第7話 酒場でのいざこざ

 俺はグラス片手にテーブル席を振り返った。

 装備品や筋肉のつき方からして店内にいる客はほぼ冒険者だとわかる。

 俺たちと同じくらいの見た目の若い者から、お爺ちゃんお婆ちゃんまで老若男女問わず幅広い客層だった。


 セシリアの視線を目で追うと、生傷の絶えない太い腕で小さなお皿にむしゃぶりついている中年の男がいた。

 料理の一部がテーブルや床に飛び散るような汚い食べ方だった。

 その顔は町の外にいるオーガを思わせる。


「みんな恐そうな人ね」

「見た目もそうだけど、自己主張も強いやつが多いよ。我が強くなけりゃ冒険者なんてできないからさ」


 俺は冒険者をしている親父と母さん、そして爺さんを思い浮かべた。

 今ごろどこで何しているんだか。

 親父と母さんは同じパーティーを組んでいる。

 二人が一時的に別行動をしたのは、母さんが俺を生んだときだけらしい。

 そして現在、一人息子を放置して冒険三昧だ。


 サビア家の当主である爺さんは、俺の剣の師匠でもある。

 爺さんはアレクサンドリート流剣術を極めていて、上級のさらに上、免許皆伝の腕前だ。

 もちろん俺など足元にも及ばない。

 俺が剣術学院に入る前は一緒に住んでいたが、今は親父とは違うパーティーに入っているようだ。

 時折、旅先から土産を送ってくれたりする。


「ねぇ、アル。たとえばあの女の人なら比較的話しかけやすそうだし、どうかな?」


 とセシリアは言って、少し離れたテーブルを囲んでいる若い四人組を示した。

 四人とも女で、風体から彼女たちが剣士であることがうかがえた。

 仕事終わりで盛り上がっているのか、ここまで通るぐらいの大きな声で何やら言って笑っている。

 ただし途切れ途切れに聞こえる言葉の断片は支離滅裂だった。


「見た目で決めただろう? 確かに強面の男よりは声をかけやすいと思うけど、あのテーブルの上を見てみなよ。彼女達たちは、もうできあがっているみたいだ。それに呂律も回っていないし、まともに会話できるかかなり怪しいな」

「本当ね。わたし、そこまで気がつかなかったわ」


 セシリアは感心したようにうなずいた。

 他の人を見てみようとセシリアに言い視線を漂わせたところで、隣に座っていた酔っぱらいの男が口を挟んできた。


「お兄ちゃん、何か困ってるのか? 冒険者区の情報ならオレに聞けよ。見返り次第でなんでも教えるぜ?」


 俺たちの話に聞き耳を立てていたらしい。

 酒臭さからかなり飲んでいると想像できるが口調ははっきりしている。

 意外と酔っていないのかもと思ったが前言撤回。

 前歯が二本欠けた口で大きなあくびをすると、直後にゲップをかます。

 またもや、なんともいえぬ悪臭が俺の顔にまとわりつく。

 俺は少し困ったような顔をしてから、真面目くさった顔に変えて言った。


「いくらだ?」


 俺が聞き返すと、酔っぱらいは嬉しそうにニヤついた。

 そして指をチョキの形にして見せ、突き出した指を閉じたり開いたりする。


「こんなもんでどうだ?」

「わかった。何を教えてくれるんだ?」

「そりゃあ、何でもだ。何が聞きたい? 割のいい仕事の話から、ギルド職員の不倫相手までなんでも答えてやる」


 この酔っぱらいは情報屋だったのか。

 俺は悩むフリをしながら、改めて酔っぱらいの身なりを観察した。

 酔っぱらいは衣服の上から鉄の胸当てを着けている。

 胸当ては手入れされておらず、傷だらけで血もこびりついていた。

 カウンターには酔っぱらいの所持品とおぼしき長剣が立てかけてある。

 年季の入っていそうな剣だ。


「そうだな、ここがどんな町かを教えてくれると助かる。何しろ初めてだからな」


 俺たちは駆け出しのルーキーで、ここを拠点にしたくて隣の町から首都であるウルズの町へやってきたという設定だ。

 手始めにウルズの町の雰囲気や、細かなルール、それと簡単な仕事について尋ねた。

 酔っぱらいがどれほどの情報を持っているのか知りたいし、かといって唐突に核心を聞くのは不自然だと思ったからだ。


 俺の質問に酔っぱらいは時折ゲップを挟みつつも、スラスラと答える。

 それは俺の知っているウルズの冒険者区の情報とほぼ一致する。

 嘘はないし間違ってもいない。

 情報に関しては、この酔っぱらいは信用できると考えた。


 常識的な話も多かったが、これだけの情報を二千ナールで教えてくれたのはかなり良心的だろう。

 俺は礼を言い、ポケットから二千ナールを出して酔っぱらいに渡した。

 残りの手持ちは六千ナールだ。

 俺たちの飲み代を支払っても、五千ナールは余裕がある。

 これだけあれば、肝心の質問にも答えてくれるだろう。


「げふっ、他に聞きたいことはあるか?」

「そうだな……最近冒険者区で何か変わったことはないか? 店の前で昨晩は闇夜の死竜が出たと耳に挟んだんだけど」


 すると酔っぱらいは手のひらを上にして俺に差し出した。


「鮮度の高い情報の先払いは常識だぜ、ルーキー?」

「……ああ、すまない。いくらだ?」

「五千。一ナールたりとも値引きはなしだ」

「五千か。期待していいんだよな? じゃあ、これで」


 俺はカウンターに五千ナールを置いた。

 残金は千ナール。これは飲み代だから、実質今の手持ちのすべてだ。


「げふっ、毎度ありぃ。ジジイ、おかわりだ」

「それで何を教えてくれる?」

「先に言っておくがウルズの守護神、闇夜の死竜の居場所は知らん。そんなことを知っている情報屋はこのウルズの冒険者区にはいねぇ。ヤツは神出鬼没だからな」

「だろうな。続きを頼む」

「闇夜の死竜は双剣術の達人だ。上級の剣士でも遅れを取るらしい」

「なるほど…………で?」

「あ? 今ので終わりだ、げふっ」


 男はじっと俺の顔を見ていた。


「冗談だろ? 今ので五千は高すぎる。そんなこと俺だって知ってる」

「おいおい、お兄ちゃんが知ってるか知らないか俺がわかってるわけないだろうが。たまたま俺が教えた情報がお兄ちゃんがすでに知っていた話でも、俺には関係ねぇ。そうなりたくなけりゃ、始めから言えば良かったんだ」


 騙された気分だが、確かに酔っぱらいのいうことも一理ある。

 事前に言わなかった俺にも落ち度はあった。

 最初の二千ナールが安くて情報もしっかりしていたから、俺もすっかり安心しきっていた。


「わかった。今のところあんたから聞けることはもうないみたいだ」

「まぁ、待てよお兄ちゃん。闇夜の死竜の居場所は知らんが、次に現れそうな場所なら予測がつくぜ?」


 なんだと。そんなこと、俺以外のやつが知り得るわけがないだろう。

 まだ俺からむしり取る気だろうか。

 あいにく俺にはもう手持ちがない。


「まぁ聞けよ。これはサービスだ。闇夜の死竜は昨日怪しい連中を何人か警察署の牢にぶち込んだ。そいつらは今朝になって軍の施設に移送されたが、まだ残党がいるって話だ。この五日ほど冒険者区で黒ずくめの怪しい連中が目撃されている。今日の朝方も目撃されてるって話だ」

「それで?」

「欲張りだねぇ、お兄ちゃん。その場所については別料金だ。追加で五千ナールでどうだ?」


 これは想定外の情報が手に入ったな。

 前半の情報は俺も知っていたが後半のは初耳だ。

 しかも、酔っぱらいは怪しい人物が目撃された場所まで知っているようだ。

 気になるが俺にはもう金はない。

 セシリアなら俺より持っていそうだと考えて、俺は振り返らずに手だけを背中のほうへ回した。

 当然今の話を聞いていただろうから、五千ナールを貸してくれるだろう。



 俺の指先が柔らかいものに触れた。



「………………ん?」

「えっ、ア……アルっ!?」


 予想外の出来事に、俺は一瞬はっとしてゆっくりとセシリアのほうへ振り返った。

 俺の差し出した右手の先は、弾力のあるセシリアのお尻に触れていた。


 なぜここにお尻が、と軽く混乱する。

 先ほどまで隣に座っていたセシリアは、軽食をマスターに注文しようと立ち上がっていたのだ。

 それを知らずに俺の伸ばした手が……。いけない右手。めっ!

 セシリアと目が合い、しばしの沈黙。


「アル!? 嫌っ、えっ……なんでっ!? もぅ、ヤダ~!」

「い、痛い痛いっ! これは事故だ、わざとじゃないっ!」


 メニューでバシバシと叩かれた。

 何とかセシリアを宥めて五千ナールを貸してもらい、俺はこほんと咳払いして酔っぱらいに向き直った。

 そして五千ナールを手渡して、酔っぱらいに話の続きを促した。


「やっぱ気が変わった。もう五千ナールはいらねぇや」

「ちょっと待ってくれ。とんだ茶番で待たせてしまったが、ほら金なら払うから。気になるんだよその情報が」


 俺は愛想笑いをして言った。そして酔っぱらいの表情をうかがった。

 正直に答えたつもりだが、酔っぱらいは俺がそういう答えを返すのを半分は予想していたようだった。

 俺が握らせようとした五千ナールを振り払い、酔っぱらいは立ち上がった。


「五千じゃ足りねぇ。五万だ。その代わり、ついでに追加情報もつけてやる」

「五万!? 値上げの限度を超えてるぞ。それに駆け出しの俺がそんな大金持ってるわけ――」

「じゃあ、その姉ちゃんでもいいぜ? 一晩俺に貸してくれや。げふっ、五万の価値は十分だ」


 酔っぱらいがセシリアの肢体を舐め回すように下から上へと眺める。

 セシリアは酔っぱらいの視線に気づいて両手を胸の前に移動した。

 俺はため息をついた。


「勘違いしてもらっちゃ困るよ。この子は俺のパーティーの仲間なんだ。女を抱きたいだけなら娼館にでも行けばいい」

「……ああ、そうかい。こっちが下手に出てりゃ、調子に乗りやがって。口の利き方も教育してやろうか? あぁ?」


 男の表情は穏やかだが、口調からははっきりと苛つきが滲み出ている。

 不安になったのか、隠れるようにセシリアが俺の背中に身を寄せる。

 この酔っ払いが……最初からそれが目当てか。


 次の瞬間、酔っ払いの手が俺の背中に伸びた。

 そこにはセシリアがいる。


「姉ちゃん、ちょっとこっち来なぁ」


 酔っぱらいの手がセシリアに触れそうになる直前、俺はその右手首を掴んで締め上げた。


「その子に触るな。俺の仲間に手を出すヤツは許さない」

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