちはおなじみの六人でまとまった。

 このグループが今日一緒に行動するパーティーというわけだ。


「ブレンダちゃん、……何だか緊張するね」

「みんな一緒だから大丈夫よ」


 不安げなミリアムの髪をブレンダが撫でる。

 ロイドは張り切っているし、ハロルドは順番を待ち遠しくしているように見えた。

 セシリアは俺のポーチの中を覗き込んで、忘れ物がないか確認してくれている。

 ……いつも悪いな。


「心配性だな、セシリアは。ちゃんと傷薬は入っているよ」

「うん、そうね。中身は空っぽだったけれど」

「…………え?」


 セシリアは俺のポーチから取り出した傷薬の容器を開けて見せた。

 中には傷薬だったらしきものが、わずかに付着していた。

 というか本来白色のはずの傷薬が変色して黄ばんでいる。

 そして辺りに異臭がたちこめる。


「くっせぇぇぇっ! おい、セシリアっ蓋を閉めろ、蓋を!」


 ロイドが鼻をつまんで俺とセシリアから距離をとる。

 ブレンダとミリアムも顔を顰めている。

 ハロルドは無言でロイド以上に離れた。

 セシリアは容器の蓋を閉めると、それを自分のポーチに押し込んだ。


「あれ……? 前に使ったのいつだっけ……?」

「まったく、いつ使ったのかわからないのを持って来ないで。代わりにわたしが持ってきた予備を入れておくわね」

「ああ、ありがと」


 セシリアは予備で持参したらしい傷薬を、俺のポーチに入れてくれた。

 俺が忘れてくると踏んで用意していたのだろう。申し訳ない。

 そこへブランドン先生がやってきた。


「さあ、きみたちの番だよ…………うっ。な、何だいこの臭いは?」


 美形のブランドン先生の顔が歪む。

 すぐにセシリアが頭を下げた。


「ごめんなさい、ブランドン先生。アルの持ってきた傷薬が腐ってたみたいで……」

「……そうなのかい? まぁ、いい。ほら他のみんなはもう門を出たよ。きみたちも急いだほうがいい」


 ブランドン先生に促されて俺たちは西門をくぐり、ウルズの町の外へと出た。

 草原が広がり、俺たちの目の前には草のない道が真っ直ぐ続いている。

 遠くのほうにはサイーダ森林が見えていた。


「よし、じゃあ行こうか」


 俺はみんなに振り返って言った。

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