第8話 腐っても冒険者
「オラッ! 立てよクソガキッ! 俺に舐めた口聞いてると殺すぞッ!」
人気のない路地裏で、俺は酔っぱらいにボコボコにされていた。
亀のように丸まって身を守るが、容赦ない罵声と蹴りが飛んでくる。
セシリアが悲鳴をあげるが、冒険者区の喧噪で誰にも聞こえていないだろう。
「その子に触るなだぁ? へっ、後で俺が全身くまなく舐め回してやるよ!」
「ふざっ……ける……なっ!」
「俺の仲間に手を出すヤツはなんだってぇ? 俺に手も足も出ないくせに粋がるなよッ!」
なぜこんなことになったのか。
話は少し前に遡る。
◆ ◆ ◆
酔っぱらいの手首を掴んだ俺は、振り払うようにその手を離した。
いざ立ち上がって向かい合ってみると、思ってた以上に大きい。
体格のいいロイドよりも一回りは大きかった。
俺も背が低くはないが、それでも子どもと大人ほどの身長差がある。
実際、年齢もそのぐらいの差があるだろう。
酔っぱらいは手首を押さえながら、歯を剥き出しにして怒りを露わにする。
俺は横目で周りの様子を確認した。
一瞬、他の客の注目を浴びたが、それも最初だけだった。
ものの数秒もすると、客は元通りに飲食や会話を続けた。
近くにいたマスターも他の客の相手を始める。
まるで酒場での荒事など日常茶飯事だと言わんばかりだ。
周囲からの仲裁は期待できないと悟り、俺は睨みつけてくる酔っぱらいをじっと見据えた。
「なんだクソガキ。俺とやろうってのか? あぁ?」
「手荒な真似は進んでしたくはないけど、それが望みなら受けてやってもいい」
酔っ払いが俺に凄むが、俺も負けていない。
挑発に挑発で返す。
不安に駆られたセシリアが俺の腕に手を回した。
「待って、アル。危ないから喧嘩はやめて」
「大丈夫だセシリア。危険なことはしないよ」
「げふっ、いっぱしのナイト気取りか? そんな柔な細腕で、姉ちゃんを守れるのか?」
「ごめんなさい。わたしたちもう行きますから」
セシリアがぐいぐいと俺の腕を引っ張る。
すると酔っ払いが俺の胸ぐらを掴んできた。
酔っ払いの顔が間近に迫り、酒臭い息が俺の顔にかかる。
セシリアから一刻も早くこの場を去りたいという気配が伝わってきたので、俺も深呼吸して気持ちを落ち着かせる。
「あんた飲み過ぎだよ。今日のところはお互い水に流そう。カウンターの五千ナールは受け取ってくれ。有用な情報も得られたからその礼だと思ってくれればいい」
「何が水に流すだボケがっ。行くならおまえが一人で帰れ。俺はその姉ちゃんに用があるんだからなぁ、げふっ」
酔っぱらいの手が空を切った。
セシリアを捕まえようとしたようだが、間一髪セシリアは躱していた。
しかし酔っぱらいの手に数本の髪の毛が残った。
わずかに触れていたようだ。
酔っぱらいはセシリアの髪を鼻に近づけると、まるでワインの香りを楽しむように息を吸い込んだ。
「姉ちゃん、いい匂いがするなぁ。こりゃ、ますます期待できそうだぜ」
「店を出ろ。外で話をしてやる」
俺はポケットから千ナールを出して飲み代としてマスターに渡し、セシリアの手を引いて店の入口に歩き出す。
もう我慢しなくていいだろう。
「ちっ、ここじゃ人が多すぎる。裏に来な」
酔っ払いが顎でついてこいと示すので黙って従う。
「アル、どうするの? お願いだから危ないことはしないでね」
「ああ」
安心させるようにセシリアの手を握り返す。
案内されたのは酒場の裏手だった。
目に入るのは酒場の裏口の扉と、その手前に少し開けた場所。
当然、俺たち三人以外に人はいない。
こちらに振り返った酔っ払いの背後には、他にもいくつかの路地へ繋がる道が見えている。
「ここらでいいだろ。クソガキが、誰に喧嘩を売ってるのか教えてやる」
「やっぱり、そうなるのか」
酔っ払いは拳を握って構えた。
巨体に似合わず、足元は軽快なフットワークを刻んでいる。
喧嘩慣れしてそうな動きだ。
「セシリア、危ないから下がってて。ちょっと運動に付き合わないと頭を冷ましてくれそうにな――」
俺が言い終える前に酔っ払いが急接近し、太腕から繰り出されたパンチが俺の腹を捉えた。
たまらず腰を沈めた俺に追撃の蹴りが迫る。
「アルっ!」
横っ腹に直撃し、俺はその勢いで吹っ飛んで酒場の壁に打ちつけられた。
全身を強打した俺はすぐに立てなかった。
見上げると、酔っ払いはごきげんな様子でニヤついていた。
瞼がわずかに熱を持っている。
どうも本調子じゃないようだ。
血相を変えたセシリアが俺に駆け寄ると、その目には涙がにじんでいた。
「アル、大丈夫!? 話が通じないみたいだし、もう逃げましょ。わたし、アルが傷つくの見たくない」
俺はセシリアの手を振りほどきながら、立ち上がった。
セシリア、ごめんな。
心配してくれるのは嬉しいけど、酔っ払っているとはいえセシリアに手を出そうとしたこいつを俺は許せない。
それと、相手を舐めてたのは俺のほうだ。
腐っても冒険者、剣術学院の一生徒とは力の差が歴然だ。
俺は腕力にものをいわせた一方的な暴力から身を守るので必死だった。
◆ ◆ ◆
酔っぱらいの攻撃に耐えながら考える。
素手でもこの強さだ。もし酔っ払いが腰の剣を抜けばどうなるのだろう。
たかが喧嘩で?と思うかもしれないが、酔っぱらいはかなり頭に血が上っている。
最悪の事態は想定しておくべきだ。
その場合、気になるのは剣術の実力だ。
その腕前が初級程度なら互角にやれるだろう。
しかし冒険者歴十年以上のベテランが、初級ということはないだろう。少なくとも中級以上。
もし上級だったら……今の俺では勝てない。
俺の心の中を見透かしたのか、酔っ払いは蹴りを止めて距離をとってから腰の剣を抜いた。
「もしかして、剣術なら勝てると思ってないか? いいぜ、抜けよ」
「駄目よ、挑発に乗らないでっ。きっと大怪我してしまうわ!」
痛む右手を動かして、俺も剣を抜く。
セシリアの身の安全を確保するのが最優先だ。
もちろん、セシリアの忠告もちゃんと受け止めている。
二人で逃げてやり過ごせるか。いや、酔っ払いは意外と足取りはしっかりしている、今の俺たちじゃ走って振り切れる保証はない。
もし捕まれば、最悪の結果もあり得る。
酔っ払いが剣を振るい、俺はすぐに応戦した。
実力は中級以上で上級には届いていない。
それでも俺は防戦するので精一杯だった。
「どうした? 守るだけか?」
「くっ……!」
剛の剣ザルドーニュクス流剣術。
酔っ払いの剣は腕力を存分に活かした攻撃だった。
ロイドと同じ流派だ。
こんなことなら、もっとロイドの稽古に付き合ってやれば良かった。
それにしても俺のふがいなさといったら……。
やはり片手じゃ変な感じがする。ふわふわして自分の体が自分のものじゃないみたいな感覚だ。
俺の場合、得意の剣術の癖が強すぎてグラナート流じゃ頭に描いた理想の動きが取れない。
簡潔に言えば下手くそ。
師匠である爺さんが言うには、俺の魔眼が影響しているらしい。
本当にそうだとしても、俺が未熟なことに変わりはない。
剣術学院に入学してからもう四年以上になるのに、我ながら進歩がない。
ハロルドやロイドじゃないけど、もう少し真面目に稽古に取り組むべきだったな。
そうすればハロルドのように中級に到達できたかもしれない。
心配したセシリアを泣かせてしまうくらい拙い俺の剣術。
それでも今は精一杯やるしかないのだ。
殴られ蹴られた腹が痛む。
俺は歯を食いしばりながら、叩きつけられる重い攻撃を凌いだ。
腕力任せの痛打、酔っ払いの唾が飛ぶ、酒臭い息がかかるの三重苦だ。
何度も繰り返しているうちに、俺の腕が痺れてきた。
これ以上は同じように防げない。
俺は酔っ払いの間合いから抜けようと地面を蹴ってバックステップを試みるが、足をもつれさせて思わず転倒しそうになる。
なんとか踏みとどまることに成功するが、そこへ蹴りが飛んできた。
「おらっ! 足にきてるぞ!」
大きく仰け反って躱し、その勢いで後退した。
「もうやめて! わたし人を呼んでくる!」
「無駄だぞ姉ちゃん、ここいらは警官も避けるし周りの冒険者も金にならない面倒ごとは嫌がる。運良く正義感を振りかざした冒険者に出会えるなんて期待するんじゃねぇぞ? そういうヤツらは朝一の仕事に備えて、今ごろおねんね中だ」
セシリアはどうしたらいいのか迷っている様子だ。
酔っ払いの言っていることに嘘はないだろう。全部がそうではないが、これも冒険者区の一つの側面だ。闇と言ってもいいだろう。
お偉いさん方の力でなんとか改善して欲しいと、今ほど思ったことはない。
「やめてっ! アルをこれ以上傷つけさせないわ!」
思い詰めたセシリアが剣に手をかけた。
しかしその手は震えている。
剣術の授業で見るセシリアとは違っていた。
無理もない。授業と今では状況がまったく違うのだ。
「可愛いねぇ、震えてるぜ? だけどよぉ、姉ちゃんは黙ってな。これは男同士の喧嘩だ。後で強い男の良さを教えてやるぜ。たっぷりとなぁ」
酔っ払いが下卑た笑いを浮かべる。
…………クソ野郎が。
そこで俺の中で何かが吹っ切れたような気がした。
「セシリア、剣を貸してくれ」
俺が左手を伸ばすと、セシリアは困惑したように見つめてくる。
「どういう……ことなの?」
「いいから、頼む」
「剣って……駄目よ、怪我をするわ! そんなの嫌。それに剣って……」
セシリアは俺が右手に握っている剣を見る。
言いたいことはわかる。
自分の剣があるのにどうしてって。
俺は困惑するセシリアの腰から素早く剣を引き抜いた。
それは普通の剣と小剣の間ぐらいの長さだった。
俺はセシリアの耳元で優しくささやいた。
「いいか、この場から動かないでくれよ。すぐに戻る」
セシリアの返事を待たず、俺は酔っ払いに突進した。
そしてそのまま脇をすり抜ける。
戸惑った酔っ払いは間抜けな顔をしている。
「ついてこいクソ野郎! ガキに剣で勝てる自信があるなら証明してみろよ! その自慢の剣術をな!」
「ふっざけんな、てめぇぇぇっ!」
安い挑発に乗った酔っぱらいは、俺の後を追いかけてきた。
そうして一つ先の角を曲がって別の路地に入ると、俺は振り返った。
数秒後にはそこの角から酔っ払いが顔を出すはずだ。
俺は地面に唾を吐いた。
口の中も切っていたようで、血が混じっている。
「……体中が痛ぇ。しかし派手にやってくれたな。セシリアを泣かすなんて、俺も我慢の限界だ」
俺はそう独りごちた。
ほどなくして、怒り心頭な酔っ払いは現れた。
「逃げてんじゃねぇぞ、それでも男か? あぁ?」
「酒臭いな。時間がないから三秒で決めさせてもらうぞ」
「……何だと?」
酔っ払いは俺の言葉が理解できないでいた。
俺は曲芸を披露するように、両手の剣を回転させてから握り直した。
酔っぱらいは訝しげな目で俺を凝視する。
ああ、これだよ妙にしっくりくる。
剣はこうでなくっちゃな。
さて、ここからは反撃の時間だ。
「覚悟はできたか?」
俺は唇の血を舐めて、剣の切っ先を酔っぱらいに向けた。
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