第17話 森に棲む魔物
サイーダ森林までは平坦な道のりで、街道に沿って歩くだけだ。
草原には魔物である巨大なカエルが飛び跳ねているが、冒険者が戦っているので街道まで来ることはなかった。
あのカエルの肉は学院の食堂でも人気のメニューだが、魔物の肉は特有の臭みがあり俺は苦手だった。
なので肉を食べたい時は、もっぱら牛か鳥などの動物の肉に限定している。
しばらく歩くと木々の覆い茂ったサイーダ森林に着いた。
サイーダ森林の中にも街道は通っている。
この街道を進めば森の向こう側に通じているはずだ。
道なりに歩いていると、少し開けた場所に出る。
そこにいたのはエドガーとイアンを含む七人の生徒だった。
樹竜クラスだ。
「待ちくたびれたぞ。風竜クラス」
エドガーが腕を組んで立ち、三歩下がったところに六人の生徒が並んでいる。
「どうしてここにいるんだ? おまえたちは一番先頭じゃなかったか?」
「バカが。見てわからないのか? おまえたち風竜クラスを待っていたんだ。それにただ待っていたわけじゃないぞ。イアン、見せてやれ」
エドガーが顎で示すと、イアンが前に出てきて握っていた剣を持ち上げた。
そこには真新しい血がついていた。
どうやらエドガーたちはすでに戦闘をしていたようだ。
「どうだ驚いたか、オレはもう魔物を三匹も倒した。知ってのとおりオレは四年の頃から野外授業を受けているから容易かったぞ。いやぁ、しかしこの辺りの魔物では物足りないな」
「オレはって、あなたじゃなくてイアンがでしょ?」
ブレンダが失笑する。
ロイドも笑い堪えるように肩を震わせていた。
「だ、黙れ! まだオレに相応しい強敵が現れていないだけだ!」
「そのとおりです。私が倒したのはエドガーさんの手を煩わせる必要のない雑魚ばかりですから」
イアンがエドガーをフォローする。
相変わらずの忠実っぷりだな。
「オレは今から強敵を求めて森の奥へ進む。おまえたちが臆病でないのならついて来るがいい」
「ちょっとエドガー、それは危険よ。先生たちも街道から離れないようにって言っていたじゃない」
セシリアがエドガーたちの心配をする。
サイーダ森林の一番深いところには、森の主と呼ばれる魔物がいる。
その危険性から冒険者ギルドにも近づくことが禁止されているほどだ。
しかし森の主はこちらから手を出さない限り、絶対に襲ってこないと言われている。
時間的にそこまで辿り着くのは無理だし、それ以外は危険は少ないと思えるが……。
「エドガー、セシリアの忠告を素直に聞いておいたほうがいいぞ。いくらイアンがいたとしても数で来られたら、自分の身は自分で守らなきゃいけなくなる。ここで無理をしても何の意味もないんだから」
「ふん、アルバート。平民の分際で調子に乗るなよ。イアンに勝ったことがあるから調子に乗るのもわかるが、分を弁えろ」
「別にそんなんじゃないし、そんな何年も前の話は関係ないだろ」
エドガーの言うとおり、俺は過去にイアンと戦い勝利したことがある。
同じ一年死竜クラスのときだ。
当時の俺もイアンもまだ初級試験に受かる前のことだが、あの時と今では状況が違いすぎる。
イアンは中級試験を突破しているし、片や俺のほうは初級で足踏みしている。
一年のときは互角だった二人に今は歴然とした差がついていた。
逆に言えば、俺はこの四年間ほとんど成長していないってことだ。
「そこまで言うならもう止めはしないよ。ただし森の一番奥には近づかないほうがいい。あそこに何がいるのか知っているだろう?」
「あたりまえだ。誰が禁止区域にまで足を踏み入れると言ったんだ。森の主に剣を向けるほどオレも愚かではない。時間も限られているからあまり遠くへも行けないしな」
年に何度かは命知らずの冒険者が森の主を討伐しようと森の奥に入って帰ってこないことがある。
エドガーも十分承知しているだろうし、こいつの性格上本当に身の危険を感じたら引き返すはずだ。
「セシリア、話しても無駄みたいだから勝手にさせよう」
俺はセシリアのポーチに手を突っ込んで、俺が持参した傷薬を取り出した。
セシリアを含め、仲間たちは俺の行動が読めずぽかんとしている。
俺は傷薬をエドガーの手にしっかりと握らせた。
「なんだ、これは?」
「何って見ればわかるだろう。傷薬だよ。森の奥へ入るんなら準備に越したことはないからな。ただ一つだけ言わせてくれ、無茶するなよ」
「おまえに心配されるいわれはない。行くぞおまえたち」
エドガーは吐き捨てるように言いつつも、自分のポーチに傷薬を収納した。
そして街道から離れて、森の奥へと消えていった。
俺たちは黙ってその背中を眺めていた。
「っく、あっはっはっは! エドガーのやつ、あの臭ぇ傷薬を持って行きやがったぜ。蓋を開けたら大変なことになるぞ。アル、おまえ本当に最高だぜ」
腹を抱えて大笑いするロイド以外は呆れた表情をしていた。
「いや、まぁイタズラのつもりでやったんじゃないんだけどな。腐った傷薬の悪臭は魔物を怯ませる効果があるんだ。これで少しでも危険を回避できるなら、それに越したことはない」
「もう、アルったら。でも、どうするの? エドガーたちが危ないわ」
「イアンがいるなら問題ないと思うぞ。ブランドン先生たち教師も森の中のどこかにいるはずだから、途中で見かけたら報告しておけばいいだろう」
イアンの実力ならサイーダ森林にいる魔物相手なら問題ないと思える。
エドガーが単独で無茶をしない限り、大怪我をすることはないはずだ。
「さて、気を取り直して俺たちは道なりに進もう」
「おう! 早く魔物出てきてくんねぇかなー」
途中、いくつかの魔物の亡骸を目にする。
真新しいものから死後数日経っているものまで様々だ。
しばらく進むと、北西に向かう道と南西に向かう道の二本に分かれていた。
分岐の中心に矢印のついた看板があり、それぞれの道の先がどこへ繋がっているのか示している。
ハロルドがダリア先生から受けた説明を、口に出して教えてくれる。
樹竜クラスと雷竜クラスは北西の道へ、氷竜クラスと風竜クラスは南西の道だそうだ。
ロイドも初めて聞いたような顔をしていたので、俺と同じくダリア先生の説明を聞き逃していたのだろう。
南西の道はラモラックの町に通じているが、昼までに森の入口まで戻らなければならないことを考えると到達できない距離にある。
戻る時間を考慮して引き返すのも授業の一環だろう。
ちなみに魔物を多く倒したり、時間内に集合場所に戻れたからといって、成績には反映されない。
成績に加味されるとなると無茶をする生徒がでてくるからだ。
あくまで生徒の安全を考えた野外授業だった。
ここまでで他のグループの生徒にはまだ会っていない。
かなり先のほうまで進んでいるんだろう。
途中でエドガーに絡まれたのと、ミリアムの歩みに合わせていたから距離が空いてしまったに違いない。
かといって誰もミリアムを責める者はいない。別に急ぐ必要はないのだから。
ロイドを先頭に歩いていた俺たちだが、唐突にブレンダが言った。
「ロイド、待ちなさい。前に何かいるわ」
ブレンダが示した先は街道の脇の木々の隙間だった。
ボロボロの布きれのようなものが左に右にと、忙しなく動いているのが確認できる。
間を置かず現れたのはボロ布を纏った小柄な魔物だ。
ミリアムより小柄な上に背を丸めている姿勢のためいっそう小さく見える。
その体型に似合わない獰猛な顔で、鋭利な歯を剥き出しにして口を開けている。
「魔物……! あれはゴブリンです」
「いち、に、さん……四匹もいるの!?」
ハロルドが授業で習った知識で知らせる。
ミリアムはたじろぎながらも、ゴブリンの数を指で追っていた。
初めての戦闘で緊張するのは仕方がない。
みんなが本来の実力を出せれば勝てる相手だ。
だけどここは――
「よし俺とハロルドとロイドで行くぞ。ブレンダはそこでセシリアとミリアムを守ってくれ」
俺たちの初戦。
気合い十分のロイドと戦力として申し分ないハロルドに声をかける。
ハロルドに次いで実力の高いブレンダには、万が一に備えてセシリアとミリアムを守ることを優先させる。
「ええ、わかったわ」
ブレンダが剣を抜いて、セシリアとミリアムの前に出た。
俺はそれを確認してから、ハロルドとロイドに目配せする。
二人がうなずいて、三人同時に駆け出した。
ゴブリンは斧や剣を手にしている。
まともに攻撃を受けたら大怪我、最悪命を落とすこともある。
しかしロイドは剣を振り上げて真っ向から挑んでいった。
「うおおおおおおおおっ!」
剛の剣ザルドーニュクス流剣術の豪快な振り回し。
やられるまえにやるを体現したような攻撃主体の剣術だ。
ゴブリンが防御姿勢をとる間すらなく、その肩口をロイドの剣が斬った。
苦痛の悲鳴を上げるゴブリンを見て、残ったゴブリンは怯んだ。
その隙を逃すハロルドではない。
ハロルドは用心深くグラナート流剣術の基本の構えをとっていたが、瞬時に大きく踏み込むと剣を下から斜め上へと振り抜いた。
斬られたゴブリンは胸から鮮血を飛び散らせた。
「あと二匹です!」
「任せとけっ!」
気合いの入ったロイドの声が耳に届く、一匹は任せても良さそうだ。
俺も目の前のゴブリンを確実に追い詰めていた。
ロイドが二匹目を仕留めたのと、俺が対峙していたゴブリンを斬り伏せたのはほとんど同時だった。
「よし、二匹やったぜ! どうだブレンダ!」
ロイドが剣を持った手を頭上で振る。
「危なっかしくて、ひやりとしたわよ」
ブレンダは苦笑いしながら剣をしまった。
ハロルドは剣を持ったままその場に立ち尽くし、ゴブリンの亡骸を見つめていた。
「ハロルド、どうした?」
「いえ、この間の旧ギルドで戦った相手と比べれば、このゴブリンは全然弱いです。ですが、何と言えばいいのか……恐怖めいたものが頭をよぎりました」
ハロルドは自らの剣に目を落とすと、その手は小刻みに腕が震えていた。
命のやり取りというものを肌で感じたのだろう。
たとえ格下のゴブリン相手でも、剣や斧の一撃を食らえば当たりどころが悪ければ死ぬ。
無意識のうちに死の恐怖を味わったのと同時に、相手の命を奪うという経験もした。
だが、剣の道を志す者なら誰しもが一度は通る道。
俺はその手を包み込むように自分の右手を重ねた。
「アル……?」
「俺たちが学ぶのは教科書からだけじゃない。だからこうして野外授業もあるんだろう。それにおまえがここで魔物を斬らなかったら、ウルズの町の誰かが斬られたかもしれない。俺たちは生きていくために魔物を討伐するし、冒険者や軍が組織されているのはそういうことだ。ハロルドが学院を卒業後にどんな道へ進むのか俺にはわからないが、剣の道へ進むのなら避けては通れない問題だろう。まあ、まだ時間はある。一度ゆっくり考えてみるのもいいかもな」
俺が言い終えた頃にはハロルドの震えは止まっていた。
ハロルドは深呼吸してから剣を鞘に収めると、
「ふふっ、いつかの授業でブランドン先生が言っていた言葉ですね」
緊張が解けたように表情を崩した。
「……まぁ、そうだ。気の利いたことを言おうとしたんだけど、何も思い浮かばなかったよ」
俺は頬をかいてごまかした。
「それにしても興奮気味のロイドはともかく、アルは落ち着いていますね。もしかして魔物と戦った経験があるんですか? 最初の指示も的確だったと思いますし、普通初めてならあんなに冷静になれないですよ」
「……ん、いや俺も初めてだよ。というか俺たちが魔物と戦う機会なんて今日までなかっただろ?」
ハロルドは訝しげな目で俺を見つめていたが、やがて納得したようにうなずいた。
「そうですね。でも、助かりました。ありがとうございます、アル」
こうして、俺たちは初めて魔物との戦いを経験した。
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